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『令和元年』

 
令和元年はバタバタと忙しい一年でした
平成が遠い昔のようにも感じます
2019年は旅行にたくさん出掛けた年でした
国内も例年以上に行きました
伊勢神宮、鳥羽泊のコースは1~2か月に一度位
二度行く月もありました
そして最近気に入って行っていたのが高山
今までのようにただ観光をするのではなく
高山に惹かれたように初めて宿泊をしました

飛騨高山は今外国人に人気で
写真でよく見る古い街並みには多くの海外の人たちが歩いています
旅館やホテルなども純和式の畳部屋の方が人気だそうです
高山は温泉もなく宿泊するイメージはありません
ただ歩いて街並みを見て観光する街という感じでした
高山は観光で
宿泊は下呂や奥飛騨へとが定番でした
でもここ数年温泉がある宿泊施設も増え
わざわざ他のところへ移動せず温泉にも入ることができ
人気の宿泊地になっています

高山は朝市で有名なところです
その朝市も泊っていれば
宿泊していたところを早朝に出発しなくてもすぐに行くことができます
朝市には宮川沿いに出ている宮川朝市と
陣屋前に出ている陣屋前朝市があり
朝の6時から12時まで開いています
新鮮なお野菜やお花や手作りのお漬物などが売っていて
売っているもので季節を感じることもできます
縁あって泊まった陣屋近くのホテルがとても素敵で
一気に気に入ってしまい
自分なりの常宿のひとつになりました

鳥羽は大好きな鳥羽国際ホテル
鳥羽シーサイドホテル
アルティア鳥羽の3件を
食べたいもの
お風呂や景色などを考えて梯子をしています

海外へは平成最後の年末にハワイへ行き
3月にはバリ島とジャワ島へ
ジャワ島は正直バリ島のおまけでしたが
ジャワ島の方がより感動しました

そして夏休みは中欧へ
オーストリア、チェコ、スロバキア、ハンガリー
ヨーロッパで温泉に入れ
行ったことのなかった国も行けて新鮮で良かったです
ただ何度もエッセイ・コラムコーナーでお送りしている通り
オーストリアで起きた食中毒
海外での盗難以外
初めて大変な思いをしました

旅行は心身ともに元気でないと行けません
身体が元気でも心が迷子になっていると行こうとも思いません
よく気分転換にと言いますが
行っても考えることが多いと
景色は目に入っても頭や心には入ってきません
そう思うととても幸せな毎日を過ごしているのだと改めて思いました

次はどこへ行こうか
そう考えることで毎日の忙しい時間の切り替えとなっています
今は3月まで土日はほとんど出掛ける予定が入っていて
新たなスケジュールを入れることができません
嬉しい悲鳴です

令和元年一番の思い出は
11月10日の天皇皇后両陛下の即位パレード
祝賀御列の儀に参加したことでしょうか
たまたまその日は他の用で東京へ行く予定が入っていて
パレードの日にちが変更になったため参加することができました
テレビでよく見る日の丸の旗も皇居でもらい
とてもいい経験になりました

平成31年そして令和元年
本当に素晴らしい一年でした
これからももっともっと幸せな種を蒔きながら時を過ごせますように
頑張ります
支えてくださった方々心より感謝申し上げます
ありがとうございました
そして令和2年もどうぞよろしくお願いいたします





高山 ホテルの朝食 朴葉味噌など

MASAYO TACHIKAWA





あっという間の一年が
風のようにサッと吹いていきました
やり残したことは
ありません
新たな何かが手を振って
待っています

感謝が感謝を呼ぶ
感謝を感謝で返す
より良い時間が過ごせますように
両手を合わせ
こころから祈ります

普段は他人と比較などしない自分の人生
けれど今回は頑張りに脱帽
少しでも真似できますよう
努力を重ねていきます

やれば出来る
何度この言葉を口にしてきただろう
そう思える毎日が幸せな証拠
今年もやります
やれば出来ると

いい風が吹いてきた
こころからそう思う
みんなが笑っている
そんな空間に居る自分
ありがとう
皆様

自分のために生きるのか
人のために生きているのか
両方バランス良く
どちらかに偏らないよう
生きていきます

水仙の花が
いい香りを届けてくれる
ホッとする香り
白い花が語り掛けてくれます
「今日もご苦労様」って

ゆとりの時間が
何かを産み育てる
緊張で息が抜けないと
どこかで切れてしまいます
そうなる前に

今年は何か特別良いことがありそう
毎年そう言っている気もする
それでいい
そう思っている自分がいい
その思いが
良いことを呼ぶから




『中欧での出来事Ⅶ』

 
ハンガリーのブダペスト
ブダペストはドナウの真珠、ドナウの薔薇とも言われ
ドナウ川と美しい建築群が共存する王都です
ハンガリー王国が誕生して以来1000年の歴史を重ねてきています
ドナウ川に沿って広がる王宮の丘からゲッレールトの丘にかけて
見どころが数々あり
夜景も含め絶好スポット満載の観光地ともなっています

中でも一番目を引くのは国会議事堂
ゴシック、ルネッサンス、クラシック、バロックなど
様々な様式が組み込まれ
17年の歳月をかけ
幅123メートル高さ96メートルの壮大な建物が
1902年に完成しました
見学もでき館内のガイドツアーも行っていますが
残念ながら日本語はなく英語ツアーのみです
国会議事堂の周りにはオペラハウス、聖イシュトバーン大聖堂など
素晴らしい建築物がたくさん建っています

ドナウ川を挟んだブダ地区とペスト地区は
くさり橋などの橋で結ばれています
くさり橋はブダペストを代表する橋となっていて
1849年にその頃権勢を誇っていた貴族の案によって
橋は完成しました
しかし第二次世界大戦によって崩壊し
その後1949年に復元して
昨年からは改修中となっています

ブダペストの一番の魅力は景色もさることながら
世界有数の大規模な温泉です
約2000年前にローマ人によって発見されました
一番大きいのは市民公園の中にあるセーチェニ温泉
1913年に開かれて以来毎日大人気の施設です
温泉と言うよりアミューズメントパークのような施設で
地元の人はもちろんのこと
温泉に浸かりながらチェスなどのゲームに興じている人や
観光客もこの施設を楽しみに訪れる人も少なくありません
きっと朝から晩まで居る人も多いことでしょう

屋外には28℃から38℃のプールが3つ
屋内には20℃から36℃の12個ものお風呂があります
やはりここでも宿泊したホテルの温泉のように
日本に比べると温度は低めです
夜も10時まで開いていて
夜はライトアップされ
ローマ時代にタイムスリップしたような空間にもなります

一番大きいセーチェニ温泉の他に
1918年に建てられたゲッレールト温泉はアールヌーヴォ調の美しいプールとなっていて
屋内プールは2階建ての吹き抜けで広々とした空間が作られています
ホテルに併設されているため
マッサージなどのサービスも充実しています
屋外プールは木々に囲まれていて
心身ともにリラックスできる雰囲気になっています

他にもルーカチ温泉のように治療目的の施設や
1565年にオスマントルコによって建てられたキラーイ温泉など
数多くの温泉施設があります
もちろん今回宿泊したホテルのように
中に温泉施設があるホテルも数多くあります

いずれにしても観光だけでサッと移動をしてしまうところではなく
数日滞在して空間を楽しむ場所であることをここにいて強く感じました
今度はこの温泉に行くのを目的に
ブダペストを訪れたいとこころから思っています





ハンガリー ブダペスト 国会議事堂

MASAYO TACHIKAWA





何を想って生きるかで
これからが変わっていく
人は何も考えていないつもりでも
何かを常に考えている
だからこそ
素敵な想いで毎日を

何故の連続がなぜを呼ぶ
どうしてと考えていても進めない
ただやるしかない
そう思っていれば
必ずやってくる
あちらから駆け足で

類は友を呼ぶ
今年も一年
たくさんの笑顔に囲まれ終われそう
最後まで
感謝で締めくくりを

黄色く色付いた銀杏の葉
ライトアップされてキラキラと
たくさんの実を付け
自然からのお裾分け

紫色のポインセチア
初めて見た
きっと白い花に
特殊なインクを吸わせて
作ったのだろう
初めてのものはどんなものも
心奪われる

紅葉を見ながら山登り
静けさの中に
色とりどりの葉っぱ達の話し声
人も木々も生きている
ともに寄り添い
支え合い

平和だと思われている観光地で
事が起きると
人が遠のく
観光地だけでなく
人も同じ
回避できる力を持って

食欲の秋が
食欲の春夏秋冬に
一年中食べたいものがいっぱい
痩せてる暇がない
危なくなる前に
ひと休みを

柚子の香りがお風呂いっぱいに
心穏やかになる優しい香り
今日も一日ご苦労様でした
ゆっくり
おやすみなさい




『中欧での出来事Ⅵ』

 
ハンガリーの首都であるブダペストは
紀元前2世紀のローマ軍駐屯から多くの歴史の波に押され揉まれながら
紀元1000年に建国されました
ブダペストはその首都です

ブダペストはブダ地区とペスト地区の
街が2大エリアに分かれていて
今回はドナウ川の中州にあるマルギット島の
リゾートホテルに宿泊をしました
ホテルに着いて温泉に入り体調も徐々に取り戻してきたので
ヨーロッパの中でも特別美しいと言われる夜景を
見に行くことにしました

川の流れに沿って緑道を
マルギット島の端にあるマルギット橋に向かって歩くこと20分ほど
やっとライトに照らされた橋が見えてきました
ただ橋が大き過ぎて島から橋へ上がる道がわからず
大きな橋の下をうろうろ
しばらくして橋への道をみつけやっと上がることができました
言われていた通り素晴らしい景色です
一目見た時
何だか見たことのある風景だと思いました
ここへ来るのは初めてですから見たことはないはず
多分人気の場所なので
ヨーロッパのパンフレットの写真で何度か見ていたのでしょう
ドナウ川を真ん中にして何も遮るものがなくただただ眩い光がキラキラと美しく輝いています
この輝きには香港や函館のようにお値段はついていませんが
決して引けを取らない輝きでした

橋の上には同じ目的の人たちで溢れかえっていて
特に若いグループの人たちは多人数で大はしゃぎ
日本の若者はあまり大声を出して騒ぐことはしないので
ちょっとした異国感がありました
もちろん異国なのですが

マルギット橋からは左手にライトアップされた国会議事堂が
右手にはブダ王宮が見えます
くさり橋の輝きとともに
まるでジグソーパズルの写真の中に居るようです
お昼間ドナウ川遊覧クルーズもしましたが全く違う景色でした
遊覧船は貸し切りだったため
日本語の解説が行きも帰りもずっと流れていて
街の歴史も含めとてもわかりやすいクルーズになりました
お天気も良く風も爽やかで
ゆったりと時を過ごすことができ
良い時間でした

ブダペストはドナウ川を挟んでブダ地区とペスト地区に分かれています
ブダ地区にはブダペスト発祥のオーブダと王宮があり
オーブダにはローマ時代の遺跡が残っていて最も歴史のある場所です
反対にペスト地区はエリアが広く
中心地の英雄広場からアンドラーシ通りには
ショップや中央市場などがあり
多くの人たちが集まる賑やかな場所となっています
アンドラーシ通りはパリのシャンゼリゼ通りをモデルに造られていて
2km以上の並木道が続きます
シャンゼリゼ通りと同じくほとんどが落葉樹のため
秋にはより美しい通りの姿が見られます

ブダペストの一番の魅力は温泉です
ハンガリーは世界有数の温泉大国
2000年前ローマ人によって発見され
それから社交場として長く愛され続けています
今回はホテルの温泉しか入れませんでしたが再び行くことができた際は
是非その巨大温泉に入ってみたいと思いました

続きは次回お送りします





ハンガリー ブダペストの温泉

MASAYO TACHIKAWA





人生はすべて出逢い
今までどんな出逢いをしてきたか
これからどんな出逢いをするか
行く先を
ずっと左右して行く出逢い

感謝は人を変える
こころから感謝の言葉が出る
そんな人になれるよう
これも努力しかない
いつも
頭でそう思う

誰にでも同じように接する
目指すところではあるけれど
目標としては遠い
入るより
器からはみ出す方が多いかも

テレビの人気者に話を聞いた
人生は
どこにチャンスがあるかわからない
予測不能な出来事が次々と起こる
目の前に来たら
逃さず手にして欲しいと

机の上の柚子が
優しい香りを伝えてくれる
この一かけらが味をすっかり変える
なくてはならない黄色い実

到底足元にも及ばない人
遠い存在だけれど目の前に
見習うことが多過ぎて
触れられるけど
触れられない

ミニトマトが鈴生りに
できることなら
このまま飾っておきたい
トマトの赤色に力を感じる
真っ赤なトマト

ポルトガル発祥の金平糖
日本の金平糖とは形は似てるが
食感も味も違う
本物は
もっと優しい色と感触の
可愛いお菓子

花で作った花うさぎ
誰が一番初めに作ったのだろう
真っ白で今にも飛び出しそう
アイデアが小さな夢を生む




『中欧での出来事Ⅴ』

 
食事が取れなくなって数日後
幸いにも最終日の宿泊地
ハンガリーのブダペストのホテルは
温泉の施設がある人気のホテルでした

ホテルに入ってすぐ水着に着替え
備え付けのバスローブを羽織り温泉へ
日本の温泉と言えばお風呂を想像しますが
ヨーロッパの温泉のほとんどは
水着を着て入るプール仕様になっています
ブダペストでも
日本でいう温水プールのように
室内で水着を着て
外を見ながらお湯に浸かる仕組みでした
プールみたいに広いとはいえあくまでも温泉ですから
泳いでいる人はもちろんいません
ただここのホテルはこの施設の横にプールもあって
泳ぎたい人はそちらで泳いでいました

ブダペストの温泉は日本のように温度の高いお湯ではなく
日本人には少しぬるいと感じる位のお湯でした
温度によってブースが分かれていて一番高い温度で38度
あとは28度から30度前半
暑いお風呂にいつも入っている日本人には
20度台から30度前半までのお風呂は
ぬるくて長く入っていられません
逆に欧米人にはそちらのぬるいお風呂が人気で
多くの人が低温のお湯に長い間
転寝しながら入っていました

38度も決して高いわけではなく
お湯がずっと出ているところの周りがかろうじて温かく
自分はずっとその掃き出し口のお湯に体を当てているか
そこに他の人がいる間はその周りでじっとしていました
いつもならば温泉をほどほどにして散策をしたでしょうが
この時は外に出ず温泉だけで時間を過ごしました
でもとてもいい時間が流れていて
十分リラックスできました

ゆったりと水の流れとともに時を過ごし
その温泉の施設を出たところで
大きなティーポットみたいなものをみつけました
そこには蛇口が付いていて横に紙コップが置いてあります
きっとこれは飲む温泉なのだと勝手に判断し蛇口を捻って飲んでみました
あっさり味の美味しい
程良い温度のお湯でした

しばらくしてその温泉のお陰か徐々に体調も回復してきました
周りも段々と暗くなっていき
ヨーロッパで数本の指に入る
絶景と言われる
ブダペストの夜景を思い切って見に行くことにしました
歩くと片道30分ほどと聞いていました
泊まっているホテルがその夜景の延長線上にあって
行かないのはもったいない
行かないと絶対後悔するだろうと思ったことが
どうしようかと迷う気持ちを後押ししてくれました

ホテルは川の中州にあり
ホテルの横の遊歩道をまっすぐ歩いていくと大きな橋があり
そこから見る景色が素晴らしいと聞いていました
そして川沿いの一本道を目標に向かって歩き始め
いつものペースとはいきませんでしたが
川の流れも穏やかで建物の灯りがキラキラと反射して光り
その雰囲気も楽しみながら進みました
ランニングしている人も
川辺で食事をしながら会話を楽しんでいる人もいます
いい風も吹いてきて
この先の夜景に
歩きながら
ますます期待が膨らんでいきました

続きは次回お送りします





ハンガリー ブダペストの温泉

MASAYO TACHIKAWA





思ってみなかった楽しい出来事が
不意の流れに
いつも以上の喜び
日々に感謝
それだけは忘れないように
これからも

日頃の行いが運を呼ぶ
何が良くて
何が力になっているのか
当の本人だけが
わからないかもしれない

人を引き付ける力
魅力と一言で言うけれど
言葉ではなかなか表せず
ただ見た目だけでは決してない
それだけは確か

山々の紅葉が始まった
忘れず色を付けていく
天然でしか出ない色
目もこころも
解けていく

京都の清水寺への参道
人がいっぱいで身動きが取れない
これまで人を引き付ける理由は何だろう
年々増えていく人の数
あやかりたい

運がいいと言われる人
何故と聞きたくなる
聞かれても
日頃の行いかと答えるしか
でも大きな何かが
きっとある

近くの果樹園から採ってきた青切り蜜柑
ほどほどの酸味が美味しい
毎日一個
ビタミンCで
からだも気持ちもリフレッシュ

もうすぐ四季桜が咲く
ソメイヨシノより優しく上品な花
和紙を細かくちぎったように花が咲く
満開を見てみたい

コーヒーの香りが
一日の終わりを告げる
今日もご苦労様でした
明日もまた
元気に目が覚めそうです




『中欧での出来事Ⅳ』

 
ウイーンのベルヴェデーレ宮殿から
言葉にすると
よぼよぼとホテルに帰って来てベットにゴロン
吐き気で何度か目が覚めながら朝を迎え
朝一で添乗員さんに電話をして
酔い止めとともに部屋に来てもらいました
そこで添乗員さんから最初に出たのが
「昨日気分が悪いと言っていた二人が夜に入院をした」の言葉
「えっ」
この気分の悪かったのは
自分の体調管理が悪かったのではなかったことが
この言葉ではっきりしました

体調不良の原因は嘔吐の回数と入院した二人の様子から
食中毒がすぐ頭に浮かびました
入院した二人も車酔いしたと言っていた割には症状がひどかった
少しでも楽になればと思って
着いた先のお店でマッサージをしてみましたが
一瞬良くなったのはそんな気がしただけで入院とはビックリ
海外旅行で一番怖いのは
盗難にあうことだと思っていましたが
それと同格のことが目の前で起きてしまいました

幸い自分は入院をするほどではなかったのでいただいた酔い止めも含め
症状が出る度に
少々許容範囲以上の薬をバスに乗るまで飲み続けました

昨日美味しかった朝食バイキングも全く箸がつけられません
気分が悪くて固形物が口に入らないのです
グレープフルーツのジュースを数口飲んだだけで食べるのは諦めました

ウイーンのホテルは連泊だったので昨日の朝は楽でしたが
その日は次の国に行くため荷物を片付けなければなりません
今思えばよく片付けたなと思います

そしてバスに乗ろうとエレベーターで下に降りてきたとき
ロビーのソファーでぐったりしている人が目に入ってきました
何と自分以外にも同じ症状で一晩中寝られなかった人がいたのです
やっぱり食中毒だと確信しました
その人は家族で参加していましたが歩くこともままならず
鞄すら持てずかなり辛い様子でした

バスに乗ってすぐに
ツアー客全員に二人が入院したことが告げられました
自分も座っているのも辛いので
バスの座席を工夫して寝転がって
次につくところまで少しでも体調が回復するようにしました
しかし多分食中毒でしょうから薬を飲んでいるとはいえ
そんなに早く戻るはずもありません
薬もあるものを飲んでいるだけですし

この日もお天気が良くきれいな青空でした
数か所の観光地を回る際も
できる限り頑張って付いていくようにしましたが全ては無理でした
バスが目的地に到着したのは耳で聞いてわかっていても
体が動かないのです
せっかくのヨーロッパ
一か所でも多く回りたいのは山々でしたが
最後の方は諦めました

楽しみにしていた食事ももちろんほとんどいただけませんでした
一口だけ口にできたキノコのスープ
とても美味しく
もう一度あのスープだけは食べたいと今でも思っています
肉厚のシイタケがゴロゴロと入っていて
スープの画像もはっきり覚えています
口にしたのはたった一口だけですが

続きは次回お送りします





ウウイーン ベルヴェデーレ宮殿 下院

MASAYO TACHIKAWA





いい時はすぐ過ぎていく
でも次のいい時がすぐ来れば
超特急で過ぎていっても
また楽しみが待っている

会いたい人がいる
すぐ会えるのに会えない人
目の前にいるのに会えない人
そんなもどかしい人が
近くにいますか

自由になりたいと
ぐでたまがつぶやいている
カレンダーの中で
卵焼きにされ
海苔の帯で縛られている
「私も」とつい同感したくなる
でも十分自由かな

自然は素晴らしい
とても真似できない
人はちっぽけ
足元にも及ばない
けれど毎日ちっぽけなりに
頑張っている

秋の木々は美しい
赤や黄色
木の実も真っ赤に変わる
実りの秋が真っ盛り

他人から必要とされている人は強い
必要としているのではなく
必要とされることが大きな柱となる
生きている実感が湧くから

10月になっても暑い
おまけに台風も発生している
10月の台風は
10年で7個だそうだから
珍しい
地球が怒ってるのかな

世間の変化に追いつけない
だからとはいえ
焦らず行きたい
ゆっくりと
頭ではわかってる

自分のあるべき姿はと
日々模索して生きている
結論は一生出ないかもしれない
けれど
考えるのは楽しい




『中欧での出来事Ⅲ』

 
ウイーンのベルヴェデーレ宮殿のお庭を歩いて
いつもとは全く違う感覚に襲われ始め
海外旅行ともいよいよお別れかと思いながら歩いていましたが
段々歩くこともままならなくなってきました
近くにあったベンチに座り
宮殿を見て良くなるのを待ちましたがなかなか回復しません
飲み物も飲み切ってしまったため水なしで持っていた薬を飲んで
歩けるうちに帰ろうと宮殿の門をくぐりました

幸い宮殿前からホテルへ向かうトラムが出ていたため
今度はトラム待ちのベンチに座ってトラムを待ちました
トラムは出る人がいないと外で待っていても扉は開きません
田舎にもこのような形態の列車がよくあります
乗る場合は
自分で扉の横の丸いボタンを押して開けなければなりませんが
それを知らないとじっと待っている間にトラムは出発してしまいます
今回それと知らずに数秒開かないドアの前で開くまで待っていました
寛容なヨーロッパだからこの扉は壊れているのかなと思って
他の人が開けたドアから乗り込みました
この時に一人も乗り降りしなければ
いつまでたっても乗れなかったかもしれません
次の駅に着いて皆の行動を見ていて
開かなかったドアは壊れていなかったことを学習しました

降りるときも同じく
ドアの横のボタンを押してドアを自分で開けて降ります
動いているときに押しても開くことはないでしょうが
他の人が早めに押していたので
自分も降りるとき
駅につく少し前に押してみました
スイッチは反応して赤く点滅しましたがその時は開かず
ちゃんと到着してから開きました

ウイーンの駅名は難しく
ホテルに近いトラムの駅の名前が何かは知りませんでした
トラムのナンバーと
唯一わかるオペラ座の駅名を知っていたこと
そのオペラ座とは反対方向にホテルがあること
それと周りの景色を若干覚えていたため
無事降りることができ
ちょっとだけホッとしました
しかし足もますます重くなっていき
目の前に見えているホテルが何だかとても遠く感じました
でも進むしかないので少しずつ進んでやっとホテルへ到着
すぐに部屋に入って早速休むことしました

横になって何時間か経ったころ強い吐き気がして目が覚めました
それからが戦いでした
何度吐いても気分は全く良くなりません
それどころか悪くなる一方です
結局明日のこともあるので
お風呂にだけは入ってちょっとだけ休みました

朝になり添乗員さんも起きているだろう時間まで待って
添乗員さんに飲んだことのない酔い止めをもらい
吐き気だけは止めようと電話をしたら
酔い止めを持って部屋まで来てくれました
そこで添乗員さんから衝撃的な一言が飛び出したのです

続きは次回お送りします





ウイーン ベルヴェデーレ宮殿

MASAYO TACHIKAWA





誰のために生きていますかと聞かれ
自分のためですと答えますか
それとも
あの人のためです
とすぐに名前が出てきますか
あなたはどちらでしょう
私は半々の時もあれば
どちらかが多い時も
こころは揺れてばかりです

必要とされる毎日
人としての誇りが芽を出す
つい微笑みも
ありがとう
素敵な想いを与えてくれて

肯定感の強い人と
自己中心的な人は
似たところはあるが大きな差が
人への思いやりがあるか
ないか
数秒一緒にいれば
わかってきます

たくさんの人が笑ってくれる
居心地のいい場所
今以上に頑張ろうと思う
期待に応えたいと
踏ん張れる

バランスの良い食事と
バランスの良い人間関係
どちらも大切
どちらが欠けても
転倒必須です

手相は毎日変わるという
じっと見つめていてもわからないけれど
言われてみれば思い当たる節は
多々ある
いい方向へ流れますように

熱中症という言葉など昔はなかった
耐えることがベストだった
今では全く考えられない
耐えることは禁止の現代
人が弱くなったのか
研究が進んだのか

目の錯覚はよくあるけれど
こころの錯覚も負けじと多い
気付いた時には大きく曲がっている
目を見開いて
騙されぬように

美しい夕焼けに
こころが溶けていく
今日も一日ご苦労様でした
大きな太陽が答えてくれた
こちらこそと




『中欧での出来事Ⅱ』

 
ウイーンのベルヴェデーレ宮殿でグスタフ・クリムトの名画と出会い
ライトの光が少しでも入らないように
少しずつ位置を変えながら写真を撮りました
ルーブル美術館のモナ・リザも今はしっかりとした囲いに囲まれ
なかなか近くへ寄れません
でも以前は囲いが今のように大げさなものではなく
細いロープ一本で囲まれているだけでした
だからある程度近くへ行けば
モナ・リザとのツーショットを違和感なく撮ることができました
ただ今は予測不能な行動をする人がいるので大切な名画は
モナ・リザくらいの厳重な囲いがあった方がいい気がします

今回クリムトの接吻はロープですら囲われておらず
目をぐんと近づけて見ることができ
ゴールドが特徴のこの絵は
金の延べ棒の中に絵があるかのようにキラキラと輝いていました
これから先
ベルヴェデーレ宮殿の名画たちも
モナ・リザのように囲われていくのかもしれません

写真をある程度撮り終えたところで一歩人混みから離れると
絵の横に立ってツーショットを撮っている人たちが目に入ってきました
周りを見渡したらそれを注意する人も
制服を着た警備員さんも何も言いません
幸いお客さんも少なく自分も撮っていいのかと思い
そのツーショットを撮っていた人に
撮ってくださいとお願いしたところ
快く何カットも撮ってくださいました
来年の年賀状に使おうと思うくらいたくさん
おかげさまでいい思い出ができました

この宮殿には
19~20世紀末を代表する美術家の作品が数多く展示されています
上宮下宮とも美術館になっていますが
現地ガイドさんから下宮の展示品は大したことはないから
上宮を目指して行ってくださいと言われました

ベルヴェデーレ宮殿は英雄プリンツ・オイゲンの夏の離宮でした
宮殿だけでなく庭園も素晴らしく
宮殿の庭園には真っ白なスフィンクス像が2体あり顔と胸は人間の女性
胴体は羽の生えたライオンが座っている形です
以前来た時にガイドさんが
胸を触るといいことがあると言っていたので触った記憶があります
今回も触ろうかと近づいたところ
胸はたくさんの人が触っているせいか黒くくすんでいました
なので今回は
ちょっとだけでも欲にまみれないようにと触るのを止めました

スフィンクスから下宮に向かって庭園は緩やかな下りになっていて
その中を歩いていくと
たくさんの種類のお花が植えてある花壇があります
その花壇の特徴は高級な花を整った形で植えてあるのではなく
おしろいばなやラベンダーや勿忘草のようにどちらかと言えば雑草系のお花が色とりどりに
何種類も植えてありました
高さも一律ではなくバラバラです
大きくなるものはそのまま大きくなるまで
植えた時のままの高さのものはその高さのままで
それが伸び放題にしてあるのです
今回一番目立ったお花はおしろいばなでした
日本では濃いピンク色のお花が多いですが
ここでは黄色と白そして黄色と白のミックスのお花が咲いていました
そこに着いた時は少し曇っていて暗めでしたが
様々なお花と宮殿の取り合わせはとても素敵でした

そんなお花を撮りながら花壇をくるりと回っていましたが
何だか全く気が乗らないのです
おかしい
お花に興味がわかない
わかないどころか何だか早くホテルに帰りたい気もしてきました
やっぱりおかしい
いよいよ私の海外旅行熱もここで終焉かなとも思い始めました
お花の写真もそこそこに下宮に向かいましたがやはりおかしい
体が段々動かなくなってきたのです

ここからは次回お送りします





ウイーン ベルヴェデーレ宮殿

MASAYO TACHIKAWA





会うだけで癒される
目にすることでゆったりできる
そんな存在になりたい
何も言わず
そっと咲くお花のように

流れに乗って生きている
変わりのない毎日
それがありがたい
ただただ生きていられる日々が
ありがたい

水が出て当たり前
電気が付いて当たり前
当たり前は
決して
当たり前ではない

暑い毎日に翻弄される
体だけでなく
こころもぐったり
暑さに慣れて
汗も出なくなってきた
暑い秋

ゴディバのチョコレートのロゴには
悲しいけれど
立派な結末が待っていた
自分のこと以上に
他人を想う人
素晴らしいとしか言いようがない

予期せぬ天災が続いている
人災も怖いけれど
天災は規模がでかい
他人事と思わず
いざというときの
心の準備を

毎年参加する
12月の講習の案内が来た
今年もあと3か月
あっという間に終わりそう
悔いのないように毎日を

バリ島のケチャックダンス
思っていて以上に素晴らしかった
引き継がれていくものは奥が深い
続けることの大切さを
見た気がする

ハワイのプルメリアの香りに
会いたくなってきた
行けばすぐ行けるハワイ
縁をください
すぐに行きますから




『中欧での出来事Ⅰ』

 
夏休みに行った中欧ヨーロッパで初めての出来事がありました
一緒に行ったツアーのメンバーが一緒の飛行機で帰れなかったのです
8月の中旬に日本を出発して
チェコ・ブダペスト・ウイーンなどを回って下旬に帰る予定でした
私は幸い帰ることができましたが
一歩違えば帰れなかった人たちと同じ時間を過ごすところでした

4日目ウイーンでフリータイムがあったのでオペラ座の前からトラムに乗ってベルヴェデーレ宮殿へ向かいました
グスタフ・クリムトの接吻の原画があることで
人気になっている宮殿です
以前行った時に見た記憶がありません
いつからここにあるのかと思いながら向かいました
この宮殿はクリムトの作品を20点以上所有していて
今はその一部が日本にも来ています

トラムのDに乗っていけばいいと聞いていたので
ずっとオペラ座の前でDが来るのを待っていましたがなかなか来ません
あんまり来ないので地図を見ながら歩いていくことにしました
20分位と聞いていたので安心して向かったところ
20分で着いたのは宮殿の入口
そこから宮殿がまた遠いのです
さすが宮殿と思いながら歩くしかないので
ひたすら高い塀の横を歩きました
多くの大きな宮殿様の建物を横目で見ながらやっと以前来たことのあるような景色に到着
でもそこも宮殿の入口の入口
ベルヴェデーレ宮殿は上院と下院とあって
そこは上院から遠い下院の入口でした

クリムトの作品は上院にあり入った場所から遠いのです
目の前にしっかり上院が見えているのですがそこまでの道は坂道で上り坂 見ているだけでため息が出そうです
今年ウイーンも日本のように暑い日が続き
長袖で上着が必要と出発前に言われていたのに

上着どころか半袖でも暑いくらいでした
下院と上院の間のお庭には噴水もあってお花もたくさん咲いています
本来ならばお花の写真を撮って歩くのですがとりあえず閉館時間のこともあるので黙々と坂道を上りました

やっと到着
先ほども入口でやっと到着と思ったので
今度こそはと意気揚々宮殿の大きな入口ドアの前へ
そうしたら「チケット売り場は向こうです」
の案内看板に入場を阻止されてしまいました
チケット売り場の姿は見えません
どこにあるのかと聞いたら宮殿の裏側にあるとの返事
また歩くのと思いながら行くしかありません
建物をぐるりと回りチケット販売ブースへ行きました

宮殿はかなりの人気で入場時間が10分刻みで決められていました
15分でいいかと聞かれ何のことかわからずイエスの返事を
後から考えたら絵画を見るための予約時間でした
もちろんすべて英語でのやり取りです
行った日はチケットもすぐに買えて入場もすぐにできましたが
普段は購入も入場もかなり並ぶそうです

やっとクリムトの一番人気の作品に出合えると思い
先ほどは入れなかった扉の中へ
作品はどこかと聞いたところ
二階の右に曲がった部屋と言われ階段を上がりました
上がってすぐに接吻のパネルを発見
たくさんの人が囲んで写真を撮っています
え~これ?
作品が豊田市に行っていると言っていてからこれ?
と思いながらとりあえず先へと進みました
そして願っていた作品と突然
やっと出会えたのです

本物があった
皆順番を守ってお行儀よく次々と写真を撮っていっています
私も数人待っていよいよまっすぐ前から少し斜めから
作品を自分のカメラに収めました
まっすぐ前からだと照明の光が入ってしまうのです
そして・・・

ここからはまた次回におおくりします





ベルヴェデーレ宮殿 クリムト「接吻」

MASAYO TACHIKAWA





眼を閉じないと
見えてこないものがある
目を閉じることを知ると
こころが軽くなる
それがわかるまでには
時間がかかりそうです

楽しかった夏休み
今も自分が笑っていた時間が
目に浮かぶ
しばらくは
この景色を支えに行けそう

時間は戻せない
わかっていても振り返る
わかっているならばと
思いだけはある
それがいつまで続くのか

台風を避けて飛び立った
次の日はほとんどの便が欠航
行く前から助けてくださって
ありがとうございます

ブルーベリーが今年も豊作
毎日新鮮な果実を
お腹いっぱいいただけて
自然の恵みに手を合わせています

お城の庭園に咲いていた
色とりどりの花々
たくさんの人たちが
心を込めて育てているだろう
とても素敵です

プールの水がゆらゆら
来年まで入ることのないプール
まだまだ
大きな笑い声が
聞こえてきそうです

庭いっぱいハーブの香り
少し摘んでお茶にしましょう
ホッとする時間
今日も元気をいただきました

毎日に感謝
感謝しきれない毎日
日々守られて過ごしている
今日の夕陽も
真っ赤に輝きそうです




『人生の楽園』

 
人生の一線を終えて住んでいたところを離れ田舎暮らしを始める人が増えている
そんな人たちを追った番組が人気
番組では移住した先で趣味やずっとしてみたかったことを生かして
お店などを始めている内容のものが多い
お店はないものの
手作りのものを販売するなど
移住したことだけに留まらずその先があるからより面白い
毎回第二の生活として
移住して良かったと笑顔で答えるシーンで終わる
答えている背景は海であったり自然豊かな山であったりで
より良かった感が深まる

移住先で新たに始めること
多くが古民家を改装した食事処や軽食を出す飲食店
人との会話を楽しみながら
おいしい食事やコーヒー、スイーツなどを出し
多くの人たちに喜ばれている
確かに心惹かれる第二の人生
儲けるために始める人はいないのが味噌

ほんの30分の番組だが
ナレーションの二人の掛け合いも上手く
毎週楽しみな番組のひとつになっている

この番組とは離れるが海外の移住先としてマレーシアが一番人気
物価も気候も安定し不動産も手に入りやすい
お手伝いさんをお願いしている人も多い
ハワイも人気だが物価も高いし不動産も年々高騰しまだまだ上がりそう
住居を手に入れたとしても生活にお金がかかる
お肉は安いが
ハワイは
パイナップルでさえフィリピンから輸入している生産性の低い土地
多くを島の外から手に入れているため自ずと何でも高くなる

レストランも日本より高め
今オアフ島で一番人気の丸亀うどん
人気の理由は味もだがお値打ちさ
チップもいらない
いつもお店の前には行列ができている
でももちろん日本ほどお安くはない

日本人のハワイへの憧れ度は高い
ただ住むと遊びに行くとは違う
ハワイはたまに遊びに行って
また行きたいと思う位のペースがベストかもしれない

オアフ島のイメージは青い海とキラキラ光る太陽ではあるが
ザ・バスなどに乗ってワイキキから少し離れると
ハワイの裏側が見えてくる
そこを見ると決してそんな姿ばかりがハワイではないのがわかってくる
怖くて近寄れない街もたくさんある
小錦さんが育った街もしかり
寄付したパソコンが数台一晩で盗まれ
子どもたちによって使われることはなかった
かなり前から計画のあった鉄道の工事がやっと始まった
だが開通予定は年々延期されていっている
人気度に現実が付いていっていない

明日から中欧へ行く
ヨーロッパも憧れの場所
ドナウ川を見ながら暮らしてみたい気もするが
やはり日本が一番いいかなと思う
そう思えることに改めて幸せを感じます





早朝のワイキキビーチ

MASAYO TACHIKAWA





今 鳥羽の海を見ながら書いています
時より通る大きなフェリー
竜宮城のような観光船も
乗っている人たちの笑顔が
見える気がします
波を大きく立て
夢を乗せて

真夏の蝉の声に交じって
ヒグラシの声が
あっという間の夏休み
もう終わるよ
最後まで楽しんで
毎年そう聞こえます
ヒグラシからの夏終わりの
メッセージ

今年の夏も暑かった
そんな暑さを乗り越えて
迎える秋
乗り越えた壁が高いほど
達成感も大きくなる
人生も同じ

憧れの景色が目の前に
瞬きをするのももったいない
1秒でも長く見ていたい
素晴らしい空気に心が躍る
この時間に感謝

たくさんの人の努力があって保たれる空間
見る人の気持ちになって
訪れる人の喜ぶ姿を浮かべて
何度も来たい場所

雨が続くと太陽を
晴れた日が続くと雨を
ないものねだりは止まらない
だから頑張れる
手に入れたいものを求めて

「カナカナカナ」
ヒグラシが日の出とともに鳴き出した
早起きの蝉たち
この声にどれだけ励まされるか
今日も元気に過ごせそうです

戦いたかった訳でもなく
人を追い込みたかった訳でもなく
誰かのためにと時を過ごした人たち
自分のためにだけ生きていられる今
改めてしっかりせねばと思います

真っ白な洗ったばかりのタオル
風に吹かれそよそよと
見ているだけでホッとします
今日も暑くなりそうです




『小原村Ⅱ』

 
小原村で作陶を始めてから半年以上
陶芸作家さんからの指導は勉強になる
もちろんプロからの指導だから当たり前
今までにもいろいろなところへ行ったが
その時はただ単に土に向かっていた
その時と今は違った感覚があって面白い
不格好は味ではあるが
見栄えも含めある程度形成されたものでないと
誰から習ったのと聞かれた時にその方の名前が出ると
作家さんに迷惑が掛かってしまうのだろう

数を重ねるにつれ今度は「ここを」
今度は「この部分を」が増えていっている
極端なことを言えば出来上がりが思っていなかった形になることもある
でもそれも楽しい
逆に自分には全く陶芸への先入感がないため
作家さんに「そういうこともありか」と驚かれることもある

色は自分で選べるが焼く時の窯の加減もあって
まだ一度もリクエストを聞かれていない
帰り道に
今日も色を言ってくるのを忘れたと思いながら毎回帰ってくる
ただ今は本職の作家さんにお任せをした方が少しでもいい作品になるのではと思い
気付いていてもあえて言ってはこない

小原村には作陶へ行く以外に楽しみがいくつかある
まずは四季桜の里というお店へ向かい
地元農家さんが自分の畑で作ったものを出している
朝採れ野菜などを買いに行く
ここでは野菜はもちろんのこと
切ったばかりの季節の花を抱えるほど買う
お花屋さんで買うと一本数百円するお花が
何本も束ねられ一束150円
6月はラベンダーとかすみ草を
7月はダリア,ひまわり、小菊などなどを買った
選んでいるだけで楽しくなる
この頃はカウンターへ持っていくだけで
枯れないようにお花の足を水につけて包んでくれるようになった

そして次にたまご村へ
ここは以前にマスコミなどでも何回か取り上げられ
美味しい卵屋さんと有名になったお店
卵は買わないが毎回ちょっと変ったものが置いてあるから
立ち寄ることにしている
次に豆腐屋さん
ここもマスコミに取り上げられ一時はかなりの売れ行きだったと思う

豆腐屋さんかたまご村のどちらかで必ず買うのが舞茸
今はこれも小原村へ行く大きな目的となっている
原料にもこだわった美味しい舞茸
味や香りも良くシャキシャキ感がかなり強い
一般に売っている舞茸とは全く違う
収穫してすぐというだけでなく
冷蔵庫に入れておいても取り立て感が数日続く
人気過ぎて
村の人たちもなかなか食べられないと口を揃えて言うくらいの有名舞茸

どちらのお店にもないと
お店の方がきのこ園に電話をしてくださるが今日はもうないとの返事が返ってくる
このきのこ園では舞茸栽培のためのおが粉にもこだわっている
もちろん国産
そこにフスマと米ぬかを加え育てているそう
農薬等も全く使用せず栄養満点の風味豊かな舞茸が出来上がる
ただ手も掛かるため収穫量が少ない
豆腐屋さんへは作陶の前に舞茸を買いに行くが豆腐は買わず
作陶をしてから豆腐を買いに再度行く
先に買うと豆腐が傷んでしまうから

小原村へ着いてから小原窯へ向かうまでの1時間半ほど
舞茸を手に入れてからも
楽しい楽しいお買い物ツアーがまだまだ続きます





夏のハンキングバスケット

MASAYO TACHIKAWA





蝉の声がこころを溶かしていく
やっと夏らしくなってきた
競うように鳴く蝉たち
おかげさまでこの声に
癒されています

目を閉じると見えてくる景色
波の音と
爽やかにそよぐ風
真っ青に輝く海
夏が来た
今まさに本物の景色が目の前にある

空気が時を流していく
忙しくしていても
何もしていなくても
確実に流れていく
今日はどんな日になるのかな

ホタルが川のせせらぎを
上級な流れに変える
青緑色の淡い光が
こころを揺らす
美しく繊細な光

夏休みのひと時
夏休みに入るとやっと息がつける
年末より仕事をやり遂げた感が強い
明けてからも頑張れるよう
しっかり充電を

最近流行りの五色唐辛子
紅色、紫色、黄色、オレンジ色
そして赤色
観賞用で食べられないが
鮮やかな艶のある実
食べられるとしても食べないで
ずっと見ていたい五色の実

猫が膝に乗ってくる
座布団の上に座るように
猫は甘え上手
知らぬ間に懐に入ってくる
こんな生き方もいい

今年の夏も
あっという間に駆け抜けて行きそう
大切に過ごさないともったいない
とは言えゆったりと過ごしたい
いずれにしても
満足できる夏にしたい

暑すぎるのも負担だけれど
この暑さがあって
体もこころも鍛えられる
逆にずっと涼しいところにいて
こころを開放するのも
ひとつの生き方かな




『小原村Ⅰ』

 
ここ何か月か豊田市の旧小原村へ作陶に行っている
小原村と言えば小原和紙で有名な愛知県の観光地
そして小原和紙と同じくらい有名なのは
優しく淡いピンク色の花が咲く四季桜
四季桜の一番の特徴は
4月上旬と10月下旬から11月の年二回花が咲くこと
エドヒガンとマメザクラの交雑種
見た目はほとんどソメイヨシノと変わらない気がするが
秋に咲く桜は見応えがある

春に咲く花は
花が咲くと葉っぱも新芽を出して花があまり目立たなくなる
逆に秋は葉っぱが落ち始めてから花を咲かせるため
花が自ずと主人公になる
秋に見頃を迎える花は徐々に咲いていくためソメイヨシノのように木いっぱい一斉に肩を並べては咲かず
正に和紙で作った花を木に乗せていくように咲いていく

小原村に四季桜を持ってきたのはこの村で育った医師
ある日患者さんから美しい桜の話を聞きその桜がある寺へ足を向けた
そして一気にこころを奪われた
分けてほしいと懇願したかったが
その寺にとっても貴重な存在であることはわかっていた
だがその寺の和尚さんは評判の良かった医師を気に入り
大切な木を一本譲り渡してくれた
その木は順調に育ち徐々に増えていき今は10000本近くになった
そして観に来る人たちのこころをずっと掴み続けている

その中にある小原窯
数週間に一回
前の作品が焼き上がったころに行っている
窯は旅行サイトじゃらんでたまたま見つけ足を向けた
初めて行った時
途中道が急に細くなり山へと入っていくばかり
この道で大丈夫かと思いながら走るしかなく走った
豊田市は自動車で有名だが元々は山に囲まれた自然豊なところ
それを思い出し
今はその景色も楽みながら走っている

今まで色々な窯へ行ったが
ただ作陶に行くだけが目的だった
でも今は作陶以外にも小原村へ行く楽しみあり
それが毎回増えていっている
小原の人たちは何より温かい
出会う人が皆柔らかく
初めて会った人も初めてとは思えない対応をしてくれる
質問をひとつすると一個の疑問に対していくつもの答えを返してくれる
話好きの人が多い印象

時間の流れはゆっくりで
小さい時からこの空間にいる人たちは
ここ以外の流れに馴染むのに少々時間が掛かるかもしれない
学校も1学年1クラス
1クラスの人数は10人前後
部活はテニス部しかなく
試合があると戦っている人数の何倍もの人で観客席はいっぱいになる
子どもひとりに対しておじいちゃんおばあちゃん
もちろん両親が応援にやってくる
運動部に入りたい子はテニス部に入るしかなく
試合があると運動会の一競技みたいになるのだろうと思う

一度行った日がその試合の日に当たってしまい
いつもガラガラの広い駐車場がほぼ満車
いったい何があるのだろうお祭りをしている雰囲気もないし
そう思いながら窯に行ったら開口一番
「車、停められた?」と聞かれた
さがしてやっと停められたと答えると
「今日はテニス部の試合だから
一人の子どものために一家で何人もの人が見に来てるから
駐車場がいっぱい」と話してくれた
名古屋だと部活の試合など
大きい大会以外はあまり保護者は応援に来ない
でもここでは唯一の部活動の試合
家族にしてみれば楽しみな行事となっている
一家総出の一大行事のひとつ
同じ愛知県でもこんなに時間の流れの差がある

小原村についてはもう少しお話したい
住むことはできないけれど
心和む場所となっている





鳥羽国際ホテルからの風景

MASAYO TACHIKAWA





もうすぐ待ちに待った夏休み
夏休み前のこの時期が
お正月の何倍もワクワクする
やりたいことは山ほど
あともう少し

バリ島の棚田
真っ青なライステラス
今は穂も実り頭も垂れているだろうか
人も実るほどの言葉通り
そうせねばと思うけれど

忙しいと言いながら
自身でスケジュールを満杯に
何に追われているのかと思うことも
空きがあると
つい入れてしまう予定
忙しいのに

ホタルの里に
今年もホタルが舞い降りてきた
キラキラと輝く淡い光
綺麗な水でしか生きられない
繊細な生き物たち

敵は作りたくない
作っていいことなど
何もない
心の負担が増えるだけ
自分も相手に敵と思わぬように

あって当たり前の光が消えた
水が出るのも当たり前
当たり前がそうでなくなった時に
やっと気づく
そうならないよう
毎日に感謝

仕事をし始めたころ
ドキドキ感と毎日戦っていた
今は違う意味でドキドキ
これから出会っていく何かに
こころが動く

夏休み
たくさんの講座を申し込んだ
ハーバリウム
ボタニカルアート
ボトルフラワー
好奇心は広がるばかり

ヒグラシの鳴く頃を想像すると
急にさみしくなる
でもヒグラシの鳴き声が好き
決してさみしさを
求めているわけではないけれど
なんだか落ち着く
ヒグラシの声




『小さな畑』

 
職場の果樹園の空いているところに小さな畑を作った
植えたのはズッキーニとかぼちゃとスイカ
周りにバジルも植えて
そのまた空いているところにひまわりの種を蒔いた
モクモクファームから送ってきたひまわりの種を

最近ズッキーニはどこでも売っているが
10年ほど前までは信州などのJA系のお店や
田舎の人が趣味で作っている
無人販売のようなところでしか売っていなかった

いつも行く蓼科高原
一線を退えてご夫婦で別荘に住みながら始められた高原野菜のお店には
夏に行くと必ずズッキーニが売っていた
生ったと思ったらすぐに取らないと巨大化してしまうため
スーパーには売っていない
30センチ以上の大きなズシッと重いズッキーニが
いっぱい籠に入れられて売っていた
採り忘れると一日で何倍にもなってしまうらしい
話を聞くだけで見たことのないその成長ぶりも経験したくて
ズッキーニを植えることにした

そこで売っているズッキーニは色も色々で
緑色の濃いもの緑と白の二色のもの黄色のものと多様だった
籠にないと
はさみを貸してくださり
「好きなものを採ってきて」と言われた
そう言われると
ただ籠に入っているものを買うより何倍も嬉しい気持ちになる
広い畑へ行ってなるべく大きなものを楽しみながら選んで採った

ズッキーニは
何の料理に入れても自己主張をあまりしないため助かる食材
嵩も増えるため食べ応えがある
今小さな畑では大きな黄色い花を咲かせている
間もなく実を付けるだろう

スイカも小さな実を先日発見した
まだ3センチほどだがしっかりスイカを主張している
今回は丸いスイカではなく縦長になるスイカを選んだ
縞々もしっかりあって
きっと大きくなってもこの形なのだろうと思わせる形で
土の上に横たわっている

あとはカボチャ
カボチャは変わりカボチャを選んだ
食べることが目的ではないので
どんなものができるのかも楽しみたい

小さな畑は日に日に姿を変えていっている
梅雨入り宣言されてからピタッと雨も降らなくなった
こんな年はよくあるけれど
恵みの雨が降るまでは
せっせとお水をあげながら観察をしていこうと思う
バジルもちょっと触れただけでいい香りがして気持ちが一気に和む

植物は正直
心を配ればそれに応えてくれる
放っておいても育つものは育つ
かえって放っておいた方がいい時期もある
人も同じ
手を掛け過ぎても離し過ぎても育たない
ほどほどがいい
ただ放っておく時期も気持ちを離してはいけない
心だけは向けておく
わかっている
大切な人から目を離しても心は離さない
たまに「ちゃんと見ているよ」とアピールして

8月にはきっとどれにも実を付けているだろう
夏休みもちゃんと見ていたい
休み中
子どもたちに会える楽しみと小さな畑を見る二つの楽しみができた





鳥羽で大好きな朝食を

MASAYO TACHIKAWA





始めるならばやり遂げたい
途中で断念しそうならば
始めない
今はその思いで
とにかく頑張ろう
明日を信じて

意味のある閃きと
そうでない思い付きと
見分ける力は誰でも
持っているはず
だけど
極められないときもある
目を凝らして一点集中

いつか
いつか
そんな思いが足を引っ張る
何でもその気にならないと進まない
わかっている
あと一押し

運は消費するだけだと
いつかはなくなってしまう
貯めなければ
気付いた時には
既に時遅し
なくなるのは
あっという間

夏休みまでもう少し
もうカウントが掛かっている
体力も十分つけて
心から楽しめる夏を
楽しみ

これから誰と出会うか
どこで出会うか
誰も先はわからない
わかっていたら進めない
わからないから面白い

人生の分かれ道
どちらに行くか迷うときもある
コーディネーターは自分自身
良くも悪くも自分次第
自分を後から責めないように

蛸が獲れる島
日間賀島
蛸と天然のフグが名物
毎年フグを頂いて
素晴らしい景色を頂いて
疲れが取れる島

いい時もそうでない時も
笑っていられる人がいる
どこにそんなエネルギーがあるのだろう
真似はできないけれど
近付きたい




『今年もあと半年』

 
あっという間の半年
今年もあと半分の6か月
泣いても笑っても時間は流れていく
4月は長かった
毎日アンテナを高くして
その日には何をしなければならないかを
常に考えていないと次へ進めない
ひとつでも忘れると後が大変
やらねばならないことが多すぎて気持ちの整理もできなくなる
なかなか5月にならず
カレンダーを見つめてまだここかとため息をついていた
そんな4月だった

反対に5月になってからは速い
ラッキーな連休もあり
気付くと6月
連休中夏休みかと脳が勘違いしてスイカを食べたくなった

6月になり予約してある夏休みの旅行を一本化しなければならない
そこで遠い異国にいる自分を思い浮かべ
どこが一番しっくりいくかを考えた
インド、ハワイ、ヨーロッパ、台湾
やはりインドは止めて一番にキャンセルをした

インドにいる自分を浮かべても嬉しそうな顔をしていない
浮かんでくるのはインドの子どもたちの顔
外国人が泊まっていそうなホテルの前で宿泊者が出てくるのを待って
物乞いをしている子どもたちの目
旅行者の真横で何か言いたげに立っている子どもたちを何人も見た

世界遺産で絵葉書を売っている数多くの子ども
旅行者が大人より子どもの方が可哀そうだと思って
買ってくれるからだそう
1セット売れると
数日間家族が暮らせると現地ガイドさんが言っていた
五百円にも満たないわずか数百円だった記憶がある

街中には数字がカウントされている電光掲示板が立っていて
赤色の数字が目まぐるしい速さで増えていっている
何の数字かと聞いてみた
答えはインドの現在の人口
生まれて届が出ると数ですぐに国民に知らせる
このカウントのスピードは明らかに尋常ではない
毎日生まれている人数が半端ではないことを示している
届の出ている人数なので出していない数を足すとすごい数になる

インドはすごい国
世界遺産のタージマハルが見たいだけで
来てはいけない国だったと思った
そのタージマハルへ向かう道沿いには家がなく
空き地にブルーシートを張って屋根の代わりにして
家族で暮らしている人たちがたくさんいる
ブルーシートの屋根の下はもちろんただの土地面の上で板切れ一枚すらなく生活をしている
水はけの悪いところは家の中に水溜まりもできていた
家ではないけれど家
ブルーシートもサイズが皆一緒だったのできっと配給だと思う
シートの下の人口密度も高い
三畳ほどのところに子ども大人が何人も肩を寄せ合って過ごしている

これが現実
これがインドの今
前置きが長くなったがやはり半端な気持ちで行くのは止めた

日本は恵まれている
こんなに恵まれているのだから日々に感謝して笑って過ごせばいい
笑ってだけいたいと思うけれどなかなかできない
これが日本の現実
日本の今
自分だけでも笑っていよう
少しでも
今はそう思う





伊良湖の海を見ながらティータイム

MASAYO TACHIKAWA





何もかもが上手くいく時がある
うれしい気持ちの中に
ちょっぴり複雑な感覚も
先は誰にもわからない
だから面白いと言う
そう言える人は
幸せな流れの中にいる人

誰のために生きているのか
考えるときがある
もちろん自分のため
でもそれだけでない
わかっているから
人間関係
頑張れる

紫陽花の花にカタツムリ
絵に描いたような風景に
心が和む
日本は素晴らしい
四季のある日本

有頂天の意味を知った
神様が絡んでいた
日本は他宗教
それもまたいいところ
人それぞれが
いと楽し

毎朝
紙兎ロペを見るのが楽しみ
一度同じものが二日続けて流れた
一瞬私は先が見える神様かと思った
一瞬だったけど
自分の頭を過ぎった思いに笑った

空気清浄機がフル回転
PM21のせいか
何だろう
これがあると落ち着く気が
マイナスイオンのお陰かな

自分を受け入れてくれる場所
世界の中のどこよりも
自分の家
わかっているから旅に行く
それを確かめに行くように

流れが変わる瞬間が誰にでもある
それを気付くか気付かないか
運もある
運のある人は
一緒にいて楽しい

お庭のブルーベリーの木
花もたくさん咲かせ
今は実がぎっしり
結局
可愛くて食べられない
今年も見ているだけかな




『新年号Ⅱ』

 
新年号が始まって一か月が経った
あんなに騒いでいたのに
変わったのがもう何年も前のことのように話題に上がらなくなってきた
理由は毎日新しい事件が次々と起こり
マスコミが新年号をネタにする必要性と
取り入れるスペースがなくなってきたからかと思う

大きな課題だった雅子様も公務を順調にこなしてみえる
ここにきて心の病にて出席はできませんは
国民に対して失礼なことになってしまう
病気を押して公務を熟してみえた美智子様に対しても
それは雅子様が一番感じてみえるだろう

才能が際立っている雅子様にとって
皇室という狭い世界での毎日は息苦しいだろう
そんな気持ちは痛いほどわかる
けれど一日本人としては何とか頑張って欲しい

6月にお二人が愛知県の記念行事にお見えになる
日曜日であることと駐車場も広いため
たくさんの人たちが集まると予測されている
天皇皇后になられたお二人にはやはりお会いしたいが
人混みには揉まれたくないからテレビで見ていようと思う

アメリカ大統領も便乗来日
日本側のご機嫌取りと若干思いながらも手厚いおもてなしに御満悦
自分に正直な彼は
この恩に感謝で返す寛容な人物とは思えないそう感じている日本人はもちろんのこと
アメリカ人にも多いだろう
世界平和は地球人の大きな願いだがなかなか叶わない

好きな番組のひとつでもあるアナザスカイで作家兼コメディアンの彼がインドを選んで行った
インドは仏教の生まれた国なのにヒンズー教徒が8割以上
あちらこちらにシバ神が祀られている
野生の猿も多い

数年前に行って多分もう来ることはないと思った
高速道路を走っていた時
現地の子どもたちが高速道路に向かって次々と石を投げていた
あろうことに親はそのすぐ横で畑を耕している
明らかに当たることを想定して競い合っている感じで
それが自分たちの乗っている車に見事命中
それも自分の顔から10センチほどしか離れていない窓ガラスに
当たった瞬間「ビシッ」と大きな音を立てて窓は粉々に割れた
それも結構衝撃的だったが
もっともっとショックな光景をたくさん目にした
このままだとインドの印象が真っ黒のままで終わってしまう
そう思って今年の夏休みインドのツアーを申し込んだ

でもお願いしてある日はいい日なのになかなか催行が決定されない
人数が集まらないのか旅行会社の思惑か
この日にする前にもっと行きやすい日で申し込んであったが
催行中止と勝手にキャンセルされていた
きっといい日過ぎて
思うように飛行機の席が確保できなかったのだと思う
ただこの催行決定がなかなかされないことで迷いが出てきた
やはりインドには縁がないのかと
そう思っているところにアナザスカイがインドへ

番組の中で人々が一斉に
6時30分からのお祈りに間に合うよう
ガンジス川に向かって狭い道を歩いているのを見た
さながら花火大会に向かう日本人のように
花火大会は1年に1度だが
ガンジス川でのお祈りは毎晩行われ
毎日たくさんの人たちがそれを目指して同じ道を歩く
毎日お祭りへ参加するかのように
確かに華やかで美しい

信じることは力になる
でもやはり本当に行きたいところに行った方がいいのかなと
それを見て思った
自分はインドの人たちのようにそこまでできないと
だからそこへ中途半端な気持ちで行くことは失礼かと

それならどこへ行こう
それを考えるのもまた楽しい





作陶 焼く前のお人形

MASAYO TACHIKAWA





為せば成る何事も
確かにその通り
何もしないでじっとしていては
始まらない
何事も始めなければ

自分の周りの景色が変わっていく
電車の窓から外を見ているかのように
晴れている場所があったり
雨が降っていたり
人生も毎日
変化の連続

恵みの雨が地面を潤していく
うつむいていた紫陽花が
背筋を伸ばし
美しい花を見せてくれる
毎年咲いてくれて
ありがとう

今日も見つけた四つ葉のクローバー
見つけると
幸せが近くに来る気がする
ちょっとした出逢いに
こころが軽くなっていく

水を張った水田に
青々とした苗が植えられていく
秋には穂を垂れて
恵みの秋も楽しみ

モンシロチョウが
優雅にひらひらと飛んでいる
風が吹けば風に乗って
雨が降れば葉の下にとまり
気ままな生活が
ちょっとだけ羨ましい

ベテランの占い師は
手相を見たがらない
すぐ変わるからと言って
確かに
こたえと流れが違っていたら
疑問に思う

名古屋城の周りの木々が
黄緑から濃い緑色に変わっていく
季節に合わせ色を変化させ
お城のステージを作っていく
この景色
歴史上の人物も見てきたのだろう

ホッと一息コーヒーブレイク
気を抜く時間が力になっていく
何もしない
なかなかできないこと
できないから一息が力になる




『新年号』

 
日本で初めての試み
長い10連休もあっという間に終わってしまった
新学期4月から始まって1か月
やっと慣れてきたところで再び長いお休み
できれば5日間ずつで2回にして欲しかった

10日間休みが続くと再度始まってからのリズムがつかみにくい
いつもの飛び石連休よりは有難いけれど
新入生にとってピンと張りつめていた毎日から一時放たれ
解放されたところで再び始まる緊張感
また慣れるのに神経を遣う
でもそういうことの繰り返しで心も成長していくのだろう

新年号に変わり日本中が明るい話題に包まれている
今年2回目のお正月が来たよう
お祝いムードの中でテレビの内容も
皇室の方々の笑顔を追ったものが多かった
一番取り上げられていたのは美智子様のこと
美智子様は本当に素晴らしい人だと多くの日本人が思っている
生きている神様のよう
昔も美しかった
今でも変わらず美しい
お顔だけでなく心の中が透けて見えるようで拝見しているだけでホッとする
素晴らしいの一言では申し訳ない位

軽井沢のテニスコートでの出会いから多くの人を巻き込んでの一大決心
旧軽井沢のメイン通りから一本中に入った場所にあるコート
華やかさはないが落ち着いた雰囲気

ご結婚に際して美智子様もかなり心悩ますことが多かったであろうが
ご両親の気持ちを思うと全く関係ない私でも涙が出る
幸い大きな会社のお嬢様であったからまだ良かったものの
それでもあの時代に皇室内からの批判は計り知れないものだっただろう

婚約会見での手袋の長さが短いただけで話題になったことは有名な話
あの長さは正式ではないと
あれも正田家には必要とされるロンググローブがなく
皇室にお願いしたらあの短めの手袋が送られてきたそう
正に故意にしたこと意地悪でしかない

でも耐え抜かれた
その一番の支えとなったのが上皇様への愛情
美智子様と雅子様との一番の違いはここだと思う
自分が選んで決めた人と相手から選ばれて決めた人との差

連休中に美智子様にお仕えしていた女官長の話をドラマで再現していた
美智子様の教育係として選ばれた人
この人も最初は一般人である美智子様のことを良くは思っていなかった
一般人がお妃になる
過去にはなかったことで日本中の目が美智子様にくぎ付けになった
皇室内からの嫉妬
多大な圧力
ドラマを見ているだけで命は取られないが恐怖だった
選ばれた女官長も勇ましく
「私がしつけよう、私がしつけをしなければ誰がやる」との強い思いで
足を踏み入れたのだろう
それが美智子様の優しさに惹かれ心変わりをしていく

このドラマの中で美智子様は声を発しない
この女官長の目を通しての美智子様
後ろ姿やぼんやり薄いカーテンの後ろに立ったような姿が出るだけ
それが逆に見ている方に制作者の意図が強く伝わってくる

新年号が始まってもうすぐ1か月
これからどんな日本になっていくだろう
雅子様には頑張ってほしい
たったひとりの選ばれし人だから





お祝いの鐘 ブルーベリーの花

MASAYO TACHIKAWA





優しい風が吹いている
心穏やかに時間を過ごす
安堵感が支えとなって
わくわく感が広がる
幸せな時

そよそよと揺れる初夏の花
見ているだけで
こころもホッ
一緒にゆらり
もうすぐ夏がやってくる

必要としてくれている人がいる
そんな幸せを感じながら
明日を想う
目標に手が届きそう

毎年6月になると
畑いっぱいに咲いているカモミールの花
観賞用ではなく
カモミールティーになるのかな
畑いっぱいの白い花たち

木から離れた葉っぱが
風に乗って玄関に
「おじゃまします」と言っているかのよう
そう聞こえるのはゆとりがあるから
「いらっしゃい」

緑色の空間が
こころを癒してくれる
両手を広げ
新鮮な空気をいっぱい吸い込んで
体もリラックス

駆け抜けていく時間
あっという間に流れていく
急がないと抜かされる
今はそんなとき
ボヤボヤしてられない
毎日が

三日月の上に天使が乗って笑っている
たまに星を手にして
こちらへ向かって投げてくれる
ナイスキャッチ
ありがとう

バリ島でみつけたハートの葉っぱ
ツルにいっぱいのハート
ピンク色の花が色を添えて
これだけハートがあれば
世界中が平和になれるかも




『新学期Ⅰ』

 
今年はいつもより桜が長く咲いている
花冷えどころか満開の花の上に雪が積もって岐阜の薄墨桜もポッキリ太い枝が折れてしまった
夜中から降った雪が水分を含んで重みがかかり折れてしまったらしい
桜と雪
ピンク色と白
風景的には絵になるが弊害の方が多いであろう

この頃地球はおかしくなっている
もちろん誰でもなく人間が蒔いた種
蒔いて芽が出れば刈り取らなければならない
痛い思いをするのは結局人なのだ
温暖化の一言では済まされない状況がやって来ている

ただこの寒さで入学式まで桜の花は散らずに持ちこたえてくれた
ピカピカの一年生と満開の桜
このツーショットはとても映える
名古屋市は今年に限って入学式と始業式の日程を逆にした
選挙のため入学式より始業式の方が先だった
まあどちらでも学校的には大差はない
二日とも快晴でいい新年度のスタートとなった

新学期のクラス発表は子どもたちにとっても親にとっても重要
同じクラスに誰がなるかも大切だが
それ以上に担任は誰かでこれからの毎日のウエイトを大きくしめる
友だちは日々の中でどうにでもなるが
担任の先生はどうにもできない
好きでもそうでなくても
場合によっては1年踏ん張らなくてはならない
言い方を変えれば1年間我慢をしなければならない

遠い昔となったが
自分のことを言えば中学3年の担任は後にも先にもない大物だった
小学校は6年間女性の先生だったが
中学に入り1年2年と男性教諭が担任となり
そして高校進学を控えた3年生
よりによって学年でたった一人の
気分の乱高下がある女性教諭に当たってしまったのだ
この年のことは今でもはっきり覚えているから不思議
辛いことがあっても
この年のことを思い出せば何てことないと思えてしまう

この年は担任のこともだったが
クラスメイトにも担任に対する思いと同じ思いをすることになった
多分このときのクラスメイトは全く気付いていないと思う
その時に思いついたことを思いついたまま行動しただけだから
数年経ってひとりのその時に同じクラスだった子が自宅に電話をくれて
「何年も経ったけど
もしかしてあのとき嫌な思いをさせてなかった」と聞かれ
つい「そんなことないよ」と答えてしまった
「その通り」と答えれば自分も少しはスッキリしただろうと
後から後悔をしたのを覚えている

数年前卒業してから初めての同窓会があった
ほとんど
どの子
いやどの人を見ても誰がだれかわからなかったけれど
本能的に多分その時の子たちであろうテーブルを避けて座ったらしい
自分のことながら
らしいとしか言えない
その子たちの誰かであろう子が
私のことを気づいていて話そうと呼びに来た
それは決して嫌な思いをさせようとしてではなく純粋に話をしようと
呼ばれてちょっとだけテーブルを移動して話した
私はそのときの子たちの名前も顔も今は全く覚えていないが
会話の内容は違えども話の流れが全く変わっていなかった
だからその子たちだろうとそこで気づいた

あれから長い年月が経過したが「勝った」とそのとき強く思った
                つづく





新学期を祝う青空と満開の桜

MASAYO TACHIKAWA





新たな年号が発表され
いよいよ新しい時代がやってきます
心機一転
気持ちを切り替え
大きな一歩
楽しみなこれからです

人気絶頂で一休みする彼らのコンサートへ
なぜ彼らが日本一の人気者になれたか
それは
常に謙虚でおごり高ぶっていないから
見習うことの多い彼らの生き方

一度行きたかったバリ島へ
写真と現実が違うところは多いけれど
夕陽の美しさはそのままだった
行って良かった
もう一度だけ
行きたい場所になりました

日本語を離れて拙い英語で会話の毎日
それはそれで楽しい
ずっと英語ばかり
それもいいかなと思った

大好きな人たちとの別れ
決してさようならではなく
今までより会えない時間が長いだけ
また会うまでが楽しみに

今年も満開の桜が
新学期をお祝いしてくれた
真っ青な空と薄ピンクのお花たち
そしてキラキラの新入生
一緒にがんばりましょう

平成で一番売れた歌
「世界で一つだけの花」
たくさんの人を支えた歌
今でも初めて聴いた瞬間を覚えている
初めはシングルではなかった
聞いた瞬間
「いい歌!」とはっきり感じた

あの日に戻れたら
と思うことがたまにある
願っても叶わない
わかっていてもふと考える
でもきっと戻っても
同じ道を通りそう

間もなく終わる平成
感謝の30年でした
新しい年も
今以上に良いことの貯金をしていきます
よろしくお願いします




『伊勢志摩Ⅵ』

 
お伊勢さん
今年一年も何度ご縁をいただけることでしょう
お伊勢さんが人気スポットと言われるようになって
内宮からおかげ横丁への道が人でいっぱいになって
テレビで何回も取り上げられるようになって
何年経ったでしょう

今は人をかき分けないとなかなか前へ進めません
お陰様で人を避けるためにたまたま選んだ道が
憩いの道となっています
これからも変わらず足を向けさせていただきます

行くきっかけは大好きな高台の海沿いのホテルに宿泊することや
温泉に入ることや
赤福のコルネを買うことなどたくさんありますが
行きたくなる気持ちは変わらないでしょう
これからもよろしくお願いいたします

じつは明日から満開の桜を求めて
富士宮の浅間神社や日本平テラスなど
富士山の周りを一周するツアーを予約していましたが
キャンセルをして
ずっと行きたいと思っていたバリ島へ向かいます

今回はジャワ島にも行けることになりました
ガルーダ・インドネシア航空が
セントレアから数日前に就航を始めその記念ツアーでもあります
ケチャックダンスやウルワツ寺院からの夕日鑑賞
世界遺産ボロブドゥ―ル遺跡からの朝日鑑賞など
観光満載の安心ツアーです
食事もナシゴレンやイカンバカ―ルと言う海鮮バーベキューなど
朝昼晩三食毎回付いています
伝統料理などお腹いっぱいいただいてきます

仕事も年度末でかなりハードでした
毎日残ってがんばりましたが
今回時間がどうしても取れず短くてすみません
明日から楽しんできます
行ってきます





春のお祝い 木曽路しゃぶしゃぶ

MASAYO TACHIKAWA





いよいよ新学期
みんなの緊張感が伝わってくる日々
とにかく今は前を向いて
ありがとうの気持ちで
がんばります

笑顔が励みになる
いつも支えてくださって
こころより感謝です
これからも
ずっとずっと
よろしくお願いします

青空の下 ピンク色の花びらが
ひらひらと舞い上がる
人生も吹けば飛ぶではなく
吹けば舞い上がれるよう
美しく生きます

毎日が時間に追いかけられる
追いかけられると
逃げたくなるのが通常だけれど
今はそんな気持ちは全くない
楽しいからかな

新芽が輝いている
今日を明日を
毎日を
地に足を着けて
胸を張って進むだけです

たくさんの人たちの勇気が力が
両手にいっぱい
これからも与えられる人生を
神様は見ていてくれています

飛行機で気持ちも一飛び
行きたかったところへ
行けるしあわせ
今日もこころの中は
快晴です

花壇のチューリップが満開に
土の下からスクッと
思いがけない色の花も咲いて
こころを掛けると
こんなにきれいに咲いてくれます

誰かのためにすることが
結局自分へと返ってきます
良いこともそうでないことも
何十倍にもなって
何だか
ますます元気になってきました




『伊勢志摩Ⅴ』

 
研ぎ澄まされた空気の中で新年の参拝
お伊勢さん内宮正宮でお参りをして
次に向かうのは荒祭宮
荒祭宮は天照大神の荒御魂(あらみたま)をまつる別宮です
荒御魂とは神様が特別な働きをしてくださることと
神様が現れることを意味します
荒祭宮が内宮で唯一お願いをしていい宮と言われる由縁は
このようなことからです

内宮に参拝の際
いつもの順路は
鳥居をくぐり101.8メートルある宇治橋を渡り
手水舎から瀧祭宮へ
次に正宮で日々の平安な時間にお礼と感謝の気持ちを伝え
樹齢数百年の大木の横を通って石段を下りてその先にある荒祭宮への石段を上り向かいます

人には叶えられないことがいくつもありますが
ここで願うと叶う気がしてくるから不思議です
苦しいときの神頼みではなく
苦しくなくとも
少しでも人の役に立つ人生をとの思いで手を合わせます
ただ願ったあとのその先は
決して神様次第ではなく自分次第ということを忘れずに
願っただけで叶うことならば
願う前から叶いかけていたのかもしれません
結局願ったことにより自分自身の気持ちがよりそちらへと向かい
安堵感とともにより良い方へと道を開いていくことになるのでしょう
神様は誰に対しても平等だとよく言います
人間を長くしているとそれは嘘か誠かと少々疑いたくもなりますが
信じることで救われている毎日なのでしょう

荒祭宮を参拝してその後
来るときにも通った神楽殿の前を再度通り左に折れ
橋を渡ると風日祈宮があり
内宮では最後の参拝になります
風日祈宮は風の神様を祀った別宮です
鎌倉時代神風を吹かせて日本を守った神様と言われています

私はこの風日祈宮へ向かう橋で受ける風と空気が大好きで
伊勢神宮の中で
ここが一番のパワースポットではないかとも思っています
お参りを済ませて橋の真ん中に立つと
川上の方から必ずと言っていいほど
言葉では言い尽くせない爽やかな心地良い風がスーと吹いてきます
ここで一瞬立ち止まって川上を向いて深呼吸体の中まで浄化された気分になります

一緒に行った人には毎回その独特な空気のことを伝えています
結果何度かすぐに吉報をもたらせてくれたと具体的に報告も受けています
最短だったのがこの橋を渡ってすぐに
その方の娘さんからプロポーズを受けたとメールが入ったことです
娘さんは今結婚をされてお子様も生まれ幸せに暮らしてみえます
そのほかにも色々いい報告を受けています

今回は新年早々に伺ったので
参集殿横で甘酒を振る舞ってくださっていました
美味しい甘酒で心身共により温かくなりました

その後はおかげ横丁へ向かい
モクモクでキャベツおかわり自由が付いた豚丼をいただき
購入して預けてあった赤福のコルネを受け取り
渋滞にならない前に名古屋へ向かいました
赤福のコルネは今まで出会ったコルネ中で
一番美味しいコルネだと思っています
今回はいつもはないチョコレートコルネも買うことができたので
よりしあわせでした
あまり数もなく早々に売り切れてしまうので
必ず到着後すぐに買いに行き
帰りまで預かってもらっています

五十鈴川の優しい流れを見て歩く時間
たくさんの楽しみもあり
何度伺ってもまたすぐに行きたくなる空間です





鳥羽国際ホテル 海を見ながらの朝食

MASAYO TACHIKAWA





たくさんの人の想いが自分を強くしてくれる
認められている実感
何よりも支えとなる
日々感謝でいっぱいです
ありがとうございます

4月はかなり流れが速い
忙しくとも嬉しい毎日
充実感でこころは恒に満タン
3月ももうすぐ終わり
そろそろ気持ちの準備をしていきます

人の喜ぶ顔が見たい
ただそれだけで始めたこと
最後まで貫き通そう
きっと何かが入ってくる
既にか
この先にか
楽しみです

いちごのデザート尽くしが終わって
今度は桜
ドーナツもパンケーキも
掛かっているソースでさえ桜味
色もきれいで嬉しい季節

ピンク色に囲まれる季節
一年中
華やかに生きていたら
きっと違う何かを求めているだろう
人はいつでも
無い物ねだりをしているから

忍者の里
伊賀で食べた伊賀牛の美味しさが
忘れられない
少し遠いからなかなか行けないけれど
たまたま接客してくれた社長が
またいい人だった
だからより美味しかったかも
人も味の内

仲良しペコちゃんポコちゃん
ずっと舌を出して笑ってる
見ているだけでホッ
少しでも近づけるよう
笑っています
私も

今年は桜の開花が早くなりそう
そんな気がする
ツアーの日にち選びは一か八か
すっかり花が散って葉桜の時も
次は花桃の満開かな

私を頼りにしてくださって
話をたくさんしてくださって
感謝の言葉を聞けて
日々がより充実しています
こらからも日々
がんばります




『伊勢志摩Ⅳ』

 
お伊勢さんへの初詣
内宮へは二日目朝食後ホテルから向かいました
ホテルから向かうとお正月や連休中など
駐車場が満車になる前に入ることができるため
待ち時間の短縮で
自宅から出るより時間が有意義に使えます
今回は宿泊したホテルが志摩だったため
いつもよりは行くまでに若干かかりましたが11時過ぎに駐車場へ到着し
すぐに赤福本店近くの川沿いの良い場所に
車を停めることができました

同じ駐車場でも川沿いにある駐車場は細長いため
駐車場を歩くだけで15分以上かかってしまう
遠い所に誘導をされてしまうことがあります
誘導をされてしまうとそちらへ行くしかありません
遠くても並ばず停められるだけいいかなと思いながら
川沿いを内宮へ向かって歩きます
今回はそれもなくラッキーでした

赤福本店から内宮へ向かう道の道幅はまずまず広いものの
人口密度が高いため自分の思うスピードでは進めません
人の波をくぐり抜けるだけで疲れてしまいます
そこで思いついたのが川沿いを内宮へ向かって歩く道です
川の流れを見ながら歩け
人の波もなく
鳥居をくぐるまでに
若干気持ちがリラックスをしていくのを感じます
夏は流れがゆっくりなところで泳いでいる子もいて
石投げを親子で楽しんでいる姿も見ることができます
昔はそこで水に浸かり
お参りをする前の禊ぎをしていた場所であったかとも思います
ここ数年水は以前よりきれいになっています

川沿いの道からは内宮に一番近い駐車場を抜けて
赤福五十鈴川店の前を通り一の鳥居へと向かいます
宇治橋を渡り長くて広い砂利の参道を通ってまずは手水舎へ
五十鈴川でも手を清め
初めに五十鈴川の守り神
瀧祭神で手を合わせ
風日祈宮への橋の横を通って正宮皇大神宮へそこで日々への感謝を伝え次に荒祭宮へ向かいます
荒祭宮では内宮で唯一お願い事をして良いところと言われています

正宮から荒祭宮へ向かう途中に樹齢数百年の大木が立っています
テレビで触ると願いが叶うなど
触れることを勧める人がいるため
通る人の多くが
触らないと通ってはいけないかのように樹の方に吸い込まれて行き
触り続けます
そのため樹の皮の一部は剥がれて修復がされ痛々しく感じます
きっとこの樹の皮を剥いで持っていってしまった人がいるのでしょう
剥がれていないところも手の垢でしょうか
年々黒くなっていっています
人の欲は果てし無いものです
そして正宮裏の階段を下りた先に荒祭宮が

その階段には踏んではいけないとされる石が不自然なところにあり
この不自然さの理由は
この石が空から降ってきたからとも言われています
よく見て階段を下りないと見過ごして
踏んではいけないのに踏みかけてしまうこともあります

毎回のお決まりのコースがこころを徐々に整えていってくれます
次回はこの続きをお話します





伊勢神宮 五十鈴川

MASAYO TACHIKAWA





ゆっくり流れる時間が
こころを癒やしてくれる
せせらぎのような優しいとき
いつも
支えてくれてありがとう

たくさんの笑顔に囲まれ
幸せなときが重なっていく
良いこともそうでないことも
与えた分だけ戻って来る
だから
できるだけ喜ばれる時間を
作っていこう

まぶしく輝く人がいる
明るく笑う人がいる
それを微笑みながら見ている自分がいる
素敵な空間
今日も頑張ろう

人は誰でも心の片隅に
寂しがり屋の部分を持っている
大きいか小さいか
それを表に出すか出さないか
自分はどちらだろう

寒さに負けず木々の芽が
顔をちょっとずつ出してきた
毎年忘れず元気いっぱいに
今年も素敵なお花を
期待しています

小春日和とは秋に使う言葉
今日もぽかぽか
ついこの言葉を使いたくなる
それだけ毎日
空気もこころも温かい

いちごの季節になると
いちご狩りに行きたくなる
買って1パックも食べれば
お腹いっぱいなのに
行きたくなる
細い枝にぶら下がる真っ赤な実
大きな艶々の実たち

ずっと行きたかった場所の予約が取れた
春休み
満席でたぶん取れないと言われていた
神々が宿る島
縁あっての旅
楽しみ

いよいよ新学期
胸膨らむ初めの一歩
緊張感が背中を押してくれる
平成も間もなく終わる
最後まで手を抜かず
気を抜かず




『伊勢志摩Ⅲ』

 
伊勢神宮には年が明けると毎年仕事始めの日に
東京から総理大臣のほか数人の大臣が参拝にみえます
ニュースでもその姿は流れています
外宮でその一行にお会いしたことがあり
いつもはテレビの中でしかめっ面をしている人たちが声を掛けると
ニコニコと満面の笑顔で手を振って応えてくれます
どなたも一国の大臣ですから
大きな責任がその肩にずしっと乗っているはずです
ただお伊勢さんへの新年のご挨拶は身が引き締まるとともに
晴れ晴れとした気持ちが笑顔となって自然に溢れてくるのでしょう

総理大臣の到着は
参道に体格のいい警察官らが突然立ち始め
ロープが張られて規制がかかっていくので
間もなくみえるのだろうということが雰囲気で伝わってきます
もちろん御垣内(みかきうち)に入られ参拝をされるので
その間は御幌(みとばり)と呼ばれる白布の前にも入れなくなります
ただ外宮は鳥居から御垣内が近いため
中でのお参りされる姿はしっかりと見ることができます
もし今後お会いすることがあって総理に声を掛けるとしたら
参拝されてから掛けた方が
会話をしてくれる確立がぐっと上がると思います
テレビカメラがいるときは尚更です
お会いしたときも総理はご自分から列に近付き声を掛けてみえました

以前オランダで
国際会議のため訪れていた安倍さんとお会いする機会がありました
アムステルダム国立美術館でツーショットも撮っていただきました
一瞬の出来事ではありましたがその時に優しく対応していただき
何だか今でも勝手に親しみを感じています

そのツーショットを子どもたちに見せると
親御さんに自分のことのように家で話をするらしく
「合成じゃないの」と言われたと言っていました
そう言われるのはそれくらい貴重な瞬間だったかと
会えたことに改めて感謝をしました

外宮は衣食住をお守りくださる神様です
いつもお腹いっぱい食べることができ
太陽に干したフカフカのお布団でぐっすり寝り
好きな洋服を暑さ寒むさを感じることなく着られるのも
お陰様なことです

外宮の近くには
内宮のおかげ横丁のようなお店が集まったところがなく
バス停留所付近に数軒と昔からの店舗があっただけでした
最近は伊勢市駅から外宮へ向かう道沿いに
お店が出店していき楽しみも増えています
その一画にコロッケを買うために行列ができる豚捨があります
外宮の豚捨も食事はできますが
コロッケを買うだけのスペースも入口横にあり
知らない人は見逃してしまいそうですが
おかげ横丁と同じくソースを好きなだけ掛けて
そこで食べられるよう椅子も用意されています
コロッケ同様売れている
ミンチカツとキャベツを挟んだハンバーガーも
人気メニューのひとつです

豚捨の隣に
おしゃれな明治時代風な建物のお土産屋さん豊恩館があります
二階には勾玉亭(まがたまてい)という地産地消のレストランがあり
地元食材をふんだんに使用して提供しています
ランチタイムもディナーもバイキング形式で好きなだけ90分間いただけます
お刺身はもちろんのこと
名物の伊勢うどんと手こね寿司
新鮮なお魚のカルパッチョ
魚介をたっぷり使ったブイヤベースと味噌味の漁師鍋
ぐつぐつと煮えたおでん
天ぷら
デザートも伊勢茶を使ったおまんじゅうクレープなど種類も豊富です
できたての伊勢名物がたくさん食べられます
ソフトドリンクも飲み放題その中に香りの高い伊勢茶もあります

たまたま見つけたお店ですがこの頃は気に入って毎回行っています
席数があまり多くないこととたまに団体が入っているので
予約をしていくことをお勧めします
お参りだけでなくたくさんの楽しみがある伊勢参りです





伊勢うどん

MASAYO TACHIKAWA





小さな出逢いが
大きな力を授けてくれる
感謝の気持ちを風に乗せて
また誰かのこころに届けます
今日もありがとう

チューリップの芽が
たくさん顔を出してきた
間もなく春がやって来る
寒さに耐えて真っ直ぐ上を向いて
私も見習います

温かな太陽の日差しが
こころも温めてくれる
ホッとする時間
いつも近くでニコニコと
ずっと笑っているそんな気がして幸せ

日本はやっぱり素敵
四季もある
山もある
海もある
雪も降る
何よりひとが優しい
やっぱり日本はいい

ハワイのマウイ島に大雪が降った
標高の高いところに降ることはあるけれど
南国の草木もビックリ
ギンケイソウやプルメリア
ブーゲンビリアの上に雪なんて
ちょっと信じがたい

毎日使っている言葉が
全国区でないことを知るときがある
「早くまわしをして!」
まわしとは相撲のまわしではなく
準備のこと
言葉は楽しい

ぐっすり眠れる
そんなこと当たり前だと思っていた
多くの出会いが
考えることをふやしていき
当たり前が当たり前ではなくなっていく
それが毎日

今売れっ子の人気俳優に会った
やはり持っているものが違う気がする
人気はいつまで続くかわからないけれど
ひとから喜ばれる存在になる
それだけで素晴らしい

花々に囲まれときが過ぎていく
本物の花のとき
ひとのハナのとき色々ある
花でもハナでも
囲まれることは嬉しい
毎日元気になれます




『伊勢志摩Ⅰ』

 
今年も始まりました
平成最後の年です

縁あって早々に伊勢神宮へ行くことができました
年末年始は内宮の周り広範囲で交通規制をしていて渋滞があるため
到着時間は読めませんが行きたかったホテルも取れ
行くことにしました

今年のお正月はずっとお天気が良く
朝もほぼいつも通りに出ましたが
毎回渋滞する御在所サービスエリアからの渋滞は
全くありませんでした
ただ一カ所だけいつもはスイスイ行ける所で事故渋滞をしていました
きっと伊勢志摩サミットのときと同じように
伊勢神宮は混むから
お正月は避けようと思った人が多かったのでしょう
伊勢志摩サミットのときもホテルや道路
内宮ですらガラガラでした

今回のホテルはいつも行く鳥羽国際ホテルではなく
志摩の海辺ホテルプライムリゾートにしました
地中海をイメージした白が基調のきれいなホテル
伊勢志摩サミットの開催された賢島のすぐ近くで
名前にもあるように海辺に建っています
プライベートの小さな桟橋もありました
今回宿泊したのは一棟建てのコテージです
二階建てでベットルームが一階と二階に1部屋ずつ2部屋あり
天井も高く広々としています
いずれの部屋からももちろん海が見え
バルコニーには屋外カフェにあるような机とイスが置いてあり
海を見ながら取る食事は最高です

このホテルの立地条件は知って予約しましたが
一棟に2部屋あるのは知らなかったため
1部屋空けておくのはもったいないと思い
急遽知人を誘ったら喜んで飛んできました
もちろん一棟を借りているので料金はそのままです
大浴場もあって
知人にとってはお年玉をもらったような感覚で
帰るまでずっと大喜びをしていました

バブル真っ盛りの頃
エクシブリゾートをはじめ
たくさんの会員制ホテルが建てられました
パターンは色々ありますが
権利を買うと1年に何日か自分の行きたいときに行って
無料またはかなりの低料金で宿泊ができる
別荘は買ってしまうと管理をしなければなりませんが
会員制はその必要はありません
掃除や管理など空気の入れ替えも何もしなくて良いのです
何より購入するよりお値打ちです
このホテルもたぶんその仲間だったのだろうと感じました

多くの会員制だったホテルは会員だけの宿泊だけでは成り立たず
今はその制度を継続しながら一般の宿泊客も受け入れています
なぜ感じるかというと
いずれも外装や内装や中庭など外回りにもゆとりを思わせる
少々無駄な作りが多く
きっとここは分譲または会員制だったのかなと
感じるものが多々あるからです
ここだけでなくそういうホテルはなぜだか同じ香りがします
匂いの香りではなく感覚の香りです
きっとバブルのような日は生きている限り二度と来ないでしょう
今の日本を見ていてそう思います

会員制ホテルと言って思い出すのがヒルトンハワイです
ハワイのヒルトンホテルは
敷地内に新しいホテルを次々と建てていっています
空港でヒルトンホテルのブースでアンケートに答えると
何ヶ月後に宿泊券が当たるかもしれないと
声を掛けているのがそれです
無料チケットが当たる当たらないは別として
ヒルトンの会員になるにはまず話をきちんと聞かなければなりません
それには必ず夫婦でハワイのヒルトンなど
現地等で一度見学、説明会に行かなければなりません
どちらか一人では条件が満たされず必ず夫婦での参加が必須条件です
どちらか一方では金銭的なことも含め
後からトラブルになったりと不都合なことが多いのでしょう
ただ東京ヒルトンや名古屋ヒルトンなど
日本での説明会については一人でも可能です

値段も条件によってピンキリです
会員の権利を買うのですから一生使うことは出来ますが
最低数百万円からで
値段が高ければ高いほど宿泊する部屋などはグレードアップして
出資金に相当していきます
持っている部屋のクラスより下のクラスの部屋に宿泊をすれば
宿泊数を増やすこともできます
権利を売買できますが親が子どもに渡す場合は贈与になります
ハワイだけでなくグアムなど
世界中のヒルトンホテルでの宿泊が可能です
説明会に行ったことはありませんが
権利を持っている人に色々聞きしました

これをバブルの頃はヒルトンだけでなく
多くのホテルが
広告を打ったりDMを送るだけで熟していたわけですから
今思えば不思議な世の中になっていたと思います

とにかくゆったりとした良い時間を過ごすことができ
自分にとっても素敵なお年玉になりました

次回は海辺ホテルで出会ったことや
伊勢神宮での出逢いについてお話をします





海辺ホテル プライムリゾートから見る海

MASAYO TACHIKAWA





今年もたくさんの縁をいただいて
前を向き
急がず慌てず自分のペースで
今年もいい年になりそうです

周りを見ながら猪突猛進
突っ走って良いとき
そうでないときを見極めて
自分らしく
行きましょう

誰かのために過ごす時間
お役に立てる毎日を
願うだけでは叶わない
必要とされる存在に
人から想われる自分に

他人を受け入れる
通りすがりならば誰でもいい
そうでなければ寛容なこころを持って
一人きりで生きられる人など
居ないと思うから

新しいカレンダー
段々薄くなっていったものが復活
この繰り返しが早くなっている気がする
時間は変わらないから気のせいだけれど
毎日が幸せな証拠かな

新年を迎え早々にお伊勢さんへ
たくさんの人たちが日本中から世界中から
願うのではなく
感謝の言葉を伝えにやって来る
地球上にある
ありがたい異空間

自分のために食べて眠って
充電する時間は人にとってとても大切
忘れてときを過ごすと
一気にのし掛かってくる
一休みにも気配りを

笑顔にずっと囲まれていると
こころをどこかへ逃がす必要がない
居たいところにいればいい
そんな毎日が温かい
外は雪が降って寒いけれど

今年はどこへ行きましょう
行きたいところは山ほどある
ずっと自由な時間ばかりだと
きっとその思いは消えていく
忙しい毎日があっての旅
行けるときに行けるうちに
今年も楽しみがいっぱい




『伊勢志摩Ⅱ』

 
志摩へ入る前日は
伊勢自動車道最後の伊勢西ICが交通規制で閉鎖され
いつも通る道が通れず
初めに外宮へ行くつもりでしたが
牛に引かれて善光寺参りのように
結局夫婦岩のある二見興玉神社へ一番に行くことになりました

本来正式に伊勢参りをするときはまずは二見興玉神社へ
次に豊受大神をお祀りしている外宮へ
そして天照大神をお祀りする内宮へと向かいます
おかげ様で理想通りのお参りの順番に
今年は初詣が二見興玉神社となりました
道開きの神様が「こちらへ」と呼んでくださったのかと思うと
何か素晴らしいご縁がこれから訪れるようでワクワクしてきます

ここの境内には御祭神のお使いとされる二見蛙が
何体も奉献されています
手水舎にも大きな蛙がありその蛙の口から手水が出ています
この蛙に願い事をしながらお水を掛けると
願いを叶えてくださるとも言われています
二見蛙は無事にかえる
お金がかえるの意味を持っています

参道沿いにある塩ようかんのお店
五十鈴勢語庵では
ようかんを買うと
お財布に入る可愛い緑色の陶器の蛙さんをくださいます
私のお財布にもこちらでいただいた蛙さんが2匹入っています
ここの塩ようかんは岩戸の塩がきいていて甘さもほどほどです
竹の皮に包んであり情緒を感じます
お店の中には燕の巣がたくさんあって
夏になるとぶつかるのではないかと思うくらい
人が居るのも構わずすれすれに元気よく飛んでいます
天窓がずっとあけてあるため24時間出入り自由だそうです

ここで使われている岩戸の塩は
同じく参道沿いの老舗旅館岩戸屋さんが
海水を汲み上げ昔ながらの製法で炊きあげて作っています
一度製造しているところを見学させていただきましたが
海水から炊きあげることで段々お水が蒸発して
徐々にお塩になっていきます
とても手間のかかる作業を暑い中で繰り返してみえました
色が普通のお塩よりクリームがかっていて塩辛さにトゲがなく
優しいまろやかな味がする天然塩です
もちろんにがりも含まれ栄養も豊富です

二見浦の夫婦岩は日本中の夫婦岩の中でも特に人気の場所です
ここの夫婦岩は
神社から沖合700メートル先にお鎮まりになっている
御祭神興玉神石と太陽を拝む鳥居の役目を担っています
夫婦岩と言うと良縁や夫婦円満だけを思い浮かべますが
それ以外にもこのようなお役目を果たしているのです
昔は伊勢神宮へ向かう前にこちらで汐水を浴びて身を清めていました

5月から7月は夫婦岩の間から朝陽が昇り
冬至には月が真ん中から上ります
大きい方の男岩は高さ9メートル
小さい方は女岩で4メートルの高さです
毎年5月5日、9月5日、12月の中旬に
二つの大岩を結ぶ大注連縄の張り替えが行われています

夫婦岩の男岩の上に立っている鳥居に
真っ黒で首の長い鵜が
大きな羽をばたばたと広げる姿を見かけることがあり
その一瞬を写真に収めると一段と素敵な味のある夫婦岩に写ります
居ないときの方が多いので
とまって羽を大きく広げていたらとてもラッキーです
外宮や内宮にはおみくじがないのでここでおみくじを引いていきます
爽やかな潮風を全身で受け
ここから次の目的地外宮へと向かいます

外宮へ向かう途中
毎回必ず顔を出す真珠専門店があり
今回も新年の挨拶を兼ねて真珠を購入しに行きました
本真珠はブランド物だとかなりしますが
いつも伺う昔からある真珠店などは
お値打ち価格で本真珠が手に入り
二見に行った際には必ず購入し
お土産として海外の人にもお渡ししています
白い真珠もきれいですが
少し青色やグレーがかった黒真珠系を今は好んで買っています
もちろん天然なので同じ色はほとんどありません
白い真珠も然りですが
特に黒系は色が様々で
好みの色を手に入れられるとより嬉しい気分になります
今年も艶のあるブルー色の素敵な真珠と出会うことができました
帰りにはお店の方がお年玉と言って袋いっぱいのお菓子をくださり
優しい心遣いで
こころがホッと温かくなる瞬間もおまけにいただきました
次回は外宮と内宮でのことをお送りします





穏やかな日の二見興玉神社 夫婦岩

MASAYO TACHIKAWA





全てを受け入れる
そんな器があったら
今よりもっと大きくなれるはず
頭で思ってもできないことはある
ただ今を受け入れられること
まずはそれでいい
笑っていられる今がいいと

ありがとうの繰り返しが
ありがとうを生む
悔しいこともあるけれど
顔で笑ってありがとう
やったことやられたことは
後から必ず戻って来るから

冬なのにぽかぽか
きっとこころも温まっているから
そう感じるのだろう
菜の花が揺れている
ニコニコ笑って揺れている
ぽかぽか

閃きを大切に
頭に浮かぶのは縁があるから
どう動くかは
じっくり腰を据えて
結果は自ずと付いてくる

作られた存在が奇跡を生む
自然の力だけを良しとしないで
受け入れられるものは受け入れ
そして見極め
選別を

誰だって休みたくなるときがある
あんなに恵まれた環境なのに
他人から見ればうらやましい立ち位置
日本一と言っても言い過ぎではない彼ら
凡人にはわからない何かがあるのだろう
しっかり休んでください

温泉に入ってからだも暖まってくると
何だか何でも許せる気がしてくる
外へ出て落ち着くと
また振り出しに
けれど一瞬だけでもいい
緩んだこころでもって受け入れを

どっち付かずの時間が足を引っ張る
白か黒か
グレーであればそれもそれでいい
無理をして
白か黒にしなくても
無理をするから
どっち付かずになってしまう

想いは届く
コツコツと急がず
こころを込めて
今度は紙飛行機に乗せて
飛ばしてみましょうか
ほらっ
飛んで行け




『伊勢志摩Ⅰ』

 
今年も始まりました
平成最後の年です

縁あって早々に伊勢神宮へ行くことができました
年末年始は内宮の周り広範囲で交通規制をしていて渋滞があるため
到着時間は読めませんが行きたかったホテルも取れ
行くことにしました

今年のお正月はずっとお天気が良く
朝もほぼいつも通りに出ましたが
毎回渋滞する御在所サービスエリアからの渋滞は
全くありませんでした
ただ一カ所だけいつもはスイスイ行ける所で事故渋滞をしていました
きっと伊勢志摩サミットのときと同じように
伊勢神宮は混むから
お正月は避けようと思った人が多かったのでしょう
伊勢志摩サミットのときもホテルや道路
内宮ですらガラガラでした

今回のホテルはいつも行く鳥羽国際ホテルではなく
志摩の海辺ホテルプライムリゾートにしました
地中海をイメージした白が基調のきれいなホテル
伊勢志摩サミットの開催された賢島のすぐ近くで
名前にもあるように海辺に建っています
プライベートの小さな桟橋もありました
今回宿泊したのは一棟建てのコテージです
二階建てでベットルームが一階と二階に1部屋ずつ2部屋あり
天井も高く広々としています
いずれの部屋からももちろん海が見え
バルコニーには屋外カフェにあるような机とイスが置いてあり
海を見ながら取る食事は最高です

このホテルの立地条件は知って予約しましたが
一棟に2部屋あるのは知らなかったため
1部屋空けておくのはもったいないと思い
急遽知人を誘ったら喜んで飛んできました
もちろん一棟を借りているので料金はそのままです
大浴場もあって
知人にとってはお年玉をもらったような感覚で
帰るまでずっと大喜びをしていました

バブル真っ盛りの頃
エクシブリゾートをはじめ
たくさんの会員制ホテルが建てられました
パターンは色々ありますが
権利を買うと1年に何日か自分の行きたいときに行って
無料またはかなりの低料金で宿泊ができる
別荘は買ってしまうと管理をしなければなりませんが
会員制はその必要はありません
掃除や管理など空気の入れ替えも何もしなくて良いのです
何より購入するよりお値打ちです
このホテルもたぶんその仲間だったのだろうと感じました

多くの会員制だったホテルは会員だけの宿泊だけでは成り立たず
今はその制度を継続しながら一般の宿泊客も受け入れています
なぜ感じるかというと
いずれも外装や内装や中庭など外回りにもゆとりを思わせる
少々無駄な作りが多く
きっとここは分譲または会員制だったのかなと
感じるものが多々あるからです
ここだけでなくそういうホテルはなぜだか同じ香りがします
匂いの香りではなく感覚の香りです
きっとバブルのような日は生きている限り二度と来ないでしょう
今の日本を見ていてそう思います

会員制ホテルと言って思い出すのがヒルトンハワイです
ハワイのヒルトンホテルは
敷地内に新しいホテルを次々と建てていっています
空港でヒルトンホテルのブースでアンケートに答えると
何ヶ月後に宿泊券が当たるかもしれないと
声を掛けているのがそれです
無料チケットが当たる当たらないは別として
ヒルトンの会員になるにはまず話をきちんと聞かなければなりません
それには必ず夫婦でハワイのヒルトンなど
現地等で一度見学、説明会に行かなければなりません
どちらか一人では条件が満たされず必ず夫婦での参加が必須条件です
どちらか一方では金銭的なことも含め
後からトラブルになったりと不都合なことが多いのでしょう
ただ東京ヒルトンや名古屋ヒルトンなど
日本での説明会については一人でも可能です

値段も条件によってピンキリです
会員の権利を買うのですから一生使うことは出来ますが
最低数百万円からで
値段が高ければ高いほど宿泊する部屋などはグレードアップして
出資金に相当していきます
持っている部屋のクラスより下のクラスの部屋に宿泊をすれば
宿泊数を増やすこともできます
権利を売買できますが親が子どもに渡す場合は贈与になります
ハワイだけでなくグアムなど
世界中のヒルトンホテルでの宿泊が可能です
説明会に行ったことはありませんが
権利を持っている人に色々聞きしました

これをバブルの頃はヒルトンだけでなく
多くのホテルが
広告を打ったりDMを送るだけで熟していたわけですから
今思えば不思議な世の中になっていたと思います

とにかくゆったりとした良い時間を過ごすことができ
自分にとっても素敵なお年玉になりました

次回は海辺ホテルで出会ったことや
伊勢神宮での出逢いについてお話をします





海辺ホテル プライムリゾートから見る海

MASAYO TACHIKAWA





今年もたくさんの縁をいただいて
前を向き
急がず慌てず自分のペースで
今年もいい年になりそうです

周りを見ながら猪突猛進
突っ走って良いとき
そうでないときを見極めて
自分らしく
行きましょう

誰かのために過ごす時間
お役に立てる毎日を
願うだけでは叶わない
必要とされる存在に
人から想われる自分に

他人を受け入れる
通りすがりならば誰でもいい
そうでなければ寛容なこころを持って
一人きりで生きられる人など
居ないと思うから

新しいカレンダー
段々薄くなっていったものが復活
この繰り返しが早くなっている気がする
時間は変わらないから気のせいだけれど
毎日が幸せな証拠かな

新年を迎え早々にお伊勢さんへ
たくさんの人たちが日本中から世界中から
願うのではなく
感謝の言葉を伝えにやって来る
地球上にある
ありがたい異空間

自分のために食べて眠って
充電する時間は人にとってとても大切
忘れてときを過ごすと
一気にのし掛かってくる
一休みにも気配りを

笑顔にずっと囲まれていると
こころをどこかへ逃がす必要がない
居たいところにいればいい
そんな毎日が温かい
外は雪が降って寒いけれど

今年はどこへ行きましょう
行きたいところは山ほどある
ずっと自由な時間ばかりだと
きっとその思いは消えていく
忙しい毎日があっての旅
行けるときに行けるうちに
今年も楽しみがいっぱい




『上高地Ⅳ』

 
久しぶりに向かった明神池
記憶に残っているのは高い木々に囲まれた流れのない静かな池だった
でも記憶違いだったのか全くそれとは異なっていた
一之池は広くて穏やか
二之池は盆栽の中の池のよう
いくつもある小さな島がより美しさを際立たせている
記憶のままだときっとこれから先も足を向けることはなかっただろう
行って良かった
時間があればまた行きたい所のひとつとなった

一之池では毎年10月に穂高神社奥宮例祭が行われる
山の安全と神の恵みに感謝するお祭り
平安朝のカラフルな2艘の小舟に
神職さんや巫女さんたちが乗り雅楽を奏でる
この景色に浮かぶ舟と幻想的な空間に響く音
一度は見てみたいと思った

上高地を思い浮かべるとまず浮かんでくるのは梓川の流れ
ゼリーをぷるぷるとしたような水の輝きと艶
穏やかな流れも速い流れもずっと見ていて飽きない
その流れと河童橋
カレンダーの写真を見ているような風景が心を癒やしてくれる
何回行ってもまた行きたくなる場所となっている

河童橋の袂では数年前までお土産屋さんの前に大きな石が置かれ
その石をくり抜いたところに水を溜め
ちょろちょろと天念水を竹の筒から流しながら
リンゴを浮かべ売られていた
水のきれいさを象徴していて画になって素敵だった
思い浮かべるだけでホッとした
それがいつからかその上には網が掛けられ
お願いしないとリンゴが取れない仕組みになっていた
欲しかったら
欲しいリンゴを自分で取ってレジまで持って行きお会計をする
そのシステムが覆された
海外からの人が増え
売り物とは知ってか知らずか勝手にリンゴを持っていってしまう
梓川の流れも好きだったが
その浮かべられたリンゴを見るのもちょっとした景色だが好きだった
仕方ないことと思いながら網が掛けられている姿に時代と流れを感じた

明神池から戻ったら五千尺ホテルのチーズケーキを食べようと
時間短縮のためできる限りの速さで歩いた
同じように山から帰った人たちも早足で歩いていたため
抜かされないようによりスピードを上げた
負けず嫌いが幸いし行きよりかなり時間を短縮して河童橋に到着
到着してすぐに五千尺ホテルに入っていつものチーズケーキを注文した
同じ作り方をしているのに手作りのためか
若干季節と日によって酸味が強かったり弱かったりと味が違う
それがまた楽しみ
今回も窓側の席に座り
ゆっくりと河童橋と人の流れを見ながらいただいた

お会計を済ませ
河童橋で穂高の写真を撮っていたら周りが何だかざわざわとしてきた
何だろうと振り返ったら
テレビの取材で
元フィギアスケート選手のバラエティに良く出ている元気な女性が
カメラを向けられ取材をしていた
それを取り囲んでいる人たちが気づいてざわざわとしていたのだ
カメラが回っていたがとても近くに来たので話しかけてみた
いつもの笑顔ですぐに応えてくれて短い時間だったが話ができた

フィギアスケート女子と言えば一番に思い浮かぶのが真央ちゃん
その次は美姫ちゃん
二人とも私のとても親しくしている人の務めている学校出身なので
話はしっかりと聞いている
小塚くんと昌磨くんのことも
今回会った彼女はキャラクターがはっきりとしていて
確かにバラエティ向きだと話していて思った
話しているときもカメラは回っていたが
放送されたかどうかはわからない

今回突然行くことにしたが1席だけツアーが空いていたこと
明神池のお祭りの2日後に行けたこと
お天気ははっきりとしなかったが紅葉が素敵だったこと
多くの縁をいただいた

今閉鎖中の上高地
また行ける日が楽しみ
次はどこへ行こうかといつも考えている訳ではないけれど
ただ思っていることが楽しい
まずはサミットの行われた伊勢志摩の
地中海を思わせるホテルに宿泊し伊勢神宮へ
何だか今年も忙しく走り回っている姿が浮かんできます
今年もよろしくお願いいたします





上高地 明神池 二之池

MASAYO TACHIKAWA





新しい年の始まりです
道の先に一筋の大きな光が見えます
素晴らしいことが待っています
顔を上げて
誰かのために
自分のために
今年も胸を張って生きていきましょう

楽しいことがいっぱいと考えていると
ふとしたきっかけでチャンスがやって来る
今年は
どんな楽しみが待っているでしょう
わくわくしてきます

明るい毎日が明るい光を呼んでくる
人間だから
1秒先は何が起こるかわからない
だから面白い
だから頑張れる

良いことは良いこととして
挫けそうになっても続けていこう
途中で止めることが
一番悔しい
やれなかった
やらなかった自分に
後悔をしないように

一輪の花が笑顔を運んでくる
小さな花も
抱えきれないくらいの花も
同じ力を持っている
笑顔をたくさん与えてくれる
出会えて良かったと

与えられる幸せ
与える幸せ
どちらも幸せだけれど
与えた幸せは
必ず何倍にもなって返って来る
打算ではない
心から願う相手の幸せ

願いは叶う
両手を合わせて星に願いを
遠回りしても最短でも
手に入れば同じ
何事も諦めずに

ハワイのトローリーに乗ってうたた寝を
目を開けたら
真っ青な海が飛び込んできた
ここはハワイ
夢の中のような現実がここにある
感謝で何だか涙が溢れた
ありがとう
迎え入れてくれて

平成最後の年
慌ただしかった平成も
思ったより早く最後を迎えました
今年の漢字はきっと
「始」か
年号の初めの一文字でしょう
今年もどうぞよろしくお願いいたします




『上高地Ⅲ』

 
上高地は中部山岳国立公園
年間平均気温は5.2℃
1年の3分の1が氷点下
近くの松本市の年間平均気温は11.5℃
車でちょっと走っただけで
この場所がいかに夏過ごしやすく快適かがわかる

このような環境ならば
もう少し高級別荘や高級ホテルが乱立してもいいと思うが
さすが国立公園
人の手は新たには絶対入れられない
木の枝を1本折っても
水草ひとつ持ち帰ってもいけないと聞いたことがある

国立公園と国定公園の違いは
「国立公園」は国が定めた自然公園で
国の予算で管理、保護
「国定公園」は国立公園以外のすぐれた風景の場所を
都道府県が管理、保護するもの
いずれも自然公園法という法律で守られている
国定公園は各都道府県が国に申請し
許可が下りれば国定公園と名乗れる

日本の国立公園は全国で34カ所
その中で世界遺産地域を含んでいるところが
自然遺産として屋久島、知床、小笠原
文化遺産として瀬戸内海(厳島神社)、日光(日光の社寺)
吉野熊野(紀伊山地の霊場と参詣道)、そして富士箱根伊豆(富士山)
中部山岳国立公園は「傑出した山岳景観
息を飲む山並みと渓谷美
そしてライチョウの世界」と環境省が謳っている
山々の美しさにこころ惹かれる空間

冬期入山ルールもあり
今年度は11月16日から来年4月16日まで閉鎖
「この期間に上高地に入山される方は、自己責任を原則とする」と
留意事項を羅列している
この間ホテルや売店など上高地で働いている人たちは
どうしているのだろう
いつも疑問に思うがまだ聞いたことはない

四季がある日本は素晴らしい国
大切に守らなければならない自然もたくさん
これは日本だけでなく世界中で同じこと

河童橋から明神池へ向かって梓川沿いを上流へ歩いて行くと
明神岳が間近に迫ってくる
河童橋あたりと違って人の数も減り梓川の流れも趣が変わる
梓川左岸のコースを歩いて行くと明神館があり
左へ曲がるとしばらく見えていなかった梓川が再び見えてくる
吊り橋になっている明神橋も一緒に
河童橋に比べるとかなり小さめだが
周りの景色には溶け込んで
いいフォトスポット
山と川と吊り橋

橋を渡って数分歩くといよいよ御神域
一気に空気感が変わる
明神岳は標高2931メートル
穂高大明神が鎮座する山々という意味
一昔前上高地へ入るには峠を越えなければならなかった
その到着地点がここ
そのためこの地点を
「神降地(かみこうち)」と呼んでいたと言われている

明神池は一之池と二之池の2つからなっていて
湖畔に穂高神社奥宮が祀られ
居ながらにして神様の世界に舞い込んだように
幻想的な景色が広がっている
一之池と二之池は趣が全く違う
一之池は広々として静かな池が広がっている
かなり広いのに水の流れが止まっているように感じる
二之池は池の中に小島がいくつもあって
秋には紅葉した木々もバランス良く美しい姿で立っている
いくつかの大きい盆栽に囲まれているかのよう
こちらは小さいながら水の流れも感じる
穂高神社の御神域のため「鏡池」「神池」とも言われる

毎年10月には龍頭げき首(りゅうとうげきしゅ)の船を浮かべ
一年間の山の安全を祈願する
平安朝の神事
穂高神社奥宮例大祭という船祭りが行われている

今回行ったのがお祭りの2日後だったため
お祭りに使ったばかりの船がまだ池に浮かべられていた
そのためかより平安絵巻の1ページを見ているようだった
なんだか大きな願いが叶う気さえした

次回は偶然出会ったテレビ撮影の話など
上高地滞在ラスト1時間半ほどのことをお話しします





上高地 明神池 一之池

MASAYO TACHIKAWA





たくさんの感謝にありがとう
感謝に感謝
幸せな一年だった
こころからそう思っています
温かさが身にしみる毎日でした
来年も楽しみです

何でも褒められると嬉しい
ちょっと
こそばゆいときもあるけれど
意味あってのお褒めの言葉
素直に受け止めがんばろう
背中を押されたと思って

ひとはひと
自分は自分
よく親に言われた言葉
そうは思っても
他人と比較したくなるのが人間
比較するから強くなれる
負けるものかと
前を向ける

ゴロンと寝転がって
目が覚めたら朝になっている
迷いがないとぐっすり眠れる
からだもこころも満タン充電
また一日元気で行ける

「生涯忘れることはありません」
ドラマによく出てくる台詞
なかなかそんな思いに出会えない
きっといつか出会うであろう
この言葉に
大切な時間にふと会えたときに

金柑が鈴生り
穫って蜂蜜漬けにしてもいいけれど
黄色くなった実を
眺めているだけでホッとする
小さな実がみんな
笑っている気がして

フランスのシャンゼリゼ通りが
想像できない姿になっている
凱旋門からルーブル美術館へ続く
一直線の道
芸術の街が大変化

ぐでたまに癒やされる
机に載ってるカレンダー
サンタの帽子をかぶり
ベーコンのお布団の中へ
なぜだかわからないけれど癒やされる
いつもホッ

いよいよカウントダウン
子どもたちの笑顔に囲まれ
笑うことがない日はなかった
本当にありがとう
みんな
来年もよろしくね




『上高地Ⅱ』

 

上高地の明神池
行こうと思ったのは何年ぶりだろう
今回のバスツアーの上高地滞在時間は4時間
一般的には多くて3時間だからこの4時間の長さが売りのツアー
ここしばらくは上高地に4時間も滞在することがなかった
宿泊をしても上高地だけでなく安曇野へ行ったり
他の目的地へ足を向けるため行ってもいつも河童橋止まりだった

明神池まで河童橋から片道50分以上
滞在時間も含め往復2時間以上かかる
往復がそんなに時間が必要だとも思っていなかったが
こんなとき位しか足を向けることはない
そう思いながら
駆け足になることはわかっていたが
その前にバスを大正池で降りて帝国ホテルへ行き
そこから河童橋まで歩き
その後に目的の明神池まで行くことにした

大正池は本当に美しかった
大正4年の焼岳大爆発で梓川が堰き止められてできた池
「美しかった」と過去形なのは何故か
今も穂高連峰も見ることができ
景色としては落ち着きがあって良いが
以前はこころの底から素晴らしいと言える風景が広がっていた
焼岳を背景に池の水の青色が浅いところと深いところと全く色が違う
噴火の際に燃えてしまった立ち枯れた葉のない木々たちが
その池の美しさに花を添えていた
しかし今はその木々も減ってしまいあまり残っていない
おまけに噴火で堰き止められてできた池も何年か前の大雨で
池から川の状態に戻り
色とりどりだった青色のコントラストが失われてしまっている
大雨が降る前は
絵に描いたような景色の中で長い時間居ても飽きなかった

焼岳の噴煙は変わらず出続けているが残念ながら噴火をしても
もう以前の大正池に戻ることはないだろう
自然が作り出した絶景を自然が自ら変えてしまうことになった
失った「自然作」の美は人間の手で戻しても
それなりにはなるだろうけれど自然の力には勝てない
たまたまできただけと思えばその通りだが
残念ながらそのたまたまは二度と起こらない
今でも充分美しい

人が美しいと感じるか感じないかは自然にとっては関係がない
為すがままなのだ
人は為すがままだけでは生きられない
頑張らなければならないときは両足を地に着けて踏ん張る
どんなに強い風が吹いても

大正池を見た後はいつも帝国ホテルへ行って
高級感を味わってから河童橋に向かう
お決まりのコース
帝国ホテル行きのシャトルバスが思ったより早く来たため
時間の節約ができた
帝国ホテルは昭和8年
日本で初めての山岳リゾートホテルとして開業した
外観も山小屋風でそれでいて高級感もある
落ち着いた深紅色の屋根はこのホテルを象徴している
深紅の屋根が付いた入口を入ると
山小屋にありそうな木のカウンターがまずは出迎えてくれる

正面の階段を数段上がると
焚き火風のストーブがあるロビーラウンジとなっている
ケーキセットやサンドイッチなど
外の景色を見ながらゆったりとした気分で食事や休憩ができる
天井の高い吹き抜けの空間
落ち着いた雰囲気はこのホテル全体の味となっている

宿泊代金は平日でも一泊35500円からと少々高めだが
一度宿泊をしたいと以前から思っている
宿泊をする際は必ず早めに入って少しでもここでの時間を楽しみたい
休日や夏休みは人気で
リピーター客が多くなかなか取れないと聞いている

一度ゆったりとケーキセットだけでもいただきたいと
いつもメニューを覗いて思うが
河童橋横の五千尺ホテルのチーズケーキが食べたいので
両方は無理かと毎回断念
ギフトショップもあって
ホテルの建物の形をした箱に入った
クッキーやキャンディーを必ず買って帰る
中のお菓子が食べたいのではなくその箱が可愛いから飾ろうと思って

帝国ホテルから河童橋へは梓川に沿って歩いて行くそんなに遠くはない
ホテルの雰囲気を堪能していよいよ目指すは明神池
薄らと記憶の中にある明神池
今はどうなっているだろう
想像を膨らませながら少し早足でまずは河童橋へ向かった




上高地帝国ホテル

MASAYO TACHIKAWA





目的が見つかると時間の流れが早くなる
目標を失うと足取りが重くなる
ひとは誰でも支えが必要
目的も目標もそのひとつ
小さなことでもいい
自分の目で足で見つけよう

たった一言が救いになる
予測もしていなかった感謝の言葉
当たり前のことをしただけなのに
掛けられると嬉しい
通りすがりの一言でも

寒い日の晴れ間
ちょっとだけ日向ぼっこ
こころの中まで温まりそう
温まったら
また次のことを始めよう
一休みも必要だから

繰り返しは力を生む
すぐに結果が出なくても
いつかは必ず形に
同じことでも
そうでないことでも
諦めず
行こう

久しぶりの釜山
釜山タワーが一番の観光地だったが
すっかり変わって
より都会になっていた
観光地も増え一日中楽しめた
人も親切でいい
また行こうと思う
近いうちに

海外で
知らない土地へ行って地図を見ていたら
「どこへ行きたいの?」と聞いてくれた
おまけに目的地まで一緒に行ってくれて
親切が身についている
日本ではなかなかない
聞かれるまで
こちらから行くことは

生きるために食べているのか
食べるために生きているのか
何でも美味しいこの時期
日本は一年中どこにでも
美味しいものがある
幸せな国

日めくりカレンダー
あんなに重かったのに
厚さも1センチを切った
あっという間の毎日でした
大切な時間ばかりでした
ステキな素敵な

今年もたくさんの出逢いがありました
毎日ぐっすり眠れた一年でした
出会えた全ての方々に感謝です
これからも
よろしくお願いいたします




『上高地Ⅰ』

 

縁あって向かうことができた紅葉の上高地
上高地へ初めて行ったのは小学生のとき
家族で梓川沿いのホテルに泊まった
ホテルの名前は覚えていないが
夜中に起こされて見た星空は今でもはっきりと覚えている
天の川もしっかりと見え
空の黒い部分より
星で輝いている部分の面積の方が遙かに上回っていた
本当はそうではないかもしれないが
そう見えるくらい星の数が多かった
高さも体育館の天井くらい
梯子に上れば手が届きそうな感覚だった
あれ以来
星が美しいと言われるハワイ島や日本一と謳われている昼神でも
お目にかかったことはない
星が降るとは正にこのときのことだったと思う

上高地のパンフレットの表紙に書かれている言葉
『「名勝」とは優れた景色のこと
しかもそれが自然そのものだから「天然記念物」
さらに、そのいずれにも「特別」を冠します
上高地は、日本で初めて2つ同時に指定されました
中部山岳国立公園
特別名勝
特別天然記念物
上高地』
山と水のリゾート

この景色を言葉にするには限りがない
河童橋から見る奥穂高
奥穂高を背景に見る河童橋
どの季節も絶景としか言い様がない
晴れた日の梓川の流れは青く澄んでいて美しい
流れが速いところと穏やかなところの色の違いも素晴らしい

河童橋は幅3.1メートル長さ36.6メートルの吊り橋
昭和2年芥川龍之介の小説「河童」にこの橋が出てくる
今は5代目
この橋なしで上高地の絶景は生まれない
小説河童の中で
生まれてくる前のお腹の中に居る赤ちゃん河童に向かって
「生まれてきたいか来たくないか」を尋ねるところがある
言葉は忘れたが
結局世の中を憂いで生まれて来たくないと断る
それが現代同じ事を聞かれたならば
赤ちゃん河童はもっともっと憂いで
あのときに生まれておけばまだましだったと後悔するだろう
日本も平和ボケではいられなくなっている

今回フリータイムが4時間あったので
久しぶりに明神池まで歩くことにした
河童橋から明神池までは50分から70分かかる
小梨平を通って行く梓川左岸道は50分強
ホテル明神館の手前を左に曲がって明神橋を渡って向かう
岳沢湿原を通っていく梓川右岸道は70分かかる
自然を楽しんで梓川を見ながら歩くならば右岸道だが
時間と体力が必要
迷うことなく左岸道で向かった
帰り道は五千尺ホテルのチーズケーキが食べたくて
早歩きをしたが
結局河童橋まで45分きっちりかかった

途中雨もぱらついたが寒くもなく暑くもなく
快適な行き帰りとなった
特に明神池の景色が思っていた以上に素晴らしく
帰りはより清々しい気持ちで歩くことができた
次回はその明神池についてお話しします




上高地 梓川と五千尺ホテルのチーズケーキ

MASAYO TACHIKAWA





願いが叶いますように
誰もがひとつふたつ叶えたいことがある
あなたの願いは何ですか
どうしても叶えたいこと
そっと満月に向かって呟きます
星も目の前をスッと流れていきそうです

褒められた
誉められた
ほめられた
どの称賛も嬉しい
ひとは褒められると伸びると言う
褒めて伸ばそう日々を
上へ上へと

美しい花を見ていると
それだけで時間が優しく過ぎていく
そんな存在になれたら
そう思うけど
またそっぽを向いてしまう
少しでも近づけますように
お花さんたちに

ときには息抜きをと思いながら
息抜きばかりしていると
進み方を忘れてしまう
進むばかりだと筋肉が張って動けなくなる
ほどほどが良い
頭では充分わかっている

あちらこちらで
クリスマスイルミネーションが始まった
今年も東京ミッドタウンへ行ってきます
ブルーが美しい空間
いよいよキラキラのクリスマス
サンタさんは来そうですか

子どもたちの笑い声が聞こえる
小さな命が日に日に大きくなって
泣いたり笑ったり
ずっと聞いていたい
何の戸惑いもない
澄んだ声を

シクラメンの季節になった
毎年欲しい色は変わる
今年は真っ白で花びらが縮れた花を選んだ
真ん中にちょっと薄ピンク色も入っている
毎年選ぶのが楽しみ
こころの中が見えるような気がして

太陽がキラキラ輝いて
たくさんの恵みを与えてくれる
古代は神様としても崇められた
それくらい大切
私にとって周りの人たちは誰でも太陽
そうでないひともいるかな
ほんのちょっとだけど
皆様いつもありがとうございます

今年も50日を切りました
あっという間の一年でした
やり残したことを後少し頑張ります
振り返れば笑顔の日が多かった
幸せな2018年になりそうです




『ひるがの高原』

 

秋の一日
時間が急に空いたので
紅葉の上高地へ行ってみようかとふと思った
出発まで1週間ほどしかなかったが
JTBのバスツアーが一席だけ空いていた

自分の車ではなくバスで行くのは初めて
車で行ってもマイカー規制で
年間を通じて上高地へのマイカーでの乗り入れは一切禁止されている
マイカーで行く場合は
手前の沢渡周辺のいくつかある駐車場のいずれかに止めて
路線バスに乗り換えて行く
バスツアーであればそのままバスに乗って
河童橋に近いバスターミナルまで直で行くことができるから
ある意味一番安心安全な交通手段かもしれない

バスは名古屋から東海北陸道に乗って向かい
途中岐阜県のひるがの高原SAで休憩を取った
ひるがの高原ではたかすファーマーズが
ひるがの高原牛乳やヨーグルト、チーズ類、
様々な季節の材料を使ったプリンなどを販売している
1リットル牛乳の販売ルートは広範囲で
岐阜県はもちろんのこと愛知県内名古屋市や
尾張地区の多くのスーパーに置いてあるローカルブランド
牛乳パックのパッケージには
牛が草原で草を食べている姿が描かれている
白地に緑色の画が印象的
明治や森永などのブランド牛乳より若干お値打ちで
生協でも生協牛乳の横にいつも並んでいる
その牛乳を使ったコーヒー牛乳は甘さも控えめで美味しい
名前もおしゃれにヒルガニアン珈琲と言う

ひるがの高原は
日本三大清流のひとつ長良川が流れている岐阜県郡上市にあって
標高も1000メートルのため夏でも涼しく過ごしやすい
郡上=良質な水は中部圏の多くの人に知られている

今回初めて知ったのは
「カンコワイヨット」という
日本初のチーズソースの製造販売を始めたということ
夏も涼しく人にも牛にも優しい天然水が牧草を育て
それを食べている乳牛
その牛から絞り出した良質な生乳から
生クリームを取り出した後に残る脱脂乳を原料に作られた
固まっていないチーズ
低脂肪、高タンパクで低脂肪に関しては超が付くほどの逸品
日本ではここだけでしか製造販売をしていない
製造方法も
本場であるフランスから伝統的な方法を取り入れ実践している

トロトロの液状チーズなので
サラダにそのままかけて食べると質の良さが一番わかる
もちろん白ワインなどを混ぜてチーズフォンデュにしてもいい
少し温めてほくほくの蒸したジャガイモにかけて食べると
じゃがバターとはまた違ったジャガイモの味が楽しめる
聞き慣れない名前なので覚えるしかない
トロトロチーズの「カンコワイヨット」と

チーズの種類は他にもひょうたんのような形をした
サッと焼いて食べるのが一番美味しいカチョカヴァロや
カマンベールチーズ
ひるがの高原に自生している山桜のチップで燻したスモークチーズ
子どもたちも大好きなさけるチーズがある
さけるチーズの味噌味は意外にもいけるが売っていないときもある

スイーツも人気でミルクプリン、焼きプリンなど
様々なプリンやケーキがある
人気なのは季節の材料を使った味が何種類かあるプリン
容器も可愛らしい
今回はかぼちゃをたっぷり使ったバンプキンプリンを購入した
サービスエリアのオープン冷蔵庫の半分くらいが
色々な味のプリンで占拠されていた

そのほか半円形のリコッタチーズを使った口当たりの軽い
ズコットケーキ
新鮮な卵をたっぷり使った四角い形のキューブクーヘン
卵と生クリームで作られたミルキーなロールケーキ
ひるがの特製ヨーグルトを販売している
ひるがの高原牛乳を使ったミルクソフトクリームもさっぱりした甘さで
サービスエリアの一番人気
ここに立ち寄った際は必ず食べている

夏に来たときは建物の外で四つ葉のクローバーを何本かみつけた
幸せな風がこの日も爽やかに吹いていた
集合時間までに食べきれなかったソフトクリ-ムを手にバスへ
運転をしていないので
走っている間もじっくり味わって食べることができた
あと2時間ほどで上高地へ着く
どんな秋色の山や川が待っているか
河童橋横の五千尺ホテルのチーズケーキは売り切れていないか
もうすぐ会える素敵な時間に思いを馳せながら




上高地から見る紅葉で染まった山

MASAYO TACHIKAWA





ちょっとした生き方のアイデアが
明日を楽しみにしてくれる
わくわく感が止まらない
次は何をしようか
認められている実感があると
生きる価値をグンと引き上げてくれる

今日のこころのお天気はいかがですか
自分自身に問いかける
何もないときは
問いかけたりしないだろうから
こころの声に耳を傾けてみる
正直になる時間が必要なとき

何もかもが上手くいくと
ありがたみを忘れることも
挫折をしたくはないから
そんなときは気を引き締めて
一歩手前で乗り切りたい
運も味方に付けて

秋の桜コスモスの花が
そよそよと風に揺れている
流れに任せ
決して逆らわない
逆らうと
ポキッと折れてしまうから

今年もあと2ヶ月
クリスマスで盛り上がり
あっという間に新しい年を迎える
来年はどんな年にしましょうか
この頃
年を重ねていくことが
楽しみになっています

秋の京都
修学旅行生でいっぱい
夢を夢とも思っていない
今日明日元気に生きることができればいい
それすらも考えず笑っている
毎日が柔らかな時間

  ディズニーのリス
チップとデールの見分け方を初めて知った
鼻の色はもちろんのこと
髪の毛
目の開き方まで
アイデアいっぱい
ドリームランドのキャラクターたち

いつも行くところに高速道路ができ始めた
信号のない高速はありがたい
目的地がより近くなる
行動範囲も広くなる
行きたいところばかりの
小さな巨人の日本

人の知恵が便利さを生み生き易くする
生き易さがゆとりを生む
ゆとりが豊かさを育てる
幸せな毎日を
ありがとう




『北海道Ⅷ』

 

島武意海岸を出て
次の宿泊先千歳へ小樽から向かったときと同じ道を走ることにした
島武意海岸の駐車場から出ると
駐車待ちの渋滞の列は来たときより一段と長くなっていた

キラキラ光る海をチラチラと見ながら
しばらく走って余市の街に入った
余市に入るとドラマでも有名になった
ニッカウヰスキー余市蒸留所の看板が目立ちはじめた
時間もあったので急遽寄ることにした
駐車場は島武意海岸と違って比較的空いていた

車を停め案内を見ながら受付に向かって歩き出したが
なかなか受付に着かない
結局中の建物はほとんど見てしまう形でやっと受付へ着いた

有料施設ではないが何だか受付をしないと悪いかなと思って並んだ
そうしたらたまたまキャンセルが出たらしく
「ガイド付きの見学ができますがどうしますか」と聞かれた
「ただ90分かかりますがお時間は大丈夫ですか」と
ひとつ返事でお願いをした

本来4日前までに事前受付をしての見学だが
キャンセルが出たから今回は参加できますが
これからは予約をしてくださいと念押しされた
見学をするならば説明を受けた方が勉強にもなるし楽しい
話を聞かなければどの建物もただのおしゃれな建築物で終わってしまう
ラッキーだった
おまけに見学開始時間まであと7分で待ち時間もほとんどなかった
見学の後にはウイスキー3種飲み比べも付いていた
車であることと元々ウイスキーが飲めないため
美味しそうなブラウン色のウイスキーはいただけないが
好きな人にとっては嬉しい企画だと思った

ツアー開始
まだ入りたてだというガイドさんが
ゆっくりと丁寧に建物に入りながら中の説明をしてくれた
乾燥棟(キルン棟)に始まり、発酵棟、蒸留棟と見学をしていき
旧竹鶴邸を見てウイスキー博物館へ
博物館ではウイスキーに関する知識を学ぶことができる

入口を入ってすぐに銅製のポットスチルがお出迎え
一瞬ポットの大きさに驚くが
艶々に光った銅板の鮮やかさにも目を奪われる
上下の音の違いを触って確かめてと言われたので軽く叩いてみた
上の方と下の方では音が違う
銅板の厚みがかなり異なっているからだそうだ
いずれも独特の鈍い優しい音がした

ポットスチルの横には
ブレンドの達人と言われる赤い帽子を被った
お髭でおなじみの「キング・オブ・ブレンダーズ」が
ステンドグラス調に光を浴びて笑っている
この顔=ウイスキー
一説にはキングは竹鶴本人だと言われているそう

博物館のすぐ横にあるニッカ館では創業者竹鶴の生涯を紹介していて
NHKの連ドラで使われていた衣装も展示されている
ニッカ館には貴重な第一号ニッカウイスキーが
ガラスケースに入って鎮座している
年々樽で熟成中に原酒が減っていくことを
天使の分け前
エンジェルズシェアと言う
誰も汲んだり飲んだりしていないのに
熟成しながら減っていく様子を美しい言葉で表している

竹鶴はウイスキー作りに生涯を掛けた日本のウイスキーの父である
余市は大正時代のニッカウイスキー誕生の地
スコットランドに渡り製造方法を持ち帰った竹鶴
二冊のノートをしっかりと握りしめて
後の英国首相が
「万年筆一本で
我が国のウイスキーの秘密を盗んでいった青年がいた」と
竹鶴についてユーモアを交えながら語っている
そして妻となるリタと運命的な出会いも果たし
今度は二人で日本へ帰ることとなる

1920年いよいよ日本へ意気揚々と戻った竹鶴
しかし世の中は第一次世界大戦後の恐慌に苦しんでいた
日本での願いもなかなか叶わずいたところ
後にサントリーとなる壽屋の鳥井が竹鶴を尋ねてきた
鳥井もかねてからウイスキーに目を付けていた一人である
お互いの思いが一致して
その後6年間竹鶴は鳥井の元で
日本でのウイスキー作りに没頭することとなる
そして1929年
日本で第一号となった「サントリーウイスキー白札」が誕生する

その後さらに理想のウイスキー作りを目指して
拠点を北海道の余市に移し
初めはリンゴジュースを製造しながら
ウイスキーの原酒を造り続けていった
時が流れ
天使の分け前が程よくなった頃
1940年念願の「ニッカウヰスキー」が誕生することとなる
その第一号の一本が今
ニッカ館で展示をされている
貴重なためお金には換算できないそうだ

竹鶴とウイスキーとの出会い
今はその努力が大きくなって日本ならずとも世界中で羽ばたいている
たったひとりの思いと二冊のノートが大きな柱となって
見習わなければならない姿である
行って良かった
行けて良かった




北海道 余市 ニッカウヰスキー リタハウス

MASAYO TACHIKAWA





人のために過ごした時間は
後からも喜びを与えてくれる
役に立てる
立っている
その実感が
生きる楽しみを大きくしてくれます

時の流れは止められない
立ち止まってやり直すことを考える
そんな時間があったなら
さっさと進もう
そう思える今は
幸せだからでしょうか

幸せな時間はあっという間に過ぎる
もっとゆっくりと思っても
少しもスピードを緩めてくれない
だからまたそんな時間が訪れるよう
足を地に着けて
頑張れる

優しい言葉は
人を強くも弱くもする
優し過ぎると何も考えず生きられるから
風が吹くと
しなってしまう
ほどほどの優しさが一番いいかも

歴史は生きるための勉強にもなる
先人が繰り返してきたことを学びとして
行く先を読むことができる
尊い体験を見せてくださって
ありがとうございます

あなたのことが気になって
ずっと見ています
告白をせず
ずっと見つめています
いつかは気付いてくれるときが
来て欲しいような
欲しくないような
想っているだけでいい人です

目が笑っていない
テレビを観ていてそう思うことがある
愛想笑いは時に人を傷つける
怒った顔よりは良いけれど
深い意味があるようで
逆に怖いときが

京都へ行ってきました
海外の人が多くて
ここはどこの国だろうと思うことも
人気の空間は世界共通
人を呼び寄せる
強い力を持っている

スペインの生ハムはとても美味
美味しいものは
こころも和ませてくれる
生ハムのような美味しい人になれるよう
日々熟成をしていきます




『北海道Ⅶ』

 

3日目の朝
目が覚めたら海の方がオレンジ色に輝いていた
もしかして朝陽が昇る瞬間が見られるかも
部屋からはちょうど細長い建物が邪魔して
オレンジ色の一番光が強いところが見えない
これは猛ダッシュしかない
ホテルから海までは走れば1分半位
部屋を飛び出しカメラを持って走った
当たり
水平線からは少し上がってしまっていて少々遅かったが
小樽の朝陽を見ることができた
美しいオレンジ色だった

その後はあまり人のいない小樽運河をゆっくりと歩いて
朝の清々しい空気を目一杯身体に取り込んだ
人気観光地である小樽運河
人のいない静かな小樽運河にはなかなか出会えない
幾分か値段は張ったが宿泊先をここにして良かったと再び思った

ホテルに戻り朝食を
朝食は北海道の食材を使ったバイキングだった
いくらの醤油漬けも食べ放題
できれば生のいくらが良かったが贅沢は言っていられない
お腹いっぱいいただいて出発
次の目的地は積丹
そこで食べられる生うに丼
小樽からひたすら一本道を積丹岬へ向かって走った
所々で海を見ながら

一番の目的のお店は道道913号線沿いにある
浜料理が美味しいお食事処
そこで出される生うに丼は絶品らしい
数日前テレビでも放送をしていた
今年はウニが不漁だと
目的のお店は遠くからすぐにわかった
お店の前に人が溢れかえっていたから
駐車場も満車で入れない
運良くちょうど出る車がいて駐車場にはすぐ入る事ができた

覚悟をして行ったが
お店の前に置いてある順番待ちの名前を書く用紙は
既に4ページ目になっていて
食べられるのがいつになるかわからない状態だったが
ここまで来て引くことは考えない
お店の前の小さな石に座って待つことにした

何十分待ったことだろう
やっと名前が呼ばれお店の中に
まずは食券を購入するよう言われた
一番上の一番角にある生うに丼のチケットを購入
しばらくすると二人掛けのテーブルの片付けが終わりやっと通された
6割位の人が生うに丼を注文
次は海鮮丼だった
うに丼もすぐには出てこなかったが
やっと白味噌のお味噌汁と共に登場
まず色がきれいなことに驚いた

ピカピカのオレンジ色
パックで売っているものとは違う
そしていよいよ実食
「エッ?」
クリームをなめているみたい
塩味もしないし臭みなんて全くない
これが本当のうにの味なんだ
こころから感動をした
食べ終わってお店を出た
外はまだまだお客さんでいっぱいだった
いったい一日に何個のうにをむいているのだろう
本当に美味しかった

食事の後はお店から5分位の島武意海岸へ向かった
本線から左折
曲がってすぐに車が連なって渋滞
駐車場へ入るのに少し待った
パンフレットを見る限りとても綺麗なところ
やっと駐車場へ入る事が出来
車を停めて看板の矢印通り歩いた

トンネルを抜けて海岸が見渡せる場所へ
視界が開けた瞬間
凄い
素晴らしい
感動でこころが両手を広げたのを今でもはっきり覚えている
それほど美しかった
積丹ブルーと言われる真っ青な海は何色にも変化して
同じ青色でも場所によって全く違う
ハワイの海に近い青色が広がっていた
海岸では泳いでいる人やバーベキューをしている人
テントを張ってのんびりしている人など
思い思いにその空間を楽しんでいた

展望台から海岸まではかなり階段を降りなければならないが
多くの人がチャレンジをしていた
下るということはまた上らなければならない
近くへ行くとあの美しい青色は逆に見えなくなるだろうと思い
途中の一番いい場所で立ち止まり
素晴らしい空気を目とこころで楽しんだ

島武意海岸は日本の渚百選にも選ばれているそう
とにかく海の色が美しかった
ずっと見ていたらハワイのハナウマ湾をふと思い出した
北海道へ行ったら必ずまた行きたい場所のひとつとなった
それくらい感動をした

たまたまウニ目当てで行ったのだが
それ以上に素晴らしい宝物を手にした感じがする
感動を片隅に残し
今度は一時期話題になっていた
ニッカウヰスキー余市蒸留所へ向かうことにした




北海道 島武意海岸

MASAYO TACHIKAWA





ともに時を共有できる幸せ
ただ一緒にいられればいい
そんな時間が少しでも長く続きますように
思いやりを持って
これからもずっと
ずっと一緒にいてください

手を差し伸べてくれる人がいる
だから強く生きられる
笑って生きられる
毎日ありがとう
頬の横を吹いていく風にも
感謝です

あなたのちょっとした微笑みが
どれだけ支えになっているでしょう
それを見たくて
あと一歩
あと一歩と頑張れます

黙って時を送る空間が
心地いい
何もせず
何も考えず
ただ流れる時間
優しい時間が過ぎていく

赤い花は力をくれる
ピンク色の花は優しさを教えてくれる
白い花はゆとりを
青い花は願いを
それぞれが生きている意味を持っている
人も花も同じ

優しい雨が
葉っぱの上の埃を洗い流してくれる
雨には雨の
雪には雪の役割が
わたしにも
あなたにも

何度倒れかけたでしょう
倒れるのが悔しくて
地面に両手を着かず過ごして来ました
これからもそうしていきます
転びかけたら
誰かに手を引っ張てもらいながら

クリスマスはどこで過ごそうか
この時期は
どこもかしこもキラキラしている
どこにいても
自分さえも光っている気がする
キラキラと

富士山に雪が被った
暑い夏とつい最近まで
うまく付き合ってきたのに
大切な時間も
あっという間に過ぎていく
大事にしよう
していこう




『北海道Ⅵ』

 

念願だった富良野のラベンダーとの対面が叶い
透き通った紫色のラベンダーゼリーとラベンダープリンを買って
次の宿泊先小樽へと向かった
富良野から小樽へは三笠インターで高速に乗って
道央自動車道と札幌自動車道を走ると一番早く行ける
富良野から三笠インターまでには立ち寄りたいところがたくさんあった

まずはふらのワインの直売所
ここにもラベンダー畑があり
想いが叶ったラベンダー畑への名残惜しい気持ちを再度慰めてくれた
ここではワインの製造工程は見られないが
保存してある古いワインや大きなワイン樽をお店の地下で見られる
暑い日だったが階段を一段一段降りると徐々に気温が下がっていき
倉庫に入った瞬間
ワインを貯蔵するための独特な湿気と匂いを強く感じる
とても涼しかった

数分間の見学を終えて上に上がると試飲会場
可愛いサイズのワイン樽が3樽置いてある
2樽は赤と白のワイン
もう1樽は100%葡萄ジュース
この葡萄ジュースがコクのある葡萄を食べているようで
本当に美味しかった
暑さでバテかけていた身体とこころをすっかり癒やし
元気にしてくれた

そして次に向かったのがカンパ-ナ六花亭
帯広に本店があるあの有名なお菓子の支店
普段よく見るお菓子はもちろん
六花亭を象徴するあのお花の包装紙の絵をモチーフにしたグッツや
マイセンのバターサンドの柄のグッツもたくさん置いてあった
松坂屋や高島屋の北海道展では絶対に見られないものばかり
嬉しくなって色々買い込んだ
ポイントカードも勧められて作った
再び来る気満々の自分がいることに気付いた

販売店の他
軽食やソフトクリームがいただけるコーナーもあって
珈琲は誰でも飲めるようになっている
建物は全面ガラス張りになっていて
2万4千坪の自社の葡萄畑が周りを取り囲んでいる
少し高台にあるため十勝連峰が目の前に広がって景色もいい
出来ることならばもう少しここのテラスでゆっくりしたかった
着いたとき
ちょうど0分ジャストだったため
葡萄畑の中に立っている銀色の鐘楼が
いい音色を奏でて出向かえてくれた
そこを出てからは三笠インターへ向かい山道をひたすら走った

高速に乗り札幌自動車道の最終地点小樽インターを出てすぐに
今度はどこも立ち寄らず小樽運河横のホテルへ向かった
市内に入ると何だか人々がざわざわしている感じが伝わってきた
そのざわざわのもとは小樽運河の近くで年に一度行われる
「おたる潮まつり」だった
駐車所が満車になるといけないので
早めにホテルに向かったのは大正解だった

ホテルに荷物を置いて早速小樽の街をぶらり歩くことにした
久しぶりに小樽に来たが
本線の一本奥の道はより華やかになり
以前と様子が変わっていた
目指したのはルタオの本店
天井の高いおしゃれなお店
混んでいたので買ったものはそこでいただかずホテルへ持ち帰った
食べたかったプリンは最後の1個
ラッキーだった
北一ガラスにも入ってみた
変わらずお店のまん中に真っ黒のベネチアのゴンドラが浮いていた
その後小樽の美味しいお寿司をいただこうと寿司屋通りを何周も歩いて
やっと選んだお店で海鮮丼の夕食を食べた
あんなに選んだ割には?だった

折角なので潮まつりを見に行った
花火は是非見るべきとホテルの方が言ってみえたので
開始時間には少し早かったが
海岸沿いの特等席に座って花火を待つことにした
近くの人の会話の中で
「夜になったのにまだ地面が熱い」の一言が耳に入ってきた
名古屋の夏は昼間はもちろん夜だってアスファルトは熱いもの
北海道の人にとっては
これが当たり前ではないのだと新鮮な情報を手にした
今年は北海道も異常気象で今年に限ってこんなに熱いのだと知った
確かに北海道というのにあまり名古屋と変わらない暑い毎日だった

定刻通り花火が海から上がった
目の前で上がる花火は大きい
昨年は同じ日に徳川家ゆかりの岡崎の花火を見ていた
小樽で同日に花火が見られるとは思っていなかった
川で見る花火も素敵だが海で見る花火は趣も変わって素晴らしかった
そして一番驚いたのがイカとタコの花火が上がったこと
足も有り色も一目でイカとタコだとわかる
周りの人たちから「イカだぁ~」「タコだぁ~」と一斉に声が上がり
これは感動だった
さすが海を意識した潮まつり
ホテルを小樽運河の見えるホテルにして良かったと思った

次の日は海鮮丼のリベンジで
積丹海岸の方へ向かって新鮮なウニを食べに行こうと考えながら
まだまだ続いているお祭りの音をBGMにして眠った
今日も一日充実していい日になったと思いながらぐっすり




早朝の小樽運河

MASAYO TACHIKAWA





たくさんの人に愛されている人は強い
それはその人も相手を思っているから
打算のない人のまわりは
限りなく澄んでいる
そう生きられれば
少しでも
頭ではいつもそう思う

笑い声を聞くと力が湧く
笑うことができるのは
こころにゆとりがあるから
狭い心の中に
笑顔は生まれない

人間らしい部分とそうでない部分が
自分の中で戦うことがある
カツオくんの頭の上に出てくる
真っ黒の悪魔と真っ白の天使のように
どちらが勝つかは
もちろん自分次第

何がそんなに
あなたを強くしているのですか
聞いても真似は出来ないけれど
まずは自分に勝つことから
始めよう

挫けそうになっても頑張れる
それは大きな支えがあるから
目には見えない太い支柱
見えないから頑張れる
見えていたら
きっと頼ってしまう

虫の声がこころ和ませる
そんな存在になれたら嬉しい
そう思いながら
トゲも毒も出る
いつ涸れるかな
まだまだかな

愚痴を言いたくなることがある
思うようになることの方が少ないと思えば
楽になる
後ろを向かないで
たまには振り返って
一歩二歩

鳥羽の海が朝陽で照らされている
今からお伊勢さん
繰り返すことの大切さが伝わってくる場所
感謝の気持ちで
伺います

こころの声がつい出る
しあわせ
しあわせとずっと言っていればいい
頭でわかっても人間だから
逆の言葉も出る
仕方ない
今日もありがとう
毎日しあわせです




『北海道Ⅴ』

 

憧れに憧れた満開のラベンダー畑
いよいよご対面
十勝岳温泉の宿を出て壱の一番
お昼近くになると駐車場も混むであろうから
まずはファーム富田へ向かった
宿から山道を下るときにもまだ雲海は残っていて
天国から下界へ下りる神様の気分すらした
走るにつれ段々雲の絨毯が近づいてくる
道路は雲に向かって一直線に突っ込んでいた

新千歳空港から十勝岳温泉へ向かうときすでに真っ暗だったが
道路脇にラベンダーがずっと長い距離植えてあり
薄ら光る紫色に迎えられ
いよいよ一番来たかったこの時期に富良野へ来ることができたと
改めて思いが込み上げワクワクした
夜が明けその道を今度は明るい時間に下る
これでもかという位
長い間ラベンダーが道路脇で「いらっしゃい」と向かえてくれた

いよいよファームの駐車場へ到着
早い時間だったが既にほぼ満車だった
車を降りて背の高い生け垣の間から畑へ入場
6月はまだまだだったラベンダー
今日はどう?
咲いている!
満開!
一面紫色一色
やっと出逢えた
ただただ感動
前回満開であった色とりどりのお花は植え替えられ
違うお花に変わっていた
どこを見てもラベンダー
ラベンダーも色々な種類があって
畑により咲き具合や紫色の色が違っている
数々の畑の中を思う存分写真を撮りながら歩いた

そろそろ休憩をしようかと
ポプリや香水やソフトクリームを売っている舎に目を向けたら
何と山の斜面にもラベンダー畑が
そこは正に行った日がベスト
紫色が一段と輝いている
いい日に当たったと思った
他の畑より紫が濃く隙間が全くない状態
ぎっしり咲いていた
「綺麗!」思わず声を上げてしまった
背景には真っ直ぐ伸びたポプラの木々
北海道のパンフレットそのものの景色がそこにあった
気持ちは一気に上がり来て良かったと
こころから思った何度目かの瞬間だった

この満開のラベンダーは「おかむらさき」という品種
1990年フランスで開催されたラベンダーオイル品評会で
一位を獲得した種類
やはりこころ惹かれたことが納得できた
念願叶って大満足
畑をぐるりと一周してポプリの舎に戻りラベンダーソフトを買った
十勝岳とお花畑を見ながら
テラスでラベンダー色の風に吹かれ至福の時を過ごした
ちょうど
摘んだばかりのラベンダーのエキスを抽出するタイミングにも出会い
工程の一部を見ることができた

ここで大満足をしてしまったため
七色のお花が丘を飾っている「彩りの畑」を見逃した
ファームを後にして
帰ってからパンフレットを見て気付いた
大きなポイントを見逃してしまったと

ファームのもう一つの畑
7月しかオープンしていない
十勝岳連峰や夕張山地をのぞめるラベンダーイーストにも向かったが
ナビでは着くことができず
日の出公園ラベンダー畑に行った
二カ所も見逃したので来年もう一度来てということかな
日の出公園もきれいだったが公共の公園という感じ
今回で全てを回りきってしまったら
再度行こうという気持ちにはあまりならなかっただろうからこれも縁
きっと同じルートになるがまた行こうと思っている

次の宿泊先小樽運河へ向かう前に産直市場のフラノマルシェへ寄った
ちょうどメロン農家さんが
収穫したばかりの富良野メロンを納品に来ていた
まだ陳列する前のかごに入っているメロン
一番大きいサイズを3個
農家さんに選んでいただいて自宅への配送をお願いした
他人が買っていると自分も欲しくなるもので
農家さんが持ってきていたメロンは
あっという間に目の前で全部売り切れてしまった
一回目に行ったとき買った夕張メロンとは甘さの質が違うが
同じオレンジ色の果肉は
帰ってからも北海道の空気と味を十分楽しませてくれた

マルシェを出て走っていると道路の脇に無人販売所がいくつもあった
どこで止まろうか迷うくらい
本州では台風の影響で高騰しているきゅうりやトマトもお値打ち
新鮮でシャキシャキな野菜がたくさん買えた
たくさん買うと当然荷物は重くなる
わかっていても
目の前にあれだけ新鮮な野菜が並んでいると手を出したくなる
今は車で走っているので乗せるだけだが
降りてからは自分の両腕の力で運ばなければならない
わかってる
でも
そう自問自答しながらズッキーニとトマトとキュウリをたんまり買った
メロンを送っておいて良かった

次回は富良野から小樽へ行くまでと
新鮮な捕りたてのウニ
小樽運河での出会いについてお話しします




北海道 富良野 満開のラベンダー畑

MASAYO TACHIKAWA





今日にありがとう
明日にありがとう
毎日ありがとう
ありがとうと言うと
気持ちがほっこりする
ありがとうに
ありがとう

誰かのために生きていると思うと
強くなれる
頑張れる
ひとは支えがあって
真っ直ぐ立っている
独りぼっちと思っているひとは
きっと勘違い

人生無駄はない
思っていても
たまに気持ちが外れていくときがある
そんな時は一休み
ゆっくり休んで
自分を取り戻し
また一歩

流れに乗れば
必ず何かが見えてくる
すべきことが
たくさん待っている
やらなければならないこと
自分にしか出来ないことが

太陽がキラキラと光って
何かの合図を送ってくれている
あなたも一緒に輝きましょうと
あなたのことを思っているひとも
その煌めきを待っているはずだから

生きるって素晴らしい
そう思うと気持ちが楽になる
下を向いていると
見えるものも見えない
顔を上げて

夏休みが終わって
次は冬休み
今度はどこへ行こうか
地球は広い
行くところはいっぱいある
一生かかっても回りきれない

見上げると
いつも輝いている数々の星
長い間一人旅をして
やっと私たちの目に届く
その間ずっと
何を思っているのだろう

意味なく生きているひとはいない
使命の言葉は大げさだけれど
必ずどこかでお役に立っている
わからなければ聞いてみよう
信頼のできるひとに
そう言われて
そういうひとが一人でも浮かべば
それで意味は成している




『北海道Ⅳ』

 

北海道の写真と言えば紫の絨毯
一面のラベンダー畑を目にすることが多い
この頃は先回書いた美瑛白金の青い池も増えてきた
ずっと一度は満開のラベンダー畑を直接この目で見たいと思っていた
何年思っていることだろう
富良野に行ったことは何回かあるが
ラベンダーが満開なときには一度も出会えていない
ベストシーズンの7月の中旬から下旬にかけては
来られない事情がいくつかあったから

そして今回
6月中旬に早ければ出会えると思いマイルを使って来てみた
今年の春は花の咲くタイミングが例年より早く
桜で有名な長野県の高遠は花目当てのツアーが全敗
満開の予定だった週
桜の花はすっかり終わり葉桜となって正に全滅だった
困ったのは添乗員
お客様からの苦情を少しでも和らげようと個々に工夫を懲らし
かなり四苦八苦したそうだ
参加している方も自然相手のことだとわかっている
でもつい愚痴を言いたくなる
私は開花が早かったおかげで
富士山と五重塔と満開の桜の
素晴らしい景色をちょうどいいタイミングで見ることができた
外国人が一番見たい日本の桜の風景だそう

結局一回目に行った6月中旬
ラベンダー開花時期は例年通りで咲き始めたばかり
ほとんど咲いていなかった
宿泊先で出会ったリピーターの人からも行く前から
「一週間早かったね」と言われた

咲いていたのは温室で育てている一握りのラベンダーだけだった
温室で咲いているお花は
自然光で撮るものとは光の当たり具合が違うため
なかなかいい色には写らない
若干お花も終わりかけて
きれいな花を選んで接写で撮るしかなかった
外の花は咲いていても緑の茎に蕾ばかり
全体で撮ると空間が多くぼやけたものになり
これも接写で写すしかなかった
でもラベンダー以外の花は満開
赤や黄色や白など様々な色の花が線を描くように植えてあり
それもそれでとても綺麗だった
六花亭の包装紙の絵にもあるハマナスの濃いピンク色のお花は
いい香りを漂わせたくさん咲いていた
色々な他のラベンダー畑も回ったが
やはり咲き始めばかりで満開のところはどこにもなかった
今回も駄目だったかと思い
ラベンダーとカルピス味のゼリーをいただいているとき
もう一度マイルで来ればいいと閃いた
家に帰って新たな北海道行きの便を取った

7月下旬にラベンダー畑へ再チャレンジ
前回と同じく午後の便でセントレアから千歳空港へ向かい
お気に入りの宿の一つとなった
標高1280メートルにある十勝岳温泉にレンタカーで向かった
そのときひとつラッキーなことがあった

千歳空港から十勝岳へ向かうには
千歳から占冠まで道東自動車道を走る
高速道路を通らないと
通っても3時間近くかかるものが5時間以上かかってしまう
千歳に着いたのがすでに午後の7時半だったので
一般道を通るなど考えもしない
そんな中の出来事
何とその日は通る予定の夕張と占冠の間が
午後8時から工事のため通行止めになる
その電光掲示板が高速に乗ってすぐ目に飛び込んできた
「エッ!」
驚くしかなかった
千歳から夕張まで前回は帰り道だったが
30分近くかかったのを覚えていた
乗った時間がすでに7時40分を超えていた
焦ったが行くしかない
そんなときに限って前の車はゆっくり走って
ほとんどが一車線である道東自動車道では抜くこともできない
一瞬二車線になるところで一気に抜いた
一応間に合わず夕張で下りて一般道で行く想定を頭の中でしてみたが
到着時間を考えるとゾッとする
知っていれば宿泊先も考えたのにと
色々考えながらただひたすら走った
自分の車ではないのでカーナビの見方や時計さえもわかりにくい
いつものように目を数秒配っただけで判断するのも難しく
ただただ走った
行くにつれ段々夕張の文字の数が増えてきたが
数分の差なので最後までわからない
時計は刻々と8時を目指し進んでいる
ドキドキ
あと夕張まで2キロが見えてきた

7時58分
やった通過できる
結局1分前に夕張インターを通過できた
インター出口車線では通行止めのための大きなゲートが
高速道路上へと運び込まれていた

何かまたいいことがある
そんな気がした
明日は満開の紫一色のラベンダー畑が待っている
やっと会える
念願の景色に




富良野 満開のチャイブの花

MASAYO TACHIKAWA





好きなことを続けられることに感謝
している最中は夢中だから
気付かないけれど
時間の重なりが結果を導いてくれる
どんなときも前を向いて
やりきろう

幸せは逃げては行くのではなく
自分で追っ払っているのだと思う
それを横から誰かがキャッチ
あっという間に人のものに
悔しい思いをしないよう
ギュッと握りしめて

道は果てしない
先が見えない
そんなときは一休み
立ち止まってじっと見つめていると
見えなかったものも
見えてくる

逆風は人を強くする
向かわず背を向けてばかりだと
逃げる自分しか想像できなくなる
背を向ける前に
手段を考えよう

暑い夏
ぐでたまのように毎日過ごすと
数日後には溶けてなくなりそう
それか目玉焼きになってるかも
食べられる前に
せっせと働こう

太平洋側の海岸線を台湾へ向かって飛んだ
もちろん飛行機で
地図のままの景色がずっと続く
何だか生きている実感がした
今誰よりも
じっと地球を見つめている自分を
感じた

富良野の満開のラベンダー畑に
やっと出逢えた
何年越しだろう
想像以上に綺麗だった
願いは叶う
小さな事も
そして大きな大きな願いも

どんな人気者も
時間が過ぎれば過去の人
あのときはと言われぬよう
細く長く
ひとのこころに生き続けられるよう
頑張ろう

大きくなったら何になりたい
聞かれても答えられなかった
なりたいものがなかったから
でも今ははっきりと答えられる
なりたいものをみつけた
今だから出来る
やっとなりたいものがわかった




『北海道Ⅲ』

 

真っ茶色の温泉に朝の景色を見ながらドブッと浸かり
さっぱりとした気持ちで十勝岳温泉を出発
そこから今北海道で人気上昇中の観光スポットと言われる
美瑛市街からも近い美瑛川の中流にある白金の青い池へ向かった
十勝岳温泉からはそんなに遠くない
車もほとんど通っていない山の道路を白金に向かってスイスイ
道の両側には妖精やトトロが傘にしていそうな
真ん丸な葉っぱそして茎が大根ほど太い大きなふきが
美味しそうにぎっしりと生えていた

山道を下りきり看板を頼りに青い池の駐車場に到着
車を降りて数分
写真で見たままの景色が見え始めてきた
水が青い
それも人工的な緑がかった白っぽい青
入浴剤を入れたよう

青い池は昭和63年に十勝岳が噴火をしたとき
その火山泥の流れを防ぐために美瑛川には堰堤が作られた
その際
造っていく過程でできたのがいくつかの人造池
その一つがこの青い池

白金温泉には十勝岳が源流の白ひげの滝がある
雨が降り山に吸収された水分が時間をかけて地下水となり
地上に出てくる
その流れが滝になり
ここでは滝の壁面に含まれるアルミニウムが混ざり
美瑛川に流れ込んでいる
青い池はその水が他の川と合流し
その川の硫黄分と石灰分が混ざり合い
川底の石などを白くし
そして太陽の光と出会って美しい作品として出来上がっている
美瑛川はブルーリバーとも呼ばれ
白ひげの滝の滝壺などは特に深いため独特の青色をしている
それを橋の上から眺めることが出来
深さによって変化する水の色は不思議
見る角度によっても変わり美しい景色を保っている

青い池には
トドマツや白樺などが立ち枯れた状態でたくさん立っていて
それらの木々が池の姿をより趣のあるものにしている
この池はしばらく誰の目にも留まらず触れられず
静かな時が流れていたが
富良野に住んでいるカメラマンがみつけ写真集に載せたところ
あっという間に口コミで広がり今に至っている
駐車場も決して整備されたものでなく
そこからも最近になって名が知れたことを物語っている

この景色を見て長野県の上高地の大正池を思い出した
大正池の水は透明で青い池のようなコバルトブルーではないが
立ち枯れの木がたくさん立っている幻想的な姿は似ている
大正池は池と呼ばれる通り池として流れもなく
清らかな水が静かに溜まっていたが
ある年の大雨で堰き止められていた部分が崩壊し
川のようになってしまった
その時立ち枯れた木も多くが流され本数も少なくなり
情緒は保たれているが
焼岳とのコントラストは若干バランスを崩すこととなった

青い池の形は川のようにくねって細長い形で崩れることなく残っている
季節によって水の色も変化をして表情も大きく変わる
確かに神秘的で人気になるのはわかる
池の横には遊歩道のように歩きやすい道が出来ていて
見る方向によって池の色の変化も楽しめる

写真を色々な方向からたくさん撮り
次の目的地
富良野のラベンダー畑に向かった
いよいよ長年楽しみにしていた満開のラベンダーとの出会い
わくわく感が高まっていくのを感じながら緑一面の畑の中を走った
いよいよ




美瑛 白金 青い池

MASAYO TACHIKAWA





この場に居られる幸せ
自分で選んだ場所
導かれて足を向けた
何かに惹かれ
手に入れたもの
とても大きな

たった一言で救われる
何気ない一言が大きくなり
頑丈な支えとなる
その発信は
どれもこれも
自分で選んだもの
責任を持って最後まで

ふと気付くと笑顔が溢れている
同じ空間で
同じ時を過ごせること
一歩引いて見つめています
陰ながら守ることができる喜びを感じながら
ずっと見つめています

見ているだけで
見られるだけで
ただそれだけでいい
ずっとそう思っていた
今もそう思っている
これからもずっと

類は友を呼ぶ
これに例外はない
首を傾げたくなる人が近くに居たならば
改めて自分を見つめ直し
少しでも改善を
鏡にならぬよう

今年は暑い夏として
気温の最高記録が出ている
地球は確実に温まっている
大事にしての現象ならば
いつか解決はするだろう
けれど
そうでないから厄介
まだまだ暑くなりそう
大切な地球

月の灯りは
ひとのこころを柔らかくしてくれる
優しい光が
焦る気持ちを抑えてくれる
形も毎日変わって
人生も同じ

眉間のしわが深くなると要注意
不満がしわを育てる
気付くとしかめっ面
ほら鏡を見て
彫りが深いのは素敵だけれど
眉間のしわの深さは
いただけない

今日もご苦労様でした
何も起こらず
元気に一日の終わりを迎えられ
何よりです
さあ明日また頑張ろう
明後日もまた




『北海道Ⅱ』

 

ずっと行きたかったラベンダーが満開の時の富良野
そこからほど近い十勝岳温泉を北海道一日目の宿とした
湯元である標高1280メートルにある今回泊まった宿は
昭和35年十勝岳の地図を作るために測量に来ていた人が
安政火山の火口入口の雪が溶けて温水になっていたことに気付き
翌年湧き続ける湯元を発見した
それから温泉掘削をすることになり
ボーリングを始めて3ヶ月後43度のお湯が湧き出て
温泉宿の建設をすることになっていった

そのころはまだきちんとした道路もなく
資材は全て人と馬で山道をせっせと運んだ
今ではあまり考えられないが
その後上富良野の自衛隊の力を大いに借りて
今の道路の前進となる道づくりが宿の建設と共に進んでいった

そうして源泉が発見されてから約3年後に
今度は行政からも本格的に力を貸り
宿まで続く舗装された道路が整備されていった
そして昭和38年7月念願の温泉宿開業
赤土の泥を溶かしたような真っ茶色のお湯が
湯気の中に広がっている風景はこの日から誰でも楽しめるようになった

開業までの歴史を知ると
湯船にある大きな岩は今もお風呂の一部になっていい味を出しているが
その時に大きな機械を山の上に上げることは不可能だったため
巨大な岩を動かさず景色の一部として残すことにしたかもしれないと
改めて思った
今度行ったとき宿の人に聞いてみようと思う

泉質は色を見てわかるように鉄分を含む硫酸塩泉
効能は関節痛、筋肉痛、神経痛、疲労回復
慢性皮膚炎、うちみ、冷え性など
朝8時から夜の8時までは日帰り入浴もできる
登山口がすぐのところにあるため
行った日も朝の8時過ぎにたくさんの登山者であろう人たちが
嬉しそうにお風呂に入ってきた
無音だった景色は一転した

お風呂は毎日決まった時間に男女入れ替わりとなり
どちらのお風呂も楽しめる
もちろん景色も変わるが
特に露天風呂の形状がかなり変わるため両方味わえて満足感も高い
お湯もぬるめで景色を見ながら何も考えず
鳥のさえずりを聴きながら長い時間入っていられる
このときは鶯がいい声で鳴いていた
標高1300メートルまでしか建ててはいけないと規制があったけれど
「1280メートルでギリギリ建てることができた」と
宿の方が自慢したくなるのもわかる気がする

二日目朝
目が覚めてお風呂へ入ろうとベットから立ち上がったところ
窓の外では〝ビックリすることが起きていた″のビックリとは何か
それは何と窓の外に雲海が一面限りなく広がっていたのだ
山と山の間に
夜はとにかく
もくもくと山を上がってきたので
雲海が見えるほど高いところへ上ってきた感覚はなかった
そのため余計驚いた
ここはこんなに高いところだったんだと早速外へ出た

外にはすでに三脚を立て写真を撮っているお年寄りが何人かみえた
「雲海が出るのがわかっていたのですか?」と尋ねたら
温度と湿度で今日は出るかなと思ってと
リーダーらしき人が答えてくれた
お風呂へ行こうと浴衣のままで出たため「寒くない?」と
ダウンをしっかり着込んでいるその人たちに何回も聞かれたが
全く寒さは感じなかった
まさかの狙わずの雲海との出会い
予期していなかった感動でからだも一瞬にして温まったのかもしれない

そういえば北海道内のどこかの星野リゾートから
雲海を見ながらテラスで珈琲を飲む写真を見たことを思い出した
もしかしてそれはこの辺りだったのかと思っていたら
宿に置いてあるパンフレットの中に
雲海の写真が載っている星野リゾートトマムのパンフレットがあった
やはりそこからそんなに遠くはなかった

雲海の写真は何枚撮ってもあまり写る景色は変わらないが
結局かなりの枚数を撮った
そうこうしている間に朝陽が山の上から昇り始め
場所を変えて朝陽の写真を撮った
撮っているときにカメラお婆様が
「お風呂からの景色もいいよ」と言ってくださったので
お風呂に入りに行くことにした

明るくなって初めてのお風呂予想通りのいい景色だった
北海道へ来て一回目の「来て良かった!」は
この十勝岳温泉に居る間ずっと続くこととなった



十勝岳温泉から見た雲海

MASAYO TACHIKAWA





優しい笑顔に出逢うと
こころが柔らかくなる
自分もそうでありたいと願う
逢えて嬉しい人に
逢って嬉しい人に

ありがとうの言葉は
相手が何気なく言っただけでも
耳障りがいい
気持ちが溶けていく
言い続けられるように
日頃から行いを

必要とされている幸せ
居てくれるだけでいい
そんな言葉を聞ける幸せ
ずっと一緒に居られますよう
人として頑張ります

日々があっという間に過ぎていく
流れが早いのは
毎日が充実しているから
たくさんの人たちに囲まれ
いい流れが出来ていく

オーシャンビューのレストラン
夕陽を見ながら乾杯
炭酸の泡がキラキラと光って
空へと上っていく
今のこの空間にも乾杯を
盛大に

ムーミンのミーの吊り上がった目には
深い意味がある
笑った顔も見たいけれど
ミーでなくなってしまう
本当は小さな小さな
繊細なこころの持ち主だから

何度聞いても温まる
こころが冷えない言葉
ずっとそんな言葉ばかり言い続けられたら
いいけれど
そうは行かない
生きるってそういうこと

表現することが得意な人とそうでない人
おべっかのひとつでも言えばいいのに
そんな人もいる
ただそんな人の言葉は
信頼度が高い

毎日の忙しさに後押しされ
気付いたらもう日が暮れていく
真っ赤に燃える夕陽
明日もよろしくお願いします
一休みしたら
また朝が来る




『北海道Ⅰ』

 

JALのマイル消化で北海道へ行った
セントレアからのJAL便
国内線は選択肢が少ない
セントレアから国内に飛んでいるのは
ほとんどがANA便
JALは東京か沖縄か北海道の三者一択
この中でどこかと強いて言えば北海道
東京は新幹線で行った方が早い
沖縄は一度行って
今後行くことを諦めた

北海道しかないなんて北海道には失礼であるが
日にちも3日間のみで
ハードなスケジュールになることは想像ができるから
若干心身共に負担になるだろうと覚悟をして出掛けることにした

一日目仕事を終えてセントレアへ直行
平日の夕方なのに意外に混んでいた
セントレアからの出発便
雲の下は曇り時々雨のお天気
行きに富士山を見ることはできなかったが
どこかの滑らかなカーブの海岸線と青い海を雲の間から見ることはできた

夜レンタカーを借りられるギリギリの時間に新千歳空港へ着いた
新車のようなピカピカの車で
道東自動車道を走って目的地の十勝岳温泉に向かった
二日目を有効に使うため
一番行きたかった富良野に近いホテルを探していたら
露天風呂が素晴らしい今回の十勝岳温泉の宿泊場所がみつかった
地図から見ると富良野には近い

前日にその宿泊先から電話をもらい
そこで宿は山の中で
かなり山を上がれなければならないことを初めて知った
確かに露天風呂からの景色は山が間近に見えていた
公共交通機関ではなくレンタカーで行くことにして良かったと
当日走ってみて改めてそれを実感した
「真っ暗な山道がくねくねとずっと続くから気をつけて来てくださいね」と
親切に前日の電話口から言葉を掛けてもらった

到着時間が遅いこともあって
真っ暗なのはもちろん
くねくねの上に霧も所々発生して道がどちらにあるのかさえも見えない
そんなところは歩くような速さでそろそろと走った
霧の中を抜けてやっと宿に到着
午後10時を過ぎていた
お風呂は電話で24時間入れると聞いていたので安心をしていた

山の中の宿らしくのんびりムードでチェックイン
私が予約していた部屋には既にお客様が入っていたようで
宿の女将さんは宿帳をじっと見たまましばらく固まっていた
そしてやっと一言「洋室でもいいですか」と
和室を予約してあったが私自身はどちらでもいい
「どちらでもいいですよ」と答えるしかなかった
やっとその洋室に通されすぐに着替えてお風呂へ向かった

赤土の泥を溶かしたような真っ茶色のお湯が湯気の中に広がっていた
湯船には地形を崩すことなく
大きな岩がドスンと転がってきたかのように
そのままオブジェとして活かされ
お風呂の一部になっていた
夜遅い時間に見るには初めは少々恐怖さえ感じた
それくらい大きな岩だった

部屋に通されたとき女将さんに「山を登るのが大変でした」と言ったら
心配するでもなく「ここは建てたとき温泉宿を作るのに
標高1300メートルまでしか建ててはいけないと規制があったけど
1280メートルでギリギリ建てることができた」と
日本でも有数な高い場所にある宿だと話してくれた
もちろん自慢の温泉だという意味で
露天風呂もあったけれど
夜の露天風呂は景色も見えずちょっと怖いので
大きな岩に見守られ内風呂でゆっくりした


目が覚めてお風呂へ入ろうとベットから立ち上がったところ
窓の外ではビックリすることが起きていた
久しぶりのビックリ
それは次回にお話しすることとして
楽しみにしていた露天風呂へ向かった

明るくなった露天風呂からの景色を見てまたビックリ
写真通りの素晴らしい景色が一面に広がっていた
ちょうどいい湯加減のお風呂
間近に見る残雪の残った山々
これ以上の旅の贅沢はないと感じ
感謝で手を合わせた

東京から来て数日間泊まっているという女性が
ここは何回も来ていて
何度来てもいいところと楽しそうに話してくれた
こころもからだも温まるホッとする時間を早朝より味わうことが出来た
北海道へ来て一回目の「来て良かった!」と思った瞬間だった



北海道十勝温泉 露天風呂からの景色

MASAYO TACHIKAWA





ずっと見守りたい人がいる幸せ
ずっと見守ってくれる人がいる幸せ
感謝の気持ちを胸に
言葉に代えてお花を贈ります
一輪の大きな薔薇の花を

子どもたちの声を聞くと元気になれる
純粋で濁りがない
これから
たくさんの経験が彼らを作っていく
ずっと元気でいてね

響きのいい言葉に励まされる
出逢えたことに運の強さを感じ
行動へ繋げられることに喜びを
自分を信じて
進んで行きましょう

行動をするのはあくまでも自分自身
ひとに何を言われても
揺らぐことがあっても
進むしかない
そんなときはたくさんある
やるしかない
そんなときはたくさん

梅雨の合間にお洗濯を
毎日晴れると木々に雨を
雨が続くと人に太陽を
何もかも
バランスが保たれ生きている
そこに人間は手出しできない

夏休みが近付いて
わくわく感が膨らんでいく
ここにもあそこにも行きたい
夏休みでなくても
行きたいところはある
こころが元気ならばどこでも行ける

いつも行っているおなじみの場所が
雑誌に取り上げられた
一気に人気が出て少し遠い存在に
嬉しいのかそうでないのか
複雑な心境

キャラクターの
「ぐでたま」みたいな生き方が
現実的にできたら毎日が楽だろう
そう思うのは今が忙しいから
無いものねだりかな

今日も一日が終わる

目が覚めて背伸びをして
「今日も頑張るぞ」
自分にエールを
あっという間の18時間
幸せなあっという間
今日もあっという間だった




『富士山周遊Ⅴ』

 
富士山周遊
富士五湖を巡って今回のツアーは終了
初めに山中湖へ
富士五湖の中で一番広い湖
深いところは13.3メートル
水深は一番浅い
湖の周りには貸ボートの船着き場も多く
普通の手漕ぎボートを初め
足で漕ぐ白鳥のボートもぷかぷかとあちらこちらに浮かんでいる
標高は1000メートル
日本で3番目に高い場所にある湖
周りには企業や学校の合宿所、保養施設などもたくさん建っている
湖は広いが観光地候の華やかさはなく
時間をゆったりと過ごす避暑地のような空間が広がっている

次に河口湖へ
五湖では2番目の面積
深いところは15.2メートル
湖のまん中には鵜の島と呼ばれる小さな島がある
30年程前に温泉が掘られ
富士河口湖温泉郷があり温泉も楽しめるようになっている
河口湖は逆さ富士が有名で
誰でも条件が合えば
カメラマンのように
湖と富士山のコントラストが美しい写真が撮れる
湖の周りは整備されていて立ち寄るスポットも多い
ラベンダーソフトクリームや引き立ての珈琲を飲みながら
湖に映る富士山を見て一息できるカフェもたくさんある

次に西湖へ
一番深いところは71.7メートル
山梨県指定の天然記念物フジマリモも生息している
お土産屋さんではビンに入った1センチほどのマリモも売っていたが
きっと西湖のマリモではなく
どこか海外のマリモだと思う
絶滅危惧種クニマスもみつかっている穏やかな湖
西湖は五湖の中で1番小さな湖
一番深いところも15.2メートルで河口湖と同じ位
湖岸に車ごと入ってバーベキューをしている人たちの姿が目立った
西湖と本栖湖はもともと繋がっていたが
864年の貞観の大噴火で溶岩流によって分かれ
二つの湖になったとされている

最後に本栖湖へ
一番深いところは138メートル
ここへ来るとそろそろ富士山もご馳走様と言いたくなってくるが
本栖湖は透明度も高く
とてもバランスのいい美しい風景を見られるところ
今回は桜もちょうど満開で
絵に描いたような
より素晴らしい姿と景色を見ることができた
北の岸からの風景が千円札の裏側になっていることは
多くの人が知っている話
お札と一緒に撮ろうと思ったが
ミーハー過ぎと思い止めた

今回湖のハシゴをして印象に残ったのは湖畔に立つ学校のこと
毎日富士山を見て
湖からの
優しい風を受けながら授業を受けている子どもたちの姿が
休みの日であったがふと浮かんだ
夏はプールではなく湖で水泳をしているのかもとも思った
無い物ねだりかもしれないが
一度そんな体験をさせてあげたいと
いつも身近にいる子どもたちの喜ぶ顔が頭をよぎった

たくさんの恵みを私たちに与えてくれる富士山
飛行機から見る姿も素敵だけれど
人と関わっている富士山も素敵
噴火もそろそろの噂もあるが
富士山の怒りに触れないように
自然をできる限り守っていきたいと改めて思う
山頂の雪も段々と溶けて
夏仕様の富士山が太陽に当たってキラキラと輝いていた




河口湖から見た富士山

MASAYO TACHIKAWA





素敵な時間の過ごし方
それも十人十色
似ている顔もあるけれど
性格も顔と同じ
全く一緒はない
だから人間関係は一生面白い

生きていること
面白いと思えば何でも来いと思う
視点を変えれば
こころの重石も
バランスを取る部品の一部
そう思う

負けるものか
負けてたまるか
負けたくない相手は
たくさんではないけれどいる
いつか必ず「ごめんなさい」と
言ってもらおうと思っている人

上高地の河童橋
そこから見る景色は素晴らしい
一歩引いて
河童橋を山とともに視界に入れると
なお美しい
一歩引く余裕と機転を

ヨーロッパの人たちは
バカンスは徹底して休む
その間仕事のことが
気にならないかと思うけれど
それは日本人的な考え
切り換え上手は育ってきた環境


目が覚めると
お味噌汁の美味しい香りが
今日も元気に行こうと思う
あって当たり前の朝の景色
大きな支えで
こころの温度
毎日保たれている

願いを叶えたく
パワースポットを訪れる
叶うか叶わないか
全て訪れた人の心持ち方次第
神様以上か同じ位
自分自身が
答えを導き出している

預かっていた
お花の終わった胡蝶蘭が
全て再び花を咲かせた
また喜んでくれる人がいる
ただそれだけで嬉しい
咲いてくれて
ありがとう

何の打算もない頑張り
結果は後から付いてくる
そう思ったことが
何かを求めているのかもしれないけれど
それでもいい
今日も頑張ります




『富士山周遊Ⅳ』

 
今回の富士山周遊
一番の目的は
誰もが一度は見たことがある
富士山と桜と赤い五重塔の写真の撮影場所
新倉山浅間公園からの富士山を見ること

富士五湖からみる姿も素敵だが
五重塔と富士山の写真は遠近感もあって
より富士山の姿がスラッと美しく見える
新倉山浅間公園のある山梨県の富士吉田市は
標高が650メートルから850メートルにあるため
町中のどこからでも富士山を見ることができるといううらやましい街

その中で一番人気が新倉山浅間公園からの眺望
特に桜の季節には日本中はもちろんのこと
世界中から一目見ようとたくさんの人たちがこの空間に集まってくる
海外では一番行きたい日本のスポットに選ばれている

公園内には650本のソメイヨシノが所狭しと競って立っている
競っては人間の感覚だが
それくらい公園は桜の木でいっぱい
毎年4月には桜まつりが開催されており
今年も4月7日から22日がまつりの開催日となっていた
しかし今年は日本中の
桜を初め春の花々が早々に咲き出し
ここの桜もおまつりの真っ最中である4月15日には
葉桜宣言を急遽出すこととなった

今回満開までには
少し早いかもしれないと思いながら
ツアーに申し込んだ4月8日が
ズバリ的中
大当たり
前にも後にもこれ以上の日はないのではと思うくらい
新倉山の桜たちが満開で迎え入れてくれた

新倉山の398段ある階段
息を切らして登るとその先の展望スペースには
少しでもいい写真を撮ろうと長い行列ができていた
本来展望台として作ってある場所ではないため
坂を避けてわずかばかりの平らな敷地には
満員電車さながらの光景が続いていた
その狭いところに立っている人たちが
写真を撮ったら次の人に譲る寛大な気持ちがある人ばかりならば
あそこまでは混まないだろうが
一番いいポジションに立った人がなかなか立ち去ろうとはせず
写真を撮るでもなくずっと話しているだけで譲る様子もない
あの人たちの心の声は
誰よりもいい場所に陣取って
「満足」の言葉でいっぱいだったのだろうか
殆どが若い男女の二人連れだった
自分の一緒に行った相手がこの人たちと同じ
行動をしたならば
少々性格を疑ったかもしれない
自分さえ良ければそれでいい人かもと

並んでやっと順番の来た人たちはその人たちの頭を避けて
少しでもいいショットになるよう
みんなが同じような動きでカメラをちょっとずつずらして撮っていた
またその姿が印象的だった

ちなみに公園に入って忠霊塔までの398段の階段は
名前を公募して「咲くや姫階段」の愛称となった
咲くや姫とは富士山本宮浅間大社の御祭神
「木花之佐久夜昆売命(このはなのさくやみめのみこと)」のこと
そして段数の398段の両方からいただいたのだろう
とにかくあの写真でしか見たことのない富士山を
肉眼で見ることができて幸せだった

来年は是非現地へ行って
桜のピンク色と青空
五重塔の赤色そして富士山
全てにバランスの取れた絵画のような景色を見に行ってください
きっと心があらわれると思います




新倉山浅間公園からの富士山

MASAYO TACHIKAWA





何もかも上手くいくと思って過ごす
心配を重ねて生きる
どう思って過ごしても同じ時間
速度を変えることはできないけれど
同じ時間ならば
どちらがいいか
本当はわかっている

切り替える力を
持っているかいないか
1秒先
すぐには変えられないけれど
1時間先であれば変えることができる
後はやるかやらないかだけ

やれなければ
やれるようにする
やっても駄目ならば
一歩引く
駆け引きはずっと続く
疲れないように
時には息抜きも

引くことも足すことも
どちらも大切
時と場合によって
さじ加減を変えて
その加減で行く先も変わる
質の良いおさじを持って
これからも

植えた花に水をあげないと
いつかは枯れる
外であれば
雨に当たって生き続けられる
人も立ち位置で大きく変わる
少しでも良いポジションを

暑さを凌いで日陰を歩く
暑い毎日が
北風の吹く日々を忘れさせてくれる
たまには思い出して
太陽に感謝を
光をありがとうございます

雲の上から見ていたい街
魔女の宅急便のように
ほうきに乗って飛ぶのは不安だけれど
ゆっくりあの街を眺めていたい
たくさんの人が笑っている街

さくらんぼが
美味しい季節になってきた
穫りたては
甘くて美味しいけれどアクも強い
果実も自分を守るために
一生懸命生きている

自分が好きなこと嫌なこと
誰もが同じとは限らない
それぞれが持っている
ものさしは違う
だから人生面白い
一律ではない人との関わり
毎日勉強




『富士山周遊Ⅲ』

 
静岡県富士宮市に平成29年12月23日
静岡県富士山世界遺産センターが開館された
入場者数はわずか1ヶ月足らずで6万人を超えた
開館から1ヶ月間
晴天に恵まれたことも幸いしたが
1度は行ってみてと勧めたくなるスポットであることは間違いなかった

富士山浅間大社から歩いて数分
表通りには面していないため
知らない人は知らないで過ぎるかもしれない
大社からセンターに近づき
最後の角を曲がり建物の全景を目にしたとき
デザイン性の高さに誰もが驚かされる
富士ひのきを組み上げた逆さ富士
逆円錐形その姿が素敵なのだ
そしてこの逆円錐形の建物が会館前の池に映る姿はこれまた素晴らしい
目指しているコンセプトも繊細で制作者たちの思いの深さを感じる
世界遺産である富士山を
永く守る、楽しく伝える、広く交わる、深く究める
のコンセプトにピッタリ

この入口を入ってすぐに
螺旋スロープを上手く使った映像シアターが始まる
進むにつれ映像も進化をしていく
この映像は「登拝する山」と題名が付けられ
疑似登山を体験する形となっている
途中には常設展示「美しき山」「育む山」「受け継ぐ山」「聖なる山」
「荒ぶる山」もあり深い歴史を学ぶことができる

スロープを5階まで上り屋上テラスへ
そのテラスへ出た瞬間多くの人が「オ~」と声を上げる
なぜならば富士山が目の前にかなりの大きさで現れるから
言葉では言い表せない大きな感動でこころを鷲づかみにされる
それが声となって
つい意識的ではなく無意識に出てしまう
やはりここでも一度訪れる価値のある場所だと思う
個人で行っていたらきっと知らないでいただろうから
今回ツアーで行ったのは正解だった

センターを後にしてB級グルメの代表
富士宮焼きそばを食べに
大社近くのお宮横町の「富士宮やきそば学会」へ行った
そこの焼きそばは富士宮で一番美味しいと思う
お店の方にもそれを伝えたら喜んでくださった
色々美味しいと言われるお店で食べてみたが
やはりここが一番
何がいいのかはわからないけれど美味しい
鉄板とも相性が良いのだろうか
少し太めのコシのある焼きそばと肉かす全てのバランスがいい
肉かすとは
豚の背脂からラードを搾ったあとに残ったものを油で揚げたもの
熱を通すと油が滲み出て旨みとなる

焼いていただいている間に
学会の前のスイーツのお店
ジェラート「ぷくいち」でジェラートのダブルを購入
今回は限定の鮮やかな水色のシークレット味のものと
いちごミルク味を注文
水色のジェラートを富士山のような山型に整えた後
雪を被ったようにいちごミルクを乗せて完成
選んでいるとき水色のジェラートの味を知りたくて尋ねたら
答えが返ってこなかった
札を見たら“味は食べてからのお楽しみ”と書いてあった
結果
色を見てラムネ味を想像したがヨーグルト味だった

ジェラートと焼きそばを手に
大社の方へ向かおうとしたところで4時のお知らせ
「頭を雲の上に出し♪~
富士は日本一の山♪」と
時報代わりの富士山のメロディーが街中に流れ出した
さすが富士山のお膝元
小さな出来事が嬉しかった

ジェラートを美味しくいただきバスに乗り込み今夜のお宿へ
明日は山梨側からの富士山
その想いを乗せてバスは軽快に進んで行った




富士山世界遺産センター

MASAYO TACHIKAWA





笑顔に囲まれる毎日
何も考えずとも
優しい時間が流れていく
あの笑顔に会えなければこの笑顔に
梯子をしながら考える
たくさんの癒やし
ありがとう

流れに乗ると進みが早い
流れを掴むか離すか
どれもその人の運命
自分の意思だけで
方向は変えられない

先のことは
やってみないとわからない
ただ勘のいい人は
進んでいいか
いけないか閃いたりする
これも日頃のおこないかな
そう思う

言葉はひとの生き方を変える
何が正解で
何が不正解か
進んでみてわかることも
とりあえず
止まるか進むか
考えてみよう

母の日に何をいただきましたか
何を贈りましたか
居て当たり前の存在も
居なくなると有り難みを感じる
当たり前を当たり前と思わぬように

ジャガランガの花を見たかった
鮮やかな紫色の花が
葡萄の房のように咲いていく
熱海ではお宮の松の近くの木々が
蕾を膨らませ咲き始めたそう
今年は是非行ってみよう

新学期が始まって
やっと慣れてきたところで
数日間の連休のご褒美
ただここでまた振り出しに戻るから
できれば連休は6月がありがたい
そう思っているのは
私だけかな

毎日美しいときばかりではないけれど
1秒でも長くそんな時を過ごしたい
皆そう思っている
その思いで旅に出る
目から澄んだ空気を
取り入れようと

切り換えは誰にでも必要
のんべんだらり
そう暮らせることが
幸せとは限らない
高い山も
低いところを流れる川も
色々あって
人生は成り立っている




『富士山周遊Ⅱ』

 
世界遺産に登録されている富士山本宮浅間大社
富士山の構成資産として2013年に登録された
名称は「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」
世界遺産の文化遺産、自然遺産、複合遺産の文化遺産として登録

富士山浅間大社は度重なる富士山の噴火を鎮めるために祀られた
全国にある浅間神社1300社の総本社
木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)が主祭神
別名は浅間大神

起源は第7代孝霊天皇時代の富士山の噴火により
周辺が荒廃した様子を見た第11代垂仁天皇が嘆き
山霊を鎮めたこと
その後は平穏な日々が訪れている
12世紀になり噴火活動が鎮まったことで
今度は富士山を山岳修行の地として山頂を目指すようになり
神仏の霊力を得る「登拝」が始まっていった
14世紀以降はこの文化がますます広がりをみせた

今回は日柄も良かったためか結婚式が次々と行われていた
白無垢の花嫁さん真っ赤な打ち掛けの花嫁さん
いずれも華やかで輝いて見える
共通点は
どの家族も本人たちより
親の方がそわそわとして落ち着かないことだった

境内には湧玉池がありそこには富士山からの御霊水が湧いている
池の横には天然の竹で誰もが湧き水を汲める
場所が作ってあり
そこからは勢いよく大量の水が何本もの青竹の管から流れ出している
池に流れて循環をする役目にもなっているのであろうが
ついもったいないと毎回思ってしまう
それ位たくさんの水が止めどなく流れている
ただその流れをじっと見つめているだけで
何だか幸せを感じるのは私だけだろうか

この水は10年前の水と言われている
空から降った雨が富士山の湧き水となって
再び地上に出てくるまで10年以上掛かるそう
味はまろやかで全くトゲがない
冷やしてグッと一息で飲みたいお水
思いようだが身体の中が洗浄される気がする

以前車で浅間大社へ行ったとき
車なので持ち運びの心配もなく
ペットボトルをたくさん持って行き
ここのお水を汲ませてもらった
そのとき鞄を持ってだと鞄が邪魔になり
一度にペットボトルを運べないと思ったため
お財布と車の鍵だけ持って駐車場から歩いて池へ向かった
お水を汲み終わり
清々しい気分で車にペットボトルを積み込んで気付いた
「アッ財布を水汲み場に置いてきてしまった」
歩いても3分位の所だが1秒でも早く戻ろうと全速力で走った
水汲み場に着くまでに1組の海外からの二人と出会った
財布には免許証もクレジットカードもETCカードも全て入っている

水汲み場に到着
ありがたいことにお財布は自分で置いた
龍のひげという草の上に供えられたようにそのままあった
「ラッキー」
そこを離れてから気付いて戻るまで
10分は掛かってなかったと思うが
1分でも何分でも
思いたくはないが置いてあれば欲しい人はいるだろうから
祈る前にただただ走った

あったとわかって「さすが神様の前」と
感謝の気持ちで一言言葉を漏らしたら
「そういう問題じゃない」と一緒に行ったひとから叱咤された
あってホッとしての言葉だったが
今でも気付いてから草の上に見つけるまでの数分間は
思い出しただけで緊張感が走る
どんなときも気を抜かず生きて行かねばと
改めて気持ちを引き締めた瞬間だった

桜祭りの初日であったが
既に桜は花吹雪として風に舞って葉桜になりかけていた
お陰様で浅間大社を出るときには
優しいピンク色の花びらに見送ってもらうことができた




富士山浅間大社から見た富士山

MASAYO TACHIKAWA





久しぶりに聞いた
「大きな壁は
上れない人には与えられない」
忘れていた
何も起こらないことだけが
幸せではないことを

時代は流れている
一瞬も止まらない
迷っても向かうしかない
下がっても
また進むしか道はない
遠回りをしても
結局行くしかない

地球は自分中心で回っていないと言うけれど
自分の中心はずっと自分
誰も他人の軸にはなれない
わかっている
成すこと全ての責任は
自分自身だけしか取れないことも

花の舞い
花桃が花筏を作り
目を楽しませてくれている
1本の木から色々な色の花が咲く花桃
不思議でしかない
個性もここまで来ると
大きな強みとなっている

何年も交流のなかった人との再会
前に会ったことすら覚えていない人もいる
出会いには意味がある
全ての人と物に
会えて良かったと言えるように
今日も明日も笑っていたい

名古屋城の金シャチが
より輝いて見える
煌めきは作って作れるものではない
毎日の積み重ねが結果になる
今日も頑張ろう

今年は春の花が一斉に咲いた
桃も桜も
藤の花も遅れを取るまいと早々に
一度に楽しみが来てしまう
また来年を楽しみに

日めくりカレンダー
一回めくるのを忘れると
まっいいかになる
埃も歴史も積もれば山
重ねることはとても大切

家を出たら鶯が
街中に響き渡るくらいの大きな声で
鳴いていた
「ホーホケキョ」と鳴けず
「ホーケキョケキョ」何度繰り返しても
「ケキョケキョ」
「頑張れ」
代わりに鳴いてあげたくなるほど
何度も何度も
結局待ちきれず出掛けた
今は上手に鳴いているかな
会いたいな




『富士山周遊Ⅰ』

 
春の富士山を静岡側から山梨側に向けてぐるりと一周した
昨年同じコースを回ろうとしたが
台風に当たってしまい
泣く泣く予定より早い新幹線に乗って名古屋へ帰った
その後お天気は回復に向かったため少々悔しい思いをした
これもいつか再チャレンジの機会を与えられたのだと
そう考えることにした
このコースの中に日本だけではなく
世界的に有名な桜と富士山の景勝があるため
今回は桜がもう一つの目的となった

ツアー名は「よくばり11景富士山大周遊」
名古屋から新幹線で静岡駅へ
そこからまずは日本平へと向かった
名古屋ではすっかり桜の時期は過ぎていたが
日本平の有度山の白い花を咲かせる桜はまだ満開を少し過ぎた頃だった
桜の背景に静岡側から見る富士山
少し薄曇りだったため
本来見えるはずの駿河湾越の南アルプスや伊豆半島は見ることができず
富士山もいつもの色ではなく落ち着いた色になっていた

次に向かったのは三保松原
世界遺産の仲間に入れるかどうかで逆に有名になった場所
歌川広重の東海五十三次にも登場し
きっとその浮世絵を一度は目にしていると思う
海岸沿いに植えられたたくさんの松を介してみる富士山
7㎞におよぶ海岸線には約3万本の松が植えられている

物語の中で天女が舞い降りたとされる羽衣伝説の地
今でも天女が羽衣を掛けたと言われる松がある
現在の羽衣の松は三代目
2010年に樹齢650年と言われていた二代目から代を譲られた

行ってみてわかったこと
よく見る三保松原の写真は普通に撮ってもなかなか理想的には写らない
富士山と松林を両方入れようと思うと海岸線が少ししか入らない
海岸線をしっかり撮りたければ
海に入るか船に乗って撮らなければならない
今回もかなり海岸線を長く歩いてみたが
先へ行けば行くほど波の浸食がひどく
波で削られた部分にはテトラポットが規則正しくではなく
無造作に置いてあるためそれが写真に写り込んでしまう
意味があっての無造作なのだろうが景観としてはマイナス要素になる

テトラポットを避けると海岸線にかなりの高低差があるため
今度は海岸線が写らなくなる
松林をしっかり入れようと思うと海岸線が消えて
砂浜ばかりの写真になってしまう
それを全部避けて撮ろうと思うのであれば海からの撮影となるのだ
この海岸が海に入っていい海岸かどうかはわからないが
夏になって水着を着て海に入っての撮影ならば
いい写真が撮れるかも
ただ入っても海岸線から離れると松林が写らなくなる気がする
だとすると適度な距離で船から撮るのがいいかもしれない

三保松原へは御穂神社から真っ直ぐに伸びた神の道を通って向かう
木の板で作られた松並木の間に作られた歩きやすい道
夏は日差しを避けられきっと涼しいと思う
御穂神社には天女の羽衣の端の一部が残されているそう

三保松原は元々「三保の松原」と
間に「の」が入っていた
しかし世界遺産に登録をするとき
「の」を抜いて「三保松原」としてしまったため
今は三保松原となっている
看板を全て修正したが
多くの人が三保の松原とつい書いてしまうようだ

この後はエスパルスドリームプラザで
作りたての海鮮丼とトロトロプリンを海の横のテラスで
たまに吹く強い風を避けながらいただいた
まだ曇っていたが少しずつ青空も見え始め
今回は続行できそうと安堵したランチタイムでもあった

ここでは偶然に新商品のお披露目会と出会い
予測しなかった機会に幸せな思いをした
プラザにあるラムネ博物館で
御前崎市特産の「つゆひかり」というお茶をブレンドしたサイダーが
この日に発表された
ショップの中にあった発表会場の前を通った時
商品に赤い布が掛けられ
今から何が始まるのかすぐにはわからなかった
しばらくして時間になり司会者が集客のコメントを始めたため
そこでやっと状況を理解した

「オープン」と言った瞬間
布を引っ張り御披露目
テレビではよく見るが目の前でこんな機会はなかなかない

「つゆひかり」は普通の茶葉より苦みが控えめで
渋みの中に旨みと甘みがバランス良く混じり合い
爽やかなお茶となっている
その希少価値の高い茶葉を使ったサイダーが初お披露目をされたのだ
一番の特徴は透き通った優しい緑色
なかなかこの色が出せず試行錯誤を繰り返したと
社長さんが切々と語っていたのが印象に残っている

発表イベントが終わってすぐに試飲タイムが始まり試飲を
炭酸も茶葉の特徴に合わせてかあまり強くなく
お茶の香りも活かされ
目と舌で楽しめるサイダーになっていた
ここまで来るには大変なご苦労があっただろうと考えると
感動がより強く伝わってくる
素敵な瞬間に出会えて良かった
早速購入し
おまけに先着50名様の新茶の茶葉を一番にいただいた
ありがとうございました

次回は富士山本宮浅間大社と
山梨県側から見る富士山についてお話します




春風に曇る三保松原から見る富士山

MASAYO TACHIKAWA





春風に乗って
心地よい流れがやって来る
待ちに待った瞬間
自分のためではなく
周りで支えてくれる
素敵な人たちのための時が
やっと

続けることに意味がある
結果がすぐ出ずとも
焦ること無く
地に足を付け
ずっしり構えて
待つことも
続けることのひとつだから

青空の下
富士山をぐるり一周
どこから見ても壮大
美しい
たくさんの人のこころの支えとなって
日本中の人たちを守ってくれている
神様みたいな山

新たな考えがサクサクと出るときと
出ないとき
何の違いがあるかはわからないけれど
ちょっとしたこころの持ち方で変わる
それもわかっているけれど
切り換えはなかなか難しい

こころのメンテナンスは大切
知らず知らずのうちに貯め込んでしまう
身体の疲れよりこころの疲れの方が
やっかい
解すのに時間がかかる
だからリフレッシュを心がけて

満開の桜の花が
花吹雪となって歓迎をしてくれた
優しいピンク色が
気持ちを癒やしてくれる
ありがとう
今年も
感激です

人生守りに入るか攻めで行くか
生き方で大きく変わる
攻め続けていると
他人の痛みはわかりにくい
控えすぎると
何をしたらいいのか先を迷うことも
ほどほどはどこかといつも思う

お帰りなさい
桜の花にそう語りかけ
すぐにまた来年と手を振る
会っている時間より
会えるまでの方が長い
だからわくわく感がある
ひともずっと一緒にいるより
たまには離れた方がいいことも

どれだけ頑張ってきたかも大切だけれど
どのように頑張ってきたかで
流れの深みも変わる
人としてはまだまだ半人前
一生勉強
頑張りも一生




『桜の花とともに』

 
桜の開花とともに
あちらこちらで新たな時を迎える人たちの緊張した姿が見られます
やはり入学式は桜の咲く4月
桜のない新年度のはじまりは考えられません

アメリカなど他の国に合わせて9月入学も一時期話題に上がりましたが
あっという間に消えていきました
国会で他に話し合うことが多すぎるのか
日本では9月入学は認知されないと早々に見切ったのか察したのか
話題になっただけで終わっています

国会の審議にたどり着くまでには根回しは欠かせません
国会の根回しと言っていつも思うことがあります
病院やクリニックなどに行って出される処方薬のひとつ
漢方薬は現在保険診療で賄われています
漢方薬が良いと言われ始め保険が効くようになるまで
あまり時間は掛かりませんでした
この筋の偉い先生がどさくさに紛れて
国会をあっさり通してしまったと言われています
どさくさに紛れては方便でしょうが
その道の方から話を聞くとまんざら言い過ぎでもないようです

漢方薬の保険可はスムーズに通りましたが
今もなお十数年経ってもなかなか上がってこない案件があります
今とても重要な存在になっている臨床心理士の国家認定
医師や看護師のように国認定の国家資格にするという話です
長い間出ているのに未だ結論に至っていません
日本の心理学の第一人者である大先生が頑張って
やっと国会審議まであと一歩まできたところ
その先生が急にご病気で亡くなってしまったのです

そこでこの事案を引き継いだのが
臨床心理士をまとめている大きな2つの機関でした
他にもあるのでしょうが
この2機関がお互い譲らず
前へと進まなくなってしまったことが
大きな原因のひとつだと聞いています

この先生がご存命の時も日々サポートをしている自分の息子にすら
手の内を明かさず研究等を進めていたということは
関係者によく知られている話です
流れを伝えることなくそのまま亡くなってしまった
進まないのはもっともなことです
人の心を支え続けていた方の大きなプライドが
この流れを作ったのだと思うと
人生裏腹とはよく言ったものです

第一人者が亡くなって
すっかり柱を欠き止まったままになっている臨床心理士国家資格認定
漢方薬の認可も同じような流れだったのでしょうから
万が一漢方の大先生が亡くなっていたら
まだ私たちは処方箋ではなく
薬局で高額の支払いをして漢方薬を買っていたか
もしくは副作用を心配しながら
出される漢方薬以外の薬を飲み続けていたかもしれません

たった一人の命が天に召されたことで
日本に大切な役割を果たしている臨床心理士の国家資格認定が
延期また延期になってしまっていること
ただ今年度中には認定の話が進みそうだと聞いています

やっと
関係者は皆そう思っているでしょう
今までにも何度も「来年は」という言葉を聞いてきたので
期待をしています

臨床心理士は心理カウンセラーとは方向性は同じですが
立場が全く違います
心理カウンセラーは極端なことを言えば
講義も試験も受けず
独学でもスクールでも勉強をして知識を身に付け
自分は心理カウンセラーだと言えばなれます
臨床心理士はそんな簡単にはいきません
国家資格ではないにせよ教員免許みたいなもので
専門機関にて一から十まで学び試験も受けなければなりません

日本での歴史は浅いですが
2003年に専門職大学院が創設され
2005年には多くの大学で臨床心理専門職大学院が開設されました
2007年からは第一種指定大学院修了者など
臨床心理士資格審査で専門教育を受けたものが単位を取って
合格し認定されるようになりました

これからますます需要が増えていく業種です
名古屋市も名古屋市立大学の大学院に
臨床心理士を生み育てる学科を昨年度開設しました
今年度第1期生が卒業をして名古屋市内の学校に配属される予定です
市長は予算を出してもっともっと増やすようにと言っています
人数を増やせば良いというものではないので
慎重に進めて欲しいと端から見ていてそう思います

臨床心理士や心理カウンセラーは頭で学ぶ以上に経験が必要となります
心理学を学ぶ学生は
他人を助けたいとの思いがあってその道へ進んだ人が多いでしょう
人の心を察して理解して導くのは大変なことです
クライアントである相談者に同化しないように飲み込まれないように
自分を強く持って多くの知識と経験を活かして
助けを求めている人たちを支えていかねばなりません
素晴らしい仕事です

これからはますます色々なケースが増えて
新たな情報を恒に得ていかなければならないでしょう
人として信頼されることも重要なポイントです
あの桜の花のように人のこころを和らげ癒やす
そんな存在になって活躍していって欲しいとこころから願っています

ちなみにカウンセリングでは
相手に「頑張って」という言葉は禁句と言われています
頑張っているのに
これ以上何を頑張ればとかえって悩ませてしまうからです
桜の花も打算などない臨床心理士の卵さんたちと同じ思いで
楚々と咲いています
今年も変わらず美しい姿を見せてくれました
桜さん毎年毎年元気をくれてありがとうございます
また来年も会いましょう




祝新年度 ハワイ ワイキキの青い空と海

MASAYO TACHIKAWA





艶やかな季節
香りの高い薔薇の花も咲いて
季節は必ず巡ってくる
良いときもそうでないときも
全て人生には
必要なこと

菜の花が満開に
黄色の鮮やかさが
気持ちを元気にしてくれる
自然から勇気をもらい
大きな一歩を

日本では馴染みの薄いイースター
復活祭として
キリスト教では一年で一番大切な日
所変われば考え方も変わる
臨機応変が得意な日本人も
いつかカラフルな卵を持って
歩いているかも

多くの人に感動を与える物語
普通と何が違うのか
ちょっとした想いで結果は変わる
印象は大切
小さな心配りも重なれば
大きな塊へと変化する

気持ちは言葉にしないと伝わらない
目も口ほどに物を言うけれど
聞くと見るとでも大違い
伝えたいことは音にする
思いやりも忘れずに

寡黙な人は多くを語らない
相手に通じなくてもそれでいい
もしかしてそれさえも思っていないかも
生き方としては素晴らしい
でもやっぱり表現をしてもらえれば
なお素敵

追われる時間があるのは幸せ
時間に放られると空虚さが強くなる
空間は寂しさを呼ぶ
ほどほどが一番良いけれど
ちょうどいいは
なかなかない

桜のアイスが
こころもさっぱりとしてくれる
桜も桃もアイスになると同じ色
ピンク色に癒やされる
ほんの少しの塩味が
甘味をぐんと引き立てる
日々もひとつまみの
ちょっとしたことで変わっていく

いよいよ新学期
数百個の新しい瞳がこちらを向いている
ドキドキとワクワクが交差して
今はドキドキ感が勝っている
これからもこの輝きが続きますように
キラキラと
こころから願っています




『旅立ちの日に』

 
小学校、中学校、高校などの卒業式の季節が終わりを向かえている
今年もたくさんの児童、生徒が新しい道へ進むために
通い慣れた校舎から巣立っていった

名古屋市立の公立小学校6年生は今年度
男子9120人女子8797人計17917人
公立中学校3年生は男子8726人女子8154人計16880人
これは年度初めの人数なので
卒業時には若干の差はあるものの
ほぼこれだけの小学生、中学生が卒業を迎え
次の道へと既に歩み始めている

緊張感のある感動の式にたどり着くまでには
本番へ向けて数週間前から学年の威信をかけて
歌や贈る言葉、送られる言葉の練習を始める
やっと本番を向かえたと思う年もあれば
安心して見守るだけの年もある
同じ回数練習をしていても
差が出るのは仕方がない
ただ誰もが先生方の気持ちに応えようとしっかり頑張っている

卒業式で歌われる歌も時代によって変わる
「旅立ちの日に」は未だに定番となって
多くの学校でこの時期歌い続けられている
この曲は1991年秩父市の中学校の教員が学校再生のため
ひとつの再生材料と再生記念として作り上げた
きっかけは当時とても荒れていた学校を立て直そうとしたこと
音楽の教員だった女性の先生と校長が毎日のように合唱する時間を作り
生徒たちが歌うことで荒廃を改善しようとした
荒れていた生徒たちが多い学校だったので
もちろん初めは反発を繰り返していたが
次第に落ち着いて歌うことを楽しむようになり
それとともに学校の雰囲気も明るさを取り戻していった
そのひとつの流れの中で校長と音楽の先生が作ったのが
この「旅立ちの日に」である

なんとこの歌詞は校長が一晩で書き上げたものだというから驚く
音楽の先生から歌詞を書くことを依頼された校長は
自分にはそんなセンスがないからと断ったが
次の日の朝
音楽の先生の職員室の机上には
今も歌い継がれている
この歌の歌詞が書かれた用紙が置いてあった
その歌詞を見て感動した先生は
早速授業の空き時間に曲を付けた
また驚くことに実質曲の制作に費やした時間は15分位というから
生まれるべくして生まれた歌としか言いようがない

完成した歌はこの中学だけで歌われ続けたが
周りの小中学校でも歌われるようになった
そしてこの曲を聴いた当時東京の音楽教員であった作曲家が
混合三部合唱として編曲をして教育音楽という雑誌に載せた
それがきっかけで
あっという間に全国の学校で知られることとなり
卒業式で歌われるようになっていった
それまでは「仰げば尊し」はもちろんのこと
他には「贈る言葉」などが定番だったが
雑誌に載ってからはこの曲が
卒業式定番ソングとして大人気となった
2018年の今まで
30年近く
長い間愛され続けている

今年もこの曲を聴くことができた
練習の時は声を出さず一緒に歌った
歌詞がひとつひとつこころに響く
曲調の優しさも相まってより強く
歌っている彼らにはまだこの歌詞は届かないかもしれないが
いつかそんな日も来るだろう

桜の花が咲く頃には新しい校舎などで
再び緊張しながら新たな時を向かえるだろう
旅立っていったみんな「楽しいときをありがとう」
また会いに来てください
いつでも待っています
未来を信じて飛び立った後は
羽を休めにたまにはここへ来てください




卒業を祝う薔薇の花束

MASAYO TACHIKAWA





物語は毎日作られている
主人公はもちろん自分
意のままにならないときも
思うように流れるときも
全て自分自身の
大切な物語

土筆の坊やが春を届けに来てくれた
もうすぐ桜の花も咲くよと
梅の香りがこころを和らげる
新しい仲間との出会いも
甘い香りが緊張感を解いてくれる
毎年繰り返し
楽しみな

花の美しさが支えになる
見た目の華やかさだけでなく
内面から滲み出る輝き
人としてもこうありたい
いつもそう願っている

たくさんの澄んだ瞳がこちらを向いている
ずっとこのままでいてください
ついお願いを
何故だろう
そのままでいられないのは
大人になると誰もが変わってしまう
その瞳

チューリップが芽を出してきた
雪の日も寒さにも耐えて
ニョキニョキと
何色の花が咲くだろう
それも楽しみ

鶯が鳴く練習を始めた
「ホーホケキョ」とまだ鳴けず
「ケキョケキョ」と何度も
人も繰り返すことで強くなっていく
知らぬ間に

行きたかった小豆島へ行った
オリーブの木と白い風車
そして青い空
醤油も美味しい
お魚も新鮮
小さくて
いい島

春休みにハワイへ
目の前に広がる青い海
サラサラの砂
そして打ち返す波の音
どれもこれも癒やされる
思っているだけで幸せに

今年も卒業式の日を迎えた
別れは旅立ちの始まり
たくさんの経験を積んで
大きくなっていってください
後悔のない良い毎日を
「おめでとう」




『サザエさん』

 
日本中で多くの人たちに愛されているサザエさん
1969年10月から約48年間
CMの形で番組のスポンサーをしていた東芝が
営業状況の合理化のため引くことになった
以前はサザエさん放送中のCMは東芝だけだった
それがいつからか他の会社のCMも流れるように
たったそれだけで見ていて何だかいつもと違う流れを感じた

東芝の不振は長く続いているが
スポンサーを引かなければならないほど悪化していたのだ
よろしくないのをわかっていて
ここまでになる前に立て直しとならなかったのか
他には真似できない技術力を持っていても勝てなかったのは何故か
週刊誌を見る限り絶対に潰れない会社だと
髙をくくって管理職が経営を進めてきた奢りの結果だとしている

日曜日午後6時30分
夕食をゆっくりと食べながらテレビを観る
毎週この同じ流れを決められたスケジュールのように繰り返してきた
サザエさん自体もこの頃
視聴率が安定していた当たり前から外れそうになってきている
サザエさん離れがCMに関係なく言われ始めているのだ

声優の高齢化に伴い
ワカメちゃん、フネさん、波平さん次々と声が変わっていった
亡くなっての交代は仕方ないが
フネさんは他の番組で再び活躍をしている
和風総本家は
フネさんが語ってナレーションをしているようで耳心地が良い
聞き慣れた声に癒やされる
ここでこんなに長く出来るのであるならば
フネさんを降板する必要があったのだろうかと度々思う
未だに新しいフネさんの声だけは若すぎて心に入ってこない
ワカメちゃんの声も慣れるまでにかなり時間が掛かったから
いつかは慣れるだろうが掛かりそう
波平さんも同じ事を思っていたが意外に早く違和感がなくなった

サザエさんには携帯も出てこない
今も黒電話のまま
20代の人はあの黒電話をサザエさんでしか見たことがないだろう
ましてや本物など全く
愛地球博でトトロの家に行った人は目にしているかもしれないが
あの呼び出しのベル音もテレビからだけしか聞いたことがないと思う

落ちがわかっていても毎週観てしまう
サザエさん症候群という言葉もある
休みが終わって明日からまた一週間仕事、学校が始まる
そのお知らせと感じて心がぐったりとしてしまう
また長い一週間が始まると憂鬱になって体調不良や倦怠感を感じる
職場や学校と思っただけで足取りが重くなる人が
そうなるのだろう

サザエさん症候群になりやすい人とはどんな人か
平日が忙しすぎて
普段睡眠不足で休みになるとついつい寝過ぎてしまう人
休みの日もこれといって目標を立てずボヤッと1日過ごしてしまう人
毎日職場や学校と家との往復だけで趣味や他に楽しみのない人
休みの前日は羽が生えたようにハイテンションになってしまう人
もちろん職場や学校に心や気持ちの向いていない人も
行かなければならないから行っているだけで行きたくて毎日行っていない人
などだろうか

サザエさんの次のスポンサーは
アマゾンジャパン、西松屋、大和ハウス工業になったそう
名乗り出た10社ほどから厳選したと
イエスとヘリに乗って出てくるクリニックは
早々に名乗り出たが選ばれず残念な結果に
このクリニックは名古屋の大須演芸場が
先行き見通しが立たず閉鎖を決定したときも
真っ先に手を挙げたが今回と同じ結果に

東芝もスポンサー1社だけの時は年間30億円も支払っていたそう
サザエさんが助けられたのか
イメージアップに繋がり東芝が支えられていたのか
昨年の東京ミッドタウンのクリスマスイルミネーションのスポンサーは
東芝だった
その前の数年はエミレーツ航空
毎年人気のイルミネーションは一連の流れがあって
ひとつの物語のように電飾が着いたり消えたりと変化をしていく
基本はLEDのブルーが中心でとてもきれい
昨年は最後に東芝のロゴが流れて電飾が一斉に消えて終わった
こんな所にお金を掛けていていいのだろうか
見ている人の多くがあの最後の〆に心配をしたと思う
「東芝?」の声があちらこちらから聞こえた
いずれにしても奢りが首を絞めてしまうことを痛切に感じた一件だった

毎週観ていて一ファンとして内容について今までとは違った部分も多く
思うことはあるが
何十年も続けてきた時間の流れを変えて
新たな番組で日曜日の6時30分を向かえたいと今は思っていない
たまに「フネさんの声が」とつい独り言を言ってしまうが
「じゃんけんポン」が終わるまで毎週変わらず見続けたいと思っている

そんなサザエさんのスポンサーを長い間続けてきてくれた東芝には感謝
「♪お魚くわえた」と聞くと
皆と会える月曜日を思ってワクワクしてくる
私もいい意味でのサザエさん症候群かもしれない
ありがとうサザエさん
これからもずっと日曜日会いたいです




東京ミッドタウンのクリスマスイルミネーション

MASAYO TACHIKAWA





春の声を聞くと
新たな始まりへの緊張感とわくわく感で
胸がいっぱいに
新しい出逢いと間もなくご対面
「楽しみ」と言い続けよう

人が何を言おうと貫ける強さ
挫ければそこで止まる
立ち止まることも必要だけれど
ずっとは嫌
ずっとでなければ
ちょっとだけ一休みも
いいかな

自信があれば
何も怖くない
わかっているけれど
見えない先には不安がつきまとう
ひとは考える力があるから
仕方がない

土筆が顔を出して
こんにちは
雪の日にも耐えて春を告げにやってきた
お天気が良いとすぐ背高のっぽに
土から頭を出して数㎝が一番美味しい
ごめんね
食べることしか思いつかなくて

紅梅が甘い香りを漂わせ
固まりかけたこころを解してくれる
優しい甘さに癒やされる
自分もそうなりたいと
思ってはいるけれど
なかなか足元にも及ばない

人の目が気になると
何もできなくなる
自分のペースは自分で決める
そうでなければ
着いたときにはぐったり
自信を持って

一年はあっという間
気付けばもう2月も終わり
この前
柔らかい
ついたばかりのお餅を食べたのに
ぼやぼやとしていられない

どこか硬い物にぶつかると
骨が折れたかのように痛みが走る
数秒経つと何もなかったように治まる痛み
こころはそうはいかない
痛みを経験すると
長い間引きずってしまう
過ぎたことなのに
ずっと

行きたいところはまだまだたくさんある
ひとつずつクリア
世界中にも日本にも
素晴らしいところはあちらこちらに
行ける幸せ
そう思える場所がある幸せ
幸せもあちらこちらに




『ムーミン』

 
ムーミンが意外なことで話題を呼んだ
大学入試センターの問題に登場し
ムーミンを知らなかった人も知るきっかけとなった

出題されたのは地理B
北欧の3カ国に関する問題で
ノルウェーが舞台となっている小さなバイキングビッケと
ムーミンがあげられ
フィンランドとノルウェー二つの国の言語で書かれたカードとの
正しい組み合わせを聞いている
正解はムーミンとフィンランド語

作者はフィンランドの人
ただムーミンたちが暮らしているムーミン谷は
作者が作り出した架空の世界でフィンランドとは限定できない
それで問題視されている
ビッケと仲間たちが暮らしている村も
はっきりノルウェーとはうたっていない
いずれもおとぎの国の話だから

ムーミン作者サイドもこの騒動に対して丁寧に答えている
『第3作「楽しいムーミン一家」が初めて英訳された時
つけられたタイトルは“Finn Family Moomintroll”
すなわち「フィンランドのムーミントロール一家」でした
第8作にははっきりと挿絵に
フィンランド湾と書かれていることも事実です
ただ作者トーベは
「ムーミン谷に住んでみたいとそう思った瞬間
あなたはもうムーミン谷の住人です」とも言っています
だからフィンランドを含むどこか実在の場所にあるものではなく
現実とは別のファンタジーの世界であるとしています』と
このコメントからもわかるように十分な根拠となるものは存在しない

曖昧な問題は受験者を惑わせる
確かに一点を争う入試
出題者には慎重になって欲しいとの願いも
この問題提起には含まれている気がする
大学が全入制になってから10年近くなる
選ばなければ誰でも大学へ入れる時代となっている
されど行きたくない大学へ行っても身にならない
たくさんの卒業生を見てきて心からそう感じる

日本からヨーロッパの国々へ向かうときフィンランド航空を使うと
ハブ空港であるフィンランドのヘルシンキ空港で
乗り継ぎとなることが多い
たまたまこのコースで向かったとき
空港にあるムーミンショップは周年記念をしていて満員だった

ムーミンは
フィンランドのヘルシンキで生まれ育ったトーベ・ヤンソンが
10代の頃
今のムーミンと似たキャラクターを誕生させた
1934年のこと

その後1945年に
第1作目「小さなトロールと大きな洪水」を発表した
ムーミンとお母さんが
居なくなってしまったお父さんを探して歩く道のりを描いたもの
次の年2作目の「ムーミン谷の彗星」が出版され
ここでスナフキンやスノークが登場する
3作目は「たのしいムーミン一家」
英語版で初めて出版され
1980年代までこの小説が第1作目として販売されていた
そして「ムーミンパパの思い出」
次に「それからどうなるの?」で初めて絵本が出版された
ミイとミムラねえさん登場

ミイを見ているとホッとする
自由奔放で思いつきで言葉を発し好きなように生きている
毎日頑張りすぎなくてもいいんだと思わせてくれる
ずっとミイみたいな生き方をしたいとは思わないが
たまにはミイみたいに生きたくなる

ニョロニョロもしかり
何も考えずニョロニョロみたいに揺れているだけの時間も欲しくなる

私の机にはムーミンのカレンダーが置いてあり
エアコンと空気清浄機の風で毎日ニョロニョロが
程良くゆらゆらと揺れている

今年は何だかムーミンのカレンダーを置いてみたかった
そしてこの入試の問題
騒いでいるのは
むしろセンター入試とは無関係な大人たちだけかもしれない
ムーミン公式サイトも最後に
「疑問が早期に解決することをお祈りしています」で締めくくっている
ムーミンも世間の話題になって
あの憎めない表情でちょっぴり喜んでいるのかも
きっとどちらでもいいよと思っているに違いない
そう思う




おとぎの世界 東京スカイツリーからの夜景

MASAYO TACHIKAWA





守るひとがいる幸せ
守ってくれるひとがいる幸せ
どちらも計り知れない位大きくて
いつも器から溢れ出している
そしてこころの大きな支えとなっている

香りの高い花は
部屋を明るくする
見えない空気がこころを穏やかにする
自分もそうなりたいと願い生きている
少しでも叶いますように

元気なときも
そうでないときも
恒に見てくれているひとがいる
たまには見ないでと思うときもあるけれど
いないといないで
とっても寂しい

梅が咲き
桜が咲いて
ツツジが咲く
季節は確実に流れている
ひとも時間の流れの中で生きている
成長という幹を太くしながら

気持ちは顔に出る
隠そうとしても隠しきれない
それもそれで必要
ただ誤解をされないためには
言葉が大切な材料となってくる

視線を逸らして見て見ぬ振り
なかなか知らぬ振りができない
つい口を出したくなる
自分のためには黙っていた方がいいことも
でもついつい出てしまう
ついつい

いつもより寒い冬
桜の開花も遅くなりそう
自然に対して
ひとの力は及ばない
じっと流れを見つめること
それだけしか
だから自然は素晴らしい

空気を読んで生きなければ
生き辛い
こころの倦怠感が残るだけ
読む力と熟す力
両方が合わさって
やっとバランスが保たれる

春の足音を聞くようになってきた
訪れる春は愛おしい
その前に
耐えなければならない冬があるから
より待ち遠しい
もうすぐ春がやって来る




『青色の胡蝶蘭』

 
戴いてお花が終わってからずっと育てている胡蝶蘭が
たくさんの蕾を付け始めました

胡蝶蘭はお祝いで差し上げるには見た目も華やかでお手入れもいらず
並べるとより豪華になるため
花の贈り物の中では一番人気となっています
よく行くお花屋さんは胡蝶蘭を一番の売りにしていて
今まで見たことのない品種を行く度に見ることができるため
お店に行く楽しみのひとつとなっています

愛知県には
日本でも珍しい青色の胡蝶蘭を生産する特許を持っていて
栽培し出荷しているところがあります
いつも行っているお店もここから仕入れています
この生産者から仕入可能なお店は限られていて
名古屋で販売できるショップはこのお花屋さんだけです
たまたま出会ったお花屋さんですが出会えたことを誇りに思っています

青色の胡蝶蘭には二種類あります
特殊な染料で染色した愛知県のこの園芸屋さんが作っているものと
品種改良によって生み出されたものと二つです
染料で染色した花はブルーエレガンスの名前が付いていて
花脈に沿って青くなっているため
青色がくどくなく上品で優しさを感じます

もうひとつの品種改良されたものは青い胡蝶蘭と呼ばれ
千葉大学の植物細胞工学研究室にて遺伝子の組み換えで
10年の歳月をかけて生み出されました
少し小さめのミディ胡蝶蘭に
ツユクサから取り出した青い花を咲かせる遺伝子を組み合わせ
完成形となり
2013年にやっと世の中に出るまでとなりました
ただまだ数多く増やして行く迄には至っておらず流通はしていません

ブルーエレガンスを育てている園芸屋さんでは
年間24万株の胡蝶蘭が生産されています
名前のエレガンスカラーという言葉は
空に蝶が舞いながら飛んでいる姿をイメージして付けられました
色によってテーマもできています

この園芸店のコメントです
青色のブルーエレガンスは「癒し」
知的で理性を象徴するブルーは
こころ安らかに気持ちを落ち着かせてくれます
ヒーリング空間を演出し上品で優雅な癒しの色です

薄い黄色のイエローエレガンスは「笑顔」
光を導き希望をもたらし明るく元気づけてくれます
軽やかで華やか
幸せな気分になり笑顔を運んできます

紫色のパープルエレガンスは「優雅」
静かなパワーで緊張感や不安を癒しリラックスさせてくれます
心と体の回復を促してくれるヒーリング効果もあり
上品で神秘的な色です

ピンク色のピンクエレガンスは「優しく」
ロマンティックで温かく優しい気持ちにしてくれます
やわらかいイメージで心にやすらぎを与え
満ちたりた気分をもたらし幸せな空間を演出します

白色に緑色の入ったグリーンエレガンスは「穏やか」
リラックスした穏やかな気持ちになり
心のバランスを整え活力をもたらしてくれます
柔らかなグラデーションが優しく心や体の疲れを癒してくれます

薄いオレンジ色のオレンジエレガンスは「元気」
賑やかさを感じ陽気な気分になります
エネルギーと開放感が与えられ暖かな色で緊張感を和らげてくれます

水色のマリンエレガンスは「爽やか」
気持ちの良い夏の海を吹き渡る風のような爽やかさと
生き生きとした開放的な気持ちで自由な発想をかきたててくれます

これらのエレガンスカラーの胡蝶蘭は
世界で4カ国だけしか生産は許されておらず貴重な存在です
もし今後いただくことがあったなら
それは幸せのお裾分けを手にできたと
こころから喜んでください
わたしもいつか青色の胡蝶蘭をいただけるようがんばろうと思います




ブルーエレガンス

MASAYO TACHIKAWA





見渡せば
チョコレートのような甘い香りに包まれ
時を満喫している
ありがとう素敵な空間を
感謝でいっぱいです

優しい人たちに囲まれ流れる時間
至福のとき
ヨーロッパの舞踏会
ドレスの裾を広げて踊る
貴婦人のように
誇りを持って過ごせそうです

文字を並べていると
自分の気持ちが見えてくる
こんなこと思っていたのかと
自分のことが一番見えていないのは
正に自分かと思う

一番になれるものがひとつでもあれば
それが生きがいとなる
一番でも二番でも最後でも
好きこそものの上手なれ
好きでいることが
伸びる早道となっていく

もうすぐバレンタイン
義理か本命か
2月14日を思って
ときめいていた
今年は誰に贈ろう
考えているだけで楽しくなる

目が覚めると一面真っ白
新雪が何もかも覆い尽くしている
ひとのこころもこの雪のように
包んでくれたらいいのに
でも太陽が上がれば
何もなかったように
すっかり溶けてしまうけれど

壁にぶつかれば登れば良い
こころにゆとりがあるときはそう思う
隙間がないと疲れるだけで進めない
そんなときは
一休み
一呼吸

一足先にハワイへ行っていた
夢の中で
ファーマーズマーケットへ行って
しょうゆバターたっぷりの
甘い大きなコーンを両手で掴んで
食べていた
こんなに行きたいと思っていたのかと
改めて思った

イチゴの美味しい季節
イチゴ狩り
大きくて真っ赤なイチゴに舌鼓
旬のものを食べると
元気になれると言う
イチゴみたいな真っ赤なほっぺで
今日も頑張ろう




『下呂温泉』

 
新年早々日本三名泉のひとつ
岐阜県の下呂温泉に行ってきました
飛騨川の流域に湧き出ている名泉
室町時代から良質な温泉の代表とされています

三名泉は下呂温泉のほか
群馬県の草津温泉
兵庫県の有馬温泉と言われていますが
九州へ行くとそのひとつが有馬温泉ではなく
別府温泉だと聞いたことがあります

下呂温泉は天暦年間の940年代から950年代に
今の温泉街から数キロ離れた
湯が峰の山頂付近で発見され長い間愛されてきましたが
1265年急に湧出が止まってしまいました
住民はとても悲しみましたが理由もわからず止まったままとなりました
しばらくして一羽の白鷺が
毎日河原の同じ場所に降り立つことを不思議に思った住人が
様子を見に行ったところ
何とそこには新たな温泉が湧き出ていました
そしてその白鷺が飛んで行った方向を見ると山が輝いています
その山に入ったところ
神々しく光が出ている場所がありました
驚いたことに薬師如来様が光り輝いたお姿で
そこにおみえになったのです
その白鷺は薬師如来様の化身だったと今でも信じられています
今は白鷺の名がついた美味しいお菓子が
下呂のお土産としてお店に並んでいます

下呂温泉には3つの共同浴場やいくつかの無料の足湯があります
湯めぐり手形が1300円で販売されていて
指定された22軒の旅館やホテルで日帰り湯を楽しめます

1つの手形で2軒まで入れるため
格が高くなかなか宿泊ができない湯之島館は
入浴できる時間が1時間のみですが
露天風呂も造りが良く特にお勧めです
湯之島館は歴史のある旅館で多くの著名人が宿泊されています
古くから使われてきた調度品も展示されていて
誰でも見ることができます

下呂温泉の源泉は84度アルカリ単純泉で無色透明です
効能は疲労回復、神経症、運動機能障害等など
まろやかな肌触りでお肌に優しく
美容効果はもちろんのこと健康づくりにも優れています
入ると絹のようにスベスベになり
天然の良質な石鹸のようです

高台にあるホテルからは街並みや雪を被った山など
絵のような景色を見ながら入浴ができるため
より爽やかな気分になります

街の真ん中を流れている川の河岸には
どこからも覗かれてしまう露天風呂があり
誰でも自由に入ることができます
近くにメインの橋もあるため
立ち止まって入浴シーンを眺めている人もいます
入っている人の多くは観光客ではなく近辺に住んでみえる方
川の風を感じながら体を温めて
何だか長生きしそうです
味わってみたいですが
あそこまでオープンだとそんな勇気はなくなります
サザエさんでも最初の観光地紹介の歌のバックで
この露天風呂にサザエさんが入っている画が流れていました

1月から3月までは毎週土曜日20時30分から
その露天風呂のある河原で花火が打ち上げられます
毎回花火にテーマが付けられていて
私が見た日は「花餅花火」という題名でした
花火ミュージカル冬公演の名の通り
音楽に合わせ花火が次々と打ち上げられます

花餅と言えば飛騨の名物
お正月に各家庭で作って縁起物として家の中に飾ります
お花のない時期に部屋を飾るという素晴らしい発想です
近くの山で取ってきた枝にピンク色に染めたお餅と白いお餅を
バランスよくお花が咲いたようにクルクルと巻いていきます
お正月が近付くと高山の朝市でも売っています
大きいのから小さいものまで同じものはひとつとしてありません
私も売っていれば必ず買ってきます

飛騨は個人宅にも温泉が引かれています
毎日天然温泉に入れるなんて想像もできませんが
お肌がずっとツルツルでいられ
お肌美人になれそうです

今回泊まったホテルは温泉ももちろん抜群ですが
夕食は本ズワイガニ丸ごと食べ放題の企画があり
大きな蟹を丸々
蟹味噌は甲羅に入れて七輪で焼いて
夜景を見ながら
4杯たっぷりいただきました
ごちそうさまでした

名古屋からは近いのでまた行きたいと思います
質の良い
時間のお年玉をありがとうございました
今年も良いことがたくさんありそうです




本ズワイガニのタワー

MASAYO TACHIKAWA





何よりひとを疑わないこころ
わかっているけれど
気持ちは頑固
なかなか出来きれない
ただひととして一歩でも近づけるよう
今年も自分自身に
よろしくお願いします

カサブランカの大きな花を
部屋の中に一本置くと
部屋中が甘い香りに包まれて
優しい気持ちになる
自分もそんな存在になれるよう
今日も明日も目指していきます

純粋な気持ちで願うと流れが早い
ひとはつい流れの中心に自分を置いてしまう
そこで止めるか
一段下がって見直すか
どれもこれも自分次第

試行錯誤がひとを強くする
平々凡々と生きるも良し
けれど日々は一筋縄で行かない
それもまた楽し
迷って生きることが楽しくなれば
儲けもの

何もかもが上手く流れていると
つまずくことへの恐れが薄れる
それはそれで幸せ
そんなときは
何も考えることなく
衣食住を十分楽しめばいい

ムーミン谷に住んだら
今の世界には戻れないだろう
澄んだ水と空気
ニョロニョロたちの寛容さ
自然を大切にすることを
思い出させてくれる仲間たち

植物はひとの話をきいていると言う
ずっと嫌いと言い続けると枯れてしまう
良い音楽を聴かせ大好きと言い続けると
すくすくと元気に育つ
ひとも植物も何ら変わりがない

戦いのない世界をと思うが遠い話
まずは周りから
怒ることで空気が澱む
我に返るとそれが見えてくる
恒に引く用意を
ゆとりを持って

新年お天気も良く
日本一の富士山もキラキラと光っていた
良いお正月を迎え
今年もいい年になりそうです
たくさんのひとの願いが
空をより輝かせていたのかも




『戌年』

 
明けましておめでとうございます
ここでの「おめでとう」は何回目でしょうか
今年もお会いできましたことこころより嬉しく思います

今年は戌年
平成が一月から十二月まで365日使えるのは今年で最後です
皇室の方々は一般人の私たちにはわからない
責任感と悩みがたくさんあるのでしょう
雅子様は能力の高い方だったため
籠の鳥でいることの大変さが想像をはるかに超えていたのだと思います
皇室へ入っていなければ
何か国語も操って世界中を飛び回っていたでしょう
傍から見れば羨ましい日本でたった一人しかなれないポジション
雅子様は日々自分でなければならなかったのか
自分で良かったのかとの思いとの闘いだったと察します
鳥籠の外にいる私にとっては危険も少なく羨ましくてならないですが
一番の天敵はもしかしたら世間の言葉の数々だったかもしれません
聞かなければいいと思いながら気になってまた目にしたり
聞いたりてしまいます
今はそんなことも言っていられないと
気持ちを切り替えられたのだとお姿を拝見していて思います

年を重ねると今まで何も感じなかった歌の歌詞が
急にこころに沁みたりもします
SMAPの「世界に一つだけの花」との出会いは
発売されたばかりの彼らのアルバムを手にして
長野の温泉へ行くため中央高速道を松本に向けて走っていた時でした
初めて聴いた瞬間
アルバムの何曲目だったでしょう
初めて聴いたはずなのに親近感を強く感じ
「この曲いい」と思わずリピートをしました

名古屋から長野方面へ向かう中央高速道には
上り8650メートル下り8490メートルという長さの
恵那山トンネルがあります
抜けるのに結構時間がかかります
ラジオやテレビの音を聴いていても
このトンネルに入ると電波が届かず音がなくなるので
あらかじめCDをセットしておいて
トンネルに入る少し前にCDに切り替えます
でも出会ったこの日は家を出発して他の音は聴かず
受け取ったばかりのCDを初めからずっと聴いて走っていました
そして出会ったのです
「どんなときも」以来の感覚でした
今思えば作者が同じ
初めて聴いたときは誰が作った曲かは知る由もなく
今でもこの曲に出会ったときの中央高速の景色を覚えています
それだけ衝撃的でした

この曲のシングルはアルバムが出てとてもいいと評判になり
シングルカットの形で発売されました
それが驚異の大ヒット
シングル曲とアルバムの曲とはアレンジが違い
歌っている彼らのパートも違います
彼らのコンサートではほとんどシングルの方が歌われていました
一瞬閃いた曲があっという間にモンスター曲になっていきました

大スターだった彼らは今それぞれ違う方向へ向かって歩き出しています
本当の意味でラストコンサートになってしまたった
名古屋ドームでのコンサート
数メートル先に飛び跳ねる彼らがいたのが
最近のことのようにさえ思います
正直彼らの終わり方にはまだ疑問を感じています
あと一年締めくくりの活動をしてからでも良かったのではとも思います
たった一年が我慢できない位こじれていたのでしょう
長い間ファンをしていればこうなってしまった気持ちはわかりますが
個を大切にする前にプロのパーフォーマーとして
最後にもう少しだけ
感謝の気持ちを表してからでも良かったのではと思います
天狗になって
八つ手の団扇を振りながら彼らは飛んで行ってしまいました
彼らも相当悩んでの結論だったのでしょう

12月は名古屋ドームで嵐のコンサートへ行きました
会場のファンが持っているペンライトを活用した
光のパフォーマンスが素晴らしい
瞬きするのが惜しい位素敵なコンサートでした

今年は何が起こるでしょう
戌年とても楽しみです
そして世界中に平和な日々が訪れることをこころから願っています
今年もどうぞよろしくお願いいたします




イギリスのパワースポット ストーンヘンジ

MASAYO TACHIKAWA





明けましておめでとうございます
戌年
平成が終わりを迎えようとしています
今年がより輝く年になりますように
日本中が
そして世界中が

こころの艶をずっと絶やさぬよう
自分磨きの年にしていこう
毎年思っていること
艶を出すには時間をかけて
より良いものを
焦らぬように

感謝の気持ちをもう一歩前へ
形はあとから付いてくる
あって当たり前のことは何もない
なければ済んでいってしまうことは
山ほどあるけれど

ずっと前を向いて生きたいと思っている
思うようにならないのが人生
わかっていてもあがきたくなる
そんな時は深呼吸
広角を上げて振り向こう
ニコッと
SMILE

新しいカレンダー
「ぐでだま」の怠さが後押しになる
一月は「自分に勝てない」のコメントで
ぐでっとしてる
その通り
一番勝てないのは正に自分自身

今しなければならないこと
今年しなければいけないこと
今はまだ雲を掴むような話だけれど
影は見える
ぼんやりがはっきりとするときが必ず来る

時間は確実に流れている
地球の形だけは変わらないと思っていた
その地球でさえ
でこぼこに
ひとの力は丸いものも
四角へと変えてしまう

日々はひとの生き方を変えていく
良い流れか
そうでないかを見極める力を持って
今年も「らしく」行きましょう
楽しみがいっぱいです

ドキドキ感とわくわく感が入り交じり
始まった
今はわくわく感が一歩リード
大きな何かが待っている
自分のためだけの何かではなく
大きな大きな何かが




『京都土産』

 
今年数回目で今年最後の京都
今回も行くところ行くところ
どこも人で溢れていた

京都へ行って必ず足を向ける清水寺
今年の漢字も発表された
一位は「北」
自分が応募した漢字は六位だった
一年を振り返りいくつか浮かんだ漢字の中で
一番濃くイメージができた「選」
筋書き通りの選挙
どの国とこれから仲良くしていくかなど
先を選ぶ機会が多い一年だと思ったから

清水寺へ行くにはバス通りから
なだらかな坂道を登らなければならない
苦痛を感じるほどの坂道ではない上に左右に誘惑がいっぱい
数々の美味しそうな食べもののお店
お土産屋さんなどが軒を連ねている
なので坂を感じずゆっくり歩ける
駆け足で上がりたくても坂の加減ではなく
人がたくさんいて自分のペースでは進めない
伊勢のおかげ横丁へ向かう道は人がいっぱいだが
道が広いため急いでいれば追い抜くことが出来る
ここは道も狭くなかなかそれはできない

清水寺へ行く目的のひとつがこの豊富なお土産屋さん
その中のひとつ本家八つ橋西尾では生八つ橋などの試食ができる
温かいお茶も入口でもらえる
ここもいつも人で溢れかえっている
ただ購入するための試食だから
それを頭に置いて味を確かめながら口へと運ぶ
季節限定の生八つ橋もあり
今回はクリスマス限定「ビターチョコといちご」を購入した
ビターチョコはいつも売っている普通のチョコレートとはひと味違い
チョコ味が濃く美味しかった
パッケージもクリスマスカラーでお土産にするにはもってこいだった

そして次に行くのがマーレブランシェという洋菓子のお店
たくさんある京都のお土産の中で
一番美味しいとも言われているお菓子ラングドシャ
「茶の菓」が売っている
そのお菓子と初めて出会ったのは
清水寺へ向かう参道をきょろきょろとしながら上がっていたところ
おしゃれなお店の前でこの茶の菓を一人一枚ずつ
袋を開けながら「お店の中でお召しあがりください」と配っていた
一枚百数十円のお菓子を惜しみなく
それを一口食べてビックリ
本当に美味しかった

惜しみなく提供する理由がすぐにわかった
百数十円が数百円数千円になるきっかけを
惜しみなく試食してもらうことで作っていた
まんまと自分もそれに乗っかってしまった
味に絶対的自信があるのだと後から感じた

茶の菓は後味の良い
程よい甘さの抹茶のラングドシャに
ミルク感たっぷりのホワイトチョコレ-トを挟んだお菓子
ラングドシャとはフランス語で
練ったバターと小麦粉とお砂糖と卵で
平たく細長く伸ばして焼いたクッキーのこと
猫の舌という意味もある
形を猫の舌のようにしていたから

ホワイトチョコレートもオリジナルで
口に入れたときにパリッといい音がして爽やかな割れ感がある
挟んでいるラングドシャは
使用している茶葉にもこだわり
抹茶の中でもお濃茶を使っていて
香りも色ももちろん味も絶妙なバランスを作り出している

使っている抹茶も一番摘みの茶葉を石臼でひいている
抹茶には薄茶と濃茶がある
濃茶は甘みが強く渋みが少ない茶葉を使うことが多い
濃さは薄茶の3倍
茶葉の善し悪しが出やすいため一般的に薄茶より素材の良いものを使う

マールブランシュでは
江戸時代から続く「本覆茶園」の農法によって育てられた
コクも旨みも高い
普通の抹茶より深みのあるいいものを材料に使っている
お茶をひくのも石臼で香りを逃がさないようにして
一度食べた人はこの技にはまるから不思議

この味に味を締めて
お茶の名産静岡などでも同じ抹茶のラングドシャを購入したが
近づける商品とはまだ出会っていない
今はクリスマス限定パッケージが売れている
いつも行く清水寺のお店にはここにしかないパッケージがあり
定番も含め様々な素敵なボックスが出ている
お聞きしたらお菓子の単価はほとんど変わらないため
気に入ったパッケージのものを購入すればいいとアドバイスをもらった

いつもはラングドシャが6枚入った
箱の色が赤色、紫色、緑色と3色ある
清水寺限定バージョンを購入してくる
今回はそれと冬限定バージョンの缶
クリスマス限定のコルクの蓋が付いた陶器の入れ物をプラスして
限定と聞くと購買意欲がますます沸いてしまう

まだ召しあがったことのない方は
京都へ行かれる方をみつけて買ってきてもらうか
通信販売でお取り寄せを
限定パッケージでなければ定番は京都駅にも売っている
一度是非食べてみてください

京都へ行ったら次はどこへ行こうかと考えるが
結局同じところへ向かっている
茶の菓のマールブランシュのポイントも大分貯まってきた
きっとまた行くだろう
やはりまんまとお店の作戦にはまっている




清水寺から見た夕暮れ時の京都タワー

MASAYO TACHIKAWA





待ってくれている人がいる
待っている人がいる
それだけで幸せ
過ぎていく日々に感謝をして
これからも「らしく」生きていきたい
来年も再来年も

安定した時間は何かを生み出す
ゆとりからは生きる術を
平穏な流れは優しさを
笑いからは明るさを
ホッとする時間をありがとう

出会いで流れが変わる
一瞬すれ違ったひとでさえ
優しい挨拶から我に返る
目を吊り上げて歩いていたと
今日はどんなひとに出会うかな

実るほど頭を垂れる稲穂かな
年を重ねるとかえってできなくなる
ひとに頭を下げることが
段々と難しくなっていく
わかっていても

あとひとつ
大きな目標が目の前に
ひとつ叶えばもうひとつ
願いが増えていくのは楽しい
もっともっと
ずっとずっと

雪がちらついた
太陽に反射してキラキラと
結晶は目には見えないけれど
見える気がするから不思議
穏やかな時が流れている

来年はどこへ行こうか
迷うことなく
春休みと夏休みに予約を入れた
考えているだけで幸せ
鬼が笑うと言う
来年の話

飛行機のチケットを手に
空港を歩く自分が浮かぶ
そんな事だけを考えて
過ごせたらいいと思うけれど
毎日忙しいから
手に入れるチケットが価値のあるものになる
忙しいのは幸せ

過ぎた一年を早く感じるか
まだと感じるか
今年も間もなく終わる
終わりよければ全て良し
ラストまで頑張ろう




『お味噌』

 
スープとお味噌汁どちらがいい?
どちらが好きかと聞かれているならば
どちらも好き
両方いただけて選択権のある日本人は幸せ

味噌汁も所変われば味も変わる
旅行に行って朝出るお味噌汁がどんな味かも楽しみのひとつ
その味でここは何地方か知ったりもする

味噌は1300年前古代中国から伝わったとされています
1300年前と言えば飛鳥時代
7世紀ごろ
中国の食べ物「?(し)」「醤(しょう)」が日本に入ってきました
?は雑穀や大豆に塩を混ぜ合わせ発酵させたもの
醤は雑穀と麹に鳥や獣の肉または魚に塩を入れて漬け込んだもの
日本の魚醤に近い発酵食品でした

平安時代になって初めて文献に味噌という文字が残されています
その頃味噌は今のように汁ものとして口にしていたのではなく
何かに塗ったり
なめて楽しんでいました
ただ庶民にはまだまだ高嶺の花で
地位の高い人しか食べることはできませんでした
お給料の代わりにもされていたようです

鎌倉時代になり中国から来た僧呂によってすり鉢を使うことを学び
粒味噌をすりつぶして水に溶かし汁ものとして食すようになり
誰からも親しまれるようになっていきました
この時代からお味噌汁は毎日の食生活に欠かせない
一汁一菜の原点としてずっと愛され続けています

室町時代になると
原料である大豆の栽培も日本中で盛んに行われるようになり
農家の人たちは自分の家で使うお味噌を
保存食として作るようになっていきます
現代の味噌料理はこの時代から始まったものも多く
今もなお食され続けています

戦国時代には武将たちが干した味噌を焼いて
腰にぶら下げて戦場へと持って行きました
戦争の合間にちぎって溶かし貴重なたん白源
として摂っていました

愛知県岡崎市にある老舗の豆味噌屋さん
お城から八丁(約800メートル)のところにあった
八丁村が発祥であるため八丁味噌と言います
ここの八丁味噌を主役に隠し味にと
使っている高級料理店も少なくありません
他県の人から見れば真っ黒な八丁味噌
食べて大丈夫なのかと思ってしまう人も多いでしょう
このお味噌は豊臣秀吉、徳川家康によって大切にされてきました

仙台では伊達政宗が仙台味噌を
信州では武田信玄が信州味噌作りを後押しし
その後も製法を変えず守り続けられています

江戸時代は急激な人口増加に伴い
江戸では味噌も品薄になっていき
三河や仙台から取り寄せられていました
それら地方の味噌屋さんはこの時代大変繁盛をしています

味噌の種類の差は歴史として残り
地域ごとに愛され続けているものの
深いこだわりや垣根も今はなくなり
それぞれの嗜好に合わせて好みの味噌を
どこでもどこからでも手に入れられるようになっています
中部地区でも個性が強い赤味噌や豆味噌だけではなく
他の味噌と混ぜ合わせたミックス味噌が一番人気です
インスタント味噌汁も年々美味しくなっていき
どこでも何時でも時間をかけず
手軽に好きなときに飲めるようになりました

名古屋めしと豆味噌は切っても切り離せない間柄です
味噌とんかつ、味噌土手煮、味噌串カツ
一番お勧めは味噌煮込みうどん
始めて食べた人は口の周りが痒くなったとか茶化して言います
手打ち麺を茹でずにそのまま豆味噌のお汁の入った土鍋の中に入れ
グツグツと煮込みます
正に味噌煮込み
茹でない硬めの麺は一度食べたら病みつきになります
それを知らない人は麺が茹でてなかったと
クレームを言ってくることもあると聞きました

豆味噌は風味が独特で慣れている名古屋人も
毎日はどうもと言う人がいます
でもたまにどうしても真っ黒な味噌で
温かい名古屋めしを食べたくなるから不思議です

今日は帰りに味噌煮込みうどんの美味しい
山本屋本店へ行きましょうか
うどんを頼むと自家製のお漬け物が付いてきておかわり自由です
これがまた薄味でシャキシャキ
煮込まれたうどんを白いご飯に乗せてお漬け物と一緒にいただく
お勧めの名古屋めしです

名古屋へお越しの際はお味噌がグツグツと煮えたぎる土鍋から
フーフー言いながら熱々のうどんを是非召しあがってください
お好みで一味や七味をかけて
最後にはうどんの中に入っている半熟卵をご飯の上に乗せて
卵をほぐしながら出しのきいた味噌味で食べてみてください
本当に美味しいです
ブームは去りましたが名古屋めし
まだまだ健在です




熱々 味噌煮込みうどん

MASAYO TACHIKAWA





明るい一本の光が
色を変えながら
こちらに向かって飛んでくる
来年はいよいよ何かが起こる
これからますます楽しみ
期待でこころがはち切れそう

虹を見た
渡れそうな半円の大きな虹
ちょっとしたタイミングで出会えた
開けていくこれからを
示してもらった気がした
嬉しくて
こころの底から大きな声が出た
「あっ」と

湯気の向こうに笑顔が見える
美味しいものを目にすると
ふと笑顔が溢れる
口にする前からこころが満腹に
日本に生まれて良かった
こんなときはそう思う

浅草の仲見世通りを歩いていると
甘い良い匂いがしてくる
人形焼きがガチャンガチャンと
規則正しい音とともに焼けている
食べずともそれで満足

来年のカレンダーが続々とやってくる
当たり前に受け取っていた
来年もいい年になりますように
今は感謝の言葉とともに手の中へ

今年も東京の
クリスマスイルミネーションを見に行った
ミッドランドは10周年
今まで以上にバージョンアップされていた
もう10年も見ている
10回目も忘れず足を向けられて良かった

旅を続ける理由が知りたくて
こころの充電に行くのか
時間の穴埋めに行くのか
いずれにしても自分探しのとき
答えがわかっても
ずっとこのまま行くのだろう

世界中のDFSにいた日本人は
うって変わって他の国の人たちに
数年前の日本人もこんな感じだったのだろう
人の目も気にせず目標のものへとまっしぐら
金額より欲しいかそうでないか
そんな時代はもう終わったかも

今年もあと一ヶ月
たくさんのひとに出会い力をもらった
来年も持ちつ持たれつで
支え支えられ過ごして行けたら
ひととして大きな一歩
積み重ねが
見上げるほどの大きな結果となっていく




『無駄なことはない』

 
人生無駄なことはないと言う人がいる
毎日無駄なことが溢れている気がする
私も無駄なことはないと思って生きている派だった
何の考え事もないときは順調に時が流れているため
真の意味で無駄はない
寝ているときも食事をしているときもテレビを観ているときも
行動全てがその時に必要なことだった
やるべきことをしていれば一日が終わっていた

ある日突然
目の前に幅の広い大きな壁が現れた
遠回りをしようか
体当たりをしようか
この壁を無駄と言わずして何と言う
そう思った

こんな壁
すぐに乗り越えてみせると意気込んでいたが
現実はそんなに甘くなかった
他人から見たら私の目の前の壁は壁には見えず
白と黒の学校にあるハードル位に見えただろう
軽々飛んで飛べなければ蹴って
倒してでも前へ進んで行くだろうと思っていたと思う
ところがどっこい
今までならば
ヒョイと半日から一週間くらいで超えてきたハードルが
硬い硬い石の壁へと変化していった

これは危ない
当たると痛い
そう思うか思わないかの短い時間で
自分の身を守るために
周りをパワーが溢れ出している強い人たちで固めた
これからすべきことはその人たちの支えを手綱にしていこうと

自分で何もかも決めてきた24時間は
他人が導き出したビジョンに包まれ
自分の意思だけでは踏み出さないように流れを変えていった
ただ自分のこころの内と他人から見た自分の姿は真逆だった
他人からは今までとは違う大きな目標に向かって歩き始めた
前向きな姿に写っていたようだ
「凄いね」と毎日のように言われた
確かにこころの中とは全く別人の明るく楽しげな自分が息をしていた
これが本来の自分の姿なのか
困っている顔なんて見せたくなかった
弱気な様相は自分でも見たくない
高熱が出ていても普段の元気な風邪も引かない自分でいたかった

今まで壁にぶつかる自分を見たことがない
ぶつかる前に概ね回避をしてきた
回避ができた
どんな時間も無駄ではないと思いたい
壁で先が見えず
もがいている姿など想像が付かない
この先が危険なのか安全なのかも見えないが
立ち止まっているわけにはいかない
プライドを掛けてでも進むしかない
わかっているだから今日もこうしてここに居る

とりあえずやってみよう
今までずっと自分のペースで過ごして来れたことに誇りを持って

すべてに意味がある
無駄かどうかはやってから決めよう
やってやれないことはない
明日がますます楽しみになってきた




伊勢志摩の朝陽

MASAYO TACHIKAWA





きっかけは何でも良い
チャンスはどこにでもある
見逃さず手に入れられるか
逃してしまうか
運もあるけれど
ひととして試されている
そしてその結果の現れでもある

打ち込むものがあるひとは幸せだと思う
見返りを求めず
こころと時間を注げる
わだかまりがないから全力で行ける
他のことが入り込む隙間もなく

素敵な夕焼けに出会った
子どもたちの声に誘われて外へ
飛行機雲が一本スッと伸びて
オレンジ色に光り
明日へと向かっていた
夕焼けも昨日より輝いていた

コスモスが風に揺れて「こんにちは」
今にも折れそうな細いからだをゆらゆらと
たまには何も考えず
ただ風に乗ってみるのも良い
このお花たちのように

毎日子どもたちに力をもらっている
見た目はこちらが与えているようだけれど
実はしっかり与えられている
今日も朝から
「おはようございます」の言葉とともに

富士山が雪の帽子を被って
より富士山らしくなった
一度登ってみたいような
でも今はあこがれとして
遠くから眺めていよう
いつか近づける日が

誰でも子どもの頃はあった
いつからひとを疑うようになったのだろう
素直な気持ちが姿を変えていく
もう元へは戻れない
戻りたくないのかもしれない

ひとの足を引っ張ってまでも
生きる価値はあるのかと
ふと立ち止まって考えたくなることが
今日はとりあえず大丈夫
明日も大丈夫でいたい

「ごめんね」の多い毎日から卒業したい
後悔しても戻らないのはわかっている
だから「ごめんね」の言葉を
また今日も
謝っても返らない
なかなか減らない
「ごめんね」




『明日も』

 
休みモードに入ってしまうと
たった今するべきことも先のことも
やるべきことが何も浮かんでこない
このまま
だらっと転がっていていいものか
すべきことが他にあるのではと一瞬思うけれどそこまで
頭の中もからだもゴロリ
時計だけが唯一の相談相手となる

動物は生きるために余分なことを考えず
目の前の出来事に立ち向かっている
どっぷり人間に浸かっている私には到底真似はできない
手を抜く方法をしっかり身に付けているから
忙しくしながらも休むことはしっかり考えている

人の生き方も様々
じっとしていられない人
動くことが苦手な人
あることをきちんと隅から隅まで片づけないと次に進めない人
気を抜くと自分を後押しする言葉のひとつも浮かんでこない
それはそれで必要な時なのだろうが休んでいる自分に違和感を感じる
考えなければならないことはたくさんあるのにと
思考回路をたまに休ませないと熱も溜まる
煮詰まってしまったときは
こうしたいと思ってもままならないことが多い
やるべきことは何なのか何が必要のないことなのか

やらなければならないことはやるしかない
やるべき時にはやる
休むときは切り替えてしっかり休む
人生メリハリを付けることが長く楽しく暮らすコツかもしれない
ずっと走ってばかりの人はいつかエネルギーが切れて
そのときどうして良いのかわからなくなる
手を抜くことを知らずに過ごすと
完璧でない結果に自分で首を絞めることになる
もちろん出来上がりが上々な時はいいけれど
そうでないときもあるはずだから

休憩の手段は人に迷惑を掛けなければ何でも良いが
掛けてないようで掛けていることもあるので要注意
旅行、趣味、グルメ、カラオケなどなどたくさんある

私にとって旅行は掛ける時間も労力も掛けているなどと
負担には思っていない
今のところ最良な方法
自分にとっては必需品だからハードな日程でも疲れない
どちらかというと逆に帰ってからの時間のために貯めている感じ
行くことで増えているものの方が多い気がする
行っていなかったら家が一軒建っていただろうと思うこともある
思うということは若干でも惜しいと思っているのかもしれない
だけど次はどこへ行こうかと
時間ができればスケジュール帳を眺めて考えている
今はまだやめる気はない
旅行が私にとって大きな充電器

身体は確かに疲れる
ただ帰ってからも頑張ろうと思う
以前は人に言ってから行くのが楽しかった
「いいね」と言われることでより旅行に行く意味が深まった
行っている数日も充実感で包まれた
今は誰にも言わずに行くことが増えている
正に自分のための休み時間になってきた

一人旅は誰にも気を遣わずスタスタと歩ける
自分のペースを崩さなくて良い
先だけ見ていれば振り返る必要もない
寂しくないかと聞かれるけれど
素晴らし景色を見るのに会話はなくてもいい
自分だけの世界にどっぷりと浸かっていられる

いつも思うこと
旅行も仕事をしている中のわずかな時間で行くから励みとなる
毎日自由な時間ばかりだったら行っていないかもしれないし
行く意味も見つからないだろう
減っていく金銭に戸惑うことになるかも

健康で仕事ができること
ぐっすり眠れること
今日もよく頑張りました
皆様の支えがあっての私です
そんな思いで過ごせる毎日に感謝です
明日もよろしくお願いいたします




イギリス バッキンガム宮殿

MASAYO TACHIKAWA





近くに居て欲しい人を
ふと考えることがある
ひとりきりで生きる事はできない
思う人がいると強くなれる
より幸せに過ごしたい
こころから皆そう願っている

こころが穏やかになる風景がある
観光地ではない
自分が落ち着く空間
周りの音さえも消えてしまう
そんな場所
出会えて良かった

小さな積み重ねが結果となる
わかっていても
なかなか出来ないこともある
気付かない間に積み上がっていることも
意識をすればもっともっと
大きくなって
手を貸してくれる

成すべき事は何だろう
小さな子でも使命はある
親を助け
人としての時を重ね
意味のない命はどこにもない
どこに居たとしても

秋の味覚
匂い松茸味しめじ
栗も今年は甘い
食欲は秋だけでなくずっとだけれど
目でも楽しい秋の味

スポーツ観戦は得意ではない
勝った人の後ろには
必ず勝てなかった人がいる
それを思うと見ていられない
たった1秒が左右するときも
だからやっぱり見てはいられない

誰にでも子どもだった時がある
見る物聞く物
全てがこころに響いた
本物だと思った
それがそうでないと感じたのは
いつからだろう
戻ることは出来ないけれど
振り返ることは出来る

新幹線に乗っているような毎日
周りの景色が止まらない
ゆっくり考えている間に
次のところに着いている
ストップをかけないで行くままに
今はそんなとき

今年もあと2ヶ月
年が明けてからあっという間だった
新緑の鮮やかさも
彩り豊かな紅葉も
多くの出来事も
全ていい思い出
たくさんの人たちに守られ過ぎていく




『嬬恋高原キャベツ』

 
万座温泉から走って数十分
嬬恋村の広大なキャベツ畑が目の前に広がってくる
群馬県嬬恋村は標高700メートルから1400メートルにあり
昼夜の寒暖差も大きいため
夏場の高温や乾きに弱い夏キャベツにはもってこいの場所となっている

昼間と夜の温度差も夏場のキャベツにとっては嬉しい環境
標高の低い地域より一段と甘くてアクのない
少し頭が平たい形をした真ん丸のキャベツが出来上る
みずみずしい取りたてのキャベツは8月9月
1日で10万~20万ケース出荷
10万~20万と言われてもピンと来ないが
年間では1000万ケースが全国に出荷される

日本のキャベツ生産量の1位は愛知県で17.8%
2位が群馬県の16.6%
3位がぐんと下がって千葉県の9.0%
愛知県は冬キャベツ
千葉県は春キャベツ
群馬県は夏キャベツと出荷の季節が違い
それぞれ足を引っ張り合わないかたちで
一年中日本で食べられる人気の野菜となっている

愛知県は渥美半島で多くが栽培されている
渥美半島へ冬に行くと一面キャベツ畑が広がって壮観
その間を早咲きの菜の花が黄色い鮮やかな姿を披露し
景色のアクセントとなって訪れた人の目を楽しませてくれている
豊作で取れ過ぎた時は出荷するとコストがかかるため
出荷予定だった収穫前の大量のキャベツを
トラクターで潰していく映像が
地元のニュースで放送されることも珍しくない
それならば無料で配ればと思うが
そうすると買う人が減って
ますます値段が下がってしまうから致し方ない

キャベツは地中海で生まれ江戸時代に日本に渡ってきた
その頃はまだ庶民の口には入らず
明治時代になってやっと一般に出回るようになった
昔から日本でよく食べられているじゃがいもや大根に比べ
日本では新参者の野菜だが
じゃがいも、大根の次に生産量が多い野菜となっている

キャベツはアブラナ科で仲間は白菜
同じような形をしているレタスはキク科で
見た目はレタスの方が近いが品種が違う
キャベツはビタミンC、カルシウム、ビタミンKが豊富で
風邪予防やガン予防、美容にもいいとされ
血液を凝固させる作用や
骨にカルシウムを沈着させる働きのあるビタミンKなどが注目されている

キャベツの辛み成分「イソチオシアネート」は
抗ガン作用があると効果が期待され
特に注目を浴びている
その作用はよく噛んで食べるほど効果が高いそうだ

キャベツは別名甘藍(カンラン)とも呼ばれ
胃腸薬のキャベジンは
キャベツから発見された健康成分を使っている
ビタミンUは別名キャベジンと呼ばれ
それらに胃の粘膜を修復する効果
胃潰瘍予防の作用がある
胃腸薬のキャベジンは「キャベッジ・イン」とそこから付けたそう
平成22年には創業50周年を迎えた
せわしい日本
キャベジンにはお世話になっている人も多いと思う

嬬恋高原キャベツは初め日本で普及してきた明治時代
自分の家で食べるようだけに栽培をされていたが
昭和初期出荷用として本格的な栽培が始まり
昭和30年には「つまごいキャベツ」とブランド化をして
全国に知られるようになった
嬬恋キャベツは歯ごたえが良く
生で食べるのが一番美味しいと言われているが
熱を通しても型崩れが少なく炒め物、煮物などどんなお料理にも合う
宿泊したホテルでは塩レモンで生をいただいたが
キャベツ独特の苦みが全くなく美味しかった

今回縁あって出会った嬬恋高原キャベツ
たくさん買ってあちらこちらで配って食べていただいたが大好評だった

万座温泉で癒やされ
嬬恋高原キャベツで食欲も満たされ
本当に充実した時間を過ごすことができ
出会いに感謝の時間だった
夏キャベツの時期は終わりを迎えるが
紅葉の万座温泉や嬬恋高原もきっと素敵だろう
日本の四季は本当に素晴らしい
やっぱり日本人で良かったと思う




嬬恋高原 嬬恋牧場 愛妻の鐘

MASAYO TACHIKAWA





戸惑いのある場所には留まらず
全てを変えることも
大きな幸となっていく
膨らむ未来への期待
思わず笑顔が溢れてくる

毎日たくさんのひとに支えられ
たくさんのことが励みとなっている
きっかけもチャンスへと繋げ
光は先に見えている

自分も誰かの支えになれるよう
こころを強く持って
結果は必ず出る
真っ直ぐ進めば
明るい日々が待っている

ひとから望まれる存在になれたなら
どんなに生きやすいか頭ではわかる
自分を捨てるのではなく
他人の思いに添う
出来る限り
出来るだけ

今自分に必要なものは何か
必要なことは何か
他人から仕入れるも良し
自分のこころと相談するも良し

名古屋名物ひつまぶしを
老舗のお店でいただいた
支店がたくさんあって
材料もたれも同じなのに
本店とは味が違う
焼き手の加減か
自分の気持ちがそう思わせるのか

長い人生振り返ればあっという間
他人の言うことに
耳を貸していたらと思うこともある
それも過ぎてからわかること
この繰り返しが
ひとを大きくしていく

今日もありがとうと言って休もう
あれもこれもと思いながら休んでも
疲れは取れず溜まるばかり
考えていても先が詰まって
進みにくい

今日やり残したことは明日また出来る
昨日残した悔しさは
なかなかなくならない
悔しさをバネにとよく言うけれど
やれたらやっている
あとはこれから同じ事を
繰り返さないことだけ
それはこれからでもやればできる




『万座温泉Ⅱ』

 
日本には4500以上の温泉がある
その中で1000メートル以上の高地にあるのは40数カ所
群馬県の万座温泉は標高1800メートルのところにある
高地の温泉は平地よりも細菌が少なく
空気もきれいで免疫力、治癒力も上がると言われている
昔から万病に効くとも言われ湯治のため長く滞在する人も多い
今回も足をけがして歩くことがままならなかった人が
一回温泉に入っただけで痛みも取れスタスタと歩いていたのを目にして
見ている方が驚いた

宿泊した老舗ホテルには3カ所のお風呂が有り
いずれももちろんかけ流しで
真っ白な酸性硫黄泉が惜しみなく流れ出ていた
温度は入りやすいように調整をしてあったが
1カ所熱いのがお好みの人のために
入ってすぐ真っ赤になりそうな露天風呂があった
そこには熊笹が湯船に引いてありその効果も期待できた
万座には葉のサイズが大きい熊笹がたくさん自生しているため
新鮮な葉が毎日調達できる

熊笹は緑色の血液とも呼ばれ血液浄化作用が高く
ガンや疲労回復、高血圧などの生活習慣病など
様々な疾病の予防や改善に効果があると言われている
免疫力が上がる成分も含まれていて老化防止
自律神経の安定にも効くと
ただ繊維部分にケイ酸が多くそれが硬いこともあって
粉末で飲み続けると粘膜を傷つけて胃腸障害を起こすため注意が必要
抗アレルギー効果もあり
血液を浄化してサラサラにしてくれる優れもの
お茶にするとほんのり甘みもあり
乾燥させてお茶にすれば飲みやすい飲み物となる
パンダが好んで笹を食べるのにも理由があるのだろう

ホテルでの食事は地の野菜をふんだんに使った
ヘルシーなメニューが多かった
印象に残っているのは近くの嬬恋高原で
穫れたばかりの嬬恋高原キャベツ
シャキシャキで甘みがあり
そのまま何も付けず食べるのが一番美味しかった
丸のまま塩を振ってレモン汁を掛けただけの浅漬けも
より甘みが増してさっぱりといただけた

万座温泉が人気の理由は温泉の効果以外にももうひとつある
それは景色
遮る木のない広々とした高原を見ながら入るお風呂
言葉では言い尽くせない
「しあわせ~」
ふと口から漏れる
秋篠宮様がよく行かれることで有名になった
万座プリンスホテルの露天風呂からの景色はこれまた絶景
朝焼けに浮かぶ山々を見ながら
今にも振ってきそうな満天の星を見ながら入るお風呂
絵に描きたくなる美しい風景がお風呂のおまけに付いてくる

四季折々の言葉に出来ない素晴らしい景色
からだの疲れはもちろんのこと
こころの疲れも溶かしてくれる
オゾン成分が新陳代謝を向上し心身ともに元気へと導いてくれる

万座温泉は源泉が27種類もあるため
真っ白なお湯だけでなく緑色の不思議な色をしたお湯のお風呂もある
行ってみて何度も行きたくなる場所となった

一度行ってみたかった場所が
何度でも行きたい場所へと変わった
次回はいつの季節に行こうか
楽しみがまた増えた




万座温泉 湯煙と朝陽

MASAYO TACHIKAWA





たくさんの人に支えられ過ごす毎日
人の温かみに手を合わせ
ありがとうとこころの中で
たまには声に出して伝えよう
感謝の言葉を

悩みは自分自身で作り出している
同じ事が起こっても
どう捉えるか
それで先は大きく変わる
さて自分は
自問自答の答えが結果を左右する

イギリスでは夏に
陽が当たる場所を選んで歩く
日本では日差しを避けて日陰を歩く
霧のロンドン
太陽が出ていることがラッキー
ところ変われば形も真逆に

美味しそうなケーキにはよく出会う
ただ
目を丸くするような美味のケーキとは
なかなか出会えない
自分も
そんなケーキのような存在になれたなら
目標
相手がとろけるようなスイーツに

飛行機に乗るとこころが踊る
機内食も楽しみだけれど
窓からの景色をおやつに飲む珈琲
美味し過ぎてやめられない

「心より感謝の一冊」と
園芸だよりが送られてきた
見ているだけで
イングリッシュガーデンに
迷い込んだ気がする
「感謝」の言葉が
より美しい花を
気持ちの中に咲かせてくれる

虫の声の子守歌
スッと眠りに入っていける
心地よい風が
気付かないうちに重ねているわだかまりを
溶かしていく
虫さん今日もよろしく

雷で飛んでしまった国宝のしゃちほこ
歴史が一瞬にして天へ
新しい歴史がまた始まる
姿があるものは作り直せる
だけど
人のこころについて
なかなかそうはいかない

ススキが穂を揺らし
秋の風を黄金色に染めている
照りつけていた夏の日差しのことも
すっかり忘れ
明日へと向かう
今日があるから明日もある
今日が頑張れたなら
明日も頑張れる




『万座温泉Ⅰ』

 
スポーツの秋
読書の秋
食欲の秋

食欲は秋でなくても一年中変わりなく続いている
秋に食欲が一段と大きくなる理由は
気候の良さだけでなく美味しい物がたくさん出回るから
味覚の秋でもある

ずっと行きたいと思っていた群馬県の万座温泉へ行った
やっと行けた
愛知県からは少し遠いため
何かのきっかけがないと足を向けない距離のところにあるからと
そちら方面へ行けば手前の上高地で満足をしていたから

中央自動車道から長野自動車道に入り
志賀草津高原ルートを通って万座へと向かった
途中長野に入ってから常夜鍋を
栗が名物の中野では栗の粒が入ったシュークリームを食べた
夜はバイキングと聞いていたので量はほどほどに
食事中
隣のテーブルでは栗の詰め放題をやっていた
結構大きめの栗を小さいビニール袋にこれでもかと詰めていた
〇〇放題は結果もさることながら行程が楽しい
袋詰めなどは誰よりも結果が良ければより楽しくなる
これも欲のひとつ

志賀草津高原ルートは景色がいい
山の中を日光のいろは坂のようにくねくねと曲がった道路を上っていく
乗用車でも運転技術が必要
バスならばもっと緊張感が増す
乗っているだけだが踏ん張りたくなる
標高が高くなっていくのを感じながら無事到着

万座温泉は標高1800メートルの自然豊かな国定公園内にある
ホテルに荷物を下ろしていて笑ってしまったことが
途中のサービスエリアで買ったランチパックの限定販売シリーズ
信玄餅の包装袋が風船のように膨らんでパンパンになっていた
風船の中でパンが遊んでいる
買ったときはもちろんいつものサイズだった
万座はそれだけ標高が高いのだと改めて思った

今人気のハワイ島のマウナケアは富士山より高い山で標高4207m
車で頂上まで行ける
ハワイ島一番人気のスポット
世界各国の天文台があり
それだけ空気が澄んでいる証拠
もちろん日本の天文台もある
各国ドームの形は様々で可愛い形をしている

マウナケア人気の理由はそこから見る日の出と沈んでいく夕陽
雲海などもずっと下にあり遮る物は何もない
色彩も言葉に出来ない位美しい
正にパワースポット
この頃は朝陽より夕陽の方の人気が高い
なぜならば日が沈んだあとの星空もまた素晴らしいからだ
星が降るとはこんな感じかと思う
宇宙ステーションが移動しているのも肉眼で見える
寒さも忘れて地面に寝転がり見入る人も多い

天文台のある頂上へは一気に行くことができない
できないというよりはしないほうがいい
標高が高く一気に行くと高山病に罹ってしまう
だからオニズカビジターセンターで
1時間程早めのお弁当などを食べながら休憩を取って身体を慣らし
その後ゆっくりと車で上がっていく
今回はそこまで標高の高い場所ではなかったが
ランチパックのぷくぷくの姿を見て
高いところへ来たのだと改めて感じた
泉質も良く
一回入っただけで疲れが一気に取れた
次回は万座温泉でのお話をいたします




秋の風吹く万座温泉

MASAYO TACHIKAWA





人に愛されるひとは
時にも愛される
愛に包まれているひとは
誰にでもこころを向けられる
そんな優しさに少しでも近づけるよう
今日も笑顔でいよう

夏も終わりを迎える
暑かった毎日もずっと前のことのよう
どんなことも過ぎてしまえば
すべてが過去になる
悔いのない時間を過ごしたい

ふとした言葉がこころに刺さる
言った方の記憶はほとんどない
ただ思いついたから言っただけ
だけどそれがずっしりこころに入ることも
ありがとう
良いきっかけを

秋の空が爽やかな風を運んでくれる
一年で一番ホッとする季節
春は新しい時間に流され
夏は太陽の力に押され
冬は空気の冷たさにからだを丸めたくなる
今は前を真っ直ぐ向いて
じっくり考えられる時

記憶にも許容量がある
ただそれに係わらず
忘れることは多い
こころに残るか残らないか
小さな記憶が先を左右することも
これも運かと思う

一歩一歩と言いながら
ジャンプをしたくなるときもある
立ち止まりたくなるときも
ただ諦めることだけはしたくない
これからもずっと

ため息をつくと幸せが逃げていくと言う
だったら吸い込んで
周りのひとの幸せを
からだに入れて膨らませ
皆に分けていこう
幸せは小さなことでも
育てれば大きくなっていく

ずっと行きたいと思っていた
万座温泉へ
真っ白で程よい熱さのお湯
周りには遮るものがなく
広々とした天然の景色
こころが溶けていくのを感じた
切り替えの時間が支えになる

ゆったりとした秋の流れに感謝して
一日ご苦労様でした
誰も言ってくれなければ
自分で自分に言いましょう
今日もよく頑張りました




『マザーリーフ』

 
休みモードに入ってしまうと
今のことも先のことも次にすべきことが浮かんでこない
そんな中で一生懸命生きている動物の姿を追いかけた番組を見ると
マッタリしている自分に反省をしたくなる
緊張感がない
ちょっと休憩をしているだけと自分に言い聞かせて動かないでいる
でも偶にそんな時間を持たないと
張り詰めたゴムと一緒で伸びきったら戻らなくなってしまうから
そんな時間も大切

植物は手を掛け過ぎると枯れてしまうことが多い
良かれと思いせっせと毎日お水を与え続けると根腐れをしてしまう
もっと花を咲かせたいと
咲いているときに肥料をあげると強すぎて
咲く前に花が枝からポロリ
ずっとあげないと枯れてしまうが
控えめに与えていると生きるために一生懸命根を広げ強くなっていく
ほどほどがいいけれど
どこがほどほどの境界か勘と経験に頼るしかない

上野のパンダの赤ちゃん
すくすくと順調に大きくなっている
ミサイルの話の中でホッとできる唯一の話題
以前は良かれと思って母パンダに抱かせておいたら
圧迫で生まれて間もなく天使になってしまった
今回はその教訓も踏まえ1秒たりとも気が抜けない
動物園としてもプロとして相当気を遣ったと思う
そしてそれが経験値となっていく
プロでも経験することが力となっていく
正に「どんな名医にも最初の患者がいる」
繰り返すことで学んでいくことになる

たまたまもらった1枚のマザーリーフがすくすくと育ち
今はたった1年足らずで数十本に増えた
正式名はセイロンベンケイソウと言うが
葉っぱを水に浸けておくと
葉の周りにある細かいくびれから小さな芽を出し
それが大きくなっていく
そのまま取らないでいるとその小さな芽から鬚根が出てきて
ある程度大きくなると自分で葉から離れて独り立ちをする
それを土の上に置いておくとどんどん大きくなって
一人前のマザーリーフの親になっていく
外に植えると環境が良ければ1メートル位まで育つそう

本当に繁殖力が強く
空いたくびれから数週間後にまた新しい芽を付ける
「幸せの葉っぱ」
「ミラクルリーフ」とも言って
日当たりが良くて水を絶やさないと
あっという間に一枚の葉が数十本に増える
ミラクル
魔法を使って増やしているような感じ
ただ花はなかなか咲かないようで
色が変わっていくらしい花が冬から春にかけて咲く
運がいいと出会えるそう
だから花は幻の花と言われている

仕事も趣味も繰り返すことで奥を深めていき自分の身や骨としていく
誰でも重ねていけばミラクルリーフになる要素は十分持っている

今日はマッタリし過ぎたと思わず明日のために充電をしたと思おう
出来ないことも出来ることも必ず一歩目から始まる
もう一つくらい新しい事を増やしてみようか
そんなことを思ってマッタリ

明日は今日の分も
やっぱり私は小走り派かな




幸せの葉っぱ「マザーリーフ」

MASAYO TACHIKAWA





会いたいと思っていると
不思議にバッタリ会ったりする
純粋な思いは願いをも叶えてくれる
今こころの中にある小さな芽を膨らませ
大きな支えとして行きたい
自分のためにだけでなく

夏に出会った人たち
皆笑顔がキラキラと輝いていた
目標を持って生きている人からは
学ぶことが多い
もっともっと頑張らねば
勇気がわいてくる           

たくさんのことを記憶し
たくさんのことを忘れていく
ただ大切なことは忘れない
大切なこととは何か
自分にとって都合の良いこともだけれど
生きるために必要な技を

忘れず秋の虫が鳴き始め
暑かった夏の終わりを告げている
ヒグラシから一気に虫の声に
日々何かに支えられ生きている
持ちつ持たれつの毎日に感謝

たまたまは偶然か必然か
考える余裕があれば
深く考えず受け入れて
次の手を
支えは必ずやってくる

ムームンのミーは
きっと繊細な女の子だと思う
自分をストレートになかなか表現できず
自分自身で反省をする日も多いのだろう
だから横目で人を見る
そんな彼女が何となく好き

人気者の手相が一瞬
目に飛び込んできた
横に真っ直ぐ伸びた一本線
少しの曲がりもなかった
徳川家康が持っていた線と同じらしい
さすが強運の持ち主は
手相をも味方をしてくれている

足りないことを知らずに過ごしていると
突然何かが
高い位置から振ってくる
避けきれない
たまには目線を低くして
自分自身を見つめる時間を

夏休みもあっという間に終わってしまった
また来年の夏休みを楽しみに
さて来年はどこへ行こうか
考えている間にすぐに暑い夏が来る
今が楽しいと過ぎゆく時も流れが早い




『東山動植物園』

 
久しぶりに名古屋の東山動植物園へ行った
何十年ぶりだろう

今、結構話題になっているスポットでもある
最近は「アー」と
おじさんの叫び声みたいな大声を出すテナガザルが人気
私が行ったときは暑かったためか
そのテナガザルの姿は檻の中にはなかった
檻の外にはその声を聞きたくて来園したであろう親子連れが
テナガザルの声を録音したスマホを再生して檻の方へ何度も向けていた
暑い中
私が来る前から何度もチャレンジをしたのだろうが
姿を見せることはなかった
今日テレビを見ていたら
暑い日や雨が降ったりすると外には出ないと言っていた

数年前から人気者のイケメンゴリラのシャバーニは堂々としたもので
涼しい部屋の中でゴロンと寝そべって痒い所をポリポリしていた
イケメンかどうかなどシャバーニにとってはどうでもいい話だろう
イケメンなんて誰が気づいて誰が言い出したのかと知りたくなった
2015年には写真集も出版されて
アマゾンでベストセラー1位を獲得した
私も肖りたいものだ

来年2018年には
1ヘクタールもある森林エリア「アフリカの森」へ
狭い檻の中から引越しをする
予定エリアは今
高い塀で囲まれ整備が着々と進められていた

1984年には名古屋にコアラがやって来た
最初の頃は何時間も並んでやっとコアラ舎へ
入れたと思ったら当のコアラさんはぐっすりと木の上でお休み
目を開いたコアラを見ることがなかなかできなかった
コアラは夜行性で人間の都合に合わせてはくれない
今回はほとんどのコアラさんが起きていて可愛い姿を見せてくれた
木の上を歩いているコアラさん
ユーカリの葉を美味しそうに
むしゃむしゃと食べているコアラさんもいた
コアラの餌代は1頭年間約800万円かかるそう

オーストラリアでは
コアラを抱っこして写真を撮らせてくれる動物園もある
一時は動物保護のためと禁止になると言われていたが
一部の動物園で引き続き撮影が可能となった
ケイアンズで写真を撮ったとき
コアラさんも一頭一頭顔が違うことに気づいた
目がクリクリで愛らしい顔をしたコアラさんや
厳めしい顔をしたコアラさん
コアラの世界も人間と同じ
ただこれもコアラにとってはどうでもいいことだろう

東山動物園では期間限定でナイトZOOを行っている 普段入場できない閉園後に動物園を開放して
動物たちの違った一面を見てもらおうといった主旨だろう
行ったときはナイト用にペンギンの飾りを付けていた
暗いところに飾ると光が当たってキラキラと輝く造りになっていた

ナイトZOOの一番の売りは
開園80周年特別企画
ホッキョクグマ舎で行われるプロジェクションマッピング
テレビで見たが
キリンや象が間に出てきて動物園らしい構成になっていた

久しぶりの動物園を楽しんで
最後にショップで限定のあまおう苺のソフトクリームと
おサルさんの形をした手作りパンを買って帰った

今回偶然に行く機会を与えていただいた
以前よく行っていたころの自分に戻ることができて
優しい気持ちになりました
素敵な時間をありがとうございました




東山動植物園 上池とスカイタワー

MASAYO TACHIKAWA





時の流れが温かく優しく迎えてくれる
ゆったりとした空間
ありがとう
ただそれだけ
恩返しができるよう
今日も明日もがんばります

小さな願いが重なって
天に届いた瞬間を想像し
ジャックと豆の木のお話のように
必ず叶えてみせる
強い気持ちで
一歩一歩

優しさを優しさで返すと
時を待たずとも結果が現れる
目に見えないものが支えとなってくれる
優しさは陰の大きな力

桃が色を付けて食べ頃
1年掛けてじっくりと旨みを蓄えていく
自然からは見習うことが多い
毎日が学びです

みんなが大好きなハワイ
今年は違うところへ行くけれど
夏になると行った気分になるから不思議
ロイヤルハワイアンホテルのカフェでは
ピンク色のパラソルの下で
今もたくさんの人たちが
至福の時を過ごしているでしょう
今度はハワイにしようかな

雨が降る日は傘を差してやむのを待とう
日差しが強い日は日が陰るまで
涼しいところで過ごそう
人生は待つことも大切
見極める目を持って

手を合わせ平和を祈る人たち
今もどこかで人々が戦っている
なぜ争いが起こるのか
自分だけでもと思いながら
感情に負けることがある
自分だけでも

素晴らしい花火を間近で見ることができた
「素敵」の一言では足りない位
多くの人たちの努力が形になる瞬間
拍手と歓声があちらこちらで上がる
感動で胸がいっぱいに

流れが速いときは
流れに逆らわない
やるべき時には
やるべきことが目の前に現れる
だから毎日が楽しい
今日もいいことがありそう




『大きな器』

 
アブラゼミとニイニイゼミが鳴き競っている
そう思うのは人間だけ
セミは競う気など全くない

人はたくさんの願いを持って生きている
だから生き甲斐がある
昨日も今日も
そして明日も

願いは尽きない
だから毎日が楽しいし面白い

ふと思いがけないことがあると
そこでその人の器の大きさがわかる
他人から見たら何でこんな小さなことで悩むのかと思うこともある
でもその人の器からは既に多くのことが溢れ出している

逆にこんなことが起きているのに涙も見せないで凄いと思う人もいる
その人の大きな器にはそんな出来事も小さなゴマ粒程度のこと

ただ他人の器の大きさがわかるためには
自分自身相当大きな深い器を持っていなければならない
何でも受け入れられる器を

自分では自分の器の大きさはわかりにくい
これは自分で判断することではなく
ひとが決めることかもしれない

「器がちいさいなぁ」と言われないよう
思われないよう
と一瞬思うけれど
他人から思われる以上に
自分で自分をそう思いたくない

明日も笑って笑って
ずっと笑っていたい
出来ることならば

大好きなヒグラシも泣き始めた
ヒグラシの声は何度聞いてもこころが落ち着く
何故だろう
夏休みももうすぐ終わるとお知らせされているのに
やっぱり子どもたちの笑い声が早く聞きたいからだろうか

夏休みもまだ始まったばかり
ヒグラシの声がまた聞きたくなってきた
自分自身の器のためにも




蝉の鳴く 伊勢神宮 五十鈴川

MASAYO TACHIKAWA





木漏れ日がこころに刺さる
木々の囁きがゆとりを与えてくれる
自然には嘘がない
ただ与えられたことを受け入れている
だから美しい

何を思って生きるかで毎日が変わる
過去を生きるか今を生きるか
思いは日々の積み重ね
より素晴らしい時間を過ごせるように

やり遂げたいことがたくさんある
やろうと思ったことは
最後までやり抜かなければ
今がもったいない
閃きもひとつの縁

子どもの時に書いていた太陽は
いつもニコニコ笑っていた
そして生きる力となっている
太陽にはなれないけれど
少しでもそんな存在でありたいと思う

もしかしたら自分は
誰かのために生きているのかもと思うことがある
ひとから必要とされる生き方
追い求めると面白い

幸せとは不意に現れるから力になる
ずっと幸せに囲まれていると気付かない
でもやっぱり本音は
気付かない位の幸せの中に
一生居たい

夏休みも
ぼやぼやしていると
あっという間に終わってしまう
ひとつでもふたつでも目標を立てて
カツオくんの宿題にならないように

天使の輪が光っている
言葉にできない位キラキラとした色で
天使の輪は見る人によって色が変わる
こころの中の色が
輪に映し出される

誰もが喜んだパンダの誕生
人も同じ
生まれたとき母や父は
涙を流し感激をしてくれた
時が経つとそれも忘れてしまう
ちょっとだけ原点に戻ってみよう




『知多半島』

 
川の流れる音が眠りを誘う
夜に寝られなかったわけでもないのにスッと眠りに入っていける
水の流れる音はリラックス効果が高いと言う
よくハワイの波の音が入ったCDを掛けっぱなしにして
聞くでもなく聞かないでもなく流している
これが知多半島の日間賀島の波の音だったり
場所が違うとまた気持ちは変わるかもしれない

愛知県の知多半島から「知多」というブランドのウイスキーが出ている
知多と名前の付けられたサントリーの新しいウイスキー
最初に目にしたのは山梨の白州サントリーの蒸留所だった
最初は愛知県の知多ではないと少しも疑うことなくラベルさえ見なかった
日本に同じ名前の街があるのだと思った

白州のサントリーの工場内では博物館があり
ウイスキーやお水の製造工程が見学できる
南アルプスの天然水もここで作られている
水も空気も何もかもが豊かな素敵なところ
博物館の上から見る景色も良く
ウイスキーを作るために与えられた
神聖な場所と言っても言い過ぎではない
清里高原も近く
シャトレーゼの工場も車で5分位のところにあるため
清里方面へ行くときはシャトレーゼとともに必ず立ち寄っている
お気に入りの場所
木々に囲まれせせらぎがあって空気が澄んでいて
何だか別荘に行った気分にもなる
ただ今は見学の予約をしていないとあっさりと断られるので要注意
お酒を全く飲まない私でも
ウイスキーが樽に入れられ保存されている倉庫へ入ると
飲んでもいないのに酔った気がして心地よさに包まれる
倉庫の外にも香りが漂っている
子どもは入らない方が良いともアドバイスを受ける
白州はそんな環境抜群のところ

知多というブランドのウイスキーが作られている知多半島へは
名古屋から知多半島道路を通って1時間半位で着く
愛知県の地図を見ると
伊勢湾に蟹の手を2本広げているような形になっている
その右手部分の三重県のお伊勢さんに近い方が知多半島
左手部分が渥美半島
名古屋、尾張地方の人たちは
海水浴というと多くが知多半島へ行っていた
いくつかある海水浴場の中でも内海(うつみ)が一番人気
内海は海の家も恒に満員だった
だから山も川も森林も
海水浴場としてだけのイメージの知多半島からは浮かんでこないため
まさかウイスキーが作られているという発想にはならない

突然現れた「知多」というウイスキー
「知多」は1972年から作られていて
とうもろこしを主原料にしたグレーンウイスキー
グレーン原酒とはクリーン、ミディアム、ヘビーの3タイプの
世界でも珍しい原酒
クリーンタイプはピュアでほのかな甘さがあり
ミディアムタイプはマイルドな口当たり
ヘビーは名前の通り香り立ちが強く味わいが豊か
樽にも凝っていてバニラのような甘い香りがするホワイトオーク樽
フルーティーで濃厚な味わいが出るスパニッシュオーク樽
イチゴのような滑らかさがあるワイン樽を貯蔵樽として使っている
そうして手を掛けられて出来上がった原酒を
ブレンダーの巧みな技でベストな状態にされて愛好家に届けられている
海外でも評価は高い

何だか知多の蒸留所に行ってみたくなった
知多には350年を超える歴史ある日本酒「ねのひ」の盛田酒造がある
盛田酒造はソニーの創業者盛田さんの実家
予約をしないと見学はできないが
敷地内にあるレストランでは倉を改造して
味噌田楽、菜めし、味噌煮込みうどんなど郷土料理が食べられる
お店の中には実際使っていた大きな樽も置いてあり
近寄るといい香りもする

知多半島入口の半田市にはミツカンがあり酢や納豆を作っている
小さな老舗のお店が
今ではきれいなビルとなり全国に知られるようになった
昔ながらの作り方で納豆を作っているところを見学したことがあるが
独特な香りと雰囲気があちらこちらに残っていた
その光景を今でもはっきりと覚えている
そのときは納豆がこんなにも売れるとは思わなかった

そんなことを色々並べてもやっぱり知多とウイスキーは繋がらない
思っているだけでは結論が出ないから近々行って見てこよう
この目で確かめて納得しよう
行きたいところがまた増えた
楽しみも




知多 日間賀島からオーシャンビュー

MASAYO TACHIKAWA





たった一言
「ありがとう」の声を聞いただけで
こころがスッと溶けていくのを感じる
やっていて良かった
こちらこそ
ありがとう

上手く時が流れているときは何も感じない
ほんの小さな石ころにつまずいた
それだけで
如何に今まで守られていたかを痛感する

時には立ち止まって一呼吸
視線の先には何かが見えるはず
意外に身近なところで
大きなヒントが転がっていたりする

たまたま歩いていてムーミンショップを発見
ムーミンの箱入りフィギアを1個買った
何が入っているかはお楽しみ
重さで「これ」と思ったものを
確立は八分の一
エイッ
当たり
大人買いもできるけど
この感覚が楽しい

ケーキはたまに食べるから美味しい
毎日のように食べていたら
有り難みもなくなる
日々も同じこと
優しさに囲まれていると
何もかもが当たり前になってしまう

サランラップの3色のクマさん
最初は抵抗感があったけれど
今は何だか
パステルカラーが
心地よく可愛い

一年に一回しか会えない七夕の日
それならば
いっそ会わない方がいい気もするけれど
そこはメルヘン
会えない時間が
力を付けていく

追い詰められないと
なかなか手を進められない
もう少しゆとりを持って掛かれば楽なのに
わかっていてもなかなか

皆の喜ぶ顔が見たくて
今日もせっせとお買い物
自分の喜び以上に
他人の笑顔と会いたくて




『静かな一日』

 
今年の梅雨は雨が少ない
普段放っておいてもめったに枯れない丈夫なハーブたちも
目を掛けていないとぐったりしているときがある
紫陽花の病気も出ている
まだ原因は不明で
そのままにしておくと感染が広がるそうで切るしかない
丹精込めて育て待ちに待った開花
人で賑わう時期になってもいつもの美しい花は見られず
お祭りを中止にしたところもある

お花だけでなくサンマも捕れない
温暖化で海水の温度が本来の水温にならず
稚魚が育たなかったからだそう
地球上の小さな変化が色々な現象を起こして
普通が普通でなくなっている

温暖化については賛否両論
縁あってお話ができるようになった
さんまさんのホンマでっかTVに出演されている
環境が御専門の武田先生は
温暖化など心配することはない
南極の氷が溶けているという話は間違っているとはっきり言われている
だが日本人の多くは目の前で起こっている現象を見て
きっと温暖化は進んでいるのだろうと思っている
そして自分でできることはできる限りやっているはず
ゴミを増やさないとか
今まででは考えられなかったことが次々と起きている

名古屋城横のウエスティンナゴヤキャッスルホテルに
季節限定のパンを買いに行った
今回はアスパラを生地に練り込んだふんわりモチモチのパンだった
人参や南瓜やヨモギ等々
限定商品は行ってみないとわからない
それもまた楽しい

そのときシーズナリービュッフェのパンフレットをもらってきた
そのパンフレットを見ていて
残ったお料理はどうするのだろうとふと思った
そして温暖化のことが気になった

7月のバイキングのメインはローストビーフとイベリコ豚のロースト
お勧めパスタは
明太子スパゲッティ
8月は韓国風トマト冷麺
デザートバーは7月マンゴーを使ったスイーツ
8月は白桃のムース
どんなメニューであってもバイキングにはこころ惹かれる
自分のお腹と相談して好きなだけ好きな物を食べられる魅力には
体重増加のリスクがあってもなかなか勝てない

アメリカの一流企業では肥満の人は出世できないという
自分の管理ができない人は
他人を動かすことや管理はできないからという理由
確かに体重の管理は自分にしかできない
体重コントロールを伝授してくれるスタジオで80万円かけて痩せても
結局止めるとリバウンドする人が多いらしい
リバウンドしないが売りだが
食べれば食べただけ体重が増えるのは
体質改善をして緩やかな上昇とはなるものの
当たり前のこと
確かに誰かに叱られないと
まあいいか明日からやろうと明日からになってしまう
結局明日から明日からとなかなか始められない
本来の主旨とは違うが
叱られるから
高額な代金を払っているからの理由で
好きな物を食べたい物を食べるのは止めようとセーブすることになる
もちろん健康に過ごしたいが一番の目標だろうが

今日できないことは明日からもなかなかできない
食べることだけでなく何でも同じ
試験が近いので明日からと思ながら
いよいよ当日を迎えてしまう
そして一か八かに

一か八かとは「結果がわからないまま運を天に任せ勝負をすること」
語源は博打の「丁か半か」
一は丁
八は半の漢字の上の部分を取ったもので
丁半賭博などの勝負を意味していた
そしてもうひとつの意味
八は罰
罰とはしくじることの意味から来ている

いずれにしてもできれば一か八かの人生は送りたくない
でもそんな時が来たらきっと「一か八か」とつぶやきながら
神様の力を信じ向かうだろうと思う
今日はとりあえず石橋を叩かずとも
神様に念じなくてもゆったりと過ごすことができた
静かな一日に感謝




ウエスティンナゴヤキャッスルホテルの七夕飾り

MASAYO TACHIKAWA





居心地の良い場所がある
自分を必要としてくれるところ
自分を認めてくれる人が居る空間
ありがとう
幸せです

初夏の爽やかな風が髪を揺らしていった
「よく頑張っているね」と
声を掛けられたような気が
もっともっと頑張ろう

雨の降らない梅雨
洗濯ものは溜まらないけれど
植物の根っこにも水が溜まらない
何でもほどほどがいい

どんなヒットをしたドラマも
終われば過去のものとなる
こころには深く残るけれど
次の新しいものが乗ってくる
旬を大切にしたい

言葉の壁で
意思の疎通を阻まれることはない
言葉ではない何かで
気持ちを伝えることの方が
より深みを増すこともある

大きな鏡に写った自分に驚くことがある
感心を持たずに過ごしていると
変化に気付かない
たまには自身への心遣いも必要

グアムの恋人岬
悲恋がこの岬をより美しい空間とした
盲目になると
正しい判断もできなくなるが
信じられない位
大きな力ともなる

いい塩梅がいい味を出す
頃合いがわかると人生も生きやすい
力加減をこころで配合しながら
生き生きと

もうすぐ夏休み
やりたいこともがたくさんある
あれもこれもとならぬよう
今は土台作りを




『紫陽花とジャガイモとサツマイモ』

 
松坂屋へ赤福の朔日餅一番人気
7月1日販売の水ようかん「竹流し」を予約に行ったとき
南館地下のお花屋さんに並べられていた紫陽花の花に目が留まった
濃い鮮やかなピンク色で
今まで出会ったことのない色だったので
その後のスケジュールも顧みず
飛びついて買ってしまった
まだピンク色になりきっていない部分は緑色
そのバランスがまた良かった

紫陽花も新しい品種が次々と出てきて
昔自宅の庭に咲いていた水色以外の色の花に心惹かれる
庭の紫陽花は結構大きな株で
毎年花が咲くと母が切ってくれて
小学校の時も中学校の時も学校へ持って行っていた

紫陽花は切ってそのまま花瓶に生けると水揚げが悪くすぐ首をもたげて
手を加えず放っておくとその日のうちに枯れてしまう
水揚げが得意ではない
母は毎回切ったらすぐに切り口をガスコンロで焼いてくれていた
不思議なことにそうすることで教室に生けられたお花は
何日もきれいに咲いていた
その紫陽花
咲き始めは水色で日にちが経つと紫色に変わっていった
ひとつの花がとても大きかったのを覚えている

今お庭では花火という名前が付いた薄い水色の紫陽花が
毎年「待ってました」と言わんばかりに忘れず咲いてくれている
今年も優しい顔で朝
庭へ出る私を「おはよう」と迎えてくれる

本来日本に自生する紫陽花はガクアジサイで
一般的な真ん丸の紫陽花はホンアジサイと言う
あまり人の入らない山を歩いていると
小ぶりの花を咲かせた額紫陽花に出会うことがある
一般的に皆が花びらだと思っている部分
本当は萼(がく)で
掻き分けてよく見ると小さな点のような花が付いている
咲いていることもあるが見つけにくい

冬には紫陽花を使ってアレンジを作ることがある
冬に紫陽花?と意表を突いた感じで結構人気がある
このときは水色とかピンク色ではなく
チョコレート色様の少し枯れたような色を使うことが多い

縁あって職場の横の畑でジャガイモ掘りとサツマイモの苗植えをした
梅雨に入ったというのに近々に雨が降る予報の日はなく
植えてから毎日せっせとサツマイモさんにお水をあげに行っている
畑の横には小川が流れていて
じょうろで水を汲んでは丁寧にあげている
あげているのは私ではなく植えた子どもたち
秋の収穫で美味しいお芋が食べられるからなんて彼らは考えていない
そんな大人チックな欲など何もない
ただ程よく流れる小川で水を汲んでお水をあげることが楽しいらしい
私はそれを見ているだけでただただ楽しい

新ジャガは皮を剥かずにサッと茹でて
バターやとろけるチーズなどを乗せて
とろけて行くところをパクッといきたいと思っている

初夏の恵みとともに子どもたちの笑顔
どちらもお腹いっぱい感謝でいただきます
このような時間を与えてくださってありがとうございます
子どもたちが雨を待つようになるのが早いか雨が降るのが早いか
しばらく目を細めながら見ていようと思います




もうひとつの楽しみ スイーツ色々

MASAYO TACHIKAWA





爽やかな風とともに
こころ穏やかな時間が流れていく
ホッとできる空間がある幸せ
大切にしていきたい
感謝で

紫陽花の花が見頃を迎え
雨の日も鮮やかな景色が広がっている
ピンク色や水色
変化していく花の色が人の気持ちと被って
ふと微笑みたくなる

誰のためにするわけではなく
自分のためにでも決してない
損得のない振る舞いは
これからのためへの
大きな種を蒔いている

あちらを立てればこちらが立たず
両方立てるには
人としての技がいる
あれもこれも
多くの経験がものを言う

やってやれないことはないと言うけれど
どんなに頑張ってもできないことはある
まずは焦らないこと
それから始まる

人を色眼鏡で見ると
周りの輪郭が惚ける
その人の本意はどこなのか
見分ける力とともに
一歩引いて見る力も
必要

コアラのマーチの
プレミアムコアラに当たると
運を使ってしまったような気になるか
大きな幸運が巡って来たと思うか
あなたはどちらですか

大ヒットの映画「君の名は」
あり得ないことが重なって
次々起こる軌跡
人は奇跡の中で生きている

過去を振り返って楽しむか
足取りを重くするか
どちらが良いか
誰でもしっかりわかっている
頭では
後はこころを連れて行くだけ




『連休』

 
連休中思い切って伊勢神宮へ行った
一番の目的はプレゼントでもらった
ホテルの一泊二食付きのチケットを使う事だった
最終有効期限は5月31日
どうスケジュール帳と睨めっこしても
行ける日が連休中のこの日しかない
わざわざ混むことがわかっているのにそこへ好んで行くことはない
おまけに今年伊勢では菓子博をおこなっていて
例年以上に人が集まって来ている
そう頭では思っても最終期限までにはこの日しかなかった

決めたのが行ける日まで一ヶ月を切っていた
ホテルには駄目もとの軽い気持ちで予約の電話を入れた
行きたい日を伝え
「少々お待ちください確認いたします」の返事の後
電話口からは保留の曲が流れてきた
30秒ほど経って答えは「大丈夫です。御用意できます」
意外な返事だった

そのホテルへは伊勢志摩サミット以来久しぶりに行く
お天気カメラが屋上に着いている眺めのいい
全室オーシャンビューのホテル
大好きな鳥羽国際ホテルを
客室からも露天風呂に入りながらも見ることができる
伊勢志摩サミットの時はもっとギリギリに行くことを決めたが
今回と同じように即OKの返事だった

以前にも書いたが
サミットの時はホテルに日本中の警察官が宿泊していて
駐車場には警察の
窓に網の掛かった〇〇車が
隙間なくぎっしりと停められていた
朝が来るとそれらの車は数台を残して
一斉に大切な役目を果たしに出掛けて行っていて
広い駐車場は空っぽになっていた

5月が近づくとよく聞かれる言葉「連休はどこかへ行くの?」
連休はどこへ行っても人が溢れているのは
日本人ならば誰もがわかっている
わざわざ連休中に行かずとも他の日に行けば良いと思うのだけれど
連休しか休みが取れない人も多い
幸い自分は他の日でも行けるから
いつもテレビで渋滞情報が流れているのを
見ているような見ていないような
他人事の感覚で見ている

連休中に是非とも一度は行きたい場所がある
長野県の阿智村
昼神温泉近くのはなもも街道だ
ここの花桃は連休中にちょうど見頃を迎える
約40キロにわたり1万本の花桃が所狭しと咲き誇る
行くまでの道路は狭い所が多く
おまけに目的地までの道は限られていて
はまってしまうと逃げ道もない
もう何年もチャレンジをしようと思うがなかなか勇気が出ない
今年も一度は考えて
花桃や昼神温泉のことに詳しい方に良い方法はないかと尋ねてみた
答えは一緒だった
行くならばバスツアーに参加して
渋滞にはまっても安心していられる方法しかないと
自分の車で行くなんてもってのほかだと
結局あっさり今年も花桃鑑賞は諦めた

花桃は食用ではなく花を観賞するために品種改良された桃
一般的には桜より早く咲くが昼神の花桃は桜より遅く咲き始める
一番の魅力は花のボリュームと一本の枝から
ピンク色や白など一色だけでなく何色もの花を咲かせること
あれは何度見てもいつ見ても不思議で仕方がない

過去に連休中にバスツアーで富士芝桜まつりに行ったことがある
約80万株の色とりどりの芝桜が
広大な敷地に富士山を背景に咲き
とても美しく
感動の度合いが高かったのを覚えている
そのときの添乗員さんはベテランの人で
予定されていたスケジュール通りではなく
その添乗員さんの采配で動いたため渋滞には一切引っかからず
駐車場にもすぐに入ることができて
嫌な思いを全くせずの連休中の旅行となった
たしかそのとき軽井沢にも行ったが
ここでもスムーズにスケジュールを熟した

どんな美しい景色も精神的負担が大きいとその印象が強く残ってしまう
今年の連休は海外脱出組が多かったそう
ハワイなど普段の2~5倍の値段を付けているのに行く人は多い
自分には考えられないけれど
これからも行けるときに行きたいところに行こう
そのスタンスは変えないでいこうと思う

いよいよ紫陽花の季節がやって来る
庭の花火の名前の付いた紫陽花も新芽を出し
今年も品のある美しい水色の花でこころを和ませてくれそう
連休中の他の日は今年も程よく休憩を取りながら
やりたいことをしてゆったりと過ごした
心身共に休めることに感謝をしながら
夏休みはどこへ行こうかとパソコンを眺めていた
今のところへ再びヨーロッパへ行こうと思っている

ありがとう素敵な連休を
素敵な時間を




新鮮海鮮越しの鳥羽シーサイドホテル

MASAYO TACHIKAWA





新緑の季節
まだ熟し切っていない緑色を見ていると
先に大きな何かが待っている気がする
期待感が高い
これから何でもできそうな気さえしてくる

追い込まれないとなかなか動けない
時間がないと思うから
やっと
やらねばと思う
それでもできれば
それでいい

物事をやり遂げると
それが大きな力となって
日々を支えてくれる
何もせず過ごせば
事は起こらない
けれどそれはそれで
寂しいかもしれない

時間に追われると
気持ちが付いていかなくなることがある
逆に考える暇がなく
下手な考えもなくなる
さて自分はどちらに

色紙を重ねると
それぞれの持ち味を活かせる組み合わせと
お互いを否定してしまう組み合わせがある
人も同じ
できれば通じる人と
共に歩いていきたい

思うように運ばないときは一休み
それでも行かないときは二休み
それでもは自分自身で素を作っている
そんな時は三休みをせず
大きな一歩を

あと一歩
あと一歩
大きな一歩も小さな一歩も
一歩は一歩
時には人と比べずに
自分の歩幅を知ることも
必要

楽しかった連休も
あっという間に過ぎていった
でも程よい長さ
これ以上長くても短くても
使い熟せていなかったかも
何でもほどほどがいい

夏待たずしてすでに暑い
こころのモチベーションも上昇中
何でも下がるよりは上がる方が良い
どんどん上がって
神様に少しでも近づくことが出来たなら
ひとのために何をしようかと
考えるだけで
ワクワクしてくる




『ポルトガルブルー』

 
今鳥羽の海を見ながら書いています
何度この海を見ながら時間を言葉を綴ったことでしょう
10年ほど前まではお伊勢さんを含め
三重県のこの場所へ足を向けることは多くて1年に1度ほどでした
全く来ない年も少なくはなく
今は2~3か月に一度この場所でこの空気を吸っています

今回はいつもの鳥羽国際ホテルではなく
その国際ホテルが見える鳥羽シーサイドホテルに宿泊しています
このホテルは朝夕の情報番組の各地のお天気が映し出されるとき
鳥羽の景色として屋上からの映像が流されます
お風呂もその景色を見ながら入ります

今少し陽が落ちてきて海が反射でキラキラと輝いています
この色を訪ねられたら何色と答えましょう
定番の24色絵具やクレヨンにはないオレンジ色
独特な力を放っています
色や音など人は五感をくすぐられると記憶に残りやすく
このオレンジ色もこころの片隅にきっと残るでしょう

春休みに行ったポルトガルは青色が印象的でした
ポルトガルブルーと言われる青空は少し藍色がかった独特な色
海を写真に撮ると水平線がどこか一瞬わからないこともあります
歴史のある立派な建物が青空をバックに一段と堂々として見えるのです

今回行ったポルトガルで一番印象に残っているのは
リスボン市内から電車で40分ほどのシントラ
シントラはイギリスの有名な詩人が
「この世のエデン」と表現して世界一美しい場所とほめたたえました
シントラにはペーナ宮殿、王宮など
王族や富豪の豪邸が多く残っています
これらの建物は貴族や王族の避暑のためのものです
1995年に「シントラの文化景観」として
街並みが世界遺産に認定されました

シントラに着いて必ず誰もが訪れるのがペーナ宮殿です
ペーナ宮殿は1850年にドイツの建築家が設計し
ピンク色や黄色のパステルカラーが城壁に使われている独特な宮殿です
遠くから見るとディズニーランドなどのアトラクション城という感じです
世界遺産のはずですが手入れや管理が疎かで
壁や囲いなどの汚れやひび割れが目立ちました
あのままでは認定されてからも管理が厳しいと言われる世界遺産から
外されるのではと心配したくなりました
山の頂上に建てられ傾斜を活用しているので
少し気を抜くと迷子になる位
建物が入り組んでいます
ただ中に展示されている調度品は立派なものばかりでした
そして部屋の窓から見る景色は素晴らしく
食事も毎日こんな景色を見ながら食べることができて
それだけでもおかずになるのではと思いました

シントラへは現地オプショナルツアーで行くと一万数千円かかりますが
自分で行くと電車代、宮殿などの入場券も含め
今回は35ユーロほどで済みました
ツアーですとペーナ宮殿をはじめ1~2か所の宮殿にしか入場しませんが
自分で行くと今回行ってよかったと一番強く思った
ムーアの城跡など4か所以上入れます
シントラについてはまた詳しく書きたいと思います

ヨーロッパ旅行は今危険なところも多く
行こうと思うところが限られていますが
その中でもポルトガルは今お薦めの場所です
まだまだ日本人には知られていない場所も多く
現地パンフレットも日本語バージョンはなかなか置いてありません
是非行きたいところのひとつに入れてみてください

今回たくさんの春の花にも囲まれ
ホッとする時間の多い旅行となりました
ポルトガルブルーの空にまた会いたくなりました




伊勢 二見浦 夫婦岩

MASAYO TACHIKAWA





桜の花が咲き
桃の花が咲き
藤の花が咲く
季節は決して止まらない
行く先は限りなく続く
悔いのないように
たくさんの花を咲かせよう

流れていく時は止められない
後ろを振り返ったときに笑えるよう
時間を進めていこう
今は今でしかない
過ぎてしまえば
すべて過去となる

時は金なり
物が人を呼び
人が物を呼び
光る何かを呼ぶ
そして時を連れてくる
流れに逆らわず留まらず
滑らかに進むよう
今日も明日も

目を閉じると
浮かんでくる風景がある
心地良い風が吹いて
こころもからだも溶けていく
ホッとする
温かい場所がある

数行の手紙が送れない
あれも書こう
これもと思っている間に
時間が過ぎていく
思いは膨らむばかり
伝えたいことが溢れていく

腑に落ちないことはたくさんある
動きに逆らうと
かえって負担が増える
ただただ気楽に流れに任せる
これが一番なときも
多々ある

大人気の北海道物産展
日本中どこへ行っても満員
何がそんなに魅力的なのか
遠くへ行かずとも手に入る
小さな幸せがあるから

行く先々で運を拾う
そんな人がいる
何をしても許される
日々の行いが違うのか
はたまた
前世でよほど良いことをしてきたのか

花桃の花が満開
1本の木から
何色もの花を咲かせる不思議な木
人もこんな風に咲き分けができたら
生きやすいのに




『春想う』 

 
校庭の桜が満開
花弁はまだほとんど落ちていない
数日間降った雨にも負けず元気に咲いている
校庭には数十年経っているだろう桜の木が2本ある
そのうちの1本は大人の都合で枝をバッサリと切られている
幸い根元から切ったのではなく枝を切っただけのため
新しい枝が何十センチもある太い幹から十数本出ている
その枝の太さは幹の太さから見ると控えめではあるが
花は満開を迎えている
人間の都合で切られても
細い枝を伸ばしてしっかりと花を咲かせている木がかえって愛しい
私だけでもと印刷機をかけながら一人でお花見を楽しんだ

桜が満開になる前にその桜の横を通って大好きだった彼らが旅立った
最終学年を迎え卒業をしていった
卒業前
卒業式の練習で体育館の舞台で堂々と卒業の歌を歌う彼らを見て
式はまだなのに涙が止まらなかった
そんな姿をほかの学年の子どもたちにしっかり見られていた
「先生泣いてたでしょう」と優しい口調で
多くの子どもたちに数日間言われ続けた
見られているのも全く気づかず舞台を見続けていたのだろう
子どもたちは優しい
言葉もちゃんと選んでくれる
泣いてたとは言わず「感動してたでしょう」と言ってくれた子もいた

今改めて彼らにとって私はどんな存在だったのだろうと思う
自分で言うのも何だが信頼はしていてくれたと思う
彼らはたくさんのことを話してくれた
様々な予測できないことも毎日のように起きた
そして今ある問題を彼らなりにどうにかしたくて
一度に何本もの手が私の目の前に差し出された
一本の時も何十本の時もあった
出された手は決して振り払わない
明日またここに元気に来られるように
その日に起こったことはその日に解決
そうしないと問題は長引く
出された指の一本でも見逃さないように心がけた

手を出せる子はまだいい
それをできない子もいる
今回卒業をして行った子たちは話せる環境が整っていたため
ほとんどそのような子はいなかったが
日頃からこのことは気を付けている

彼らの話を聞いて頭の中で答えを出して口にする
口に出すより先に走り出すことも間々あった
彼らの教室は4階だった
本来何事も起こらなければ上がらなくていい
その4階からは御嶽山、恵那山、アルプスなど多くの名山が見える
反対側には養老山脈も
晴れた日にはどの山も青空を背にきらきらと輝いていた
雪を被った雪山はより美しい
御嶽山は数年前自然の大切さと恐ろしさを両方
身をもって教えてくれた
そんな山も今は静かに微笑んでいる
その景色が見られるのも
4階までダッシュで上がったご褒美のような気がした
お天気が悪い日には上がる前から
「今日は山が見えないなぁ」と呟きながら上がった
こんなことを何度も私が言うから
4階へ上がらなければならない理由を作っている彼らは上がる前から
「今日は天気が悪いから山は見えないよ」と教えてくれた

今日久しぶりにその教室へ入った
そこからは名古屋高速と名古屋駅のビル群が見える
数年後にはリニアも通り益々名古屋駅に高層ビルが建つだろう
そんな頃には彼らは制服を脱いで
大きな目標に向かって歩いているだろう
大好きだった彼らのこと
今毎日は会えないけれど
またいつでも会える
卒業式が終わって数日間
入れ代わり立ち代わり
彼らは学校へ一段と晴れやかな顔をしてやって来た
こちらも来るだろうと思っていた

卒業してもいつでも来てください
寂しいのは彼ら以上に私の方かもしれません
新たな道に向かって歩いていくあなたたちを
全力で応援しています
学校を大好きでいてくれてありがとう
私もあなたたちがずっと大好きです




雪を被ったアルプス

MASAYO TACHIKAWA





日々何を思って生きるか
この積み重ねが人生を左右する
「ありがとう」と
こころから言える時間を
少しでも多く作っていきたい

雨の中
桜の花は枝から離れず
ギュッとしがみついている
一年間待って咲いた花
腰を据えて待てば
吉報が届く
そう信じて毎日を

何かを新しく始めると
荷物は重いけれど
意味も意義もたくさんある
今すべきことはと
自分自身にじっくりと聞いてみよう

新たな願いを乗せて
飛んで行って
大きくなってまた戻ってきてください
こころより待っています
ずっと待っています

大ヒットの映画
飛行機の中でくり返し見た
何よりも風景がきれい
いつも通る場所もあった
名もない場所をスターへと変えた
色も話も鮮やかな映画

人にはなかなか思いつかないことも
自然の中の生き物は易々とやってのける
見習わなければならないことが
たくさんある

気持ちがあれば
やってやれないことはない
そう思って生きている
やって後悔するか
やらずして後悔するか
どちらがいいか
はっきりしてる

伊勢神宮の正式名は「神宮」
他にたくさんの神宮ができて
地名を付けて呼ぶように
そして願う所ではなく
日々の感謝を伝える
唯一無二の場所

夕陽が落ちていく
一日がもうすぐ終わる
ありがとう
何もなかったことに
こころから感謝
今日もぐっすり眠れそう




『入学』  

 
「入学おめでとう」
あちらこちらでこの言葉が飛び交っています
この間まで「卒業おめでとう」でしたが
空気の色も水色からピンク色に変わった気がします
今年は桜の花が入学式を待つかのように
ちょうど満開になると早くから言われていました
入学式には桜の花は付きものです
桜の花の前で写真を撮ると
ピカピカの少し大きめの制服や新品のスーツやワンピースが
一段と栄えます
それ以上に緊張感の中にも期待を含んだ笑顔がより輝いて見えます

歴史の古い学校には桜の木は必ずと言っていいほどありました
この頃新設された学校では桜の木をあまり見かけません
古くからある学校も改装の際にバッサリと切ってしまったり
学校の敷地内に全くないところも増えています
桜は毛虫が付きやすく
お手入れが大変だからということと
新しい華やかな手の掛からない品種の木が多くなっていて
最近桜を新たに植えることは敬遠されがちです
桜の木はとても大きくなるので
先を見越して
新しい学校では敷地を広く取れないことも関係しているのかもしれません
学校に必ず桜の木をは益々影を潜めていくでしょう

一時欧米に合わせて9月入学を推進する動きがありました
その話を聞いて一番に思ったのが桜の花のことでした
9月入学になれば桜は風物詩ではなくなります
日本で9月入学の話はこれ以上進まないだろうと思いました
桜が理由ではなかったでしょうが
いつの間にかこの話はあまり聞かなくなりました

3月の声を聞くとあちらこちらで桜ソングが掛かり始めます
4月になればしばらく毎日のようにどこかで耳にします
定番は森山直太朗さんの「さくら(独唱)」福山雅治さんの「桜坂」
どちらも名曲です
聴くと何だかこころが弾んで温かくなります

卒業式の定番の曲「旅立ちの日」
この曲を聴くとその時期でなくても
こころに優しい風が通り抜けていきます
この曲は埼玉県の中学校の音楽の先生が
1991年に作られた卒業ソングです
別れは決して悲しいことばかりではないですが
多くはそこから旅立つことになります
旅立つことで明るい未来が待っていることはわかっていても
別れることはやはり悲しいものです

今年もたくさんの子どもたちが新しい道へと
意気揚々に入学をしてきました
あっという間の学校での生活ですが
これからを大きく左右する数年間です
私たち大人にできることは精一杯
一歩引くときはしっかりと引いて
陰日向にと手助けをしていきたいと思っています

今も私の机の上には卒業生がくれたメッセージとともに
花壇の横で撮った写真の中から
満面の笑顔で微笑みかけてくれています
この子たちも違う場所で入学式を迎え
ドキドキしながら毎日を送っているでしょう
頑張れ!
声は伝わらないでしょうが
こころを春の風に乗せて届けたいと思います
「入学おめでとう」




お祝いのチョコレートケーキ

MASAYO TACHIKAWA





新学期
今の時期
不安は付きもの
考えるよりまず行動を
人から言われる前に動くと
ご褒美も少しだけ増量に

菜の花が一面に咲いている
黄色は元気の出る色
人も色とりどり
それぞれの個性を生かして
らしく生きることができたら
それだけで幸せ

雨の日には雨を楽しんで
晴れの日には
太陽の光をいっぱい浴びて力にする
毎日が違っているから
日々を受け入れられる

昨日まで静かだった
テレビに出たらあっという間に人集り
情報は素晴らしくもあり
また逆もあり

発想は人の進むべき道を助ける
人生を大きく変えるときも
小さな思いつきを大切にしていれば
芽を出す日がきっと来る

縁はどこにあるかわからない
道を歩いていて
目に留まった一枚のポスターから
新たな道が開けるときも
縁とはそんなもの

日々思うことが多過ぎると
どれも答えが出なくなることが
頭とこころの許容量がいっぱいになると
溢れ出す
その前にもう一手

気持ちの洗濯をして
太陽に向かって干すと
今まで考えていたことが
何だったのだろうと思うことも
たまにはこころの日向ぼっこも
必要

一年待った桜の花
忘れず今年も美しく楚々と咲いている
桜の花には学ぶことも多い
日本の誇るべき象徴




『旅or旅行』

 
旅はいい
旅と旅行とは少々意味合いが違う気がする
旅行というとお膳立てしてもらったところに乗っかって行く
旅というと自分ですべてを賄って出発する
これは私個人の考えではあるが
そんなちょっとした違いを感じる
ツールは何でも良い

今までどれくらい費やしてきただろう時間と
そして旅立つ費用
旅行代金を貯金に回したらきっと一戸建ての一軒位は
建てられていたと思う
だけど旅をしたい
貯金に回してしっかり貯めてもこの世を去る時に持ってはいけない
思い出は生きている間は覚えていられる
たまに「これを貯めたら」と思うときはあるけれど
そう思ってもやっぱり旅行の申し込みを進める自分がいる

何故出掛けるのだろう
家に居たくないから
そんなことは全くない
家も大好きだから
帰ったときのホッと感もまたいい

旅を広辞苑で調べると
「定まった地を離れてひととき他の場所、土地へゆくこと」とある
大辞泉では
「住んでいる所を離れて、よその土地を訪れること」となっている

旅は元々狩猟時代
食料を調達するために行われていた
正に食べるために必須のものだった
その後は巡礼が盛んになり
宗教的な旅が多かった時代もある
そして日本では馬や駕籠
西洋では鉄道や船が整備され
それに合わせ道路も整っていき
旅をするにはいい環境になっていった
伊勢神宮参拝のおかげ参りも旅のひとつである
昔は今のようなホテルやレストランなどはなく
食事や宿泊する場所などを施してもらいながら旅を続けた
だからお陰様で「おかげ参り」

旅行会社は修学旅行を3校行うと1年間食べていけると言われていた
今現実はそんなに甘くはないが
一度に何百人も利用してくれれば薄利でも収入は決して少なくはない

就職したての頃
修学旅行へ引率で行くと両手いっぱいお土産を抱えて帰った
ご当地のお菓子などが詰まった袋を
ホテルから恒例行事のように旅行会社経由で渡された
出されるお料理も毎食立派だった
旬の名物料理が机にぎっしりと並べられていた
いつしかお土産は減っていき
今は1箱か全くなし
先生に対する世間の風当たりも強く
時代の流れだろう
本来ないことの方が当たり前
ホテルも絶対に離したくない一心で
これもこれもと袋に詰めていたのだと
今更ながら感謝の気持ちで手を合わせたくなった

同じく時代の流れとともに行先も変わっていった
新幹線で行っていたものが飛行機へと変わり
今高校生が行く人気の場所は1位が沖縄、九州
2位北海道
3位が海外となっている
自分的にはハワイが良いが
修学旅行であればどこでも良いかなと思う
卒業式の答辞で「楽しかった修学旅行」と必ず言う
それだけ修学旅行は大切な思い出となる

きっとこれからも隙あらば旅に旅行に出たいと思う
さて次はどこへ行こうか
春休みにはポルトガルが申し込んである
とてもきれいな街だそう
ヨーロッパに行った人にどこが良かったかと聞くと
この国の名前を挙げる人は多い
ハワイと天秤に掛けて
今回は行ったことのないポルトガルにした

人生もまだまだ旅の途中
一日でも多く
ぐっすり眠れる一日にしていきたい
旅に出られる今に感謝感謝です




飛行機から見た雲の中の富士山

MASAYO TACHIKAWA





誰もが信じている
明日という日は楽しく過ごせると
時にはそうでない時も
思っていた以上に楽しい時も
人生は予測不能
だから楽しい

ボケっとしたいときは
ボケっとしよう
そういう時間は必要
伸びきったゴムは
もとへはなかなか戻らない
時には緩めて
ポケっと

雨の日には雨を楽しんで
晴れの日には晴れを楽しむ
こころにゆとりがあると
それもできる
どこかに見えない位の
隙間を作っておきたい

遠くに雪山が見える
雪も降り過ぎると困る
降らないとウインタースポーツができない
何でも
ほどほどがいい

怒りが治まらないときは
何かをするより
雲の流れを見つめていよう
段々と腹の中の虫が諦めて
昼寝をするから

挨拶をしても返ってこないと
次に会った人には止めておこうと思う
すると相手から大きな声で挨拶をされる
期待と
小さな駆け引き

時間は止められない
早く感じるときと
ゆっくりと感じる時がある
何の差があるのか
それはこころの立ち位置の違い

優しさが欲しくなったときは
旅に出よう
出会ったことない景色に励まされ
背中を押してくれる

一歩一歩着実に歩くか
速さを重視して走るか
どちらにしても同じ一歩
自分の人生は一度きり




『上海旅行Ⅳ』

 
久しぶりの上海 
珍しく4日間とも雨の毎日でした
楽しみにしていた上海タワーからの景色は
ホテルからの景色同様
純白の雲のカーテンに包まれて外は全く見えませんでした

上海タワーは高さ632メートル128階建て
高さは世界第2位です
昇り龍をイメージしていて建物がねじれています
入る前にはセキュリティーチェックがあり
さながら空港のようです
エレベーターは三菱製
55秒で118階の展望台に到着
もちろん全く揺れも不快感もありません
今回は残念ながら全く景色が見られませんでしたが
上海タワーに昇るためだけにもう一度来てもいいかなと
晴れた日のタワーから見る景色の写真を見て思いました
お天気は日にちが近くならないとわからないのでこれも運です

上海タワーへ向かう前に蘇州のぐう園に行きました
ここは2014年に世界遺産に登録をされました
建物の規模も調度品もさほど変わったものはなく
正直昔の物品を集めた民芸博物館という感じでした
背景に貴重な歴史を重ねての登録だったそうです
ただぐう園の横を流れる京杭大運河は
かつて物資を運ぶために作られた人工の川で
広さ長さともにとても人間が作ったものとは思えません
流れも広さの割には穏やかです
ゆったりとした空間が時とともに流れ
たくさんの人々の生活を支えていたのだろうと感じました
ヨーロッパのヴェネチアも海の中に杭を打って造った街です
ひとの力はできると判断すると
限りなく大きなものになるのだと驚きでもありました

上海タワーへ行った後に上海蟹のフルコースをいただきました
お餅の入った蟹味噌のスープを初め
蟹づくしのお料理をいただいて
最後に上海蟹が丸々一人一匹出てきました
上海蟹なので日本の蟹と比べるとかなり小ぶりですが味は抜群
蟹味噌に至ってはこの上なく濃厚で
他の味に例えようがないほど美味しかったです

ホテルに着いてからは
7000円ほどで夜景を見に行くツアーもあったようですが
私はホテルの方に地下鉄で行く方法をお聞きして
公共交通機関で夜景のきれいな外灘へと向かいました
かかった料金は往復で数百円
地下鉄の料金は日本よりかなりお値打ちです
安全面にも配慮されていてどの駅もとてもきれいです
ソウルや台北の地下鉄に似ています

最寄りの地下鉄の駅から歩いて20分位
外灘に到着です
外灘はワイタンと読みます
ここからの景色と香港の夜景
川を挟んで色とりどりの高層ビルが立ち並ぶ姿
何度見てもちょっと見ただけではどちらの夜景か区別が付きません
これを聞いたら香港の人は怒るかもしれません
香港の方がシンフォニー・オブ・ライツなど
イベントを毎日行っていて
規模はかなり大きく設備費用もかかっているからです
上海のテレビ塔
東方明珠塔は球体の部分が印象的で
上海の夜景の特徴です
あの球体で上海の夜景だと判断しています

外灘は上海を代表する観光地です
19世紀後半から20世紀前半にかけて西洋式建築物が建てられました
租界時代は経済の中心の街でした
今も銀行や官庁関係の建物が多く
ブランドのお店もあります
キラキラ光る夜景を見ているとヨーロッパにいる様な錯覚を覚えます
今回はちょうど雨が上がって
降った雨水に光が反射してより輝きが増していました

異国情緒漂う空気の中
とてもいい時間を過ごすことができました
今度こそ上海タワーからの絶景を見たいと改めて思いました




上海 外灘 老舗銀行

MASAYO TACHIKAWA





誰かに褒められると幸せな気分になる
また頑張ろうと思う
認められることで人は大きくなれる
もっともっと褒められるように

1日24時間時間を使い分けて
有効に使えば
1年でどれだけ時間が貯まるだろう
1分後も1秒後も
すべて自分の時間だから

笑顔の素敵な人
その微笑みを少しだけ分けてください
きっと大きくしてお返しします
ちょっとだけ
おまけも付けて

他人が寄ってくる人には
他の人にはない光がある
暗闇の中でも照らしてくれる
大きな灯りのときもあれば
小さな小さなときも

したいことはたくさんある
行きたいところも
笑っていられる
それだけで幸せ
求めるものが多すぎると
抱えられなくなるから
ほどほどに

何もかもが面倒な時がある
そんな時は何もせず
何も追わず
ただ目の前のものを
じっと見つめていよう
きっと時が解決してくれるから

冷たいアイスクリームに
ホットチョコレートを掛けて
とろ~
見ているだけでも温かくなる
食べたらもっとホットに

縁があって訪れた場所で
こころもからだもリラックス
気持ちを開放して充電を
電池が切れると
進めなくなる

きれいな夕陽と出会えた
今日も一日ありがとうございました
お陰様で洗濯物もしっかり乾き
こころ穏やかに
過ごすこともできました




『上海旅行Ⅲ』

 
今回の旅行の一番の目的は五つ星ホテルに宿泊することでした
無錫と上海のハイアットリージェンシーホテルに泊まる
その写真を見て
ワクワクしながらキャンセル待ちでしたが予約をしました
1泊目宿泊したお部屋は69階建ての57階
運良く角部屋だったのでベットルームもバスルームも
床から天井まで全面窓はガラス張りで視界を遮る物は何もなく
周りにホテル以上の高い建物はないので覗かれる心配もありません

旅行一日目全行程が終わりカードキーで鍵を開け部屋に入った瞬間
飛び込んできたのは青や赤や黄色のキラキラと輝く夜景でした
それもすべての建物が足元より下
もちろん視線より下です
「素晴らしい」感動とともに疲れも一気に飛んで行ってしまいました
何色にも光る夜景に包まれながら
その日はあっという間に休むことができました

朝はもうひとつの楽しみ朝食バイキングがあります
張り切ってバイキングに行こうと早めに起きました
三日間とも一番乗りでレストランに入ることができ
窓側の特等席で美味しくいただきました

朝食へ行く前
朝目が覚めてすぐに外を見たら窓は全面真っ白です
窓に隙間なくスモークが掛かっていて外は全く見えませんでした
五つ星ホテルなのでプライベートを重視して
カーテンが時間になると自動で閉まるように
サービスで夜中から朝にかけてガラスに設置してある何だかの器具で
窓にスモークが掛かるようにしてあるのだろうと感心しました
そう思いながら朝食へ行く準備をしていましたが
そろそろ外は陽が出て明るくなっているはずなのに
一向に窓のスモークは取れません
あまりにもスモークの時間が長いので壊れたのかと思い始めました

朝食まで時間もあったので外の写真を撮ろうと思いましたが
まだまだスモークガラスは開く様子がありません
そこで窓を開ければ
スモークを気にすることなく写真を撮ることができると思い
高層ビルによくある少ししか開かない窓を目一杯開けました
すると開けた瞬間またまたびっくりです
窓を開けても変わらず真っ白なのです
窓を開けて初めて自分が雲の中にいることに気づきました
窓にスモークが掛かっていたわけではなく
ホテル全体が雲の中だったのです
自分の思い込みに笑ってしまいました
結局蘇州に滞在中は雲から出ることができず
到着した日に見た数十分間の夜景がそこから見る最後の景色でした

二日目は太湖の遊覧船で湖の中の島へ渡りました
太湖は琵琶湖の何十個分もの広さがあり湖には見えません
カモメがたくさんいて船が動き出すと船尾についてきます
ついてくる理由は船上で餌が売っていてお客さんがそれを投げるからです
餌はパンの耳なので立ってじっと持っていると
上手に手からくわえて飛んで行きます
餌を投げる人がいなくなると
それもよくわかっていて
あっという間に姿を消し次の船に移っていきます
目が良いのか鼻が効くのか
あれだけ食べれば毎日お腹がすくことはないでしょう

大湖は湖のためもちろん淡水です
それを活かして古くから淡水真珠の養殖が盛んな場所となっています
ミキモトのような海水で育てる真珠は
アコヤ貝に核を一個だけ入れて丁寧に時間をかけて育てていきますが
淡水真珠は一個のからす貝に核を20個から30個ほど入れます
淡水真珠が不規則で歪な形なのは
本真珠とは核を入れる貝の種類も手のかけ方や核を植え付ける過程なども
全く違うからです

吉田沙保里さんが国民栄誉賞をもらったとき
ゴールド色の真珠を副賞としてもらっていました
あのような黄色や紫色、グレー、ピンク色など
色々の淡水真珠が一つの貝からたくさん取れます
ただ手を加えなければ
本真珠のように真ん丸なものはほとんど取れません

日本では本真珠は白でもピンク色系が人気です
8ミリ玉は手頃の値段で手に入りますが
あのような10ミリ玉以上の真珠は
養殖する年数も長くなかなか取れません
吉田さんが手にした黄色系のゴールデンパールは
たぶん10ミリ以上の大玉でしょう
確かに希少価値が高く取れないことはないでしょうが
あそこまで大きい真珠は海外の物であろうと言われています

本真珠の価値としては黄色系はピンク系や黒系よりやや低めです
でも今回この色をゴールドとして扱ったことで
黄色系の価値がグンと上がったようです
天下のミキモトも名指しでリクエストがあった訳ですから
プライドを掛けて採算度外視でデザインし制作したのだと思います
国民栄誉賞の副賞は10万円以内と言われていますから
売価はそのくらいでしょうが
ダイヤも付いて価値的にはもっとするでしょう
三重の特産は真珠
真珠と言えばミキモトですから
吉田さんから「ゴールド色の真珠が欲しい」と言われ
ミキモトからの感謝の気持ちもたっぷり入っていると思います

ちなみに伊調馨の副賞は着物の帯でした
あれも全通でかなり折手の気持ちが入っていると思います
今回の上海旅行は真珠の勉強にもなり行って良かったと思っています




蘇州ハイアットリージェンシーホテルからの夜景

MASAYO TACHIKAWA





人に夢と希望を与えられる素晴らしい人生
生き方は出会いによって変わる
日々に誇りを感じながら
毎日過ごしていきたい

現実とは思えない感動との出会い
一言では言い尽くせない
何かを手にした喜び
ずっと味わっていたい

全体が城壁で囲まれている街
長い時間
たくさんのことを守ってきたのだろう
この街の発展も喜びも
巨大な壁が記憶している

世界中の人たちがここを目指して
この国を訪れる
会えるはずのなかった素晴らしい空間
少しだけ
ともに時間を過ごさせてください

自慢の種が一つ増えた
会えない人に会えた
ちょっとのタイミングと縁で
同じ道を歩く事が出来た
一緒に歩いてくれてありがとう

歴史を積み重ねた場所には
感じるものがある
何かを守るために多くの人が
一段一段を登ったのであろう階段も
過去の映像が浮かぶ街

人が集まる所には意味がある
人を引きつける魅力がある
願いを叶えてくれそうな
寛大なこころを持った場所

モンサンミッシェルを遠くに見た
天国のお城を見ているように
海の上でなく
雲の上に
小さく浮かんでいるように見える

世界遺産の建物に入ると
中は現実と違う世界がある
人間が作ったと言うより
神様の指示のもとに作らされたのではと
思うことも




『上海旅行Ⅱ 千灯』

 
朝セントレアを出発して
上海でラーメン様の麺を昼食にいただいて千灯へ向かいました
バスで1時間半ほど走った後
雨が降る中どこか懐かしい風景が見えてきたときは
一瞬台湾の九?が浮かびました

台湾の九?は
千と千尋の神隠しで舞台となった場所として有名になりました
ここに坂などはありませんが
赤提灯や細い石畳の路地などイメージは似ています
昔は観光地として賑わった時代もあったのでしょう
お土産屋さんも数件開いていましたが
入口が閉まっている建物にも華やかしころの名残が残っていました
お土産屋さんの間には民家も多く観光地なのに生活感もあります
観光地だからといって普段を隠さず
戦前の日本の下町の雰囲気も感じました

千灯は上海から30㎞のところにあり
2500年の歴史がある古い町です
昔は呉淞川沿いに999もの土で作った小山が有りました
ここ千灯は1000個目として千?と呼ばれていましたが
後に今の千灯に変わりました
千灯古鎮は江南水郷の川の流れ、橋、住居が
それぞれのバランスを保ち昔ながらの中国の姿を保っています

千灯からは思想家や昆劇の創始者など多くの文化人を排出しています
観光の中心となっている細い石畳の道が続く石板街は
全長800メートルの道に2072個の細長い御影石が敷き詰められ
ここに住む人々を支えています

この道の一番の特徴は
上の石畳の見える部分だけではなく
石の下に通っている下水道が完備されていることです
遠い昔から優れた排水構造ができあがっているのです
今でもしっかりと残されている石板街の排水システムは
江南古鎮において最も優れた保存状態を保ち
この地方の歴史を守っています

千灯には三つの橋があります
橋にはそれぞれ特徴があり
明代の時代に掛けられた橋
清代の時代の恒昇橋
恒昇橋は三穴のアーチが特徴の石橋で
恒昇とはとんとん拍子に出世するの意味があります
三つ目の小さい木の橋は宋代の時代の物です
三つの橋は明代、清代、宋代の三つの王朝の代表作であり
それぞれの時代の文化を象徴しています
三橋には別名で美しい名前が付いていて
橋を渡ると2500年余りの長い歴史に包まれます

恒昇橋の近くには牡丹亭があり
牡丹亭とは中国劇曲の昆劇の有名な演目です
昆劇とは蘇州を中心に盛行した古典歌劇のことで
白塗りのおしろいに目の周りを派手な色で化粧を施した踊り手が踊る
ザ・中国歌劇の中に昆劇があります

行った日は優しい雨がずっと降っていましたが
それが歴史をより際立てていた気がします
雨が降っていたから静かだったのか
普段から落ち着いた観光地なのか
他よりゆっくりと流れる時間を感じる街でした




中国 千灯 恒昇橋

MASAYO TACHIKAWA





ずっと憧れていた
一番行きたかったところへ行けた
これは頑張ったご褒美だと思う
これからも
たくさんご褒美がいただけるように
地に足を着けて頑張ろう

以前に来たのは
かなり前なのに
そんな気がしない場所がある
遠い昔に縁があったような
ただ散歩に行って帰って来ただけの
気がする所

世界遺産フランスのノートルダム大聖堂は
強い存在感がある
素晴らしいシャルトルブルーの青色は
どれだけの人を励ましてきたのだろう
ずっとずっと長い間

ステンドグラスは
心に残る鮮やかな色を映し出し
悩める人たちの大きな支えとなっている
美しい空の色が
ここにもある

他の国に行くと
その場所で
毎日どんな暮らしをしているのだろうかと
ふと思う
何故だか不思議な懐かしさを覚え
立ち止まりたくなることもある

歴史のある街は
多くの人の悩みを
ギュッと包み込んできたのだろう
中へ入ると不思議な空気に圧倒される
どこも普段見る映像とは
違った色が見えてくる

信じ切っていたことが突然変異をすると
なかなか受け入れられない
どうしようもないとわかっていても
こころを広く占拠して
動けないようにしてしまう

おもちゃ箱の中のような
可愛らしい街に出会った
紙でできたような建物がずっと続いている
だとしたら
私はマリオネットかな

有名なお城に行けた
歴史とともに過ごしてきたお城から
大河に向かって手を合わせ願った
毎日が笑顔で過ごせますようにと
何だか叶えてくれそうな気がして




『上海旅行Ⅰ』

 
久しぶりに上海へ行ってきました
香港以外中国へは気持ちが向かなかったため
行こうと思った今回のきっかけがなければ
今後数年行くことはなかったと思います

そのきっかけとは
よく使う旅行会社から来たダイレクトメールの1コマの
2つのキーワードでした
それは「上海JALで行く五つ星ホテル4日間モニターツアー
上海蟹フルコース付き
昨年オープンしたばかりの
ハイアットリージェンシーホテルに3泊します」の
五つ星ホテルとJAL
写真は64階建ての夜の光輝くホテルが大きく載っていました

一番心に引っかかった言葉
五つ星ホテルに3泊
それも昨年できたばかりの新しいホテル
次にJALで行く
JALはマイルも貯まり安心感があります
もうひとつ背中を押ししたのは朝の食事
五つ星ホテルでバイキングです
どこへ行くかなど4日間の日程は出発して
上海へ着いてから初めてもらっていた予定表を見て知りました
そのため少々無駄な時間がツアーには含まれていることを
ここで改めて知りました

今年は冬休みがいつもより少し長かったためラッキーでした
インターネットからでなければカード引き落としができないため
決めてすぐにインターネットで申し込みをしましたが
すでに満席でキャンセル待ちでした
今回はどうしてでもではなく
キャンセルに掛かってこなければ縁がないと
気楽な気持ちでの申し込みだったのですが
今回は3日もしないうちに
「キャンセルが出たので」と電話がかかってきたため
すぐに行けることになりました

軽い気持ちでの申し込みだったので
ここでやっと真剣に行くかを迷いました
やはり五つ星ホテルの言葉に惹かれ
カード引き落としを帰ってすぐにしました
4日間の行程もここではまだ確認していませんでしたが
以前にも行っているためまた同じようなところへ行くのだろうと
軽く考えていました

行きはセントレアから朝9時過ぎの便で出発
帰りは上海を午後5時過ぎ出発の便でと
4日間が有効に使えるフライトでした

行きは1月5日出発で誕生日の日でした
それを知ってJALのキャビンアテンダントの方々が
機内でバースデイカードを書いてくださって
可愛いプレゼントとともにいただきました
以前ハワイへ行った時もお祝い事があったことを知って
お祝いのメッセージカードをくださったことを思い出しました
さすが日本の翼JALです

上海に着いたのがちょうどお昼だったため
機内食では足りないとすぐに空港内のレストランで
日本にはない味のラーメンをいただきました
麺もラーメンというよりはうどんとラーメンの中間という感じでした

今は円安でどの国へ行っても円が弱く
今まで安く買えたものも海外へ行くと
その国のものが日本で買うより高い場合もあります
円安は海外旅行には痛い話です

五つ星に惹かれ行った上海旅行
以前行ってから何年も経っているのに変わっていなかった
中国旅行へなかなか足が向かない理由のひとつも
次回書かせていただきます
お楽しみに




昨年できたばかりの64階建てハイアットリージェンシーホテル

MASAYO TACHIKAWA





過去を振り返ると
大変だった時間も思い出す
笑っていたことの方が多いのに
だから何でも乗り越えて
笑顔の貯蓄をしていこう

天を見つめると
神様から答えが返ってくる
神様は雲の上にしか居ないから
それは自分自身の答え
選ばれた回答ではなく
自分が選んだ答え

天気予報は曇りだった
それが雲一つない快晴
空までも味方してくれる
頑張れと背中を押され
今日も一歩二歩

偏った考えは流れを止める
一生行かないと決めていた
そんなところからいいヒントをもらったり
思い込むのはもったいない

「らしくない」
よく使う言葉
勝手に作り出した頭の中の姿にはまらないと
そう言いたくなる
ただ良く言うと
相手を叱咤する励ましの一言でもある

上海の夜景を見た
以前よりきれいになっていた
新しい街と古い街が
左右同時に見られる
現実と夢の街

また近々ここへ来れる気がするときがある
立ち去ることを惜しいと思わない場所
すぐ来られるからいいよと
聞こえる気が

ワインはワイン蔵で飲むと美味しい気がする
雰囲気か気持ちか
本当に美味しいのか
毎日もそんなものかとふと思う

時の流れは早い
この間夏物を出したと思ったらすぐ冬物を
流れに着いていかないと
あっという間に時が過ぎていく
決して止まってはくれないから




『今年も』   

 
新しい年の始まりです
今年もよろしくお願いいたします

平成29年も始まりました
人は神様ではないのでこれから何が起こるかわかりません
この頃予測できない出来事が続いています
先がわかっていたら面白くないと言いいますが
これだけ色々なことが起こると知りたい気もします

東海地震はもう何十年も前から起こると言われ続け
先日も名古屋大学のキャンパス内にある
地震研究所の見学に行ってきましたが
地震が起きたら名古屋駅も含め
ここまで沈んでしまうというモニターが映し出され
自分が住んでいるところの状態がわかりやすく示されていました
プレートの影響で東海地方は大きな影響があると
小さいころから先生に親に言われています
説明をしてくださった先生に我が家はここですと指で示したところ
「そこはいいところですね」と即答していただいたので安心をしました
確かに坂が多く雪も雨も多いところなので
普段は気にしていませんが
愛知県の中でも少し高いところにあるのでしょう

先に何か起こると察知できれば覚悟と準備をします
道しるべのひとつ
毎年年末になると新聞配達の方が易の冊子を持ってきてくれます
本屋さんなどで売っているしっかりしたものではなく
三十数ページほどの薄い冊子です
中日新聞の方が届けてくださるものは高島易で
昔から子どもの名づけなどでも人気がある易です
1月1日から12月31日まで365日
昨年は+1日の366日
この日は六輝の何の日か
日本で行われるお祭りは
日出・日入の時刻などなどじっくり見ると結構勉強になります

仏滅の日はちょっとばかり不安材料にはなりますが
今日は気をつけよう位で済ませます
万が一そんな日にけがをしたならば
やっぱり今日は仏滅だからと
自分の不注意を差し置いて日のせいにしてしまいますがそれも経験です

未来を知ることはその人の人生を左右することにもなるでしょう
知って自分の思っていた未来であれば安心して毎日が過ごせます
そうでなければそれは覚悟をして時が過ぎるのを待てばいいのです
少しでも小さく済むように
何とかしなければと
寝る間を惜しんで動き続けることもいいかもしれません
諦めてどうせそうならばと
好きなことをたっぷりして暮らすのもいいかもしれません
いずれにしても大まかなことは予測ができても
細かいことはわからない方が楽しいと思います

旅行へ行くときも行く方向が悪ければ前日に
いい方向へ向かって一泊して
それから旅行に出るといいと聞いたこともあります
一泊まではしないにしても
良くない方向へはまっすぐ向かわず
いい方向へ向かって一度そこで休憩などして
そこから改めて旅行先へ向かうのもいいでしょう
それも一つの旅行の方法です
自分が一番いいと思うことを自分が納得する方法ですればいいのです
私はこのまま先入観を持たずに玄関を出て行こうと思います

人生も旅です
山もあれば大河もあれば
さらさらと澄んだ水が流れる小川に出会って
励まされることもあるでしょう
それが生きているということです

たくさんの人に支えられたくさんの人に後押しされ
感謝を忘れないように与えられた時間を大切に精一杯過ごしていこうと
改めて思います
今年もどうぞよろしくお願いいたします




スロベニア ブレッド湖 聖マリア教会

MASAYO TACHIKAWA





ありがとう
何度言っても言い足りないありがとう
満面の笑顔で始まった
前を向いて一歩
今年も明るい毎日が過ごせそう

今日の頑張りは一生形として残る
正に世界に一つだけのものが出来上がる
これからへ向かって
輝く笑顔が
青い空に映える

風の強い日が続くと
穏やかな時間が欲しくなる
風が全てを飛ばして
新たな気持ちでと思えば
それも心地よい

曲は日々の思い出を残してくれる
優しさに包まれた時間
曲を聴くだけで
その時を思い出す
幸せな

笑顔で願いを叶えてくれた
頭も深々と下げ
感動を伝えることが
そう信じてる
大きな支えが手にできた

世界に一つだけの花で去って行った彼らも
いつかこのときを
一番大切な人に伝えるのだろう
ありがとう
20年間

感謝の気持ちが通じればそれでいい
多くを求めればかえって逃げていく
今はそれだけでいい
またいつか

素晴らしいメッセージで始まった
たくさん背中を押された
お願いを喜んでお引き受けてくれた
こちらこそよろしくと

お願いした通りに動いた時間
広い空間に
こころが放たれた
まん丸い気持ちで過ごしていこう
今年もよろしくお願いいたします




『空中分解』   

 
彼らのコンサートに初めて行ったのはちょうど20年前
こんなにあっさり消えてしまうとは思わなかった
3年前のナゴヤドームでのファイナルコンサートが
本当のラストコンサートになってしまった
あの時「来年はできないけどその次の年はまたコンサートやりたいね」と
MCではっきり言っていた
コンサートのファイナルに行けたのはこの時が初めて
名古屋でのコンサート初日はよくあったが
ラストはほとんどなかった気がする
急遽4人でコンサートをすることになったあのときも名古屋が初日だった
4人になった彼らは会場入りを予定より早くして
1人分のポジションの穴埋めをしながら
いつも以上念入りにリハーサルをした
そして本番は元から4人だったかのように違和感なく踊り上げた
さすがプロだと思った
その日はマスコミのカメラが数十台来ていて
4人で頭を下げ謝っている姿が新聞の一面に大きく載った
その場に居られたことに若干の満足感があった

ファイナルの日
歌がすべて終わりアリーナの花道に
ビニールのシートがあっという間に敷かれた
何をするのだろう
そう思っている間に作業は終わり再び彼らが登場した
そして満面の笑顔で両手にそれぞれビンを持ち
野球の優勝の時と同じ風景のビール掛けが始まった
この時はビールだけではなくシャンパンもあったような
まさか最後になるとは思っていなかったので
はっきり覚えていないがあれはシャンパンだった気がする
すぐ目の前で見たかのようになぜこんなに鮮明なのか
それはまさにこのラストコンサートの座席がアリーナの一等席だったから
お互いスタッフとビール掛けをしながら
最年少の彼がそのアルコールをグビグビと飲み始めた
常に自由奔放の彼は最後の最後までその奔放さを貫いた
今回も

毎年必ずおこなっていたコンサートが
2年に一回になり3年に一回になっていった
なかなかコンサートをしない彼らにしびれを切らして
コンサートの整理券のようなものだったファンクラブから
脱退していった人も多かった
自分も彼らがもう少し後ろ向きの集団だったらやめていたかもしれない
コンサートに行き始めた頃
チケットは関係者の方に頼んで俗に言うコネチケを譲ってもらっていた
ある年ジャニーズからストップがかかり
ファンクラブに入るしかコンサートに行く方法はなくなった
ファンクラブに入る前
チケットを毎回たくさん手に入れている熱狂的なファンから
購入価格より高い価格で買わされそうになったことも
何か言葉のニュアンスがおかしいと途中で気づいて断った
アリーナのようないい席は販売価格の何倍かで売っていたらしい
決してダフ屋ではなく固い仕事をしていた人だったので
今でもその時に驚いた自分を覚えている

20年前は今ほど人気ではなくこれから伸びるだろうという位だった
12月26日で20年間続いた番組は最期を迎える
毎回結構面白かった
ピーちゃんやマー坊などキャラクターは特に
ぞれぞれの個性を生かしていて楽しかった
自分があのおもてなし料理コーナーに出ることができたら何を頼もうかと
楽しみながら考えたりもした
その結論は松阪牛を使った料理とチョコレートのスイーツに
料理の監修をしていた料理の鉄人の服部幸應さんから
直接話を聞くことができた
はじめは本当に何もできなくて酷かった
あそこまでたどり着くのにかなりの時間と手間がかかったと
20年は自分の人生に置き換えると長いが
あの番組を思うとあっという間だった
始まって数年は一回たらずとも見逃すまいと
ビデオに必ず録画をしてしっかり観た

あの番組が始まって彼らの人気は急上昇
飾らない姿が共感を呼んだ
それにあわせてコンサートのチケットも外れる人が出てきて
行けると言うと羨ましがられたりもした
結局コネチケも含め20年間一度も行けなかった年はない
運が良かったのか
もしかして噂だけで外れる人はいなかったのか
いずれにせよいつも必ず4枚取っていたので
たくさんの仲間とコンサートに行った
幸い2回に1回はアリーナ席が当たり
ずっと立ちっぱなしは辛いがそれも忘れるくらい楽しかった
彼らと近かった

ファンは彼らが仲良しでないことは重々知っていた
プライベートではほとんど付き合わない
最年少の彼と韓国語が堪能な彼は唯一仲良しだった
コンサートの打ち上げですら5人が揃うことはほとんどない
最年長の彼といい男ナンバーワンに何度も選ばれた彼は
高校も一緒でそれも同じクラス
そして仲が良くなかった
軟派な彼と硬派な彼が寄り添うはずもなく
周りにいる友達の雰囲気も全く違っていた
類は友をよぶ
不思議とこれは世界共通らしい
それは神様が決めるのか同じ周波数同士がお互いを引き寄せるのか

コンサートの企画をしていたのは最年少の彼だった
台本も衣装もほとんどが彼のアイデアだった
マスコミの話を信じれば
今回の流れを作ったとされる彼がそっぽを向くとコンサートは滞る
他の人が企画をしても彼自身が受け入れようとはしないだろう
彼だけでなく誰か一人でも気持ちが向かなければ同じこと
今回のことは何より
こうして彼らを思ってきたファンが置き去りにされたこと
それが青空を曇り空に変えた
ハッピーエンドで終わるはずであった彼らの20数年が
いとも簡単に崩れ去った
話題性と興味があるので最後の番組は見る
素敵な思い出と好きだった曲はうっすらと霞が掛かったままとなっている

「いままでありがとうございました
あなた方の歌にも姿にもたくさんの力をいただきました
元気でいてください
もう応援はできませんが
今までのあなた方に感謝をしています
そしてありがとうの言葉をこころを込めて贈ります」
ファンクラブから送られてきた白い表紙の写真集はまだ見ていません
もう少し笑顔で送れたら良かったです




鳥羽国際ホテルから見た風景の一画

MASAYO TACHIKAWA





こうして近くにいられるだけで幸せ
毎日笑顔がふとこぼれる
今年もあと数日
悔いのないように
今年も来年も
頑張ろう

人生これだから面白い
そんな場面にたくさん遭遇
楽しいかどうかは
自分の運命と生き方次第
とにかく
やるしかない

真っ直ぐ行く日もある
思った方向に進まない日も
だから今の自分がある
必然と思えばこころも軽くなる
日々は刻々と
変わるから

ドタバタ劇も短時間で解決
他人に振り回されたのか
自分に振り回されたのか
結論はひとつだけではない
結果良ければ
それでいい

毎日懲りずに
こころが向く居心地の良い場所に
通って得るものは何でも手に入れたい
やるべきことは
まだまだたくさんあるから

結論が見えないまま
終わりを迎えるのかと思いきや
後一歩で一筋の光が
人生だから楽しい
やってやれない
ことはない

会えるはずのない人に
ばったり会った
もう少し良い靴を履いてれば良かったと
いくつになっても
良い格好をしていたい

ゆっくり食事をすると
身体の栄養と
こころの栄養に
適当に過ごすと
こころもしぼんでくる
食べることも
毎日大きな支えに
なっている

当たり前の存在だと思っていた
突然の空中分解
長い間支えになってくれていた
道は違えども
今までありがとう




『今』    

 
受け入れてくれる人がいる
受け入れてくれる場所がある
それだけで生きている大きな意味を成す

気持ちがふと抜けたとき
生きている意味を考えたくなることがある
壁に当たったときは考えたくなくても考えずにいられないときもある
目の前のことだけで何も考えずに進んでいるとき
真っ直ぐ前を見て歩いているだけでいいときは
時間が波を立てずに流れ
立ち止まって考えようとする必要を感じない

目の前のことに戸惑ったり違和感を感じると
嫌でも過去を振り返りたくなる考えたくなる
自分は何のために生きているのだろうか
どこへ向かって生きるべきなのか
日々が安堵感で包まれているときには思いつかないフレーズ
たった今をこれからをどこまで求めるか
どこまで攻めるか
そしてどこで諦めるか
幸せにはキリがない
その逆には必ずキリがある

同じ経験をしてもそのひとの器で感じ方は大きく変わる
転んでけがをしてもこのくらいで済んで良かったと思うか
ここを通らなければ転ばずに済んだのにと思うか
この思いの積み重ねが行く先を大きく左右する
塵も積もれば山となる
人として何でも笑って受け入れることの出来る大きな人間になりたい
思うだけでなかなかなれない

「戻れるのであればいくつに戻りたい?」
と話のネタにすることがある
時々考えることがないとそんなことを考えてみたりする
何度考えても今のところ結論は同じになる
やっぱりいくつにでも戻りたくない
理由は非現実的な話だからではなく
手を抜かずその時を精一杯生きてきたつもりだから
もう戻ってもそれ以上は頑張れない
明日になったら気持ちが変わるかもしれない
けれど今は今で一番いいときと思いたい
思っている

1秒先ですら未来になる
何が起こるかわからない
たくさんの優しさに囲まれて過ごせる今が幸せ

さて明日は何をしようか
その前に今からの今日は何を
考えるだけで楽しくなる今が本当に幸せ

この先はいくらでも変えられる
変えたくないものは変わらぬよう両足を踏ん張って
変えたいものはやらずして後悔をしないように
悔いのないようにやっていこう
感謝の言葉が言えるよう聞けるよう
今日も明日もあさっても
「ありがとうございます」
どこかでそっと




花育で子どもたちと一緒に作ったフラワーアレンジ

MASAYO TACHIKAWA





両手を上げて
笑顔で誰にでも挨拶したくなる
そんな幸せ気分で
今年も後一ヶ月
来年も頑張ろう

よくやったと
なかなか言われることもない
だから自分で自分に言ってみよう
「よくやった」
こんな励ましも
頑張っているからこそ
こころに沁みる

ここまでかと思うと笑いが出る
こんなものかと自分を引いて見ると
悔しさでまたやろうと元気が出る
冬は冷えた頭が
冴え渡る

日々わからないことはたくさんあるけれど
良い行いは
良いことを呼んでくる
幸せがもっともっと近くなる

この結末は
神様からの贈り物だとふと思う
これに応えられるよう
できることを
やれるだけだけやってみよう

優しい言葉に包まれた暮らしがしたい
いつも誰かが手を差し伸べてくれる
生活がしたい
そう願っている
実は皆
すでにそんな毎日を送っている

自分で
何をしているのかわからないことも
やらねばならないことを
精一杯やっている
毎日がその積み重ね

月の光が届かない
夜になる寸前の空を見た
言葉にはできない位
藍色に輝いていた
こんなにこの時間の空が
美しかったとは
感動

ありがとうありがとう
ありがとう
そう繰り返し言えるが来る
微笑みと共に暮らせる日々が
すぐそこに




『○○離れ』  

 
この頃のドラマは高視聴率を競うのではなく
いかに最低視聴率を出さないかそれが目標となり話題になっています
年々最低視聴率が更新されていくのは何故か
もちろん業界も本来そんなことを競っている訳ではく
結果的に史上最低をたたき出してしまっているのが現状です
まだまだ一けた台の数字が次々と出ていきそうです

近々のドラマの話
久々の主演ドラマで相手役をオーディションまでして臨んだ
いい男ランキング2位をずっとキープしてきていた福山さんのドラマ
設定がはっきりせず
選んだ新人さんも歌は抜群に上手でしたが
低視聴率で終わりました
私も2回ほど見ましたが
流れと設定がよくわからず最後までは見ませんでした

なぜこの頃ドラマに人気がないのか
以前はのめり込むものと言えば俳優であったり歌手であったり
選択肢が少なかったのもドラマ人気のひとつの要因でした
今は選ぶものがたくさんあり
ドラマも少々過激な内容でないと感情移入ができきれず
1回見てもまた次も見たいと思わないものも多くあります
俳優さんに魅力を感じればまた見ようと思いますがそれもごく一部です
以前は好きな俳優がいると内容はどうであれ必ず見たいと思いました
どの俳優さんも精一杯頑張っている姿は素敵ですが
最近は俳優さんとの距離も近く
雲の上の人ではなくなっているのは確かです
ドラマで楽しまなくても他に楽しみがたくさんある今
テレビや映画が大きな娯楽であったのは過去の話になっています
確実にテレビ離れが進んでいるのです

同じく若者の車離れも進んでいます
少し前まで免許が取れる年齢になると
自動車学校へすぐ入学してまずは免許を取りました
学生の話題もその自動車学校の授業料をどう工面するか
そして免許を取ってからは
金銭的にどうにかこうにかやり繰りして自分の車を買いました
駐車禁止も今ほど厳しくなかった時代です
今は自宅の敷地も狭く家族全員が停められる場所もなかなかない
それに交通機関も発達して車で移動をしなくても
公共交通機関のほうが早くて便利で安全
事故率の高い20代の保険料も高額で払えません
先日自動車学校の校長先生とお話をした際も
この頃は入学者も減って困っていると
子どもの数も減少しているが
それにも増して車の免許を取らなければと思っている若者が
確実に減ってきているようです

○○離れと言えば
これも先日オーストラリアの先生と話していて驚いたことがありました
オーストラリアでは20歳を過ぎると
必ず誰でも親元から離れひとりで生活を始めるそうです
結婚をしていようが学生であろうが仕事があるなしに係わらず
20歳を過ぎて親元にいる人は何らかの事情があると判断され
日本語で言うと白い目で見られるそうです
その先生も日本へ来ていつまでも親と暮らしている大人を見て驚いたと
確かに日本では結婚や就職や学校で自宅から通うことが出来ない人以外は
あえてお金を払ってひとり暮らしは始めません
始める理由の結婚をしない出来ない人も増えて
40代や50代で親と暮らしている人は周りにも多くいます
結婚しなければちょっとと思われる時代でもなくなってきています
これも日本を象徴しているかもしれません

どちらが良くてどちらが悪いのではなく
ひとり暮らしなど
結婚出産が人として絶対に通らなければならない道であることが
当たり前ではなくなってきている今の日本
これからどんな流れが出来ていくのでしょう
○○離れから考えて
結婚しなくなっている日本人の話になりましたが
これも今後楽しみながら私なりに考えていきたいと思いました

幸運は与えられたものより自ら手に入れた方が長く続きそうな気がします
結婚がその幸運かどうかも含め
考えていかなければならないことかもしれません




伊勢エビのお味噌汁など伊勢の食材を使った豪華な朝食

MASAYO TACHIKAWA





感謝することを日課とすると
不思議なほど
たくさんのことに助けられる瞬間が
日々ありがたい繰り返し
それがまた大きな幸を生む

一年間一喜一憂を重ね
楽しんだり悲しんだり喜んだり
人生まだまだ
長い目で見れば
毎日すべて良し

いろんな事をたくさんやって来た
与えられて来た
そして今の自分がある
これからの自分も
今の自分があってこそ
成り立っていく

頭の中で思いが駆け巡る
すぐにまとまるときと進まないときとある
この違いは
自分のこころのその時の
立ち位置によって変わる

我慢と思うと重くなる
たった今の出来事は
自分の進む道へのチャンスだと思うと
遠回りせず
生きて行ける

自分だけでなく皆精一杯生きている
自分以外の人は
悩みもなく生きているのではと
錯覚することも
その思いは
自ら足を引っ張ることとなる

理由を聞きたくて
何度も質問をする
聞くこころを持っているかいないか
その積み重ねが
これからを左右する

いつか
あの時はすみませんでしたと言う日が来る
いつでも今が始まり
ここまではここまでで終わり
これからは
今から始まる

やろうと思ったことを
出来る限りさせてもらっている
手を合わせ
心より感謝を
支えを導きを
ありがとう




『秋から冬へ』  

 
秋から冬へと木々たちも準備を始めている
この間まで鮮やかな緑色で眼を潤してくれていた葉っぱが
赤色や黄色へと色を変えて今はこころの目も和ませてくれている
時の流れは早く
ぼやぼやしているつもりはないけれど結果的にそんな年もある

流れる時間を早く感じるときが幸せなのか
ゆっくりと感じるときが幸せか
どちらとも言い難いが
比較的幸せな時を過ごしている方が流れを早く感じる

大きい小さいに係わらずひとつでもこころに引っかかることがあると
先へ進むことに足枷をされる
考えても足を引っ張るだけでいいことはないと頭でわかっていても
こころはそう理解してくれない
考えないつもりでもふと考えている自分に気づく

こころが折れそうなときは藁をも掴む思いで
お神籤をやたら引きに行ったり
普段信じない占いなどにも行く
こころが迷子になっている証拠
自分では結論が出せないから何かに頼りたくなる

一般の神社にあって伊勢神宮にないもののひとつにお神籤がある
何故ないのか
お伊勢さんは日々の感謝を伝えに行くところで
個人のお願いをするために行くところではないので「ない」
お伊勢さんに参拝に訪れた人は誰もが吉なので「ない」

伊勢神宮の祭神は天照大御神
皇室のご先祖神です
こう考えると
位の高い方々が訪れ日本の守り神である神宮に
お神籤は必要ないのは
もっともなことです
神宮にうかがえることその事が「大吉」
何度か足を向けられる東海地方の私たちは
考えようによっては常に大吉な毎日なのかもしれません
伊勢の人たちは
伊勢に住んでいることを誇りに思っているとよく聞きます
どこからどこまでが近いのか遠いのかは誰が判断するのではなく
それも自分次第
同じ空間に存在できるだけで幸せと思えば気持ちも軽くなる

何もかもが自分次第
どんなパワースポットもこころ次第
こころの行き場がないと感じるひとも
今何事もないけれどただ行ってみたい
行ってみたいで行ける
それだけでも大きな幸せなのかもしれません

このごろ暖冬の年が多くなり
ぎゅっと寒い日が減って過ごしやすい秋が長くなっています
紅葉した葉
いつかは散り地面に落ちて
本来ならば箒で集められ袋に入れられ燃やされるのではなく
土に還りまた木々を育てます

秋から冬へ
冬から春へ
季節の循環が命を育み育てます
感謝の言葉を片手に
今日は紅葉を楽しみながら少しだけ遠回りをして帰りましょう
こうしている今が
とてもしあわせです




伊勢 鳥羽の煌めく朝日

MASAYO TACHIKAWA





波動のない水に飛び込むと
たくさんの波が出来る
動きのない水も綺麗だけれど
波立つ景色も美しい
それぞれがそれぞれに
良さがある

自分の存在を喜んでくれる人が
一人でもいること
それだけでこころがほっくりとする
何でも完璧を求めると
かえって道が遠くなる

人が喜んでいる姿を見るのは嬉しい
今のまま
人の為に時間を費やすことを続けていこう
休むのは
いつでもできる

よくやった
これだけの事を
今までに頼まれても出来なかったと思う
何を思ってここまで出来たのか
不思議な位

キラキラと笑う昔の自分の姿を見て
今の自分の心に充電を
きっといつか今日の日が
力になる時が来ると
信じている

ラジオから流れてくる曲を聴きながら
流れる時間の整理を進める
これも大切なゆとりの時

あんなに鳴いていた秋の虫たち
耳を澄ませないと聞こえなくなってきた
短い命で精一杯鳴き続ける
間もなく寒い冬が

何の報酬もないけれど
今思いつくことは
出来るだけやっていこう
長い人生まだまだ続く
これからも

焼きもちを焼きたくなる位
真剣に生きる姿
目指すものがきっとあるのだろう
同じ一生だから
濃く生きたい




『陽光のヨーロッパⅣ ポストイナ鍾乳洞』

 
スロヴェニアの必見スポットはブレッド湖と
もうひとつポストイナ鍾乳洞も
スロベニアには8500以上のカルスト地形の鍾乳洞があります
それぞれが何百万年もの歳月をかけて今の形になりました

その中でポストイナ鍾乳洞は全長が21メートルあり正に大鍾乳洞です
規模はヨーロッパ一
美しさについては世界一とも言われています
鍾乳洞に入ってすぐに地底トロッコに乗って
徒歩ツアーの出発地点へと向かいます
まずは2㎞ある人工トンネルを10分間トロッコで走ります
洞窟内は常に気温が低く
今回行った8月の真夏でさえ長袖のダウンを着ていたにも係わらず
じっとしていると寒い位でした

大昔には獰猛な火を噴くドラゴンが潜んでいると言われ
鍾乳洞の存在は驚異でした
あくまでも伝説上のお話ですが
その言い伝えがこの雄大な自然を守ったのかもしれません
日本の鍾乳洞とは広さ高さのケタが違います

入口から乗るトロッコは結構スピードが速く
さながらインディー・ジョーンズの様です
平面だけを走るディズニーランドのスペースマウンテンという感じです
冷たい風を切って走って行くので足元がとても寒かったです

トロッコを降り歩き出してからは
入り口で受け取ったイヤホンガイドの数字を順番に押して
説明を聞きながら進んでいきます
もちろん日本語もあります
見どころはたくさんありますが
もっとも有名なものが「ブリリアント鍾乳石」
この鍾乳洞のシンボルにもなっています
白く艶々な表面が暗い洞窟の中で光を浴びたように輝いています
別名ポストイナ鍾乳洞のダイヤモンドとも言われています
鍾乳石は水分中に含まれている成分によって色が変わります
真横にあっても全く色が異なっているところもあります
黄色や赤茶色やねずみ色白色
自然の素晴らしさとともに脅威ささえも感じます
形も様々で天井から何百本ものスパゲッティを垂らしたようなもの
ラクダの形をしたもの
薄いレースのカーテンを揺らしたような向こう側が透けて見えるもの
日本でもお馴染みの石柱様のもの
一つとして同じ形のものはありません

ここには第一次世界大戦の時
ロシア軍捕虜によって架けられた橋があります
名前もロシア橋
その奥には同じように作られたロシア回廊と呼ばれる通路もあります
残念ながらこの鍾乳洞には今もなお戦争の名残が残っています
火薬などのすすで一面真っ黒になっている所が何箇所かあります
人は戦争によって多くの文化遺産を破棄してきました
万里の長城をコンクリートで固めてしまうのも同じことかもしれません
二度と繰り返したくない大きな出来事です

終盤に近くなると再度トロッコに乗って出口へと向かいます
その発着場の手前にはコンサートホールと呼ばれる大きな広場があります
180年前からダンスのショーやコンサートの会場として使われています
その手前には鍾乳洞に生息している肌色の鰻の子どもの様な生き物が
水槽に入れられていて見ることができます
両生類のホライモリで
ずっと暗闇で生きているため目は退化してありません
1年近く何も食べなくても生きられるそうです
人が戦争をしていようと楽しく旅行をしていようと
ホライモリはお構いなしにマイペースで生きてきました
地球の中には
まだまだ人間が知らない世界がたくさんあるのかもしれません
何だか考えることが多いヨーロッパ一の鍾乳洞でした

外へ出て身体も温まってきたところで
その日のランチを鍾乳洞を出てすぐの
老舗のレストランで美味しくいただきました
歴史の上で自然と現実が交叉していい勉強になりました




スロベニア ポストイナ鍾乳洞 ブリリアント鍾乳石

MASAYO TACHIKAWA





何を語りかける事もなく
そっと寄り添っていてくれている
そんな人がたくさんいる幸せ
感謝の毎日

百花繚乱
花は同じ種類でも同じ顔をして咲かない
皆それぞれ違う顔を見せて
地に根を張って
生きている

目で
気持ちで追いかけていた日が
遠いことのように感じる
いつの間にか過ぎた日が
お互いの柱となって
しっかりと支えになっている

少し離れた所でこちらを向いて
ずっと微笑んでいる
揺れる木々を見ているとそう思う
それは自分のこころが
微笑んでいるから

いい人と出会うと
こころが軽くなり
幸せな気持ちでいられる
なりたくて
誰でもなれる訳でもない
肩を抱えともに
前へ

特別と言われると
その気になっている自分がいる
一瞬高い位置から
見下ろしているのかも
気をつけよう
気づかれないうちに

ニラの白い花が
競うように咲いている
種を蒔いたわけでもなく
毎年忘れずに
一年前もこの花を見て
綺麗と思ったのが
昨日のことのよう

雨がちらついた
まだ冷たい雨ではない
寒さを感じるまで
洗濯物の乾きを気にしながら毎日を
手と心も気温もまだまだあつい

あの時
思い切って頼んで撮った記念写真
今度は頼まれて撮る事に
時の流れは
どう変わるかわからない
だから面白い




『陽光のヨーロッパⅢ ブレッド湖』

 
スロヴェニアの必見スポットのひとつブレッド湖
アルプスの瞳と讃えられ
湖の周りには多くの有名人が宿泊する高級ホテルもあり
落ち着いた穏やかなリゾート地です
この辺りは元々ハプスブルグ家のリゾート用に整備された場所でした
ヨーロッパに行くとどこへ行っても
一度はハプスブルグ家の名前を聞きます
恐るべしハプスブルグ家です

現在は国立公園に指定されていて
湖には小さなブレッド島が愛らしく浮いています
島に渡り船着き場を降りると
99段の階段が待っていてその階段を上がると
島の真ん中に聖母被昇天教会が建っています
この教会は17世紀に建てられたバロック建築の教会で
教会の中にある長いロープを引っ張り鐘を鳴らすと
願いが叶うという伝説も残されています

今回誰よりも早く一番にこの鐘を鳴らしてみました
かなり力がいりかなり強く引っ張らないと鐘は鳴りません
その上
鐘を鳴らすことが出来ても教会の中にいると
鳴っている感覚が薄く音が聞こえにくいのです
皆が静かにして耳を澄ますとやっと聞こえてきます
中では聞こえにくく外にいる人にはよく聞こえる不思議な鐘でした
音は高めの爽やかで軽やかな音色で
伝説通り願いが叶いそうな気がしました
教会では結婚式もおこなわれます
結婚式をおこなうときは島の入口から99段の階段を
新郎が新婦を抱えて昇るのが通例だそうです

ブレッド島にはブレトナと呼ばれる小舟で渡ります
小舟は手漕ぎボートですが
このボートの船頭さんになるには条件がいくつかあります
一番は世襲制で先祖代々決まった家系の男性しか就くことができません
その家に男の子が生まれなければ
その家の権利は途絶えることになります
イタリア
ヴェネチアのゴンドラの船頭さんはブッレド湖とは違い世襲制ではなく
試験に受かればなることができます
ブレッド湖の船頭さんは
なりたいからといってなることができないのです
日本で船頭さんと言うと
年配の男性が長い木の棒を軽快に操っている姿を思い浮かべますが
この国では整った顔立ちの筋肉質の若い男性が
Tシャツからはみ出した腕の筋肉を披露しながら
2本のオールを上手に操っているのです
そのおかげで舟は揺れることもなく安定して進みます

湖の水は透明感も高く白鳥も泳いでいます
冬は雪が降り凍るため昔はスケートをしていたそうですが
近年は張る氷も薄くなってきたため
できない年も多くなってきているそうです

ブッレド湖畔には赤いお屋根のブッレド城が佇んでいます
水面から130メートルの崖にそびえていて
徒歩で行くことも出来ますが坂が急なので車で上がった方が賢明です
城内はお城の歴史を展示した博物館となっていてカフェもあり
そこではお城のワインセラーで
熟成された高級ワインをおみやげに買うことが出来ます
そのワインは
自分でオーク材の樽からワインボトルに移す事も可能なため
人気となっています

美しいレイクリゾートは
湖からの爽やかな風がこころを豊かにしてくれます
きっと四季折々の景色と美味しいワインを
ハプスブルグ家の皆様も味わっていたのでしょう
数日間ゆったりと過ごしたい空間でした




スロベニア ブレッド湖

MASAYO TACHIKAWA





冬には春の暖かさを
夏には秋の涼しさを求め
明日を楽しみに
一歩一歩輝く未来へと近づいていく
毎日が嬉しい

一歩でも上へ行けるよう願って頑張る
十年後には
今の幸せをはるかに超えているだろうか
想像すると
こころが弾む

素晴らしい曲は
いつまでも心の支えとなり励みとなる
そんなメロディーと歌詞に
ちょっとだけ背中を押してもらい
今日も元気に一歩

箱を開けたら
メッセージの入った薔薇の花が入っていた
何よりも嬉しい贈り物
小さな言葉が
大きな支えとなっている

話し続けて時間をとうに過ぎていた
居心地のいい時はあっという間に
あのときもこのときも
幸せな時間

白い花が愛らしく咲き始めている
季節を忘れず精一杯自己主張をしている
誇らしい姿
木々には
見習うことが多い

久しぶりに聞いた生歌の「ミルクティ」
この曲を聴くと
これからもずっと何かを思うだろう
いつも喜びで
胸が一杯になる

好きかと聞かれると
好きだった気がするとしか答えられない
過ぎてきたことには輝きがある
そんな日々が愛おしく
流れていく

久しぶりに会った人に褒められた
見つめられる瞳の中で
生き生きしている自分に
明るい光を感じた
ますます頑張れそう




『陽光のヨーロッパⅡ・プリトヴィッツェ湖』

 
今回クロアチアの旅行で一番印象に残っているのは
アドリア海の蒼い海とそれを囲んでいる風景です
イメージ的には南イタリアやニースに近い風景が続きます
クロアチアで一番人気の観光地は
オレンジ色の屋根が続く町並みを
ロープウェイに乗って
スルジ山頂から見下ろすドブロブニクの景色ですが
クロアチアへのツアー行程には
ほとんどプリトヴィッツェ湖観光がコースに含まれています

クロアチアはアドリア海に沿って長細い国です
プリトヴィッツェ湖はスロベニアとボスニアに近い所にあります
マラ・カペラ山脈とリチカ・プリェシャヴィッツァ山脈に囲まれ
切り立った峡谷に16個の湖と90以上の滝が点在する正に景勝地です
樫やモミ、松など色とりどりの緑色の木々に囲まれた
何色にも光る湖の蒼い姿は
ヨーロッパのガイドブックにもよく載っています
宝石にも勝るエメラルドグリーンをはじめ
様々な青色や緑色の澄んだ湖水を目にすることができます

プリトヴィッツェ湖は国立公園で
約2キロある南部分の上湖群と下湖群から成っています
下湖群は石灰質の地層が上湖群から溢れ出た湖水で削られ出来ています
今回はエメラルド色の湖が続く下湖群を
木で作られた歩道を3時間ほど景色と空気に癒やされながら歩きました
今回行った下湖群だけでももちろん素晴らしいですが
両方歩くには一日必要なので
今度は公園周辺のリゾートホテルに泊まって
朝の爽やかな空気と星空を楽しむのも良いかと思いました

歩き始めてすぐに湖が見下ろせる展望台に出ます
湖を見下ろしてまず感動するのが湖の色です
海とは違った独特な青緑色は
濃いところ淡いところと何層にも分かれていて
絵のようなコントラストが景色を一段と引き立てています
上からの景色を見た後
歩道から少し外れたところで公園のシンボルである
プリトヴィッツェ滝に出会います
この滝は約78メートルの高さがあり夏の間水量はほどほどですが
今回は滝壺の近くでキラキラと輝く虹を見ることができました
ヴェリキ・スラップと愛称で呼ばれることもあります
この公園は19世紀から20世紀にかけて活躍した
クロアチア出身の世界的オペラ歌手ミルカ・トルニナが愛し
公園の保護を訴え環境整備に多くの寄付もしていました
ミルカが好んだ滝にはミルカ・トルニナ滝と彼女の名前が付いています
階段状に流れるこの滝は確かに優雅で落ち着いた場所です
音楽家であるミルカにふさわしい空間かもしれません
湖の中には倒れて沈んでいる木や植物に石灰華が付着している
幻想的な姿も見られます

下湖群の歩道を歩いた後は
公園の中央にある一番大きなコジャク湖で遊覧も楽しめます
自然を守るためボートは電動です
そのボートに乗れば歩く時間を短縮することができます
コジャク湖は元々2つの湖でしたが2つを隔てていた堤が崩れて
1つの大きな湖になりました
行ったときはヨーロッパもバカンスの時期だったため
ボートに乗るまで列に並んで1時間近く待ちました
並んでいる間は天然の紫がかったピンク色のシクラメンなど
多くの植物を眺めていました

公園には散策の拠点となる入口外に3つのホテルがあります
その中で一番人気のイェゼロホテルは山小屋風の3つ星ホテルです
施設も充実していて多くの著名人も宿泊しているそうです
レストランでは名物のマスのグリルがいただけます
私たちはランチでマスをいただきました
魚のサイズも大きく身は柔らかくホクホクで
適度な塩味が身の甘さを引き立てていました
ボリュームもあって美味しかったです

プリトヴィッツェ湖は冬になると雪が降り景色も一転してしまいますが
秋の紅葉した湖も素敵かもしれません
ただ四季を通じてエメラルドグリーンに輝く湖は
変わらず輝き続けるでしょう
公園のホテルに宿泊して一日中ここで過ごしてみたくなりました
パンフレットを見て一度行って見たかった場所なので
とても幸せな時間となりました




クロアチア プリトヴィッツェ湖

  MASAYO TACHIKAWA





精一杯生きている
一生懸命と
毎日思って過ごしている訳ではないけれど
日々頑張っている
そんな実感は
はっきりある

蝉の声が虫の優しい声に変わっている
流れは早い
うぐいすは里で鳴く前に練習をする
人生も練習の繰り返し
練習に終わらぬ様に
人生はあっという間

真剣に仕事をしている姿を見ていると
励みになる
手を抜かず頑張ろうと思う
出来ることは精一杯
自分らしく

大好きな人との時間は
全て思い出として残したい
いつか願いが叶った時
ギュッと噛み締めて
力に変えることができると思うから

草の中
秋の虫の声が眠りを誘う
そんなゆったりとした空間に
こころ落ち着けて
与えられた時間をバネに
一歩前へと

気が付くと夢を見て寝ている
夢を見るのは寝ているときだけで良い
起きている間は
願いをひとつでも現実に変えよう
やれるだけ

お休みなさい
今貴方はスヤスヤと寝息を立て
眠っているのでしょう
どんな夢を見ているの
きっと大きな世界で
大きな夢を

今こうしてラジオから流れるこの曲も
何年か先に聴いて
今の幸せな時を思い出すのだろう
温かなこのときを

眠りが深い日の朝は
いらない薄皮が剥がれたように
すっきりとしている
何かを考えながら眠りに入らない
それが一番大切




『陽光のヨーロッパⅠ・クロアチア』

 
魔女の宅急便のキキが修行に出た街の舞台とされている
EUのひとつであるクロアチアのドブロブニクへ行ってきました
今回クロアチア、スロベニア、モンテネグロ、
ボスニア・ヘルツェゴビナの4カ国へ行ったため
バスで4カ国の国境を出たり入ったりと
更新したばかりの10年間バスポートは
一気に出入国の印が増え少しだけ嬉しくなりました

EUの国境は審査が厳しいところと
「JAPAN」と言うと
パスポートを集めることさえもしないところとあって
寛容なヨーロッパらしい姿を何度か目にしました
今回はツアーの皆さんにもドライバーさんにも恵まれ
ドライバーさんが国境の審査官に賄賂を渡してくださり
4度ほどフリーパスで通ることができました
ガイドさんに
「ドライバーさんが賄賂を渡したお陰でチェックなしで通れました」
と言われたとき金銭が動いたのかと思いましたが
その賄賂とは500?のペットボトルのお水たった1本
100円足らずです
お水+缶ビールのときもありました
あまりにも簡素な賄賂だったので
あっさりと通してくれたことより賄賂の内容の方が驚きでした
ドライバーさんも何を基準に
渡すと通してくれる人がわかるのかと今でも不思議です

ある日の朝
国境付近で対向車線がひどい渋滞で全く車が動く気配がありません
原因を聞いたらドライバーさん曰く
パスポートをスキャンする機械の故障だということでした
機械は一台しかなかったのでしょうか

今回参加したクロアチアのツアーに来てみえた方々は
既に色々な国に行かれてのクロアチアなので
旅行慣れした方々ばかりです
食事の時もそれぞれが行かれた国のエピソードや感想などで
話が大いに盛り上がりました
その中にSMAP解散やオリンピックの結果の話も出ていました
何となく席が一緒になる人たちは決まっていて
素敵な話がたくさんできました
ついつい楽しくて食事が終わってからも
遅くまで話し込んだことも何度かありました

最終日には初めてホテルにあったカジノにも
ツアーのみなさんとワイワイと行きました
いくつかあるゲームの中で
「レインマン」の映画を見て一度やってみたかった
ルーレットをしました
一枚一枚コインを4つの数字の上のまん中に乗せて
コツコツとチャレンジしていきます
ルーレットのディーラーは腕がいいと
賭けた数字を外して玉を投げられるので
投げる前にコインを置かない方がいいとも教えていただきました
最初は勝っていましたが徐々に負け始め
最後一枚になってしまいました
その一枚が外れたら私のゲームは終了です
何とその一枚が当たったのです
そこからまた復活してある程度増えたのでそこで止めることにしました

結果は勝利
70ク―ネが150ク―ネに増えました
とは言っても1ク―ネ16円ですのでその程度です
約1時間楽しむことができました
負けて終わったらいくら70ク―ネとはいえ
きっと楽しくではなく悔しかったと思います

魔女の宅急便でキキが空を飛ぶシーンが何度も出てきますが
ドブロブニクの街並は正にあの画のままで
街にたくさんあるパン屋さんも
キキがカウンターに立っているようでした
とにかくアドリア海が綺麗で独特な青色と水色と緑色のコントラスト
透明度も高く
ホテルに着いてからはプライベートビーチで
海に足を付け楽しみました
塩分濃度も濃いめで心も一気に浄化されたような気がします
本当に心に残る時間でした
また行きたい場所のひとつになりました




クロアチア 魔女の宅急便の舞台となったドブロブニク

  MASAYO TACHIKAWA





物事は始まる前が一番楽しい
緊張感と期待感で胸が高まり
気持ちに羽が生え
高く飛んで行けそう

仲良く笑って暮らせる日々を願って折鶴を
そしてまたひとつ
願いは尽きないけれど
何が大切かをじっくり考えて

テレビを見ていてふと思うことがある
何が正しくて何が不正解なのか
尺度はそれぞれ違う
ただ常に自分らしさは保っていこう

今日もたくさんのいい人と出会えた
決して悪くないのに
すぐに謝れるひとはすごい
悪くても謝れないひとも
たくさんいるのに

むくげの花が満開
素敵な香りを漂わせ
こっちへ来てと呼んでいる
今年は紫色の花が際立っている
暑くても美しい花々

ふと出会ったお店で
ほのぼの空間を買った
竹に生けられた優しいお花
楚々とした
控え目な景色も

夏場のうぐいすの声に
幸せを感じた
居ながらにして
めったに聞けない
暑い空気の中での
清々しい声

一生懸命している事を
ことごとく否定し続けられると
出るべき結果も出ない
置かれた環境を選べることも
大切な運

常に守られて生きている
感謝の時間を繰り返し与えられている
現実と夢が同時進行
頭の下がる人たち




『100周年記念花火』

 
愛知県岡崎市市制100年のお祝い花火を見に行きました
岡崎に住む知人に数年前から
是非一度見に来てくださいと誘われていましたが
あいにく毎年8月の第一土曜日は予定が入っていて
足を向けることができずにいました

100周年である今年
例年行われていた行事の予定が変わり
前日から行っていた東京への出張も
一日早く切り上げ最終の新幹線で名古屋へ帰り
土曜日の午後から岡崎へと向かいました
花火は一般的に川や池や湖や海など
水の豊富なところで打ち上げられます
岡崎の花火は乙川の川岸と矢作川の2箇所で行われました
午後6時50分から9時まで
2時間以上どちらの花火も絶え間なく打ち上げられ
正に名前の通り「大花火」です
岡崎は徳川家康の生誕地
川の近くには岡崎城があり
桜の木の本数も圧倒的に多く桜祭りでも有名なところです

岡崎の花火は江戸時代から行われてきた
菅生神社の祭礼奉納花火が受け継がれたものです
乙川では菅生神社の2艘の鉾船が浮かべられ船の数々の提灯の薄明りが
大花火をより情緒のあるものへと色を添えています
今回は伝統の金魚花火を含む二万発の花火が夜空を彩りました
今回メインの花火は
「ドラマチック・ハナビ」と題名が付けられ
岡崎の風景や四季をテーマにしたドラマが繰り広げられました

最近多くなってきた音と花火の競演
各花火には名前が付けられ
聞き覚えのある音楽に合わせて様々な仕掛け花火が打ち上げられます
笛雷スターマインの「千笛万雷光と音のファンタジー」
水上スターマインの「火と水のランデブー」
メロディースターマインの「千本桜」
大スターマインの「サマーナイトスペクトラム」「情熱GAS」「飛翔」
初めて見た金魚花火の「踊る水中花」などなど
金魚花火はねずみ花火の大きくなったものが水の上を金魚のように跳ねまわるのです
それも何十匹も一斉に
赤色、黄色、緑色と何色もの金魚が
水の上なのに火が消えないのも不思議です
最後の締めは岡崎市が出した「100周年記念花火」
圧巻としか言いようがありませんでした
「100」の文字も3色で打ち上げられ
花火で文字ができるのも不思議でなりません

小さいとき花火を上から見たらどうなるだろうと思っていましたが
たまたまセントレアから飛行機に夜乗った時知多半島で花火大会が行われていて
飛行機の窓から花火を見ることができました
結局上から見ても下から見ても同じ形で
いいタイミングに飛行機に乗ることができてしあわせでした

打ち上げ花火は江戸時代に凶作と疫病の流行を止めるために
幕府が両国橋の近くで上げたのが発祥とされています
その後江戸だけでなく
越後や信州、近畿、九州でも上げられるようになり
三河の花火もその頃から続けられています

花火が上がると掛け声として「たまやー(玉屋)」と言いますが
玉屋とは江戸時代の両国の花火師さんで
他に鍵屋があったそうです
その花火の美しさを競っていた頃
観客は「たまや―」「かぎやー」と上がる花火を見て
掛け声を掛けていました
今も残る掛け声の玉屋は鍵屋から独立して30年ほど競演しましたが
徳川家康が日光へ行く前日に火事を起こしてしまい
初代で店を閉じることになりました
本来「かぎやー」の方が残っていてもいいかと思いますが
何故か今も聞くのは「たまやー」の方です

ハワイで見るヒルトンホテルの花火も素敵ですが
今回数年越しの大花火を見ることができてとても嬉しかったです
それも100周年記念のお祝いの花火を
桟敷席対岸の川の爽やかなとてもいい風が吹く特等席で
そんな機会を与えてくださった方々に心から感謝をしています
ありがとうございました
来年も縁があったら是非行きたいと思っています




打ち上げ花火の様な薔薇のアーチ

  MASAYO TACHIKAWA





今日できることは今日の内に
新たな時は常に始まっている
明日を晴れやかな
清々しい気持ちで迎えるには
今できることは今

数秒間のこと
目と目が合った瞬間
自分の時間が止まった
そして今も止まったまま
こころが固まるほど
素敵な人

後一歩
新たな道まで後一歩
そんなことは山ほどある
人の言葉に振り回されず
筋肉のプルプルにも負けず登りきる
頑張れ

私でなければと言ってくれる人は必ずいる
そんな人の足音が聞こえる日まで
自分を磨いておこう

あの笑顔から離れられない
離れたくても離れられない人がいる
自分の瞳に映っている
それだけで幸せな人

数秒でも長く独り占めにしたい空間
じっと見つめていたら
うさぎの目のように真っ赤に
ふと視線を上げたら
夕陽が光っていた

話しをしていて思い出した
済州島で
コインが入ると願い事が叶う水の壺
見事入ったことを
少しでもいいことがあると
励みになる

見つめていられるのも後わずか
毎日会えなくなるのに
不思議と焦りがない
きっといつか同じ時を過ごすことに
そんな気がする

素敵な笑顔で
心がふわっと軽くなる
ちょっと悔しい気がする位
けれどあの輝きには完敗
人として




『夏休み』

 
いよいよ夏休み
一学期の終業式は多くが7月20日
自分が学生だった頃は
休みに入って何をしようかなんて考えてなかった
宿題や課題も何とかなると思っていた
ただ休みになるのが嬉しかった

起きる時間も何時でもいい
目覚ましなんか掛けなくてもいい
24時間が自分の時間で
自分のものになった
学校へ行っている間は自分の時間も規制され
行動もほぼ決められているため
決して自分のものではなかった
でもそれは誰かのためではなく
これからの自分のための大切な時間だった

それが全て自分の意思で使うことができる
そう思うと気持ちも緩やかになっていく
毎日張り詰めている自覚はなかったけれど
実際はこれでもかと言うくらい伸びきっていたのだろう
規則や他人と違ったことをするのは簡単そうで
かえってややこしいことになる
後から言い訳したり後悔とまではいかなくとも
何故あんなことと思うのが嫌なので乗っかっている
道から外れることは毎日の選択肢にはなかった
学校にはきちんと決められた時間に行って
学校を出れば決められた習いごとに行って
決められたルートをひたすら歩いたり走ったりした
レールに乗っていた方がずっと楽だった

仕事に就いておかげさまで職業柄
学生時代とあまり変わらない年間スケジュールとなった
周りからは羨ましがられたかというと
周りも同じ環境の人ばかりだったので
今までとは気持ちの中にも変化はなかった
今思えばありがたい道のりだった
それから何年経っただろう
時は確実に流れている

アメリカは9月が日本で言う4月
9月が新学期の始まり
6月に1年間の学校生活が終わり
2~3ヶ月の長い長い夏休みに入る
ハワイでは長過ぎる夏休みで学力が低下することを懸念して
サマースクールを開講するところが増えてきたと聞いた
ただそれに反発したのが生徒ではなく先生たちだったとも

アメリカだけでなく台湾をはじめ9月に新年度が始まる国が多い
10数年ほど前に東京大学の当時の学長が教職員の反対を押し切って
新聞の一面広告を使って
「東京大学は9月入学にします」と発表をした
私もたまたま騒ぎになる前にこの記事を読んだ
見た瞬間あんなに反対されていたのに
説得をがんばったのだと驚いた
今でもその新聞の一面がぼやけてはいるが
かすかに記憶にある
東大の学長が9月を押すのには訳があった
世界に通用する素晴らしい人材を世界中から東大に引き寄せるには
4月入学を続けていたら他の国に流れてしまう
これからの日本を変えるにはまず東大から
東大が始めれば日本中の学校が着いてくる
率先して9月入学をと
それを聞いて
日本の素晴らしい人材は4月から9月まで何をして暮らすのだろう
単純にそう思った
結局学長が圧力で通そうと思っただろう計画はあっさりと消えていった

入学式=桜=新入生の笑顔
この素敵な景色が変わること
これからしばらくはないだろうと思う
夏休みに入って改めて
日本の季節の流れに支えられていることを感じた

「ミーンミーン」とアブラゼミの声が
「カナカナ」とヒグラシの声に変わる頃には
たくさんの思い出ができていると思います
皆様もたっぷりと夏をお楽しみください




数年前改修を終えた東京大学 安田講堂

  MASAYO TACHIKAWA





素晴らしい景色を眺めながら過ごす
穏やかなとき
与えられた空間に
ありがとうと生きられる
手にいっぱいのしあわせ

今あることに感謝
他人と比べると
先へ行く一歩が重くなる
起こることを
寛大な気持ちで受け入れると
素敵な結果が待っている

何もしない時間に
焦りを感じることもなく
流れる時が心地よい
素直に受け入れられるこころ
そんな今はしあわせ

人の言葉に振り回されず前を向いて
目をキラキラさせながら
時を過ごしている人
思いは必ず通じると

貴重な時間をバネにして
出来る限り頑張って
日々をこなして行こう
カを試されている
きっと
そんな気がする

何だか涙が出る
悲しくて出る涙ではなく
期待の涙
ハッキリわかる
気持ちが段々と温かくなっていく

勝利を得た人は
何を目標に生きているのだろう
計り知れない見えないプレッシャーが
肩に乗って
それがカとなり
支えているのだろう

  たっぷり眠りたいけど
スケジュールが許さない
自分で決めた道だから
手を抜かずやり抜く
それも人生

満月と出会った
手が届きそうな位大きな
今日は良いことがありそう
ほんの小さな出来事が
大きな支えとなる




『モーニング』

 
休みの日の贅沢な時間
朝早く起きてお気に入りのカフェへ
今日はどこのモーニングにしようか
家を出る時間によって行き先を考えて
人気のカフェは開店から1時間以上経っていると
すでに満席になっていることが多く待ち時間ができてしまう
休みの日の待ちはもったいない気がする
席に座ってコーヒーを飲んでいても
入口近くで本を読みながら順番が来るのを待っていても
使っている時間の内容はさして変わらない
だけどやっぱりもったいない気がする

モーニングとはモーニングサービスのこと
ドリンクを頼むと無料でパンや卵などがサービスで付いてくる
東海地区はモーニング発祥の地と言われ
年々「すごい」と噂になるお店も増えている
こんなにサービスして大丈夫なの?と心配をしたくなるお店さえある

人気の珈琲チェーン店コメダ珈琲はいつも混んでいる
最近株式会社コメダホールディングスとして上場した
名古屋近辺を車で走っているとあちらこちらで見かける
今は全国で688店舗あるそう
コメダは比較的お客様の年齢層も高い
朝はここへ毎日日課のように通い誰かとランチの時間まで時を過ごす
声のボリュームを気にすることなく話を続ける
これが日々の大きな楽しみのひとつなのだと見ていてそう思う
往々にして常連さん風な人たちは声が大きいので
気こうとしなくとも話の内容が耳に入ってくる
多くがこれからどう生きてどう過ごしていくかもしくは誰かの噂話
噂話は女性特有なものかと思いきや
地球上に長く過ごしていると
男女とも人のことが目に付きやすく気になるようだ
行けば人が変わっていても毎回同じ光景を目にする
わかっていても幸せな生き方だと毎回同じ思いになる
自分の心がざわついているときはそういう所は選ばない
そして何ヶ月かに数回しか行けないことを幸せだと思う自分がいる
毎日行けないことは幸せだと

学生時代両親が次々と新しいモーニングを出すお店を開拓して
よく誘われた
ドリンク代も出さずに済むので一時期は一緒に行っていたが
きりがないので行かなくなった
これもこの中部地区を象徴している
あのお店がいいと聞けば次の週には足を向け
それのくり返し
そこでお店の人の感じが良かったり
モーニングサービスが他のお店にはないものがプラス一品付いてくると
一旦そこで落ち着く
でもそれも長くは続かなかったりする
お店も大変なのだと思う

モーニングサービスの発祥と言われる愛知県一宮市
1950年代の繊維業界が盛んだった頃
商談のために訪れた人たちに朝のサービスとして
ピーナツやゆで卵を出したのが始まりだとか
もう1カ所発祥と言われる豊橋市では
従業員のまかないとして出していたパンを
お客様にも出したのが始まりと言われている
今ではどちらが本家かわからないが
一宮市はモーニングの激戦区であることは今もはっきりしている

モーニングが充実したお店には朝昼兼用にと
家族連れがお昼に近い時間にやってくる光景も今は珍しくない
愛知県の知多半島にあるJAが経営しているお店では
モーニングのメニューにパンもあるがおにぎりも選べる
パンを選ぶとスープが
おにぎりを選ぶとお味噌汁が付いてくる
炊きたてのご飯のおにぎりは美味しい
JAなので食材には自信を持って提供している
美味しいお米を口にすると心もフッと柔らかくなる

内容を選ぶか空間を選ぶか
これからもその時々の気持ちに合わせて新しいモーニングも探しながら
行きつけのカフェでの時間も楽しみたいと思っている

今週の日曜日はどこへいこうかな
しばらく土日は行けそうもないので
その間にアンテナを張ってみようかと




知多半島 JAのおにぎりモーニング

  MASAYO TACHIKAWA





素晴らしい自然を目にすると
自分の心の狭さを改めて感じる
心を広く豊かに過ごせるよう
視点を変えて
学ぶことはまだまだたくさんある

思っていた以上に結果が出たときは
天に助けられたと
こころから思う
自分の力だと思える日は遠いだろう
ほんのわずかな瞬間で
時間が大きく変わる
そんな感謝の毎日

虹を見た
絵に描いたような半円の
登って行けそうな
はっきりとした虹
ただそれだけで
これからへの思いが膨らんでいく

その時々の気持ちは
意外にもはっきりと肌に現れる
幸せは何がきっかけになるかわからない
だから毎日楽しい

飛行機の小さな窓から見る
青い海と白い雲
空を見ながらゆったりと座って
はるか遠くの街へ
周りがどんなに騒々しくとも
安堵のとき

夢を運んで飛んでいる
誰かがどこかで会えるのを待っている
まだ見ぬ人と
いつか出会うため
そんな漠然とした思いさえも乗せて
真っ直ぐに

済州島で
池の中の福袋にコインを投げて
これからを占った
見事福と書いてある壺の中に
そして鳥の上にも乗った
何が叶うのかワクワク

ふと眠ってしまった
夢を見ていた
私の周りの皆が
大きな口を開けて笑っていた
それは嘲笑ではなく
こころから出る満面の笑顔
そんな日々が近いのかと

充実した時間は
身体の疲れも溶かしてくれる
いつかきっと
全てが骨となり肉となることを信じて
やれることは精一杯




『カフェ』   

 
ひとりで入るのはいけないことのようだった
友達のいない人みたいで
入った瞬間の視線さえ全部自分に向けられ
鋭く刺さっている気がした
「何もひとりで来なくていいのに」
「話す人もいないのにひとりでコーヒー飲んで楽しい?」
と聞かれている気さえした
これも一昔前のこと
今はひとりなど当たり前
ゆっくりゆったり時間を過ごせる
ゆとりある人と逆に良い方に理解される
おまけに自分のための素敵な時間が持てる人
うらやましいと

時代は変わった
今日もコメダでモーニング
今日はバターにしようか名古屋名物のおぐらにしようか
小さい贅沢な悩み
周りにどれだけ騒がしい人たちが居ても自分だけの空間
休みの日
少し早起きして今日もモーニング


名古屋駅や栄の辺りを歩いていると
スターバックスやタリーズコーヒーなど
ブランドカフェはいつも満席で
皆思い思いに時間をゆったりと過ごしています
一昔前までの喫茶店と違い一人で入るのはもちろん
一人で本を読んでいたり
もくもくと書類とにらめっこをしていても全く違和感はありません
外を向いているカウンター形式の一人座りの席も充実しています
ふと視線を上げると歩いている人と目が合うのもご愛敬です

名古屋の喫茶店と言えばコメダコーヒーが有名です
最近は東海地方以外の方からも認知され人気度は上がっています
愛知県はモーニング発祥の地とされていて
一宮市説が有力で今でも620軒以上が
変わらず提供をしているそうです
モーニングサービスは開店時間から多くが午前11時まで
コーヒーなど飲み物を頼むと無料でトーストなどが一緒に出されます
愛知県人としては朝
モーニングの付いてこない喫茶店は
存在しないものだとさえ思っていました
県外に出ることがあまりなかった頃
モーニングサービスは
日本中どこにでも普通にあるものだと理解していたのです

定番はトーストと卵
人気のコメダも
厚切りのトーストを縦半分に切ってバターを塗ったものとゆで卵が
いらないと言わない限り当たり前のように運ばれてきます
最近はパンに塗るものが選べるようになり
小倉、ジャム等の選択肢も

最近よく行くようになったカフェは
A・B・C・Dから選ぶことができて
これもトーストの他
マヨネーズを混ぜたゆで卵等
サンドイッチも選ぶことができます
小さな白い器に入ったミニサラダはどれを選んでも付いてきます
私はサンドイッチが気に入って必ずそれを頼んでいます
ふわふわの食パンにシャキシャキの生野菜
席もゆったりとしていて天井も高いので
居心地の良い空間に時間が経つのも忘れてしまいます

こんな時間が持てるだけでも幸せと
日々支えてくださる人たちの顔を浮かべて
感謝の気持ちでいっぱいになります
この気持ちをずっと忘れないように
素敵な時間を過ごしていきたいと思っています

次回はボリューム満点のモーニングサービスなど
愛知県人でも驚くメニューについてお伝えいたします




素敵なカフェのモーニング

  MASAYO TACHIKAWA





時の流れは早いもの
真っ直ぐ生きてきた証は
必ず結果として残る
胸を張って
時をじっくり過ごしていこう

言葉が浮かばない
予想以上の大きな喜びでいっぱいに
癒される優しい言葉が全身を覆う
一緒にいられる
それだけでいい

導かれた
何気にふと足を向けた
その一瞬が流れを大きく変え前進を
結果として素敵な空間を
手にできた

目に付くこと何でも
「まっいいか」って考えられるようになると楽になる
こんなにやっているのにと思うから
先へ進む足が
重くなる

焦るという言葉は今まで思い付かなかった
自分にはそんな言葉には縁がなかった
なんとかなると思って来たから
人生
人と比べたらきりがない

次から次へと言葉が湧いてくる
会話をしているだけで励みになる人
自分もそう思われるように
力を蓄えて
少しでも大きくなろう

花に囲まれ過ごせる幸せ
花も話しかけると答えてくれる
よく頑張っているねとにこやかに
笑顔で返してくれる

焼きもちを焼かれると面倒くさいけれど
それだけ思われている証拠
思われれば思われるほど
気持ちが向いている
嬉しいことと思って

ライトアップされた幻想的な空間
共有したい人と共有できる時間
しっかりと焼き付けて
支えとしていこう




『バジル』   

 
机の上のバジルの花がそっと語りかけてきます
「元気?」
「元気だよ」
数ヶ月前まであんなに頭を傾げていたのに
そんな時間が遠い昔のことのように感じるから不思議です
たくさんの笑顔に囲まれて
今がとても幸せだからでしょう

食用に売っていた丈の短いバジルの枝を
香りを楽しもうと買ってきました
買ってすぐ紙コップに15本ほど差しておいたところ
まだ一週間も経っていないのに
全ての足元から根っこが出てきました
長いものは2㎝ほど伸びています
環境が良かったのか気持ちが通じたのか
いずれにしても元気に育ってくれるのは嬉しいことです

バジルの香りは気分的にもリラックスできてとても好きなので
買ってきても
観賞用にするだけで口にすることはありません
でもこんなに早く根っこが出てきたのは初めてです
ハーブはもともと雑草の仲間で生命力は抜群です
玄関に植えたパイナップルミントやアップルミントも
毎年忘れず芽を出しかなり大きくなります
JAの産直に売りに行こうかと思うくらいです

バジルはミント系と並んでハーブの中でも使いやすく人気です
歴史をたどればインドからヨーロッパに
アレキサンダー大王が伝えたとされています
16世紀にヨーロッパのイギリスに
17世紀にはアメリカに伝わったようです

ミントは1度植えると毎年くり返しそこから芽が出てきます
バジルは本来多年草ですが越冬ができないため
日本では一年草の扱いとされています
和名は「メボウキ」
シソ科の仲間であるため青じそとも風味が似ています
バジルはバジリコとも言います
他のハーブ類に比べて刺激性は薄いので生食など何にでも使えますが
バジルをジェノバソースとして使うパスタが定番です
ピザのマルゲリータの上に乗せると見た目も鮮やかで
一気に香りが高くなります

バジルは細かくて白い優しい花を咲かせます
種はグルコマンナンを多く含み
水分を吸収すると約30倍に膨らむため
一時期はダイエット食品として人気になり
透明の瓶にオタマジャクシの卵の用に摘められたものを
あちらこちらで見かけました
バジルが日本に最初入ってきたときはダイエット食品としてではなく
ゼリー状の部分が目の汚れを取ってくれるとして
目薬として使われていました
そのために「メボウキ」の名称が付きました

机の上のバジルは今回も食べずに
香りと鮮やかな緑色にゆったりとした時間を分けてもらいます
しばらくは根がどこまで伸びるかも楽しみながら
水耕栽培にするか土に植えて増やすか香りに力をもらい
大きくなっていく姿を想像して考えることも楽しみたいと思います




お祝いにいただいたフラワーボックス

  MASAYO TACHIKAWA





姿を見ているだけで力になる人がいる
一緒に居る時間の長さで結果が変わるのではなく
一歩踏み出す後押しをしてくれる人
ありがとう

凄いと褒めてもらいたくて
わざと求める言葉を発することも
褒めて欲しくてしている訳ではないが
結果が出れば
励みとなる

富士山にパワーをもらった
必ず手に入れる
自分の夢が現実に
あの素晴らしい姿が
いつもカをくれる

健康で毎日過ごせることへのありがたみを
忘れてしまうことがある
これほどの幸せはないのに
人間だからつい
欲が出てしまう

毎日何か楽しいことが待っている
そんな思いで人とふれあう
皆がお互いを思い慈しめば
感謝の数も増えていく

励ましの言葉をいただいた
他人にどう言われるかを気にしていると
前へと進みにくい
求められればまず進む
それが大きな一歩

弱者だけど人から弱虫と思われたくない
だからがんばる
たまにはへなちょこの部分を見せるのも
いいかなと思いながら
またがんばっている

自分には嫌いな人はいないと思っていた
無関心なのが楽だったのかもしれない
どんな人にも個性があって当たり前
今少し離れた所から見ると
また楽しい

世の中偶然はない
自分には責任が重過ぎると感じることもある
だけど出来ないことはない
前を向いて先へ先へ




『出会い』   

 
素晴らしい出会いが人を強くする
多くの人と出会い
互いに支え支えられ
一瞬の出会いが人生を変える
出会わなければ良かったと思う人でさえ
会うべき
会わなければならなかった人のひとり

他人のことはあっさりそう思えるけれど
自分のこととなると
悔しい思いが影のように付いてくる
正直言えば出会わなければ良かったと思う人はいる
でもそういう人こそ反面教師
ああならないようにと学ぶことができる

今を悩むのならば
今世で借りを返して次のステージへと行くか
次が見えないからと我慢して留まるか

先は見えないからおもしろい
日々がうまくいっているときはそう思える
そうでないときは
一歩先すら怖いものとなる
やってみなければわからない
頭ではわかっていてもなかなか判断は難しい

宝くじも当たらないと思いながら
ついつい見かけると買ってみようかと思う
宝くじは当たるとそれなりの反動が来ると言う
近くで現実的にそういう話が本当に起こった
だから決して大げさな話でもない

人の欲は永遠に尽きない
あの世界一貧乏な大統領でさえ
お金をいらない人などいないとはっきり言っている
物を買うことでこころが満たされるのならば
それも生きていく上で必要なこと
ただ往々にしてそういう場合は
無駄使いとなることが多い

先日尊敬する素晴らしい先生方を訪ねて
行ってみたかった東京大学と東京工業大学へ行きました
午前中は東京大学へ
赤門を通り校内へ
ちょうど避難訓練の日に当たってしまったため
安田講堂の前で
たくさんの東大生に囲まれる羽目になってしまいました
「地震により3階で火事が発生」
日本語と英語でくり返し放送が流れ
東大生が大集合です
自分の周りが全て東大生
不思議な空間に迷い込んだようでした
これも出会いと言えば出会いです
一生話すことはない相手ですが

どちらの学校もザ・大学
敷地の広さと建物の立派さ
楽しい時間を過ごすことができました

小さな出会いから大きな出会いまで
これからの出会いに大きな期待を寄せて
ワクワク感を膨らましながら毎日を楽しんでいこうと思っています
出会いに感謝です




ハワイ カハラホテル プルメリアビーチハウス

  MASAYO TACHIKAWA





ちょっとしたタイミングで
幸せと安心感が同時に手に入ってくることもいい出会いは
一瞬で流れを変える

人を集めるパワーを持っている人
同じ人間なのに
やはり凄い人は凄い
あやかれるよう
日々を重ねて

「ありがとうございました」としか
言葉にならない偶然
これも必然ならば
幸せはすぐ目の前に
流れは確実に向いている

出会えて良かったと心から思える人と
たくさん出会ってきた
出会えていても気付かずの人もいる
これからも宝物を手に

すぐ先の事を考える間もない位
時間に追われる毎日
たくさんの笑顔と結果をもらった
励みが多いと
強くなれる

何か違いを感じる素晴らしい人
気持ちが付いていけるように
たくさんの笑顔を見られるように
がんばって追いつこう

取り逃したものは大きく見える
追うことに時間をかけていると
やらねばならないことを
見失ってしまう

やって良かった
多くの人の笑顔の橋渡しが出来て
きっかけはいくつもある
喜んでもらえる時間に感謝

ノーレイン
ノーレインボー
雨が降らねば虹は出ない
何かを成すには何かを乗り越えねばと
良い歌は大きな支えとなってくれる




『波の音』 

 
今、鳥羽の高台に建っているホテルにいます
間もなく行われるサミットの関係者で
ホテルの中は体格のいい方でいっぱいです
鳥羽のありとあらゆるホテルや旅館に
日本中から集まっている警備の機動隊や警察の方々が
宿泊しているそうです
外には普段はあまり見ない窓に鉄の網が掛けてある水色のバスが
数十台停まっています
その駐車場入り口には
背丈以上の長い棒を持った人が常に一人立っています
ただ制服ではなくジャージなど私服で
それは物々しさを感じないように
ホテルに泊まっている他のお客様への配慮なのでしょう
警備をしていないと
バスに爆弾などを取り付けられたら元も子もないですから
大切なことですね

そんななかなか見られない光景とは打って変わって
目の前には鳥羽の海が広がり優しい波の音が聞こえてきます
大きな漁船が通るたびに波の音が大きくなって幸せ度が一気に増します

今一番聴きたい音はワイキキの波の音かもしれません
ハワイは行きたいと思っても直ぐには行けないからより思いが増します
ワイキキビーチ沿いのホテルでも
昼間は人の声や車の音など多くの音でかき消され
波の音は耳を澄まさないと聞こえてきません
夕陽が沈んで皆が夕食に向かい始めると
やっと少しずつ聞こえてきます
陽が沈みあちらこちらのホテルの庭で生演奏が始まる頃です

「ザーザー」
他の海と何も変わらない波の音なのに
何だかこころが引き込まれていきます
寄せては返す規則的で単純な音
ここ鳥羽の波とはまた違って聞こえるから不思議です
鳥羽の波も好きですが何かが違います
それは受け入れる自分自身の気持ちなのかもしれません
鳥羽も大好きな空間ですから

間もなく鳥羽の山に陽が落ちます
車も波もホテルの建物も近付く太陽に反射して
キラキラと輝き始めています

キラキラと言えば先日
日本一なりたい顔にいつも選ばれている女優さんが結婚式を挙げました
誰が見ても美しい人です
結婚式の映像の中で彼女の鮮やかさは一段と輝きを増していました
ドラマの一シーンにも見えます
数コマのカットが流れただけでしたが
お互いを思う気持ちが画面の中からしっかりと溢れ出していて
見ているだけでこちらも幸せな気持ちになりました

彼女のラッキーカラーはきっと青色なのでしょう
カクテルドレスも婚約発表のテーブルの花もブーケも
青色をふんだんに使っています
青い一輪咲きの花は
日本ではまだ種類も少なく高価な花が多いのでより目を引きます

この頃紫のカーネーションを
やっと日本でも見かけるようになってきました
深い紫薄い紫中間の紫
好みによりますが
私は濃い紫が好きです
カーネーションに限らず紫色の花は稀少で
落ち着いた色なのにどの花もどことなく華やかさと上品さがあります
結婚式で使われていた青の花も同じです
彼女が選んでいる青は濃く深い青で
鮮やかさと高貴な華やかさがありました
彼女の着ていたドレスがそれを象徴しています
ふたりの出逢いにも青色が関わっているのでしょうか

結婚式の時にハンカチや宝石など
青いものをドレスのどこかに忍ばせると幸せになると言われています
今回は堂々と青色を前面に
前面であり全面に出すのも
幸せオーラ満開を言葉以外で表現しているようでした
その青色がハワイの波の色にも似ています

波の音をこころでゆったりと聴ける今に感謝をして
少しでも青い花に近付けるよう時を重ねていきたいと思いました

小さな舟が波を立てて沖へ向かっていきます
今日もゆっくり眠れそうです




青い花のフラワーアレンジ

  MASAYO TACHIKAWA





ほんの少しのタイミングが流れを変える
幸せに向けられるのは
数秒の出会いときっかけ
先はわからない
だから楽しい

カを貸してくれる人が近くにいる
手を差し伸べられると
こころが解放される
気持ちがホッとして
次の一歩が早くなる

その人に
乗り越えるカがあるから与えられる
頭の中になかった出来事
乗り越えれば
素晴らしいご褒美が待っている

自分の感情ですらコントロールできない
まして他人のこころなどもっと
左右しようと思わず
見つめ続けられる力を

気持ちを渡せる相手がいる
返してくれる相手がいる
そんな幸せを当たり前と思わず
感謝で返していこう

素直に受け取ることも必要
気持ちをごまかさなくても
どこからか支えてくれている
これでいいよと

強いものに囲まれると焦りが出る
早く溶かそうと思うから混乱する
一歩引く力も大切

満面の笑顔が待っている
今起こっていることの意味は深く考えず
素直に受け取って
ただそれだけでいい
ただそれだけで

ありがとうございました
これも皆様のお蔭です
そんな言葉をこころから言えるように
今はそれが目標




『妖精』  

 
花水木の花びらが風に乗ってひらひらと舞っています
そんな光景を目にすると
花びらの上に妖精が乗っているのではと思うことがあります
妖精は美しい姿でひとを励ましてくれるだけでなく
優しく夢も届けてくれます
なかなか姿を現わしてはくれない妖精がやっと現れ
今回はどんなメッセージを持って来てくれたのと
そっと話しかけて答えを待っていても
妖精はにこにこ微笑んでいるだけです
結局答えは妖精が持っているのではなく
聞いている本人のこころのなかにあるからです

どこの国にも夢を叶えてくれる妖精のような存在がいます
妖精は架空の話ではなく
ちゃんとどこかに居るからずっと信じられ続けているのです
目に見えないので人の判断はふたつにひとつです
信じる人と信じない人
信じる人のこころの中にはどこかにずっと存在しています
誰もが毎日しあわせでいたいと願っています
そんなこころの声が
妖精を形にして私たちの支えとなり励ましてくれるのです

妖精とは英語ではフェアリー自然界の精霊を言います
西洋では可愛らしい愛らしいイメージですが
中国では妖怪や魔物を指すそうです
見えないものを見えるものとして
イメージを膨らます
それだけでその人の生き方がわかる気もします
私は妖精と言うと
ディズニーのピーターパンのティンカーベルの画が浮かびます
天使とは違った感じです
具体的なイメージは
ニュージーランドの透明感のある水色にキラキラと輝く
美しく澄んだ湖の畔にある大きなカウリの樹の中に住んでいる感じです

これからもこころの中にはどんな時も居続けてください
そう願って妖精さんに手紙を書きます

妖精さんへ
あなたがひとつ願いを叶えてくれると言うのならば何にしましょう
世界の平和と優等生のような答えを返したいですが
今の私は違うかもしれません
本当に自分でできることを
今からじっくりと考えてみるので少し待っていてください
願いが決まったらすぐにお知らせをします
そうしたら夢の中に出てきてそっと教えてください
YESかNOか
NOであればまた考えます
YESであれば道が開いていくように頑張りながら待っています
そっと手を差し伸べてください
奇跡的なことが起こったら
あなたが力を貸してくださったと両手を合わせ感謝の言葉を贈ります
「ありがとうございます」と
こころの中の妖精さん
あなたと逢いたいです




花水木の花

  MASAYO TACHIKAWA





今日のこのときを感謝ができれば
まずはそれでいい
結果は付いてくる 
今すぐ求めずとも
後から必ず付いてくる

これからのためにある大切な時間
両足で地面に強く踏ん張って
今日も
明日も
明後日も

誰にもこころがあり
同じ地球の上に生きている
それを忘れてしまう瞬間がある
人として生きるため
少し離れて我を見つめる機会も
必要だと

いつもと同じ時間の早さなのに
慌ただしい今
この時間にも意味がある
同じときならば
流れに乗って
楽しんで

誰でも常に認めて欲しいと思っている
意識のない頑張りには
大きなご褒美が待っている

あの時は と思える時間が少しでも増えるよう
この間を無駄にしないで
笑顔で毎日を

何のために今があるのかわからない
そう思っている間は進む速度がゆっくりに
無駄な時間はないから
自分を信じて

ごめんなさい
何かわからないけれどごめんなさい
そんな思いのときもある
そんな時間も
それはそれでいいことと

思いをぶつけられる人に出会えた幸せ
なかなか出会えない
人として向き合える人
感謝でお返しを




『春の風』

 
風が吹くと桶屋が儲かるの言葉があります
「起こったあることが廻り廻って
意外なところに影響が及ぶ」の意味です
人も何がきっかけで行く先を導かれるか先はわかりません
今、三重の鳥羽国際ホテルの7階にいます
強い海風が新緑の木々を大きく揺らしています
今年は花冷えの肌寒い日が続いたため
長い間桜の花を楽しむことができました
ここから見える山も緑色の中にピンク色の絵具を差したように
桜の花が所どころ色を添えています
伊勢道の松阪インター付近にはたくさんの桜の木があり
一度満開の姿を見たいと思っていました
満開の時期は過ぎてしまいましたがまだまだ見応えがあり
数秒間のお花見を楽しみました
鳥羽はサミット会場から数十分の場所ですが
今はまだ緊張感もなく今までと何ら変わっていません
ただ伊勢神宮内宮では多くの警察官が既に警備を始めています
私が行ったときは北海道警察の方がたくさんみえました

このあたりでも噂は色々出ていますが
人が集まる名古屋駅の方が気を付けなければとも言われています
そう言っても気を付ける術は近付かないこと位しかないでしょう
世の中何が起きても不思議ではないので
深く考えず普段通りにすることの方が危険を呼ばないのかもしれません

生きている日々の中で
大きな風が吹いていることを周りの人たちは気付いているのに
当の本人だけがわかっていないこともあります
知らないうちに通りすぎる風も風のひとつです
気づく気づかないそれも人生なのかもしれません

風にまつわる名前、種類は日本語では2000以上あります
少し前に「春一番」と聞いて何だかホッとした自分を覚えています
寒い冬を乗り越え
温かい花の咲く春が近づいてくる風景がこの言葉を聞くと浮かびます

「東風吹かばにほひおこせよ梅の花、主なしとて春を忘るな」
菅原道真が梅の花に春の東風が吹いたら主であった自分がいなくても
忘れず花を咲かせて
京都から大宰府へ香りを届けて欲しいと歌った和歌です
太宰府天満宮の本殿の前には「飛梅」の名が付いた御神木があります
その木には飛梅伝説があり
道真を慕う京都の庭木たちは
道真がいなくなったことをいたく悲しみました
桜の木はみるみるうちに葉を落としとうとう枯れてしまいました
梅の木と松の木は空を飛んで道真を追いかけました
しかし松の木は途中で力尽きて
途中の摂津国八部郡、現在の神戸市須磨区に降りました
松の木が根を下ろしたこの場所には飛松伝説が残っています
最後まで頑張った梅の木は
一夜のうちに道真が暮らす大宰府へと飛んで降り立ちました
思いがそれだけ強かったのでしょう

大宰府天満宮の梅の見ごろは1月下旬から3月上旬です
境内に200種、約6000本の紅梅、白梅が所狭しと咲き続けます
香りの高いものも多く梅の優しい香りに心癒されます
6月1日には飛梅の実を集め御神前に奉納する神事が行われます
その後6000本の梅の木の実ちぎりが神職
巫女さんや近隣の園児たちによって行われます
道真も子どもたちの歓声を聞いてさぞかし喜んでいることでしょう

春は春風、春疾風、春一番、花嵐
夏は青嵐、涼風、南風、若葉風
秋は秋風、初風、初嵐、芋嵐
冬は北風、寒風、雪風、空っ風
夏の風を夏風と言わず南風
冬の風を冬風と言わず北風と言うのも日本語らしい表現です

鳥羽の心地良い素敵な空間で
季節の風を感じながら過ごせる日本に日々に
改めて感謝をしたいと思いました
これからどんな風が吹くのかとても楽しみです




春の風吹く鳥羽国際ホテルより

  MASAYO TACHIKAWA





無償の時間とわかっていても
費やすことに誇りを感じる
いつかきっと答えを見せてくれる
見返りを求めない
大切なとき

自分の気持ちにゆとりがあると
他人を思いやることもできる
小さな事にも気配りを
人らしくいるために大切なことは
目ではなく
こころで知ること

優しさから離れられない
自分には真似できない人
ずっと一緒にいたい
長くいたい
出会えて良かった
ありがとう

語らず一緒にいられる人
ただ居るだけで温かくなる
ずっと前から出会っていたような
存在だけで力になる人

短時間で何年分かの勉強をした気分
計算式のように決められた答えは出ない
ずっと模索中
学びは一生続く

温泉三昧
お肌だけでなくこころもツルツルに
わだかまりがあると
毎日がとげとげしくなる
溶かせるものはサッと溶かして
サッパリと

「オレンジ」「世界に一つだけの花」
初めて聴いたその瞬間好きになった
先入観なしのジャッジ
いいものはやっぱり
誰でもいいと感じるもの

支えになり心に残る曲は
その時の気持ちで変わる
迷いがないときは
耳にする
ただそれだけで力となる

さよならと言おうと思っていたのに出た言葉「ありがとう」
気持ちがそうさせたのか
偶然なのか
こころからのありがとう




『桜2016』

 
桜と聞くだけでこころがホッとします
桜を歌った歌は名曲が多く
何年経っても春が近くなるとどこかで耳にします
特に桜の時期は毎日のように
桜は日本を象徴する花で日本の誇りでもあります
そんな誰もが愛している桜を題材にした歌詞を
優しいメロディに乗せるとよりこころに入りやすく
受け入れられやすいのでしょう
桜に限らずヒットソングが生まれると
その呪縛にずっと引っ張られてしまうシンガーの方も
少なくないようです
本人が自信を持って曲を出しても
大ヒットした曲を抜くことはなかなかできません
そんな曲は独り立ちをして作った人の手から離れていく気さえします

今タモリさんのミュージックステーションスペシャルで
「桜&卒業ソング」ランキングを放送しています
一位は予想通り森山直太朗さんの「さくら(独唱)」です
この曲は多くの思い出とともに繰り返し聴いてきました
聴くたび走馬灯のように色々な思い出が頭の中を掛け巡って行きます
一番に思い出すのが卒業式の場面です
何度聞いても感動が駆け足で後を追い掛けてきます

前回「門出」をコラムとして書かせていただきましたが
私も今年は大きな一歩を踏み出すチャンスを
いただくことになりそうです
正に門出です
数年間ずっと迷って日々を過ごしてきました
そして「飛翔」進むことを決心しました
門出を書いているときは
まだ門出が自分のことになるとは思っていませんでした
今回の一歩がわかっていたかのように
この題名を迷いなく決めて書き進めましたから不思議です
門出と言われてふと思う月は4月です
自分でもまだ3月が始まったところなのに
何故「門出」の題名を思いついたのだろうと考えていました

書き始めた場所は
大好きな三重県伊勢志摩サミットが行われる賢島から車で数十分
伊勢神宮から30分ほどの鳥羽国際ホテルの和バージョン
「潮路亭」のプレミアムスイートのお部屋です
この部屋に今回縁があったのは
クリスマス12月25日に国際ホテルに宿泊した際
ホテル企画のクリスマス感謝祭で
ディナーの後くじを2本引かせていただきました
その1本が「特賞」として当ったのです
潮路亭に1部屋しかない露天風呂付き1泊2食付きの宿泊券でした
私はついつい欲が出てしまってくじを引いても当たらないので
一緒に行った人に引いてもらいました
それがこの宿泊へと繋がったのです
この素晴らしい空間でふと思いついた文字が「門出」でした
お部屋は一階でホテルのお庭に面しています
お庭には季節ごとお花が咲くように
桜、梅、紫陽花などが植えられていて
今回はちょうど梅の花が満開でした
一本の木に白梅と紅梅が両方咲いている珍しい木です
先日行った熱海の梅林公園では
薄ピンクや濃いピンク、白
一輪の中に白とピンクが混合に咲いている花など
1本に何色もの花が咲く梅が印象に残っていました
その梅は「おもいのまま」の名前で
品種改良をしていた際なかなか思うように花を咲かせず
思いもしなかった時に改良していた木が何色もの花を咲かせたため
この名がついたそうです
お部屋の正面に咲いているため
美しいものをただ美しいと何も考えずボーっと見ていました

満開を迎える桜の花も
1年間暑い時も寒い時も風が強い時も雷が鳴る時も大雨が降る時も
ただ耐えてその結果として美しい花を咲かせます
人の人生も然りです
いい時もそうでない時も人生の1ページ
そうでない時は避けて通りたいですがそれも人生です
できれば避けたいと思うときは少しでも早く過ぎるように
楽しいときは一時でもこころの中に残し長く続くように
願いとともに過ごします

重ねてきたことから手を引くのは多大な勇気が要ります
それも大好きなことならば尚更です
目標の道へと今より早い段階で流れを変えるつもりでしたが
周りで愛してくださる方がとてもとても多くいてくださったため
1年また1年と伸びてしまいました
このまま皆様の笑顔に囲まれ過ごすのも幸せですが
大きく大きく大きく進みます

一度きりの日々を恩返しに使いたいと思います
ありがとうございました
そしてこれからもどうぞよろしくお願いいたします




鳥羽 潮路亭 プレミアムスイート

  MASAYO TACHIKAWA





キラキラと光る朝陽に向かって
ふと手を合わせる
祈る姿は誰が見ても美しい
ただただ感謝の純粋なこころが
より輝きを増す

日々なりたい自分をイメージして過ごす
無意識に学ぶことを繰り返すと
少々のことにはめげなくなる
ごまかしでなく
これも生きる知恵

止まって欲しい時と
早く過ぎて欲しい時がある
人は時間の速度を変えることはできないけれど
思い方次第で
早くも遅くもなる

フエルトをすっぽりかぶせたような新緑の山
春の花たちが所々ピンク色に染めていく
ホッとする
日本の景色

花びらが舞う中
新たな時間に向かって
らしくらしく前へと進む
「ありがとう」をこころから言える日々を

お腹いっぱいにはすぐなれる
胸いっぱいとはなかなか出会えない
そんなたまにある
ときめきが嬉しい
出逢いを楽しんで時を重ねたい

輝いている人は
努力とプライドが背中合わせ
手を抜かない生き方
誰もができることではない
だから素敵な人は
艶が違う

朝霧に包まれる山々を見ながら
時間をともに過ごす
人としての至福の時
与えられた空間は全てに意味がある

異空間でゆっくりとこころを解いて
本来の自分に
夢と現実が近付いていく
気持ちを開いて
真っ直ぐ一歩一歩




『薔薇の花束』

 
女性にもらって嬉しいものは何ですかと聞いて
常に上位に上がるのが花束です
人気の花の種類は薔薇
色は深紅
深みのある赤色
誕生日であれば迎える年齢の本数を
花束はサプライズで突然目の前に出されると
感動の度合いが一気に上がります
女性ならば誰でも一度は花束を
サッと予告なしで出されてみたいものです

もらって嬉しいものランキング
年齢別には
10代~20代はアクセサリーやバックなどが上位ですが
30代~50代ではお花が入ってきます
60代になると心を満たすお花より
お腹を満たすスイーツや現実的な健康グッツ
家電製品が上位になっています

薔薇はバラ科バラ属の総称で一般的には5~6月が最盛期です
もちろん切り花は一年中お花屋さんの主役として常に置かれています
英語ではROSEと言いますが
これは古来のケルト語RHOD
「赤」と言う意味が語源だとされています
それだけ薔薇は昔から愛されているお花だと言うことです
薔薇の起源は7000万年前
ヒマラヤ山麓あたりで群棲していたと言われていますが
残っているものがなく確定はされていません

イギリスでは15世紀にバラ戦争が起こりました
これは薔薇を奪い合ったとかではなく
紅バラを家紋に持つランカスター家と
白バラを家紋に持つヨーク家が争ったためこの名が付きました
結末はランカスター家の縁者テューダー家のヘンリが貴族に支持され
リチャード3世を破り
新たにテューダー朝を開きヘンリ7世が王位につきました
その後ヨーク家のエリザベスと結婚し一件落着となり
30年続いたバラ戦争は終結を迎えました
イギリスと言うとガーデニング
色とりどりの満開の薔薇が浮かぶ人は多いと思います
薔薇とガーデニングは切っても切れない関係です

薔薇は漢字で書くと画数も多く難しいため
書けるか書けないかよくクイズにも出されます
確かに目の前で「薔薇」とサッと書かれると「お~」と思います
覚えておきたい漢字のひとつです

薔薇はお手入れが大変で病気にもかかりやすく
害虫の駆除にも悩まされます
栽培をお庭などで初めても断念する人が多いのはこれが大きな理由です

ナポレオン1世の皇后ジョセフィーヌは薔薇をこよなく愛した女性です
洗礼名もローズでした
裕福な家に生まれた彼女は大変な浪費家で
薔薇にかけるお金にも居止めは着けませんでした
ナポレオンが戦地で戦っていた時も
対戦国から薔薇の苗を取り寄せるなど
周りの状況よりも欲しいものは欲しいと
自分の気持ちを最優先していました
薔薇だけでなく食事や着るものにも金銭を惜しみませんでした
日本や中国など世界中から原種を集めそれは250種にもなっています
ジョセフィーヌは色々な宮殿に住みましたが
バラの庭園があるマルメゾン宮殿をとても愛していました
お手入れだけでなく園芸家たちには品種改良もさせていました
その中でもアンドレデュポンと言う園芸家が
人工授粉の技術を一気に向上させました
現在の四季咲き薔薇の元祖である薔薇の改良にも
多大な結果を残しました
ジョセフィーヌは園芸家に任せるだけでなく
自らも観察や記録をして薔薇の育成に力を入れていました
画家であるピエールルドゥーテのバラ図譜は
ボタニカルアート
植物画の天才画家として今でも世界中の人から愛されています

クレオパトラも薔薇風呂を楽しんだり
ローズオイルを自分のからだに塗ったりと
薔薇の香りがかなりお気に入りだったようです
美しい女性には薔薇の花がお似合いです

ブルーローズ「青いバラ」は不可能の代名詞と言われ
サントリーが数々の失敗を重ね
パンジーの青色遺伝子を使って咲かせた花を
2009年に全国のお店で販売できるようになりました
「誰も見たことがないならば見てみたい」の純粋な思いから
ブルーローズの開発は始まりました
思考錯誤の月日はあっという間に10年が経過していました
サントリーブルーローズの別名は「喝采」
花言葉は「夢かなう」です
正直青色と言うよりは薄紫色ですが
赤や黄色やピンク色の薔薇の華やかさとは対象的に
上品な落ち着きがあります
一本でも目を引き
周りをかすみ草で囲えば立派な花束になります

たくさんの真っ赤な薔薇の花束か
たった一本の青色の薔薇の花束か
サッと目の前に出されるとしたらあなたはどちらがいいですか?




色とりどりの鮮やかな薔薇の花

  MASAYO TACHIKAWA





何でも一生懸命な人は
一緒に居ると励みになる
努力を形にする人
結果を出す人
見ているだけで力が湧いてくる

風向きは必ず変わる
自分の信じた道を真っ直ぐ進むのも
寄り道するのも自分次第
良き時間を手にするために
今すべきことは何か
こころの目でじっくりと見つめて

素晴らしい人が近くにいてくれる
それだけで誇りです
類は友を呼ぶ
そう思っていたい
自慢の人たちです

花畑の中で色とりどりの花に囲まれ
幸せへの道を歩いている姿が浮かぶ
そんな温かな空間は
すぐそこです

影のように離れず付いてくる思い
人の影は曇ると現れない
こころの中の影は
どんな天気でも現れる
いつも晴天でいたい
真っ直ぐな想いで

どこへも行かず何も考えず過ごせる時間
これだけで大きなご褒美
かけがえのない
至福の時

温かい時間を与えてくださって
ありがとうございます
こんな気持ちで過ごせる日々に
感謝で胸がいっぱいです

花を触っていると
どんな形で生けて欲しいか
お花が語りかけてくれる
美しく咲いた花
一番いい形で見て欲しい

今の出来事が
何を知らせてくれているのか
知る日は近い
今こうしていること全てが
これからの種まきだと
信じている




『門出』

 
『大きく門が開いた
目を開いていられない位
強い風が一瞬吹いた
人は生きている間にいくつもの門をくぐる
大小様々な
この風の意味がわかる日は近い
良い風であること
それだけは今でもはっきりと感じられる
何か大きな使命を受けた気がする』

新たな一歩
門出「かどで」と言うとカラフルな紙の花のアーチの下を
愛着のある着慣れた制服や
真新しいフォーマルウエアを着た子どもたちが
笑顔と拍手で送り出されている映像が一番に浮かびます
私の中では入学式より卒業式のイメージが強いからでしょう
門出の意味は旅などで家を出ること
新たな生活を始めること
そして旅に出る前
吉日の日柄のいい日を選んで家から仮の家に一旦出て
旅は自宅からではなくそこから立つことも言います
多くのおみくじにも吉の方角が書かれています
進む方角を慎重に選ぶことを昔の人は大切にしていました
現代のように車に乗って新幹線に乗って
バスに乗って現地まで寝ていても到着するような時代ではなかったころ
旅をすることは一大決心でもありました
故に何事もなく上手く行くように願いをかけました
少し外れますが
スポーツ選手も0.数秒など細かい判定が結果を左右させてしまうため
自分の気持ちの支えとなることを試合前に行って
メンタルをいい状態に保とうとします
験を担ぐのも勝負や旅には大切なことです
他人から見たらえっと思うことも
本人にとってはいたって真面目で重要なことなのです

昔は道路も狭く険しいところも多く
たどり着くことがまずは旅の目的でもありました
無事何事もなく行って帰ってこられるように
縁起を担いでいいと言われることを重ねました
旅だけでなくどんな時も門出は大切な節目です

旅と言うと伊勢参りもそのひとつです
日本中から集まって来る伊勢参りにはたくさんの逸話が残っています
伊勢神宮には
そんな神宮の歴史を学ぶことのできるせんぐう館があります
平成25年第62回神宮式年遷宮を期に建てられました
総工費は25億円
25億円と聞いて高額だと一瞬感じますが
20年に一度の式年遷宮は約550億から570億円かかります
その中の25億
「そう思うとせんぐう館の建設費は大きなものではないでしょう」と
学芸員の方が説明の中で優しくお話されていたのが印象的でした
確かにその通りです

伊勢参りの中でも江戸時代60年に一度大流行していた
集団参拝のことをおかげ参りと言います
おかげ様と言うと聞こえも良く
確かに伊勢神宮へ健康で伺えるのは「おかげさま」の一言です
伊勢参りのおかげさまは少し違った意味もあります
大流行していた頃のおかげ参りを抜け参りと言い
奉公人はご主人に子どもは親に許可なく無断で参詣していたことで
こう言われるようになりました
大金も持たず着の身着のまま出られたのは
道行く多くのところで食事や寝る場所などの
施しを受けることができたからです
施しをすることで
施しをした人も行かずとも参詣したことになると言われていました
伊勢から帰って参詣した証のお守りやお札などを見せれば
お咎めをうけることもありませんでした
それだけ伊勢神宮は皆に愛されていたのです

多くのお店が並ぶ江戸時代を思わせる街の名もおかげ横丁です
豚捨のコロッケと赤福氷、赤福ぜんざいのところには
いつも列ができています
おかげさまはこころがホッとする素敵な言葉です
今は江戸時代のように60年に一度集中することはありませんが
式年遷宮の数年前から参拝者は徐々に増え始め
行事が終わった後も減っていないことには意味があるのでしょう
伊勢志摩サミットの影響も
内宮からおかげ横丁への道は相変わらず人で溢れています
自分のペースで歩きたくてもなかなか足早には進めません
苦しいときの神頼みでなく穏やかに暮らせる日々を感謝する
そしてそれを神様にお礼の形で伝える
伊勢神宮はお願いをするところではなく感謝を伝えるところです
何もないことが幸せだと改めて感じることができる空間です

間もなく桜が咲き始めます
淡いピンク色に日本中が包まれます
何だかそわそわしてきます
新たな門出に感謝のこころで進んで行けたら
素敵な時間が待っています
ますますワクワクしてきます
輝ける門出に出会えますように
春はすぐそこです




山梨 清里高原 昇る朝陽と富士山

  MASAYO TACHIKAWA





朝陽が強く明るく降り注いでいる
スポットを浴びているような強い灯りに守られ
経験したことがない力が湧いてくる

意味を考えているうちに
結論が出ぬまま時間が過ぎて行くことも
これも時の成す技
答えは出てるはず
あとはこころに落とすだけ

花は花を人は人を呼ぶと言う
花は話し掛けると喜んで応えてくれる
人も同じ
誰でも話かけられると嬉しい

こころが滝の麓へと向かっている
大きなパワーを浴びてリフレッシュ
たどり着くまで
時間を楽しんで

謝りたい人はたくさんいる
あの顔をさせているのは
他ならぬ自分だと思うことも
見つめていたい人たち

自分の天気予報は当たらないことが多い
先入感が入るから
一か八か
何も考えずの方が良かったりする
人生もやってみなければわからない

永い間話したかった人と話しが出来るように思いが通じたのか
大人になったのか
考える前に感謝して
一歩を

ごめんなさい
こころの中で叫ぶのは容易いけれど
なかなか口に出せないごめんなさい
できない時は
先に気持ちを贈ります

たまたま出会ったこの場所
この景色
わだかまりが消えていく
ほのぼのとゆったりとした気持ちで見ると
どんな風景もより温かく感じる




『台湾2016 Ⅱ』

 
台湾で多くの日本人がまず行きたいと思う観光地
国内外で今一番人気の九?です
九?は台湾北部の新北市の山間部にあります
台北から車で1時間半ほど
日本統治時代は金鉱山として繁栄した街です
バスや電車でも行けますが人気の観光スポットになっているため
行きは人の波が集中せずまだいいのですが
帰りのバスは帰る時間が皆同じような時となりかなり混みます
台湾のバス料金は地下鉄も含め日本に比べるとお値打ちです
九?まで90元で日本円にすると約360円
お値段ではありますが様々なことを考えると
特に夜景を見に行く場合はツアーでの参加をお勧めします
ここは千と千尋の神隠しの湯屋などの
モデルになった場所と言われていますが
実はスタジオジブリはそれを否定しています
ただ根拠なしで言われ始めたのではないことは行ってみるとわかります
千尋が働いていた
湯婆婆の油屋のモデルと言われるところは食事処になっていて
外にある赤い看板にも達筆な字でそれらしきことが書いてあります
夕暮れになり灯りが灯り始めると油屋の雰囲気をより感じられます
千尋の両親が神様のために作った料理を勝手に食べ
豚の姿に変えられても食事を続けている
赤い提灯がいくつもぶら下がっているお店や
驚いて逃げ回った路地や坂道の階段すら似ています
今回行って初めて知りましたが
千尋と両親が迷い込んだ
不思議なトンネルにそっくりなところまでありました
でも宮崎駿さんは
「このような噂はトトロのときもあり似た景色はよくある」
と否定しています
この「トトロときも」の風景は屋久島の杉の古木のことでしょうか
このときも確かに現実と画はそっくりでした
否定されたことをまだ知らず行く人もいるでしょう
いずれにしても年々人気度は高くなり
狭い路地は人で溢れてなかなか前へ進めません
元々この辺りは台湾の高級別荘地でもありました
九?は海からの湿気が山に当って街に雨を降らせるため
晴れている日が少ないそうです
今回も食事をしている間
風も強く吹き大量の雨が降りました
幸いなことに食事を終える頃に雨は上がり
赤提灯の光が揺れて一段ときれいでした
台北から九?の行き帰り
台北のシンボルである圓山ホテルを眺めながら走ります
圓山ホテルは1952年に建てられ台北を象徴するホテルです
龍宮とも呼ばれてあちらこちらに施されている彫刻は圧巻です
中国建築の特徴を全面に出したホテルは色も形も特徴があり
一目見ただけで記憶に残る位
印象的です
蒋介石の時代に造られた地下道もあり
台湾の歴史がひっそりとここでも流れていたことがわかります
地下道はホテルに隣接している剣潭公園に繋がっていますが
現在通ることはできません
数年前に印象的な朱色の柱等はお色直しをしました
出来上がった今は朱色が一段と鮮やかにはっきりとし輝いています
一度泊まって
竜宮城のようなテラスから台北市内を眺めたいと思っています
ただこのホテルは市内から少し離れていることと
主要駅からもバスに乗って行かねばならず交通の便が今一つで
今回もそれを危惧して台北駅の近くに泊まりました

世界四大博物館のひとつと言われています故宮博物院は
圓山ホテル方面にあります
故宮博物院も台湾へ行ったら一度は訪れたい観光スポットです
ツアーで行くと必ず立ち寄ります
ここには様々な歴史と共に世を渡り歩いてきた宝物が
70万点ほどあります
展示されているのは6000点から8000点で
3~6か月おきに入れ替えをします
一番人気は「翠玉白菜」で
常に人が途切れることなく白菜の周りを囲んでいます
天然の翡翠独特の優しい緑色を巧みに使って
素晴らしい形に作られています
混んでいなければずっと見ていたい逸品です
次に有名なのが豚の角煮と言われる「肉形石」
豚肉の赤身や脂肪、皮の色、艶までそっくりです
焼き物もかなり価値があるのでしょうが
なかなか良さと違いがわかりません
その点
象牙細工は細工がかなり細かいため一目で価値があることがわかります
特に彫象牙透花人物套球は多くの曰く因縁がある
何度見てもどのように作ったかわからない
現代の技術をもっても真似できない芸術品です
2007年に創設80周年を機に大々的にリニューアルをしました
そのおかげでカテゴリー別、年代別に分け展示したため
時代背景を感じながら見学できるようになり見やすくなりました
展示数が多いため下調べし勉強してから行くとより心に残ると思います

何度行っても新しい発見がある台湾
誰もが誰にでも優しい国
是非行ってみてください




台湾 桃園空港着陸前

  MASAYO TACHIKAWA





逢いたい人に逢える幸せ
出会えた偶然に戸惑いはない
同じ道を歩いて行く
そんな必然を感じながら
近くにずっといたい人たち

花は思いを感じて育つ
愛せば美しく咲くことで愛を返してくれる
見返りを求めない
優しさをただただ与えくれる

健康が一番と思いながら
こころは次々と何かを求めている
ひとつのことに満足をすると
また次を追いたくなる
だから成長がある

一言で流れが変わってしまうことがある
一瞬の言葉が全く違う方向へと向ける
慎重さも大切だと
発してから気付くことも

届かぬ思いなど世の中にあるのだろうか
残念ながら数々ある
そう思ってはいても
諦めることなく続けていきたい
いつか叶うと信じて

名曲はいつまでも心に残り励ましてくれる
支えになる
あの時あの曲に
負けないで頑張ってと声を掛けられ
輝く今がある

大きなものを手にしたとき
ふと迷うことがある
結果として正解かは
今はわからない
先を読むカも才能

より多くの人に愛されることを願い
言葉のトーンを上げる
成せる技と力は誰もが持てる訳ではない
出来ないことは
誰かの真似をしてでもいい
やってみよう

種まきは代償を求めないで
ただ成長を願い支え続ける
そして見守ることで
自分自身も大きくなっていける




『台湾2016 Ⅰ』

 
春節前の街全体が赤く輝く台湾へ行って来ました
ここ数年は旧正月前に行く機会が多いため
春節、お正月を祝う飾りに囲まれ
どこを歩いても赤や金色の装飾に出会います
お祝いムード一色で街の中も人のこころも赤く染まり
一年で一番華やかなときです

春節とは旧正月の一日目初一のことです
古代には一年で一番初めに陽が昇る日を元旦と言っていました
旦とは朝、夜明けの意味です
今年は初一が2月8日
日本で言う元旦です
7日が除夕、旧暦の大晦日
9日が初二10日が初三
2月7日から12日が正月休み
一般的に今年は振替休日も含め2月6日から14日まで
9連休を取るようです
日本と違って休みは休みとしてしっかり取ります

ハワイでもお正月ではありませんが
クリスマスの日は巨大ショッピングスポット
アラモアナセンターも一日中お休みです
イブの日も全てのお店が普段より早く閉まります
一度まさかお休みはしないだろうと
日本人的な考えでザ・バスに乗ってクリスマスの日に
オアフ島のドールパイナップルパビリオンへ
1時間半以上かけて向かいました
バスがドールへ近づくと毎日たくさんの人が来園しているため
何となく人の気配を感じますがこの日はそれを感じません
案の定お休みでした
仕方がないのでもう少し乗って
きれいなビーチで降りて写真だけ撮って帰って来ました
日本ならば最大のかき入れ時にお休みをするなど考えられないですが
この頃日本ではデパートやスーパーなども
2日から営業をするところが多く
元旦から開いているお店も増えました
皆行くところもなくついつい買うものもないのに足を向けてしまいます
福袋に夢を託して出掛ける人も多いでしょう
この割り切り方は
ハワイの米国人や台湾の人たちには考えられないかもしれません
神仏混合、そしてサービス精神旺盛な日本人独特の感覚です

春節のお祝い事は中国や台湾では一年の中で最も重要な行事です
初一前日の大晦日は家族で年夜飯
団円飯という鶏肉と魚料理を中心とした普段より豪華な食事が用意され
家族で賑やかにそれを囲み
次の年も一家団欒で過ごせるよう願いを込めていただきます
日本の年越しそばも「健康長寿」や「家運長命」で過ごせるようにの他に
「皆で仲良く」の意味や
「集うことを共に喜ぶ」なども含まれているのかもしれません

今年も行天宮で縁起のいい文字「福」「春」など
真っ赤な紙に金色の文字が書かれた「春聯(しゅんれん)」を
いただいてきました
旧暦の12月29日に
一年間貼ってあった昨年の「春聯」や縁起物の「年画」を
新しいものに貼り換えます
その際に吉祥飾りや花飾りもします
台湾の方はこれを毎年繰り返し
お正月を迎える気持ちへと切り替えていきます
ちなみにこの赤い春聯は一文字の場合
家やお店の中にそれらが入ってくるようにと文字をさかさまに貼ります
中華料理屋さんで初めてさかさまの春聯を見たとき
一瞬間違って貼っているのかと思いましたが
こんなに堂々と貼ってあるのだから何か意味がと思い直し
何故かをすぐに聞いてみました
結局深く考えることはなく純粋で素朴な考え方でした
部屋や軒先には赤い提灯もつるします

春節から最初の満月に当る15日目は
小正月で元宵節(ユエンシャオジエ)といって
毎年約2週間台湾のどこかでランタンフェスティバルが行われます
ランタンフェスティバルは吉祥を招き邪気を祓う意味があります
2016年は国際空港のある桃園新幹線駅前の広場で開催されます
昨年は台中
一昨年は南投でした
毎年その年に則した願いがランタンに込められ
今年は申年のため「金猴戲桃」
直訳すると「猿が桃を献上する」となって
意味を解釈すると「万事順風満帆で長生きを」になります

毎年開催される地域の威厳を掛けてフェスティバルは行われ
今年は桃園の特色を生かしハイテクな演出がされるようです
ランタン祭りと言うと
灯りを灯したランタンを空に飛ばすだけのイメージが強いですが
日本で言うねぶた祭りのように
干支を駆使した数多くの大きなランタンが飾られそれは幻想的です
もちろん屋台も出るため
国内だけでなく海外からもたくさんの人が集まります
目の前で繰り広げられる様々な灯りの祭典は
多くの人たちの感動の時間となっているのでしょう
元宵節には家庭円満を願って湯圓、団子スープをいただきます
美味しいものをいただいて目にもお腹にも満足を
テレビで見ているだけでなく
一度参加してみたいフェスティバルのひとつです

集うことを喜びとする台湾の方々
誰にでも自然に優しくでき
困っている人を見たら声を掛けずにいられない
何度行っても素敵なところです

次回も故宮博物院など台湾についてお送りいたします




台湾 春節を祝う飾り

  MASAYO TACHIKAWA





大きな太陽に迎えられた朝
思いが大きく膨らむ
先に見える小さな灯りが段々と近づいてくる
幸せと共に
そんな気が

一生懸命が良い結果で現れるとカになる
こころのどこかで誰かに認めて欲しいと
常に思っているから
褒め言葉の効果は高い

予定していなかった時間
突然の出逢いに感謝
大切な空間にいられる
それだけでいい
こころが逸る

ずっと人の影を求め歩いていた
何かを感じふと頭を上げると
目の前に現れたその姿
見られただけで嬉しくて
ただ嬉しくて

塩味が薄くても濃くても美味しくない
ちょうどいい塩加減と出会うと
笑顔がふとこぼれる
人生も同じ
さじ加減次第で変わる

不意の出来事が
受け入れられるようになるには
長い時間がかかる
そう思っているとよりかかる
これもいい思い出になると
切り替えを

「バレンタイン」
たくさんの人の心が動くとき
一喜一憂
流れは自分で変えられる
小さくてもチョコでなくても
お花一本でも
気持ちが何より

寒い日のマフラーは
身体とともにこころも温めてくれる
こんな風に
存在で心癒せる人になれたら素晴らしい
ただ人が作る糸は
たまに尖ったものが入っていたりするから
それを受け入れる隙間を持つと
楽になる

姿が見える
声が聞こえる
出逢えて良かった
こころがそう叫んでいる
ありがとう
道はひとりで開いてはいけないこと
それもどこかでわかっている




『新しいカレンダー』

 
今年も新しい年が始まりました
毎年11月の声を聞くと新しいカレンダーが次々と集まってきます
多くの方がカレンダーの定位置を決めていて
年が明けて新しくなったカレンダーを同じ場所に飾られると思います
飾るとは少し言葉が違っているかもしれませんが
カレンダーをインテリア代わりにしている私としては
最適の表現の仕方です
定位置に定番が一番落ち着きます
新しい年を迎え残り少なかった枚数が戻り
もちろん見た目も変わります
ただそれだけでなく新しいカレンダーにすると
何だか気が引き締まり空気さえも変わったように感じます
今年は変えたい流れもあるので
一か所だけ全く違ったパターンのカレンダーに変えてみました
毎日じっと見ているわけでもなく必要なときだけ見ているはずなのに
一か所変えただけで何だか気分がいつも以上に変わり一掃されました

カレンダーの歴史は古代パピロニアの僧侶が寺院の屋上で
月の満ち欠けを観察して太陽暦を作ったことから始まっています
日本が縄文時代の時の話です
後にこれがローマへ渡り
ローマの僧侶たちは月を毎日観測し
新月になると市民に笛を鳴らして
明日が月の始まり
新しい月の最初の日であることを知らせていました
ローマでは日を知らせることの他に支払いを促す役目もしていました
月初めに行われていた前月に使った金銭の支払いが
この日を境に行われていたのです
その後さまざまな行事も書き残すようになり
今の形になったとされています
原形はメソポタミアから始まって
数々の歴史の中で多くの人たちによって調整が行われ
現在のグレゴリオ暦に落ち着きました

日本では日本書紀に
553年欽明天皇時代に百済へ暦博士の来朝を求めたと記されています
602年に百済出身の仏僧である観勒(かんろく)が来航して
暦法、方術、天文を書生たちに教えました
日本で暦法などの歴史が始まったのです
七曜は弘法大師によってもたらされました
現在の太陽暦を使うようになったのは明治6年からとされ
初め太陽暦は「こよみ」として小冊子のかたちで出ていました
当時は商売として成り立っていた暦屋「領暦商社」と
明治16年からは伊勢神宮の司庁しか発行が許されていませんでした
その後明治の中頃からは一枚刷りの引札略暦が大流行になります
引札とは江戸時代から明治、大正にかけて多く用いられた
広告用のチラシのことです
開店や売り出し時に配られていました
お正月には略暦にお店の名前などを入れて配布をしていました
現在の名入りカレンダーそれが引札略暦です
明治36年に
最近少なくなってきた日めくりカレンダーが大阪で製造されています
今主流になっている月めくりカレンダーは昭和20年以降からです

私の周りには
毎年インテリア代わりに飾るカレンダーが大小含め十本ほど
掛けるものや卓上のものが見渡せる範囲にあります
そして日々を支えてくれています
ほとんどが風景写真です
旅行好きとしては一番落ち着く画面です
たまにじっと見つめてその場所へと瞬間移動して楽しんでいます
気持ちが切り替わってやる気も甦ります

私の机上には前に書かせていただいた不二家のペコちゃんと
バリ島専門の旅行会社の
バリの様々な高級ホテルを写した卓上カレンダーが置いてあります
バリ島の旅行のみを扱っている旅行会社が
グアム政府観光局の東京オフィスと同じフロアーにあり
グアム島の卓上カレンダーに
私の撮った写真が採用され観光局に伺ったとき
その旅行会社を見つけました
一度バリ島には行きたいと思っていたため
引かれるようにふらっと入りました
その際ご自由にお持ちくださいといただいたのが
バリ島の高級リゾートホテルが載っているカレンダーでした
昨年も今年の分の新しいものをいただきに
東京へ行ったときに店舗へ伺いましたが
例年より出来上がりが少し遅いということで
お願いをして送っていただきました

バリ島は観光や周遊の他
リゾートタイプのホテルでゆっくり過ごす人が多いため
施設の整った美しいホテルがたくさんあります
地区もヌサドゥアやスミニャック、山岳地帯のウブドがあり
特に海を眺めながら入ることができる
大きなプールのあるホテルは人気です
海に面した地区のホテルは広大な敷地内に
オーシャンビューの立派なコテージや客室のある建物が建っています
山にあるホテルは木々の自然を生かし
ゆったりと過ごせるレトロな落ち着ける雰囲気が人気です
カレンダーの写真はプールや調度品などをベストな角度から
高級感が感じられる美しい姿で撮られています
1月から12月までどの月もとても素敵です
毎月一日に捲るとどのホテルにも泊まってみたくなります
「行きたい」そんな気持ちになるように
こころを込めて作られているのが伝わってきます

今年も叶えたいこと目白押し
それを考えるとワクワクしてきます
新しいカレンダーにこころを託して
365日分の1日の毎日×24時間が
大きな宝物を届けてくれますように
そして幸せを届けていけますように
感謝を込めて捲っていきます
今年もどうぞよろしくお願いいたします




2016年新年を祝う伊勢海老

  MASAYO TACHIKAWA





最近優しい顔をしていますか?
今の自分の顔は好きですか?
キリキリと目が三角になっていませんか?
自分を見つめるそんな時間は
新たな始まりへと繋がっていきます
今年もたくさん
素晴らしいことが待っています

明るい光は自分で作るもの
与えられる良いこともそうでないことも
喜びを感じられるようになれば
人として確実に大きくなっていく

近くにいるのに心が届かない
そんなときは
熟すのを待った方が近道なときも
縁があるならば
かえって焦りが縁を遠退ける

姿を見るだけで
幸せな気持ちになれる人と
笑って話せる時間に感謝
ともに時を信じて
じっくりと思いを育んで行きたい

大好きな人
大好きでいてくれる人と一緒にいると
自分の中から
いらないものがどんどん流れ出ていく
そしてやりたいことへと真っ直ぐ
向かえるようになっていく

迷子にならないよう
自分の手をしっかりと引いて
たまには立ち止まる
他カ本願でもいい
自分で判断できないことは
導きを待ってみる
それも大正解

誰が何を言おうと何を思おうと
自分の気持ちに誤りがないならば
それでいい
解決の必要がないことも
たくさんある
こころを軽くして一歩を

アンパンを一口食べただけで
気持ちがふっと明るくなることも
天に小悪魔のバイキンマンが帰って行く
正義の味方は必ずいる

大きな節目は誰にでもある
目の前で起きている素晴らしい出来事が
巨大なバネになっていく
高く高く
どこまでも高く飛べるように
これからもずっと




『熊野古道Ⅱ』

 
2004年7月に世界文化遺産に登録されてからも登録前も
熊野古道は範囲が広いので今の状態を守っていくのは大変なことでしょう
不備が出た場合は取り消しもあると聞きます
多くの人たちの協力と努力があってこその世界遺産であることに
感謝をしなければなりません

熊野三山の中で一番高い位置にある熊野那智大社は
熊野信仰の中心地となり
古来より朱色に輝く鳥居を目指して
467段の石段を多くの参拝者が息を切らし上り続けています
お祀りされている夫須美大神(ふすみのかみ)は
伊弉冉尊(いざなみのみこと)とも言われ
万物の育成を司り
縁結びの神様として諸願成就の神様としても崇められています

社伝によると神武天皇が見つけた那智の山の光り輝く場所が
たくさんの命の水が流れ落ちている那智大滝だったとされています
那智大社の社殿は仁徳天皇、平重盛、豊臣秀吉、徳川吉宗など
多くの偉人が造営に関わっています
熊野と言う地名は「隈の処」と古の頃には言われ
クマとはカミと語源が同じで
すなわち「神の野」とも言い換えることができます
木々の生い茂る神秘の場所であり
神々の恵みを受けられる処としても参詣され続けています

那智大社は仏教の伝来とともに神仏習合の新たな信仰の場として広がり
蟻の熊野詣と呼ばれる位
多くの人々のこころを捉え盛んになっていきました
象徴である八咫烏は神武天皇が東征の際
光を見たという那智の滝に大巳貴神をお祀りした後
八咫烏の案内のもとで険しい山々を超え
無事大和に入ることができたとされ崇められています
今ではサッカーのエンブレムとしての方が有名になっていますが
八咫烏とはこのような言われがあったのです

那智の滝は飛龍神社の御神体として「一の滝」とも呼ばれ
日本三大名滝のひとつでもあります
那智の滝を囲う原始林は吉野熊野国立公園の一部であり
滝の水源林も含め天念記念物になっています
毎年7月9日と12月27日には「御滝注連縄張替行事」が行われます
落差133mの滝の銚子口に掛けられている注連縄が
数人の神職によって張り替えられます
張り替えの様子をテレビで見ていますと
速い流れの水の上をバランスを取りながら手際よく
戸惑いもなく神事が進められています
これは神様に守られ仕えているという誇りと
自信の現れから来るものだといつも思います

視線を滝の銚子口に置いて水が落ちる瞬間を目で追うと
一瞬その部分だけ水が止まり視線とともに塊が滝壺へと流れ落ちます
それを繰り返していると段々現実が客観的に見えてきて
焦りの中で過ごしている自分の姿が浮かび
要らぬ方向を向いている自分を反省したり
がんばっている自身を励ましている映像が映し出されます
これも神様からのメッセージなのでしょうか
今回は雨の中の参拝でしたが
前回は滝壺にダブルレインボーが掛かり
素晴らしい姿を見せてくださいました
今思えばあの時も
しっかりとメッセージをくださっていたのだと思います

那智大社に伺うにあたって
駐車場を探してゆっくりと道を走っていたところ
参道階段入口に以前にはなかったお土産屋さんが新しくできていました
今回そのお店の駐車場に停めて参拝させていただきました
お店はできたばかりでもちろんきれいで整っていましたが
参拝前に案内の方から「ゆっくり気を付けていってきてくださいね」
と声を掛けていただき
印象の良い方々ばかりで
これもいい御縁をいただいたと嬉しくなりました
たった一言で温かい気持ちになり
大きな励みになることを感じられた瞬間でもありました

宿泊した川湯温泉は
川底から絶えず湧き出す70度以上の源泉が名物です
熊野川の支流大塔川と
高温の源泉とが混ざり合い程よい温度になります
今回はホテルにある川沿いの露天風呂にも入ることができました
お風呂の周りの囲いもなく
視線と同じ高さの川の流れをすぐそばに見ながらのお風呂は
なかなか味わえるものではなくホッと力の抜ける時間でした
露天風呂に入りながら川へ入って泳ぐ人も子どももいました
私も川に足を着けてみましたが
寒いときの水温と思ってみればお湯が混ざっているからでしょうか
さほど冷たくはありませんでした
ただ入って泳ぐほどの温度ではなかったです
12月から翌年2月までは誰でも入れる仙人風呂が開かれます
仙人風呂は川沿いに掘られた大露天風呂で
川湯温泉の冬の風物詩となっています
今年は田辺市合併10周年をお祝いして
例年より1か月長い3月まで行われます
もちろん混浴なので
対応できる衣類を持って行かれることをお勧めいたします
宿泊をした場合は宿泊先が貸してくれるところもあります
一度話のネタに行かれるのもいいかと思います

山道を走ると採りたてみかんの無人販売所も所々にあります
神様からの風を受けに是非熊野古道へ熊野三山へと行ってみてください
何かメッセージが届くかもしれません




熊野古道 那智の滝

  MASAYO TACHIKAWA





誰かのために生きられることは
それだけで誇りに思う
明るく前向きにを貫き通して
今年も頑張っていきましょう
何だかワクワクしてきます

周りの人に恵まれている幸せ
いたずらに人を傷つけたりはしない
素晴らしい人たちに囲まれ守られている
鏡だと信じて感謝で恩返しを

意識すると同じ空間で
いつも誰かが寄り添ってくれている
時間の長さでは量りきれない
底が見えない位こころの深い人たちが
近くにいてくれる

努力の人のパワーは何かが違う
人を思いやる気持ちが強いから
チャンスを見抜くカもある
人のための時間も決して惜しまない

明日から頑張れることは
今日からでも頑張れる
励ましてくれるひとがたくさんいる
自分が自分の足枷にならないように
両目を大きく開いてじっくりと

これをしていれば何か得るものがあると
思い留まっている間はまだまだ
進めば必ず何かが待っている
先に大切な何かが

自分の力で少しでもと思って進んでいれば
誰かが助けてくれる
立ち止まっていれば
ただただ横をみんなが通り過ぎていく

人に意識されることを支えに伸び続けたい
下手な考えは置いてと思っても
嫌でも頭に浮かぶこともある
ただこの積み重ねが人を大きくする

明けましておめでとうございます
頭のいいお猿さんが少しでも高く飛べるよう自分を駆使していく年です
一年の節目
感謝の気持ちをバネにして
高く高く跳びましょう




『熊野古道Ⅰ』

 
熊野古道が「熊野参詣道」の名称で世界遺産に登録されてから
10年以上が経ちました
熊野古道とは熊野三山へ参拝するために通る道のことです
熊野三山とは熊野本宮大社、熊野速玉大社、そして熊野那智大社
古代から中世にかけて
皇室などの高貴な人をはじめ
武士から庶民まで身分や性別を問わず
誰でも分け隔てなく受け入れてきたため
多くの人々が熊野を参詣しました
吉野から熊野は古代から神々の住む聖地とされ再生の地でもありました
大自然の中の険しい道を乗り越えて熊野に詣でることは
来世の幸せを神々に託すという篤い信仰を基として「熊野詣」と呼ばれ
日本中に広がりました

世界遺産の中で熊野古道は文化的景観が支持されての登録です
文化的景観について文化庁はこのように定義をしています
「地域における
人々の生活又は生業及び当該地域の風土により形成された景観地で
我が国民の生活又は生業の理解のため欠くことのできないもの」
わかるようなわからないような文面ですが
世界遺産として登録されている所以外に
全国で50件の重要文化的景観が選定されています
ちなみに中部地方では
「長良川中流域における岐阜の文化的景観」が指定されています
鵜が鵜匠の手綱(たなわ)に引かれ魚を捕る姿と
暗闇を照らすかがり火の火が美しい鵜飼も
この景観のひとつなのでしょう
この地域では
愛知県の犬山市と岐阜県の岐阜市、関市で鵜飼が行われていて
他には京都、愛媛、福岡など13か所で行われています
岐阜の鵜飼は唯一宮内庁式部職が腕を振るっています
岐阜だけは鵜匠が宮内庁職員なのです

先日川湯温泉に宿泊して三山の二社へ行って来ました
雨の中
紅葉の葉が舞う清々しい詣でした
落ち葉のじゅうたんが敷き詰められている参道を歩いて
最初に伺ったのが「伏拝王子」の別名を持つ熊野本宮大社です
その名前の由来は熊野参詣道で田辺から熊野本宮へ向かう中辺路は
一番参詣者が多かったとされ
今のように整備もされていない中
難行苦行を耐えて人々がやっとたどり着いてほっと社に伏せて拝んだ
その姿から付いたとされています

かつて本宮は現在の場所から歩いて10分ほどの
熊野川と音無川と岩田川の合流点の大斎原に本殿などが建っていました
大斎原と書いておおゆのはらと読みます
しかし明治22年の洪水で多くが流出してしまい
それを免れることができた上四社3棟を明治24年に
現在の場所へ移動し遷座されました
大斎原には
元々五棟十二社の社殿、楼門、雅楽殿、能舞台が建っていました
ただ江戸時代まではここまで行くための橋が架けられておらず
人々は音無川に入り冷たい水で身を清める形で参詣していました
大斎原には日本一高い大鳥居が立っています
本宮大社から道路を渡って
田んぼ道の方へ角を曲がるとその瞬間この大鳥居が見えます
初めて見た人はこの鳥居の大きさにびっくりします
周りに何もないところに立っているため想像していた以上に大きく感じ
感動の声を上げる人も多くいます
家津美御子大神のお仕えであり導きの神とされている八咫烏の紋も
笠木に大きくしっかりと印され
来る人を守っている気がします
鳥居をくぐり静かな参道を歩くと
少しだけ高くなっている広々とした場所に
流失した中四社と下四社を祀った石造りの小祠が建てられています
大斎原は神が舞い降りた場所と言われ
今でも人気のパワースポットとなっています

本宮大社には向かって左から
第一殿現世を司る夫須美大神(ふすみのおおかみ)
第二殿前世を司る速玉大神(はやたまのおおかみ)
第三殿来世を司る家津美御子大神(けつみこのおおかみ)
すさのうのみこと
その右手第四殿には天照大神が祀られています
お参りする順番はできれば
一番に家津美御子大神 本地仏「阿弥陀如来」来世を司る
二番目に速玉大神 本地仏「薬師如来」前世を司る
三番目に夫須美大神 本地仏「千手観音」現世を司る
四番目に天照大神
最後に向かって右側に小さな社が建っている
満山社、結びの神、祓いの神(八百萬の神)の順が理想的だそうです
これは山門脇の看板にも書かれています
ただ赤い枠に囲われて
「※必ず順番を守らなくてはいけないわけではなく
空いているお社から順次お参り頂いても問題ありません」
とも書かれています
人の心理として遠くからお参りをさせていただくために来たのですから
知らないならまだしも
わざわざ看板に書かれていて知ったならば
少々時間がかかって並んでもこの順にお参りをしたいと思うでしょう
伊勢神宮でも本殿の真ん中に長い列ができて真ん中は進まず
左右両サイドの流れは速く空いているのに
「どこでも同じですよ」と言われても
そちらへはなかなか動こうとはしません
このことも同じですね

強く降っていた雨も大斎原から田んぼ道を通って帰る頃には止んで
空気も澄んでいる中すっきりした気分で
次の目的地那智大社へと向かいました

次回は那智大社、那智の滝
宿泊した川湯温泉などについてお送りいたします




和歌山 大斎原 大鳥居

  MASAYO TACHIKAWA





期待してくれる人がいると力が出る
恩返しをの気持ちで
今以上に頑張ろうと思う
たくさんの人たちと
時間を共にできる幸せ

一緒に帰る人がいる
帰る場所がある
喜びを感じられるところがある
決してあって当たり前ではない
守っていきたい大切な場所

ほんの小さな出逢いが
心のわだかまりを小さくする
これも与えられたものだと信じている
明るい未来のためのきっかけが

求められていることが変わっても
自分の志向はなかなか変わらない
一度入ったこころの記憶は変更が難しい
でもやるしかないときもある
それも人生

手紙を書いてみる
未来の自分に
どんな人と出会い学んでいくか楽しみだと
不思議とこの先について不安がない
周りにたくさんの
大きな支えがあるから

旅行前に嬉しくて
なかなか眠れなかったときのように
眠れないことがある
何か嬉しいことが近づいているのかも
ドキドキしながら待ってみよう

今は過去の出来事をクリアして
幸せになるための
積み重ねの時だと思うことがある
これも嬉しい時間と受け止めて
より楽しい空間を手にしよう

女性に生まれて良かった
また生まれ変わるとしても
女の人で生まれて来たい
そう思える今は
しあわせの端を
確実に掴んでいる

全てを必然と思える
大地のようなこころの広い人になれたら
どんなに楽に生きられるか
それをわかっていても人間だから
思いはあちらこちらを向いている
でもそれでいい
だから次がある




『不二家ペコちゃん』

 
久しぶりに不二家のケーキを買いに行きました
ケーキが食べたかったわけではなく
毎年この時期に対象商品を買うとプレゼントされる
ペコちゃんの手帳とカレンダーが欲しかったからです
今も机上の昨年いただいたカレンダーの右端で
ペコちゃんが笑顔を見せてくれています

不二家は明治43年に初代が25歳の時
横浜元町に洋菓子店を開きました
その後洋菓子店の横に
「ソーダ・ファウンテン」と名付けられた喫茶店の営業を始めます
大正11年に販売を始めた頃ショートケーキは1個8銭でした
ショートケーキは売り出してすぐに人気の商品となり
今でも不二家と言えば真っ白なクリームに真っ赤な苺が乗ったケーキが
一番に浮かびます
その後東京の銀座にもお店を出します
しかし8月に出店してすぐの9月に関東大震災が起こります
3店舗あったお店は全て焼失してしまいました
そんなことで負けてはいません
次の年には小屋を建て販売を再開させました
そんな頑張りもあって昭和5年に合名会社を設立します

その年の5月に開店した新宿店は地下に工場、1階に売店、喫茶室
2階に食堂と現在に近い形態のお店を開きました
ケーキだけに留まらず昭和9年には
フランスの国旗に白人のお人形さんのような女の子が外箱に描かれた
フランスキャラメルが販売されます
10年には今でも定番のハートチョコレートが発売されました

戦後を向かえ不二家もパワーアップします
25年には6歳のぺコちゃんが誕生
翌26年に7歳のポコちゃんが
ペコちゃんのボーイフレンドとしてお披露目されました
ポコちゃんが生まれた26年に
真っ赤なパッケージのミルキーが発売されます
そして次の年には国産第一号のソフトクリームが売り出されました
今では当たり前のソフトクリームの機械も
昭和27年にはとても珍しいものでした
その後も千歳飴やイチゴやメロン味のポップキャンディと
次々新製品を出していきます
パラソルチョコは可愛らしくおもちゃみたいなので
柄の所を引っ掛けて食べずに飾っておいたりもしました
一大行事として今でも続いているバレンタインデーセールを
不二家は昭和31年に始めています

バナナやキャラメル、イチゴなど4種類のクリームが
チョコレートの中に入っているLOOKチョコレート
ネクター、カントリーマーム、ミルキーなど
不二家の定番お菓子を見たことがない人は少ないでしょう
多くの店舗を持つサーティーワンアイスクリームも
不二家によって48年に設立されました
サーティーワンと不二家に関わりがあったのは意外でした

不二家の直営店は日本の各地にありますが
残念ながら今は減っています
学生の時は名古屋駅にあったレストランで
ケーキセットを食べるのが楽しみでした
ずっと知らずに食べていましたがお持ち帰り用のケーキより
レストランで食べるケーキのほうが
お値段は一緒で少し大きかったのは意外でした
比べるなどしたことがないので
大きさに差があることは知りませんでした
ある日レストランの方が「いつものケーキは売り切れてないので
お持ち帰り用の同じケーキだったら少し小さいけれどありますが
どうされますか?」と聞かれました
そこで初めて大きさに違いがあるのを知りました
せっかく来たのでお持ち帰り用の少し小さいケーキをいただきました
そのケーキは通常のショートケーキと形も違って
スカートを広げたような半円のスポンジにたっぷりの生クリーム
中にはぎっしりと外はコートがされています
その生クリームとふわふわのスポンジのバランスが絶妙で
苺の酸味とともに本当に美味しかった記憶があります
このケーキはイタリアンショートケーキという名前で
今でもレストランで食べることができます

現在は山崎製パンとも合併し他業界とも連携をしています
ファミリー文化研究所も立ち上げ
環境問題にも取り組んでみえます
パソコンの壁紙もペコちゃんポコちゃんの可愛らしさを取り入れて
愛らしいデザインのものがたくさん配信されています
私も今は「お菓子と季節のお花」「世界の風景」
「日本の四季と文化」など10種のブースの中の
「世界のおやつ」のユナイテッドキングダム(イギリスのことです)の
スコーンを使わせていただいています
明るいペコちゃんの笑顔と
イングリッシュガーデンのカラフルな花々の配色で
パソコンを開いているだけで元気になります
誰でも取り込めるのでよろしければご覧ください

不二家と聞くと母が学生時代に学校の近くにあった腰ほどの背丈の
ペコちゃんの人形を
行き帰り触って首を動かすのが日課だったと言っていたのを
思い出します
今はその人形は見かけなくなりましたが
店舗が多かった頃は
どこのお店の前にも必ず立っていて首を揺らしていました
時代は変わってもペコちゃんの笑顔は変わりません
この笑顔を見習わなければそう思います

来年も私の机にはペコちゃんの笑顔のカレンダーを
一番いい場所に置くと思います
見るだけでしあわせな気持ちにさせてくれるペコちゃん
今までもこれからもずっと愛され続けることでしょう
ペコちゃんは正に永遠のアイドルですね




不二家渋谷店のおめかししたペコちゃん

  MASAYO TACHIKAWA





素晴らしい言葉は
人を支え生きるカを与えてくれる
そんな言葉に感謝の気持ちを
その気持ちが伝われば
また大きな支えとなってくれる

波長の高い人と出会うことは
自分を高めるきっかけとなる
より高い人を引き寄せられるよう
磨きをかけていこう

出会いはタイミング
会えなくなるのもタイミング
出会えて嬉しいと思ってもらえる人になれますように
すれば会いたい人とも
すぐ会えるはず

出会いと別れを繰り返し
人は大きくなっていく
出会えても気にとめなかったら
それまで
これからを見越せるように
眼力と信力を

上高地河童橋の袂
人気ホテルのチーズケーキ
同じように作っていても
日によって少しずつ味が変わる
今の気持ちを読まれているのかと思うときも
今日は美味しくいただけるかな

焼きもちを焼かれるのは
わずかでもこちらに軍配が上がっている証拠
でなければ相手も気にならないはず
そんな時は呑まれないように落ち着き
立ち位置も考えて

  いつか
すべての人を好きになれる日が来るだろうか
先が見えない中で
まず出会わなければならないのは
他の誰でもなく
本当の自分

こんな事をしている場合ではないと思いつつも
こんな事をしている自分がいる
意味があると今は思えないことも
いつかこの時間の
価値がわかるときが来る

明日の天気もわからない
明日の自分もわからない
だから頑張るしかない
へこたれない
負けない
絶対にそれしかない




『生きる知恵』    

 
自分を見つめ直す瞬間に出会うと
ふと思う
自分が生まれてきた理由は何だろう
答えなんて一生出るはずもないけれど
これかな
そんな漠然としたことならば
しょっちゅうでもないが
数年か一年に一度くらい頭の中をかっ歩する

求めることが多いほど
出会いも多い
喜怒哀楽のチャンスも増える
喜びだけならばいいけれど
そうでないこともままある

喜びだけで生きていられる人は少ないだろう
365日平和そうに生きている人も
その人なりの悩みはある
他人にしてみれば
そんなことくらいという
小さなことで悩んでいる人も
決して少なくはないだろう
他人には小さくても
当の本人には
どんな山より高くて大きい
抱えるには大き過ぎる
そんなことも多々ある

ガチャガチャのカプセルに入っている
おもちゃのような小さなものも
現実の何倍もの大きさで目に映ったり
逆にスカイツリーのような
634メートルもある
はるか高いものも
目が錯覚をすると
マッチ棒のように小さく映ることもある
きちんと矯正された目ですら
誤魔化される

ひとは強さと繊細さを
うまく使い分けて過ごしている
目の前のことをどれだけ受け入れて
自分のものにするか

生きるための知恵として
無意識での誤魔化しも生きる知恵
そうしないとこころが溶けてしまう
それを気づいているかいないかでも差は出る
明日を大きく変える
毎日が駆け引き

種まきをするならば
しあわせの種を捲きたいと
誰でも思っている
出てきた芽がしあわせなことであれば
水をせっせとあげて大きくしたいし
そうでなければ
少しでも早く引っこ抜いてしまいたい
そうでないことは意外に根っこが深い
引き抜き方を間違えると根が残ってしまう
焦らずゆっくりと
力加減も考えて
それがわかっていても
なかなかでききれない

今日は何が出来たかな
考える間もなく過ぎていく
過ぎた時間は1秒前でさえ戻らない
振り返ったとき「よしよし」と思えるよう
気づいたときだけでも立ち止まって
自分の立ち位置を見つめてみよう
「よく頑張ってるね」
そんな言葉が聞こえてくる

しあわせは目に見えているようで見えない
だから時々確認をしたくなる

より輝いて生きたい
答えは近くまで来ている
それに気付くことも大きな一歩





グアム タモン湾の輝く夕陽

  MASAYO TACHIKAWA





人は生まれてきた意味を
必ずひとつ以上与えられている
自分で出来ることは手を抜かぬこと
誰もが強いカで支えられ
導かれてる

寒さも暑さも過ぎると忘れてしまう
こころはそうもいかない
ひとつひとつを受け止めて穏やかに
そうすれば
人にも優しさを向けられる

「我が身をつねって人の痛みを知る」
つねらなければ感じない
そんなときを過ごさぬよう
気とこころを配って
毎日を

人を見る目を養う前に
どんな方向から見られてもいい自分になることが先決
言葉の波に呑まれぬことなく
こころにゆとりとカを

著名な人は
任務を与えられ生きている
それは優秀な人だけに限らない
伝えねばならない運命があるから
スポットが当たる

未だに頭で考えても
わからないことがたくさんある
いつか
この答えを知る日が来るかもしれないが
知らないで済んでいってしまうことの方が多い
だから生きられる

こころが迷子になった人と
同じ立ち位置でいると
右往左往して惑わされてしまう
冷静に自分の姿を確認しながら
一歩引いて眺めることを

いつか知り合いだったことを
誰かに自慢したくなるような人になってみせる
行く先の道に光が射している
そんな人に

つい微笑んでしまった
明るい時間が先に見えたから
華々しい空間がすぐそこに
嬉しくて感謝の言葉が
頭の中を掛け巡っている ありがとう




 『かんてんぱぱガーデン 長野県伊那市』 

 
長野県伊那市に本社のある伊那食品工業に
縁あって行くことができました
テレビで見て一度行きたいと思っていたところ
たまたまここへ行くバスツアーのはがきが舞い込んできました
伊那食品と言ってもピンとこない人が多いかもしれませんが
寒天を使った商品を製造販売している「かんてんぱぱ」の会社です
食品だけかと思っていましたが
化粧品なども寒天を素材に作られていました

ここは何度かマスコミに取り上げられているある意味優良会社です
理由は失礼ながら寒天の商品が豊富だからではなく社長の考え方
社長の「想い」です
独特の道徳感が会社を支え
中で働く社員を支えています
支えられている働く人がまた会社を支え
会社の経済力を上げている
一言で言うとそんな清流のような流れを考えに持つ会社です

年間35万人が訪れるかんてんぱぱガーデンに着いてすぐ思ったことは
決して華やかではないですが敷地内がきれい
目で見るきれいさだけでなく見えないはずの空気がきれいなのです
伊那は山に囲まれ
空気がきれいなのは地域的に当たり前と言われればそれまでですが
そうでなくこちらの思いもあるでしょうが
他にはない独特の雰囲気を醸し出していました
テレビで見た通り敷地内は隅々まで整えられ掃除も行き届いています
松葉一本落ちていないそんな感じです
きれいな場所にごみを捨てる人はほとんどいません
何だか空気までも汚したくない
そんな感覚でした
あの景色を思い出していて今ふと思いましたが
空気のきれいなところにはそんな人が
空気の汚れている所には自然とそんな空気の人が寄るのかもしれません
自分の周りはどうでしょうか
汚さぬよう気を付けなければですね

寒天が2005年にテレビで体にいいと紹介され
今までになかった寒天ブームが来ました
伊那食品の売り上げは前年に146億円だったものが
そのブームで200億円になったそうです
利益も2倍へと
しかし日本人はブームが去ると全く見向きもしなくなります
ナタデココの時も
ブームに乗って発展途上国のある国が
苦心して資金を集め工場を建てたところ
完成した時にはブームはすっかり終わって
借金と真新しい工場だけが残ったと聞きました

韓国ドラマの「冬のソナタ」
ヨン様でブームになった
小さな雪だるまが2つテーブルに乗った
雪の景色が出てくるシーンの街も
ソウルからバスに乗って数時間かかる田舎町ですが
ブーム真最中の頃は日本人の女性でいっぱいでした
雪だるまと一緒に写真を撮るために数時間並んだという話も聞きました
私はブームの波が一波去ってから
韓国の人に連れて行ってもらいましたが
あのポプラ並木も他人が写らず写真が撮れるようになっていましたし
もちろん雪だるまと一緒に写真を撮るのにも並びませんでした
冬ソナは見ていないので話の内容はわからず
皆が写真を撮っているので撮ったという感じです

その時に有料の冬のソナタの小さなパビリオンを建てかけていました
建ち上がる頃を想像すると現地の小さな子供たちが
この周りを走っている姿しか浮かびませんでした
ここは元々色々な遊具のある家族連れが休日に来る公園なので
数か月もすると元の形に戻るのだろうと思いました
その後の話は聞いていませんが
訪れる人も減ってきているので
きっとそうなるだろうと連れて行ってくださった方も言っていました
伊那食品もこの話が当らずとも遠からずだったようです

テレビの中で社長が言ってみえた
「伊那食品には定年がない」の言葉が印象に残り
行ってみたいと思ったのが今回の縁の始まりでした
定年とは年齢が来たら当たり前のことだと思っていましたから
そんな考え方をする経営者がいるのだと
そんな考えが現実的に会社としてできることなのかと驚きました
早朝から社員さんの多くがほうきを持って
会社の敷地内を掃除する姿がこの会社の名物でもあります
そして社長の考えがこの姿に形になるのだと思いました
社長の一番の理念は
「社員を守らずして何が経営者と言えるか」だそうです
そうとばかりも言っていられない会社も多いでしょうが
叶えられないにしても是非この言葉をお耳に入れたいと
頭に浮かんだ顔がある人も多いでしょう

社員旅行は毎年国内と海外を交互に数班に分けて
もちろん費用は会社持ちで行くそうです
そんな思いに答えようと社員も頑張り
始業前にほうきを持つ人が頼まれても言われていないのに
一人二人と増えていったのでしょう
今回行ったときに本社の前の楓が紅葉しかけていました
楓の下に「ここではコケを育てています
踏まないでくださいね」と可愛いサイズの立札が立てられていました
そんな小さな立札ですら誰かがコケを思いやって
そっと立てたのでしょう
そう思うと立札さえも愛情の塊に見えてきます

社長は次世代に「いい形」でバトンタッチできることが
「成功した経営者」と言ってみえます
いい形とは会社に成長する余地があり
これからにも可能性があることだと

数年前にできた健康パビリオンでは血管年齢・脳年齢など
いくつかの身体測定ができるようになっています
手入れも行き届いていてゆったりと安心して受けられます

園内には二箇所の水汲み場が設けられていて
ひっきりなしにたくさんの大きなポリタンクを車に乗せた人たちが
水を汲みに来ていました
この水は中央アルプスの伏流水だそうです
少し手に汲んでいただきましたが癖がなくまろやかでした
かんてんぱぱショップではゼリーの試食もできます
今回はメロンゼリーと牛乳かんでした
ほどほどの固さで美味しかったです

守るものと手放すもの
当たり前にしている選別も人が関わると心が入ってきます
改めて腰を据えて行わなければと感じました
今度はツアーでなく自分で行って
もう一度あの空気をゆっくりたっぷりと味わいたいと思っています




かんてんぱぱガーデン内 本社

  MASAYO TACHIKAWA





私に与えられた大きな宝物
それも両手に抱えられない位の
ひとつひとつに出会わなければ
今の全てのことに出会えなかった
ありがとう

幸せの扉は誰でもなく
自分自身で開くもの
手を差し伸べてくれる人がいる
それも自分次第
多くの人が笑顔を向けてくれるように
時を重ねよう

素敵な人たちが常に周りにいる
それが当たり前の毎日
これだけでも大きな財産
こころ次第の大切な時

これからどんな運命が待っているのかと思う
ただ明るく笑っている顔がはっきり浮かぶ
それは確か
自信を持って

気持ちをギュッと掴まれ時間を費やす
そんな場所に縁がある幸せ
こころのお洗濯を
力加減を見ながらしっかりと

自分のキャラを自分で好きでいたいと思う
自分を精一杯利用して
人の言葉で軌道修正
頑張ろう

もうすぐ手袋が欲しくなる冬
今は何をしたらいいだろう
焦らないでときを持つ
それが実りの秋にすべきこと

一日中晴れていたか曇りだったか
お天気がわからない毎日だけれど
心の中はいつでも晴れ晴れと
天気予報は気持ちで変えられる

毎日当たり前のように時が過ぎていく
いよいよ扉は開かれた
そして新たな人生に近づいている
楽しみな時間
何でもやってみよう
それがいい




 『ハワイⅣ-ⅳ マイタイバー・ハワイグルメ』 

 
ハワイへ向かう飛行機の中では
好きな曲が入っているプログラムを何回もリピートして聴くか
見たかった映画があればそれを数回見ると
ホノルル空港へ到着します
今回は見たいと思っていたトムクルーズ若かりし頃の
「カクテル」を2回見ました
乗った飛行機により
到着ゲートに着くギリギリまで
オーディオプログラムを続けてくださる方と
空港に着陸してすぐに切ってしまわれる方がみえます
操縦室の判断なのでホノルル便だけでなく乗っている立場としては
ゲートに入るまで結構時間があり
流し続けてもらった方が嬉しいですが

前々回にお送りしました人気レストラン「チーズケーキファクトリー」
思い浮かべるとふと浮かんでくるのは
一番大好きなゴディバチョコレートのチーズケーキではなく
不思議と大きなお皿に
シャキシャキのリーフレタスが山盛りに盛られ出てくる新鮮サラダです
それぞれの料理が
素材にもこだわりを持っていることが伝わってくるので
そんな心遣いが色鮮やかな姿を浮かべさせるのでしょう
これもチーズケーキファクトリーが大人気の理由だと思います

ハワイを感じながらゆっくりと寛ぐことができて
美味しいものがいただけるところとして一番にお薦めしたいのが
ロイヤルハワイアンホテルのマイタイバーです
チーズケーキファクトリーから歩いて5分位
マイタイバーはワイキキビーチに面していて
ダイヤモンドヘッドも大きく見える
正に絵に描いたようなロケーションにあります
可愛いピンク色のパラソルの下で
ワイキキの青い海とダイヤモンドヘッドとビーチで楽しむ人を見ながら
美味しいカクテルをいただける素敵な空間です
お酒を飲まない人もアルコールなしのカクテルを作ってくれますので
気分を十分味わうことができます
サンドイッチやカラッと揚がったポテトフライなど
美味しい軽食もいただけます

マイタイとはラム酒をトロピカルジュースで割った
世界的にも有名なカクテルのひとつです
1944年にカルフォルニアで誕生しました
その後ロイヤルハワイアンでもオリジナルのマイタイを出したところ
たちまち大人気になりました
数十年の間多くの世界中のセレブたちもここで時間を過ごしています

夕刻になると生バンドが演奏を始めます
数年前に改装して一段と過ごしやすくなりました
普段お酒はあまりいただきませんが
初めて行った時
多くのメニューの中でピンクパレスの名のカクテルが
どの文字よりも早く目に留まりました
その日から必ずこのカクテルを頼んでいます
改装中も高い工事用の柵に囲まれたバーを横目で見ながら
早くピンクパレスが飲みたいとずっと思っていました

改装後待ちに待ったマイタイバーへすぐに向かいました
驚いたことに
そのピンクパレスがメニューから消えてしまっていたのです
何回も見直しましたがやはりありません
思い切ってウエイターさんに
「ピンクパレスはありませんか?」と聞いてみました
そうしたら「OK」と一言言っていなくなってしまいました
代わりの何かを持ってきてくれるのでしょうか
わくわくしながら待っていました
すると数分後に運ばれてきたのは
メニューから消えてしまったピンクパレスのカクテルでした
「あった」その瞬間は今でもはっきり覚えています
それからは毎回メニューを開くことなく
ピンクパレスをお願いすることにしています
裏メニューなのでぜひ皆様もオーダーしてみてください
見た目はホテルと同じ優しいピンク色で
味もほんのり甘くとても美味しいです
ハワイお決まりのパイナップルと日本傘が
グラスに飾られ出てきます
この優雅な空間とても落ちつくので
ハワイへ行くと行ける限り行っています

今回は2度目に行ったとき座るとすぐにこちらから何も言わずとも
「ピンクパレス?」とウエイトレスさんが笑顔で聞いてくれました
1回目にチップを少し弾んだので覚えていてくれたのでしょうか
正直計算を間違えてたくさん払い過ぎてしまったのですが
「ナイス!」と即答し
間もなく青色の日本傘がパイナップルに刺さった
ピンクパレスが運ばれてきました
ワイキキビーチの海に入って楽しんでいる人たちを見ながら
今回もゆったりとした時間を過ごすことができました

最近ワイキキで行列が絶えない新しいお店があります
そのお店は上品なレストランでもなく
分厚いステーキのお店でもありません
それは日本国内にも多くの支店を持つ丸亀製麺讃岐うどんのお店です
だしが効いて味がいいのももちろん人気の理由ですが
何より値段が安いことが一番の理由だそうです
そしてチップを取らないのも大きな理由とか
値段は円安のため日本円にすると少し日本より割高ですが
ほとんど変わりません

今までなかった所で初めてお店の行列を見た時は
今どきワイキキに行列ができるお店があるのだと感心しながら
何のお店かわからず通り過ぎました
まさか日本のチェーン店でしかもうどんのお店とは
讃岐うどんのお店などとは全く想像もしませんでした
今もずっと開店前から長い行列ができています
日本と同じように調理をする姿も見られるので
他国の人達にはより新鮮に感じるようです
ライバル店も現れていないので
しばらくこの行列が途切れることはないかと思います
日本ではあって当たり前のお店がこれからも当たるかもしれません

私もハワイで何かやってみようかな
そんな頭の上を飛び抜けた楽しい想いにふっと笑っている自分の姿に
ハワイの風は
人のこころを豊かにしてくれる素晴らしいところであることを
そして縁をいただけることに改めて感謝をしました
また春に行こうか
そんなことを考えているだけで幸せな気分になれます




ハワイ マイタイバー ピンクパレスカクテル

  MASAYO TACHIKAWA





この素敵な空間に居られる今
心にゆとりを持てば生まれてくるものもある隙間があっても塞げばいい
これからもしっかりと両手を開いて
前へと一歩

選ばれた人はどこか違う
カを与えられ生きている
光を放って人を支えている
真似出来ない何かがある
少しでも近付いていきたい

めったにない出会えないことと出会うと
出逢いに感謝の気持ちで
こころが軽くなっていく
幸せはそんなことの積み重ね
重ねることに意味がある

オレンジ色の金木犀の花が
灯りを灯したように咲いていた
一足早いクリスマスイルミネーションのよう季節は駆け足で流れていく

人気者には言われなき思いもあるのだろう
それ以上に
嬉しいと思うこともたくさんある
だから続けられる
それぞれの道には
それぞれの形がある

小さな願いが叶った
つきたてのお餅を食べることができた
長く伸びるお餅
柔らかで美味
こんなことも思い続ければ手に

最後の臼のお餅を
福餅と言って引き上げた
それが目の前に
福をたくさんいただいた
しあわせも

お肌が綺麗な人は
生まれ持ったものだけでなく
いい意味での自覚があるのだろう
褒められお世辞だと思っても
それさえも吸収して

悔しいけれど勝てない人がいる
勝てずとも心穏やかにいられるのも
届かない高い壁だから
思い切って乗り越えてみようか
今ならできるかも




 『ハワイⅣ-ⅱ マノアの滝』 

 
ハワイ4日目
今までずっと行きたいと思っていましたが
縁がなくなかなか行けなかったマノアの滝へ向かいました
日本で言うパワースポットです

マノアの滝へはアラモアナセンターから
5番の「マノア・バレー」行きのザ・バスに乗って30分位
ハワイ大学の横を通って終点がマノアの滝へ向かうバス停です
帰りも道の反対側ではなく降りたバス停からアラモアナ行きに乗ります
バスは約1時間に一本しかないので
行きにバスの中で時刻表をもらうとベストだと思います
車で向かう場合は
マノア・フォールズ・トレイユのパーキングに停めてそこから歩きます
駐車代金は5ドルです
ハワイに住んでいる人は3ドルです

トレイルの入口にはゲートがあります
天候が不順なときには閉鎖されることもあるようです
他にも入口らしい道がありますが
たくさんの人が常に歩いているため迷子になることはないと思います
入ってすぐに
日本では見られない大きな葉っぱの熱帯植物が出迎えてくれます
トトロが傘にしていた大きな葉っぱも
そんな巨大化した植物が木に絡んで
人の背より高い位置に追い被さるように茂っています
その中をずっと歩いていると
自分が小さくなってしまったような気さえしてきます

途中にはバニアンツリーの枝やつるで作ったトンネルもあり
「ジェラシックパーク」の映画や
アメリカの人気ドラマ「LOST」に使われた場所もあります
道の傾斜はそんなに強くはなく
トレッキングにはちょうどいい歩き易い道が続きます

虹の谷と呼ばれるマノアには一年にワイキキの約17倍の雨が降ります
それはコオラル山脈に海からの湿気を含んだ風が当たり
多くの雨を降らせるからです
私の親しい人も
自宅からマノアの方を見れば
毎日のように虹が見られると言ってみえた意味がわかりました
そのため滝への道は常に湿気ていて滑りやすい所が多くあります
おかげで周りの植物は恵みの雨を受けて生き生きとしています

滝までトレッキングをしている人の中には
長い杖を持って歩いている人を見かけます
その杖はスポーツ店で売っているスキーのストックのような杖ではなく
木を切って作った持ちやすい長さと太さの天然の木の杖です
この杖は駐車場近くの木に立て掛けてあり
誰でも自由に使えるようになっています
杖がなくてもほとんど不自由を感じるような所はありませんが
滝の近くに50~60cm位の高さの段差があり
そこは上がる時は勢いで行けますが
降りる時は手を付いてヨイショと降りるしかありません
ここでは杖があるといいと思いました
今回私は降りる時ラッキーなことに下から上ってきた人が
自分の持っていた杖を
私が降りる支えにとわざわざ杖を立ててくださって
それを使って楽に降りることができました
初め何故私の行く方向に杖を立てているのかわからず
「どうぞ」と言われて
初めて私たちのためだとわかり使わせていただきました
感謝の瞬間でした
ダイヤモンドヘッドへ上る道幅ほど狭くはありませんが
ダイヤモンドヘッドは乾いたサラサラの道
マノアは湿地帯独特の湿った道が続きます

バスを降りてから約30~40分
目標の滝に到着です
落差は約50メートル
雨季は水量も多く見応えがありますが今回はほどほどの水量でした
到着した満足感と滝から感じる心地良い風で
気持ちがスーッと落ち着いていくのを感じました

以前は誰でも滝壺で泳ぐことができましたが
2002年の大雨で土砂崩れがあって危険な状態になったため
今は看板が立てられ近付くことももちろん泳ぐこともできません
水質が良くないことも理由のひとつのようです
しかしその囲いを乗り越えて入る人が絶えないと聞いていました
その噂通り今回も2人の男性と1人の女性が
滝壺に写真を撮っている人の目を気にしながらも入っていました
水が冷たいからでしょうか泳ぐというよりは
浸かるといった感じでどの人も直ぐに出てきていました
たまたまその滝壺に入っていた人にそのあと話しかけられました
「どこから来たの」「急に話しかけてごめんね」など
わざわざ看板を無視して入ってしまうそのままの感じの人でした
滝の近くにはあまりスペースがなくゆっくり寛ぐ場所はありません
小さなベンチがありますが
写真を撮って一息つくと戻って行く人が多かったです

帰り道では行きには上るのに一生懸命で見る余裕がなかった小さな花や
日本では見られないハワイ独特の植物を楽しんでゆっくり歩くと
この場所がより強いこころのパワースポットへとなってくれるでしょう
今回行くことができて良かったです
美しい滝を想像して行くとがっかりすることがあるかもしれませんが
ハワイの普段は見られない本来の姿を楽しむのであれば素敵な場所です
ビーチだけではなく
緑に囲まれ違った一面も是非楽しんでください

次回はロイヤルハワイアンホテルにある「マイタイバ―」など
歴史のあるスポットや
ハワイで流行っているグルメについてお送りいたします




ハワイ オアフ島 マノアの滝

  MASAYO TACHIKAWA





私の自慢の一つ
周りの人は素晴らしい人ばかり
素敵以上に素晴らしい
全てが温かく輝いている
感謝の毎日をありがとうございます

人の優しさが沁みます
常に守られている幸せ
それを実感し過ごせる日々
多くを与えられているのは誰でも同じ
あとはそれに気付くか気付かないか
それだけです

運が強くなる生き方
前向きな言葉と明るい振る舞い
時の流れがいい人と付き合うこと
まだまだあるけれど
ひとつでも手に入れたなら
あとは自分の行動とこころ次第

幸せを感じる
皆と一緒にいることで
生きている実感が湧いてくる
わからないこともあるけど
わからない方が楽しいことも
たくさんある

自分のことが大好きでしょと言われる位に
いい意味での成長を
そこまで人間はできていないけれど
早く好きになるように
今日もまた

運がいいと言われる人は
確かにいいと自分でも
こころのどこかで思っているだろう
それを受け入れるだけでなく
人にも還元できる人は
ますます上へと向いていく

新たな経験でした
長い過去に何かあったのでしょう
今のこの時は
お返しをしているとき
少しでも恩返しをしてクリアに

季節のものを食すと元気になれます
私にとって皆様が元気の基です
そうでない人も
いつかは支えになると信じています

自分が話す言葉で幸せ度を測ってみる
幸せを連呼して幸せを呼んで
本当に幸せだと思う瞬間を
もっともっと手に入れよう




 『ハワイⅣ―ⅱ チーズケーキファクトリー』 

 
ハワイにはたくさんの美味しいものがあります
ハワイに行ったら必ず行く人気のレストラン
「チーズケーキファクトリー」
ワイキキのロイヤルハワイアンショッピングセンターの
カラカウア通り沿いの一角にあります
ワイキキには2003年12月にオープンしました
一等地にあって趣向を変えたブースがいくつもあり広いのですが 
  一日中行列が絶えません
待ち時間も長いので今は入口のカウンターで順番待ちの予約をします
お店での予約のみで電話予約はできません
座りたい席を室内にするかアウトサイドにするかと人数を伝えると
コンピューターにすぐ入力して
順番が来たら知らせてくれるプラスチックのプレートを渡してくれます
そして今から約何分後に呼ばれるかも教えてくれます
そのプレートはそんなに遠くへ行かなければ反応するので
鳴るまでは近くで買い物もできます
聞くと何十メートルまでならば離れてもいいと教えてくれます
順番が来るとけたたましい低い音で鳴るのと強い振動もあるので
よほどの騒音の中でない限り聞き逃したりはしません
ただ教えてくれる時間はアメリカらしくアバウトなことが多く
30分と言われても
タイミングがいいと15分位で呼ばれることもあるので
そんなに遠くへは行かない方がいいかもしれません
もちろんかなり込んでいるときは逆の場合もあります
日本人の来客者もとても多いですが
不思議とスタッフで日本語を話せる人はいません
ただ日本語のメニューは英語のメニューと同じ位多く用意されています
どこでも日本語が通じてしまうハワイ
この日本語が通じない空間もアメリカ感が味わえて
素敵な一面かもしれません

チーズケーキファクトリーの始まりは
1940年代にデトロイトに住んでいたオーバートンさんが
子育ての傍ら自宅のキッチンでご自慢のチーズケーキを焼いて
地元のレストランに卸していました
そしてそれが人気となり
1971年にロサンゼルスに場所を移して
今の名前「チーズケーキファクトリー」
チーズケーキ卸売専門店を開いたのです
その後はビバリーヒルズで
焼きたてのチーズケーキが食べられるレストランを開きました
今は全米で160店舗以上のお店を展開しています
ワイキキで開店してしばらくの間
JCBのカードとクーポンを持って行って食事をすれば
どのチーズケーキでも一個サービスで食べることができました
今はそんなことをせずとも集客力が高く常に満員なので
今となっては夢のような話です

このレストランの人気の理由はバラエティー豊かなメニュー
気軽に食べたいメニューがたくさん揃っていることです
そして価格がお値打ちなのも理由の一つだと思います
お肉、お魚、パスタ、ピザ、サラダ等
パスタはペンネやロングパスタなど
クリームソースやトマトソース、オリーブオイル味のものがあり
お願いをするとチーズを目の前で
ストップと言うまで削って掛けてくれます
ピザの生地は薄めでパリッとしています
ハンバーガーは野菜の量も多くパテも大きめです
炭火焼のステーキやリブアイなどのお肉
エビやカジキのグリルなどのお魚
鶏とアボガドのサラダなど
どの素材のものでも種類豊富です
全てのお料理にボリュームがあって日本人には少し多いので
色々注文して皆でシェアーするとより楽しいと思います
メインディッシュに必ず付いてくる黒パンはほんのり甘く
これもとても美味しいです
頼むとお代わりもくれます
お料理が残ったら持って帰りたいと言うときれいに詰めてくれます
ランチメニューもあって夜のメニューより若干お値打ちです

このレストランの一番の売りは名前の通り
常に数十種類あるチーズケーキです
種類が多すぎて毎回どれを食べようかと迷ってしまいます
お店を入ってすぐ右側にあるショーケースーで
今あるチーズケーキを全て見ることができるので
順番を待っている間にいつも楽しんで見ています
一番人気は大きな真っ赤な苺が乗ったオリジナルチーズケーキです
他にキャラメル味、ピーナッツバター味、オレオクッキーが入ったもの
ホワイトチョコレート、ラズベリー、ティラミス等
覚えきれない位種類があります

私は今まで数々食べ比べてきた結果
ゴディバチョコレートのチーズケーキが一番好きです
このケーキはゴディバの周年記念の際に限定販売されました
限定販売なので一時期だけでなくなるのを覚悟していましたが
かなり人気だったのでしょう
いつの間にか周年記念の言葉は消えて
オリジナルメニューになっていました
チョコレートのコクとチーズケーキのまろやかさが
絶妙なバランスを保っていてとても美味しいです
他のケーキを食べても結局一回は
必ずこのゴディバチョコレートチーズケーキを食べます
チーズケーキは持って帰ることもできるので
混んでいたらカウンターで注文して持って帰って
ホテルのテラスで海を見ながらゆっくり食べるのもいいかもしれません
チーズケーキには生クリームが山盛りトッピングされてきます
この生クリームはあまり甘みが強くなく
チーズケーキの味を損なわなようにできているため
一緒に食べるのもお勧めです
テイクアウトのケーキにもこの生クリームを付けてくれます

「ハワイで一番お勧めのレストランは?」と聞かれたら
迷わず「チーズケーキファクトリー」と私は答えます
この頃は最終日の夜お店に行って
2種類ほどテイクアウトして日本へ持って帰ってきます
途中で柔らかくなって形が変わってしまうこともありますが
機内へ持ち込んで丁寧に自宅まで運びます
そしてまずは冷蔵庫で冷やして楽しかった時間を思い出しながら
日本でも再び楽しんでいます

まだまだお勧めのグルメスポットはたくさんありますが
次回はパワースポットであるマノアの滝についてお送りいたします
 



ハワイ「チーズケーキファクトリー」人気のチーズケーキ

  MASAYO TACHIKAWA





何かで常に支え助けていただいている毎日
あの日そっと背中を押して
あの場所へ引っ張ってくださった
あとから思うとすべてが必然
ありがとうございます

今日のこの時間がカとなって
これからを支えてくれる
肩のカを抜いて
笑顔で話せるときが続くことを信じて
一歩また一歩

様々な経験のおかげで
思いやりが産声をあげて
人にはもちろん自分にも優しく
そんな気持ちが芽生え大きくなりました
ゆったりと進みます

頭の中のハワイの青空がより輝いて見える
景色に艶をかけたように
トーンが一段と明るくなった
今すぐにでも行きたいけど行けない
だから目標になる

何を伝えていきましょう
あの時と同じ時間を持つことが出来ました
どれだけこの時を待ちわびたか
キリンのように首も伸びて
雲さえも触れることができそうです

きっと私達の話している姿は
誰からも大の仲良しに見えるでしょう
話しかけることを躊躇してしまう位
うらやましい姿に
そんな相手が近くにいるだけでも
幸せです

ラジオから流れて来た
ずっと好きだった曲に心が洗われた
ふと優しい気持ちに
そんな名曲のような人になれたら
背中に羽が生えて飛べるように
きっとなる

何故同じ場所に行きたくなるのだろう
答えが出ることなくずっと行き続ける
今も心はそこに
好きな場所は多いほどいい

ここまでたどり着けたことに感謝いたしますたくさん勉強しました
たくさん泣きました
たくさん笑いました
本当にたくさん
人としてしっかり生きてきました
これからも




 『ハワイⅣ-ⅰ この木何の木・アラモアナセンター』 

 
日立のCMで有名な「この木なんの木」は
ホノルル国際空港の北東のモアナルア・ガーデンパークにあります
ハイウエイの78号線沿いにある緑豊かな公園です
今回はザ・バスの3番
「SALT LAKE」行きに乗って行って来ました
バスを降りる時
聞かずともバスの運転手さんが指を差して「あっちだよ」と
もちろん英語で道を教えてくださいました
親切に感謝しながらバスを降りて緩い坂道を上りかけたところ
白い車に乗った人が窓を開けて英語で話しかけてきました
「道はそっちじゃないよあっちだよ」と
こちらももちろん英語です
「あっちですか?」私もどこへ行くかも言っていませんが尋ね返しました
この辺りを歩いている日本人は皆この木なんの木に会いに行くので
道を間違えている私たちに
親切にわざわざ車を止めて教えてくださったのです
ザ・バスの運転手さんとこの方の優しさ
今思い出しても心が温かくなってきます
お陰様で大きな間違えもなく公園の端に架かっている小さな橋を渡って
一面芝生の清々しい空間にたどり着きました

この公園は元々王族のもので
カメハメハ5世が王子の時代に建てられたコテージもあります
そのコテージを含め
1884年にビショップ王女逝去の際王女の遺志によって
地元の実業家サミュエル・デイモン氏がこの公園を相続しました
その後デイモン氏の曾孫の会社カイマナ・ベンチャー社が所有し
現在は非営利団体の
モアナルア・ガーデン・ファンデーションが管理をしています
広大な敷地には樹齢100年を超えるモンキーポッドの巨木が点在し
その中で一番いいポジションで大きく手を広げているのが「日立の樹」
この木何の木です
モンキーポッドの名は猿がこの木の実を好んで食べたことや
昔の学名の猿のイヤリングから付けられたと言われています

公園への入場は長い歴史の中でカメハメハ5世の時代はもちろん
1975年日立の樹としてテレビCMに出てからも
今までずっと無料でしたが今年の4月15日から有料になりました
開園時間はAM7:30からPM6:00までです
大人6ドルで12歳以下は無料です
公園内の木の剪定などのお手入れや維持にかかる経費はかなり高額です
カイマナ・ベンチャー社所有の時も日立が援助をしていましたが
ここ7年間は赤字運営になっていたそうです
今回行ったのは有料になる数週間前で
今回一日目にワイケレまで連れて行ってくださった
マツモトシェイブアイス社長のスタンレイが
「これからここは有料になるよ
今朝ラジオのニュースで言ってた」と言っていました
私は今回の有料を一早く知った
日本在住の日本人ベスト100人位には入っているでしょうか

真ん中にある日立の樹
写真スポットになっているモンキーポッドは
幹の太さは7メートル高さ25メートルで
傘を広げたような木の幅は40メートルあります
行く度に大きくなっているのをはっきり感じます
これからもどんどん大きくなっていくでしょう
木の幹に触れるとパワーを貰えるとも言われているので
幹を触って何かを感じ取っている日本人の姿を毎回見ます
モンキーポッドの花はピンク色で
ねむの木のような細い柔らかい針を立てたような
フワフワとした花を咲かせます
今回行ったときは刀豆のような長細い実をたくさん付けていました
この実始めは緑色ですが熟すと真っ黒になって落ちます
そうして仲間を増やしていくのでしょう

木の方が有名で日本人にはあまり知られてはいませんが
かつて宣教師によって禁じられたフラをカメハメハ5世が
この敷地内に建っているコテージでフラの催しを何度も開き
ハワイの宝でもある伝統フラの復活保護に力を注ぎました
今では「プリンス・ロット・フェスティバル」が
毎年この公園で開かれます
競技ではないフラの祭典としては最古であり最大級です
プリンス・ロットとはカメハメハ5世の愛称です
この催しはハワイ文化を継承していくことを大きな目的としています
フラダンスと日本では言いますが
フラとはダンスのことなので
フラダンスと言うとダンスダンスと言う意味になってしまいます
古典フラ「カヒコ」と現代フラ「アウアナ」が
フラを愛するたくさんの人たちによって披露されます

この日夕食はアラモアナセンターのフードコートでいただきました
フードコートもリニューアルされ
以前と比べるととてもきれいになりました
アラモアナセンターは1959年に誕生し
2009年に50周年を迎えました
フードコート「マカイ・マーケット」は1987年にオープンし
現在は70軒以上の世界の味を楽しめるお店がズラリと並んで
1500席を誇る巨大フードコートになっています
誰と行ってもそれぞれが好きな料理を選ぶことができて
お互い気を使わずに美味しいものをいただけます

センター内には290以上のショップが軒を連ねています
今年行ったときにも工事真っ最中で
西側のモールの拡張工事は年内に終わり
一段と巨大モールへとなります
センターのステージでは常時多彩なエンターテイメントショーが行われ
午後1時からは毎日フラのショーを見ることもできます
現在アラモアナセンター横ではマンション建設が着々と行われ
でき上がる前から予約は順調なようです
ここはザ・バスやトローリーの拠点でもあるので
ハワイへ行ってアラモアナセンターへ行かない日本人は少ないでしょう
ワイキキからはバスで10分位です
駐車場は9000台以上収容できるスペースが完備されています

いつもアラモアナに行くと必ず足を向ける
ロングスドラックとフードランド
フードランドは野菜や焼き立てパンやお肉お魚などの食料品や
マカダミアナッツの入ったお土産のチョコレートやコナコーヒー
季節もののイースターのエッグチョコなど
ちょっとしたものならば何でも揃う
55年の歴史を持つローカル・スーパーマーケットです
そのフードランドが今回アラモアナに着いて一番に行ったのですが
あんなに出入りの多かった扉がしっかりと閉まっているのです
エッ?道を間違えてしまったかと思いました
郵便局のすぐ近くにあるので間違いはありません
エッ?感謝祭とクリスマス以外年中無休だったのに今日だけ休み?
まさか無くなってしまったの?
日本に帰ってきて経営上存続が難しくなり
2014年12月に閉店したことがわかりました
大好きなお店だったのでとても残念です
ドンキーや近くにウオールマートもできて痛かったのかもしれません
これもある意味歴史が成す業ですね

次回はチーズケーキファクトリーや
ロイヤルハワイアンホテルのビーチカフェのピンクパレスカクテルや
ワイキキ支店丸亀うどんなど
人気の美味しいお店や食べ物をお送りします
 



ハワイ オアフ島「この木なんの木」

  MASAYO TACHIKAWA





柔らかな秋の虫の声が聴こえる
季節が流れていることに生きている実感を
ありがとうと言える毎日に
気持ちがクリアになっていく
何かがこちらへと向かっている

富士山が雲一つない姿を見せてくれた
大きな励ましに
どこから見ても美しい
そして揺るがない強さが
自分を見失わず
ほんの一歩でも近づきたい

目標を立ててから何年経っただろう
あれから前向きに出来る事を続けて来た
全て導かれるように
時々原点に戻って復習を
その繰り返しが
大きな結果へと

ごく一部の人だけに標準を合わせて進むと
行動範囲が狭くなる
依存し過ぎると動き辛くなる
何が大切か目を凝らして
澄んだ目で選択する力を

ココアにはコーヒーとは違う
ほんのりと落ち着く甘さと
苦味のバランスがある
お互い真似はできない
それがまたいい

横入りをされ腹を立てている人
腹を立てずにじっと見ている人
正しいのはどちらかの
二者選択の話ではない
なかなか本音は言いにくい
これが世の中

どうでもいいと口にすると
本当にどうでもいいになって
前が見えなくなる
迷ったら頭の中を初期化して
あたりを見回すことから始めよう

貴重な時間だと思うと焦る
これから先のためへの時間だと思うと尚焦る
落ち着いてこの気持ちが届く日は
必ず来るから
思いは紙一重

与えられた言葉を素直に受け入れる
気持ちを隠しきれないことも
そんなことはたくさんある
振り回されることになっても
それはそれで
ひとつの大切な出来事




 『ハワイⅢ-ⅰ ダイヤモンドヘッド・KCCマーケット朝市』 

 
ハワイ三日目
ハワイへ行ったときは必ず登るダイヤモンドヘッド
ダイヤモンドヘッド登頂はハワイへ行く楽しみのひとつでもあります
ダイヤモンドヘッドへ行くにはトローリーの
ダイヤモンドヘッドコースに乗ってクレーターの中まで行くか
ザ・バスの22・23・24番に乗って入口近くのバス停で降りて
車に気を付けながらクレーター内までまずは坂道を歩きます
22番のバスはサンゴ礁を見ながら
カラフルな熱帯のお魚と一緒に泳ぐことできる人気のハナウマ湾や
イルカのショーなどが見られるシーライフパークへ向かう
行き先に観光地の多いバスです
そのため22番のバスはいつも混み合っています
以前一部のトローリーは入口近く迄で
クレーター内までは行っていませんでした
この頃はどの会社のトローリーも
ダイヤモンドヘッドの麓であるクレーター内まで運んでくれます
早朝の朝陽を見るトレッキングツアー以外は
ツアーでなく自分たちで行くことができます
ダイヤモンドヘッド行きなどのトローリーは会社によって違いますが
DFSやロイヤルハワイアンセンターが始発のバス停
デュ-クカハナモク像の前がこの次の停留所
2番目のバス停です
始発ですでにトローリーは満員になってしまうことが多いため
次のバス停カハナモク像の前では乗ることができない場合もあります
知っている人は像の前が宿泊先ホテルの近くであっても
足を伸ばして始発のバス停まで行って乗ります

毎週土曜日の午前中ダイヤモンドヘッド入口近くの公園
カピオラニ・コミュニティ・カレッジで開催される朝市
KCCファーマーズマーケットも同じトローリーに乗ります
朝市が開催されている間は
ワイキキ間のトローリーの本数もぐっと増えます

ダイヤモンドヘッドへ着いたら
まずは駐車場入り口で入山料の1ドルを払います
年間パスポートも10ドルであるそうです
入山料も以前はありませんでした
でも山の環境を守るために始まったそうです
数か国語の持ち歩きに便利な説明案内文が言語によって色分けされ
入口に立ててあるので持って行って知識を増やしてください

ダイヤモンドヘッドはハワイ州立記念公園となっていて
およそ30万年前に噴火してできました
それからは一度も噴火はしておらず
今は死火山です
外輪山の一番高いところが標高232メートル
そこが目指す頂上です
ダイヤモンドヘッドはハワイ語で「レアヒ」と言います
ハワイの火の神ペレの妹ヒイアカが山頂の形を見て名付けたそうで
「マグロの額」という意味です
ダイヤモンドヘッドと言われるようになったのは18世紀
イギリスのジェームスクック船長がハワイに上陸してから
多くのイギリス人が測量などの調査にやってきました
その時火山壁に方解石を発見し
その方解石をダイヤモンドと間違えていました
そのためこの山をダイヤモンドヘッドと言うようになったと
ヘッドとは岬のことです
諸説あり朝日に映し出される山の姿が
ダイヤモンドのように美しかったからこの名が付いたなど
他にも色々あります

入山料を払って駐車場を抜けるといよいよトレッキングの開始です
トイレは登り口の一か所しかないので入っておいた方が無難です
登山口に入ってしばらくは
コンクリートで舗装されたなだらかな道が続きます
ここを抜けるといよいよ山登りが始まります
そこからは舗装はされていないので
きめの細かい土と所々地面から飛び出た岩や石の上を歩きます
登り始めて少しするとここではまだ目的地が見えないのと
足の疲れが出始めるので息が切れてきます
多くの人はスニーカーを履いていますが
私はこの頃ずっとハワイに着いてから履いている
涼しげな底がペタンコのサンダルで登ります
すれ違う人にたまに「サンダルでも歩けるんだ」と
毎回何人かに小声で言われますが
道に慣れるとかえって靴下も必要なく
涼しくてサンダルでもいいかと思います
慣れるまではスニーカーが無難です
割合にすると3割位がサンダルで後がスニーカーでしょうか
水も汗をかくので持って行った方がいいでしょう
私は重いので500ccのペットボトルの水を
半分位に減らして持って行きます
登っている間日陰はほとんどないので
日焼け止めは必ず塗っていってください

細いパウダー状の土や皆が登ることで
角が削られた石が出ている道を抜けた後階段を数か所上ります
途中トンネルもあって中は小さな明かりが足元を照らしてくれています
十数年前に改修され改修前は今の明かりはなく真っ暗でした
自分で懐中電灯を持って行くか
持っていないときは懐中電灯を持っている人を待って
その人たちの後を歩いていました
頂上に近づくと最後の砦99段階段が現れます
数回数えてみましたが100段ではなく99段です
この階段は斜度が急で一気に登らないと
足が上がらなくなり気分的にも登れなくなってしまいます
登りの人と下りの人がやっとすれ違える位の細い階段なので
休憩をすると通行止めをしてしまうことにもなって
迷惑をかけてしまいます
「上るのは辛い」その思いは誰しも同じで
数年前この階段の下から左に新しい歩道が作られました
この道を今回初めて通ってみましたがココヘッドを臨むことができ
チャイナハットと呼ばれる島も見え
景色も良く道も舗装されている上に坂もなだらかで歩きやすかったです
99段階段に挑戦するかのんびり景色を楽しんで歩くか
自分の足と体力に聞いて各自好きな方を選ぶといいと思います
所要時間は変わらないのでバラバラになっても上ですぐにまた会えます
99段階段の方は上り切った後に再び螺旋階段が待っています
99段階段を上って足も疲れているので
あとひと踏ん張りといった感じです
螺旋階段も狭いので昇る人と降りる人とは
お互い貴重な空間を譲り合ってすれ違います
そこを抜ければ若干階段はありますが目標の場所も目の前
もうすぐ頂上です

あと30歩あと10歩
到着!ワイキキビーチと真っ青な海が迎えてくれます
正にハワイ
パンフレットそのままの画が目の中に飛び込んできます
自分の足で登ってきた喜びと爽やかな風で疲れも吹き飛びます
絶景です
何度登っても素晴らしいとしか言いようがありません
ハワイをPRする写真の多くがここから撮ったものを使っています
今回頂上に着く寸前に細かい霧のような優しい雨が降ってきました
そして着いた瞬間ワイキキビーチと自分との間に虹が
カピオラニ公園の木々の緑色と虹が
素晴らしいコントラストを作っていました
虹がわざわざ出迎えてくれたのかと思う位のタイミングでした

私は25分位で登れるようになりましたが
ゆっくり歩けば40分位で登れます
一見は百聞に如かず
ハワイに行ったらダイヤモンドヘッド山頂に是非行ってみてください
登るのは体力を使いますが降りるには足を使います
ただあの景色を見た満足感で帰りはデコボコは多いものの足取りも軽く
ステップを踏むような感じで下山している人が多いのは確かです

土曜日に合わせることができるのならば
朝市で新鮮なハワイの食材をお腹に入れて
充電をしてから挑戦してください
朝市の食べ物はどれもとても美味しいです
私は丸かじりできるフレーバーを選べる新鮮なトウモロコシと
揚げたてのグリーントマトのフライが程よい酸味もあって好きです
小さなアワビを蒸したものや手作りのフランクフルトも人気です
日本では見られないハイビスカスの苗木も売っていて
珍品種の大きな花や変わった色の八重の花を見ることもできます
土曜日は満足の二重奏です

次回は4日目
日本人が大好きな定番スポット
モアナルアガーデン「この木なんの木」や
いつ行っても常に人がいっぱいの
アラモアナショッピングセンターについてお送りいたします



ハワイ ダイヤモンドヘッド山頂から見たワイキキビーチ 虹の贈り物

  MASAYO TACHIKAWA





全てが偶然でなく必然
この言葉を支えにして
今日も感謝の気持ち満載で頑張っていこう
挫けそうになっても
通じる時が来る
そう思ってまた一歩

人として成長する機会は誰にでもある
その時がなければ
これからを楽しんでは過ごせない
たった今のこのときだけでなく
この先のためのお試し期間
大切な

眩しい光を放つ人がいる
そんなことを感じられる人が近くに居る今は大きな一歩を踏み出す時
逃さず
見えない力を手に入れよう

明日に向かって
青空に向かって両手を挙げると
たくさんの人が笑っている姿が浮かぶ
立ち止まりながらも
ただただ前へ前へと
皆で
共に

何か得るものがあったのだろうか
ふと思うこともある
失ったものの方が多い気がする
そんなときがあってこそ
日々の前進がある

時間をやり繰りして
他人の為にできることをの思いで動く
自分の為にではないと思っても
本当は
十分自分の為にもなっている

たまたま出会った場所
牛にではないけど
引かれて手を合わせ感謝の気持ちを伝える
こんなときはおみくじも当る
これも縁

ハワイへは心の疲れを
温泉へは体の疲れを取りに行く
目的達成がしっかり出来るのは
心がリラックスをしているから
両手を伸ばし
自分らしい時間を

自分で蒔いた種が
木になり花を咲かせ実が生る
その実を植え
また木になり実をつける
今はやっと芽が出たところ
これからますます楽しみ
大きな木に成長しますように




 『ハワイⅡ-ⅳ 53バイザシ―レストラン』 

 
ハワイ二日目
午後からはダウンタウンを離れ
一日目に予約をした53バイザシ―レストランへ向かいました
「53by the sea」は昨年嵐がタモリさんの歌番組
ミュージックステーションでハワイから生中継をした場所です
時差がありハワイの時間は真夜中の中継でした
放送された1曲目の「マイガール」はすぐ横の公園
カカアコ・ウォーターフロントパークの海沿いで夕刻に撮影され
夕陽をバックに歌う彼らはいつもの雰囲気とは少し違って
独特の味がありました
見る方もハワイからの映像だと思って見ているからでしょうか
このレストランは2012年9月に新規オープンしました
ワードセンターからすぐのカカアコエリアの
ケワロ湾西側の海沿いに建っています
以前ジョンドミノスがあった場所です
ジョンドミノスも20年以上の歴史を誇るシーフードレストランでした

今回テレビの影響を受けて初めてこのレストランに行きました
人気の結婚式場でもあります
前日に車で場所を案内していただきましたが
車と徒歩とはこんなに感覚が違うものかと改めて思いました
迷子になったのです
今回はトローリーでワードウェアハウスまで行って
そこからはワードセンターの空港に一番近い方の信号から
海を目指して歩きました
本当はその信号をワードセンターから渡って
すぐに次の道を左折しなければならなかったのですが
それがわからず曲がることなく真っ直ぐ海に向かって歩き続けました
何だか昨日の景色と違うと途中で気づきましたが
変な信念を通して方向音痴なのを忘れて戻らず歩きました
すると目の前にハワイとは思えない風景が現れたのです
名古屋の栄近辺にもまだ若干残る
ホームレスの人たちのブルーシートのお屋根
一坪ほどのテントが道の両サイドに
数十メートルに亘って何十個も隙間なく連続して立っているのです
これはちょっと危険な場所に来たかもしれないと思いました
引き返すかそのまま進むか
こちらから何かしなければいいかと数秒で結論を出して
走るのも変だと思い
なるべく道の真ん中をちょっと早足で歩きました
今でもその時のちっちゃな緊張感は覚えています
結局小さい子や大人もテントを出たり入ったりしていましたが
困ったことはありませんでした
テントの中からはラジオなのでしょうか
ハワイアンミュージックがずっと流れていました

ハワイは多くの人の憧れの場所です
ワイキキから離れた一部の地域で
州が用意した移民者用のシェルターを見たことがありますが
こんなワイキキに近いところでそれも人気の高級レストランのすぐ側に
このような場所があるのかと
ハワイも同じ地球の上なのだと改めて思いました
この辺りは空地も多く公園もあるので住み易いのかもしれません
そこを抜けてもレストランはなく
近くにみえたガードマンさんに場所を聞きました
それでも着かず今度は幼稚園のようなところへ行って聞きました
結局曲がるべきところを曲がらなかったため
行くべき道を外れぐるりと円を書くように遠回りして歩いていたようです

予定の反対側の道から何とか到着しました
レストランの駐車場には高級車が多く停まっていて
既に高級感が漂っていました
入口の数メートルある大きな扉は重厚感があり
ドアマンさんが開けてくれます
入ってすぐには花嫁さんと花婿さんが下りてきそうな大階段があり
メインエントラスは花も飾られ洗練されたデザインになっています
その右横に受付が
予約をしていることを告げると席へと案内してくださいました
「素晴らしい!」
予約に来た一日目同様声を上げたくなりました
ここから見る景色は今まで見てきた景色とは一味違い
絵に描いたような言葉にはでききれない素晴らしい画が広がっています
全面ガラスの窓からは真っ青な海と白い波はもちろんのこと
ダイヤモンドヘッドと独特のカーブを持つワイキキビーチが
真正面に見えます
絶景のオーシャンビュー
感動の一言です
この感動はしばらく忘れないと思います

一階のテーブル席は120席あります
ウィンドウサイド窓側が最高です
正にオーシャンフロントのスーパービューです
テラス席もありますがランチ時は太陽の日差しも強いので
室内がお勧めです
夜は夜景も窓越しではなく直接見ることができて風も心地良いので
テラス席もいいかと思います

今回はランチを2種類いただきました
一緒に出されるパンはとても美味しいと評判でしたので
楽しみにしていました
チャバタとハワイアンブレッドの
2種類のパンが白い器に上品に入れられ出てきました
チャバタは表面は少し固めで中はモチモチしています
オリーブオイルを付けていただくと一段と風味が増して良かったです
ハワイアンブレッドは甘みがありふわふわでお代わりもしました
メインのお料理は
レストランの名前の付いた『53シーザーサラダ地鶏のグリル添え』
『マヒマヒバーガーハワイアンスタイル』をお願いしました
マヒマヒバーガーは名前のごとく
生のパイナップルがマイマヒの上に乗っていました
いずれもボリュームがあって味も濃い味ではなく美味しかったです
ランチには前菜とデザートもサービスされます
カクテルもいただきました

二階には結婚式の披露宴ができるバンケットルームがあります
お部屋にはそれぞれハワイの島の名前が付いています
結婚式場はカウイチャペルとナウパカチャペルの2つが
メインの建物の両サイドにあります

ナウパカはハワイの伝説が残るお花です
カウイと言う青年とナウパカと言う美しいお姫様が恋に落ちました
しかし彼らは身分も育ってきた文化も違い
引き離されてしまいます
そしてお互いを深く思い愛する魂が花となったのです
ナウパカは優しい白い小さな花を咲かせます
その花は一輪が半分しか花びらを付けません
一つの丸い円となって咲くのではなく一輪が半円なのです
2輪合わせるとやっとひとつの丸い花になります
不思議と半分だけなのです
私も初めて見た時は驚きました
すぐに一輪だけ取って合わせてもみました
ビーチナウパカとマウンテンナウパカの
海と山に生息する2種類があります
この花にまつわる伝説はこの他にも様々伝え
られています
ワイキキのハレクラニホテルの
ハウス・ウイズアウト・ア・キーレストランのビーチ側に
低い高さで垣根として使われていたと思います
ワイキキビーチからヒルトンホテルへ向かう
海沿いに続く細い歩道のところです
潮の満ち引きによっては通れなかったりもします
通れるときも一部分海に入らないと通れないこともあります
通った時はナウパカの小さな半円の白い花を見てみてください

53バイザシ―は
ハワイに居る感が舌でも心でも味わえる場所だと思います
ランチは11時から14時
ディナーは17時から22時までです
窓側のダイヤモンドヘッドが見える席を望むのであれば予約は必須です
次に行った際も必ず行こうと思っています

次回は3日目ダイヤモンドヘッド登頂
毎週土曜日に開催される朝市
ファーマーズマーケットについてお送りいたします




ハワイ 53バイザシ―レストラン 前菜

  MASAYO TACHIKAWA





こころが息を着くと
まろやかな微笑みが浮かぶ
相手に気持ちが通じると
大きな力になる
信じていたい日々の流れを

臥薪嘗胆(がしんしょうたん)とは
成功するために苦労に耐えること
苦労だと思うから辛い
お陰様と思えば
道も開いて行きやすい

こころに隙間があると埋めたくなる
どんなことにでも
ありがとうと言える力量があれば
開いてもすぐに埋められる

自己満足の苦言をぶつけてくる人と
同じ立ち位置にいるとこころが折れる
少しでも立つ場所を変えて
引いて見ると視点が変わり
かわすことが容易になる

広大なひまわりの花畑
皆同じ方向を見てる
人はなかなかこうはできない
上を下を横をあちらこちらを向いている
明るいと思う方向が
人それぞれ違うから

乗り越えられることだから与えられた今
こころが元気だとそう思える
手を貸し助けて欲しいと思う時は
まずは目線を変えて整理を

手紙で気持ちを伝える時代ではないけれど
ずっと外せないアイテム
そっと両手で開けるまでのワクワク感
忘れずにいたい

ハワイの話しをよく聞かれる
泊ったホテルとかお勧めの場所だとか
どんどん聞いてください
答えていると行った気分になって
楽しくなります

自分で選んだ道だと思えば
生えてきた草を刈る気力も湧いてくる
よく頑張っていると自分自身にご褒美を
そしてたまには休憩も




 『ハワイⅡ-ⅲ アリイオラニハレ・カワイアハオ教会・ホノルル市庁舎』 

 
ハワイ二日目
市内観光の続きです
写真撮影スポットのカメハメハ大王像では
多くの人は写真を撮ってその場所をすぐに離れます
ツアーではバスを停めずに車窓観光だけの場合も
下車してもバスの駐車場がないため写真撮影の時間だけで出発します
今回は以前から気になっていたカメハメハ大王像の後ろに建っている
存在感のある建物に初めて入ってみました

横の建物の郵便局には
デザインのきれいな切手を買うために以前入ったことがあります
切手はアラモアナショッピングセンターの
ロングスドラックの下にある郵便局でも買えるので
この頃はそちらで購入しています
荷造りボックスもハイビスカスの赤いお花の絵が付いた
色々なサイズのものが置いてあります
白い可愛い箱で
送る所がなくても欲しくなる箱です
アラモアナの郵便局は狭いので常に混んでいます

大王像の後ろの建物にいつもは入ろうという気持ちがなかったのと
入る雰囲気でなかったので今まで一度も入ったことはありませんでした
今回は何となく引かれるように入って行きました
ここはアリイオラニハレと言ってハワイ州の最高裁判所です
カメハメハ5世によって1874年に建設されました
カメハメハ5世はここを宮殿にしようとしていましたが建設途中
完成の2年前に亡くなり
結局彼がこの建物に住むことはありませんでした
建てられてから現在まで裁判所として使われています
やはり歴史的に貴重なもので
国と州の歴史的建物として登録されています
裁判所のためセキュリティが厳しく
入る時は持ち物を赤外線センサーに通しチェックをされます
そして不審物を持っていなければ入場が許されます
建物の歴史が古いことは入ってすぐに肌で感じます
正面の大きな時計が印象的です
一階は司法博物館
司法歴史センターになっていて
月曜から金曜日まで無料で入場ができます
メインギャラリーの他法廷もあります
予約をすると団体には見学ツアーも行ってくれます
ただし英語のみです
歴史のある階段を上がって二階から入口を見ると
建物の構造がよくわかります
八角形の明かりを取り入れた天窓は
デザインも色も落ち着いた雰囲気で趣があります
ここは観光のための建物ではなく
実際扉の向こうでは司法関係者が毎日仕事をしているので
むやみに扉を開けることはできません
もちろん最高裁判所としてです
前回書きました白人によるクーデターが起きた時は
ここに臨時政府が置かれました
平日で時間があれば短時間で見学ができるので是非入ってみてください
落ち着いた素敵な場所です

その後はイオラニ宮殿を見学し
トローリーの時間までもう少しあったので
カワイアハオ教会へ入りました
この教会は1842年に創建され
カメハメハ3世もミサに訪れていました
教会の外壁には1万4千個の珊瑚が使われています
完成した当時は石の教会とも呼ばれていました
教会内には王家専用の席も設けられていて
重要文化財にも指定されているハワイ最古のキリスト教会です
2500本ものパイプから出るオルガンの音は
趣向の中にも威厳を感じます
この教会ではカメハメハ4世とエマ王妃の結婚式も行われました
十字架も派手な感じはなく
落ち着いた飴色の椅子や白い柱は歴史の深さを感じます

ここでのハワイウエディングは根強い人気で
日本人も多く挙式をしています
式では52種類のパイプオルガンの音で新郎新婦を迎えてくれます
古い歴史の中での結婚式は格式も高く伝統も感じられて
本来の教会ウエディングを語るには一番ふさわしい場所だと思います
海は見えませんが本格的なハワイでの結婚式を臨むのならば
ここがお薦めです

トローリーに乗る前に偶然チャペルの鐘が鳴り始め素敵な数分間でした
この鐘はカメハメハ3世が1850年に寄贈したもので
それからずっと同じ時を刻んで音を奏でていると思うと嬉しくなります
教会の左側にハオ女王が水浴びをしたと言われる泉があります
その泉の名が「ハオ女王の聖なる水」を意味する
「カ・ワイ・ア・ハオ」と言い
教会の名前にもなっています
正面の入口が閉まっているときは
その泉の近くの入口から入ることができます

教会の道路を挟んで赤い屋根の建物は
ホノルルハレホノルル市庁舎です
ハレとは家や集会場の意味があり
ここは1927年に建設されました
ここも国の歴史登録に指定されています
毎年12月になるとホノルルシティライツと言う
クリスマスイルミネーションのイベントが開催されます
入口にはミスター&ミセスサンタクロースと呼ばれる
半袖の定番の赤い服を着たサンタさんと
ハイビスカスの柄の赤いハワイアンドレスを着た御婆様の人形が飾られ
腕にはハワイアンジュエリーを着けています
足は二人とも裸足でハワイらしい格好をしています
市庁舎の中にもいくつかの思考を凝らしたツリーが所狭しと飾られ
まるでおとぎの国に来たようです
毎年サンタクロースの家も作られ
クリスマスイブまでは夜の7時から9時まで
サンタさんとの記念撮影も行われています
このイルミネーションは1985年から始まり
毎年市の職員さんやボランティアさんの手によって飾り付けられ
1月のお正月明けまで行われています
市庁舎の他
周りの水道局や新聞社やもちろんカワイアハオ教会の中も
色とりどりのイルミネーションで包まれます
夜はここを訪れるトローリーも運行されます

ワイキキでも多くのホテルがクリスマスの時期は
様々な飾りを施してクリスマスをお祝いしますが
ワイキキもこちらもそれぞれ個性があってとても素敵です

次回はダウンタウンから離れ
嵐がハワイコンサートの時
歌番組で生中継した眺望のいい「53バイザシ―」レストラン
についてお送りします




ハワイ アリイオラニハレ(ハワイ州最高裁判所)

  MASAYO TACHIKAWA





ほんの小さな優しさが
大きな笑顔と幸せな気分を運んできてくれる
誰のこころの中にも
幸せ配達人が傍らに必ずいる

当たり前に過ごしている毎日も
考えれば決して当たり前のことではない
過ぎた日に気持ちを向ければ
必ず大きな何かにずっと包まれ守られている

気持ちが通じ願いが叶うと
こころにゆとりができて
誰かの役に立ちたいと思う
ただ笑顔を見たいと思う

文字の力を借りて
ほんの数文字で気持ちを伝える
費やした時間だけでなく
こころを掛ければ
いずれも幸せの道へと導いてくれる

身を粉にしていると感じるときがある
代償を求めていないと楽しく進められる
ふと何かご褒美があるかもと思う瞬間も
それも人としてご愛嬌

心で読んでほしいと書いた手紙
渡すか渡さないか何度も読み返し
渡さずずっと持っている
これも気持ちを伝える
ひとつの方法

清流を流れるような感覚でことを進める
順調に何もかも
そんな時はお陰様でありがたいと
こころから感謝
忙しくとも
不思議に疲れは出ない

偶然に見かけた
会いたかった人
どんな顔をしようかと考えている間に目の前に
笑顔の再会
画面の中のような出逢いが

人の役に立つ事で
自分を生かしていけばいい
してあげていると思うと
見返りが欲しくなる
出来ることがあるだけでそれでいい
精一杯が結果を生む




 『ハワイⅡ-ⅱ カメハメハ大王像・イオラニ宮殿』 

 
ハワイ二日目
ワイキキからトローリーの始発に乗って半日観光に出発しました
ハワイに来て一度は一緒に写真を撮りたいと思うのが
ダウンタウンに建っているカメハメハ大王像です
カメハメハ大王は
1810年にハワイ諸島を統一しハワイ王国を築きました
長い戦いの末ハワイ諸島が分裂するのを防いだのです
カメハメハ大王像はこの1体だけでなくハワイ以外も含め4体あります
オアフ島の像は2番目に作られたもので
最初に作られた像は
ヨーロッパから船で運ばれる際に海に沈んでしまいました
後にこの初代の像は無事発見され
カメハメハ大王の生誕地でもあるハワイ島に建っています
ハワイ島の像はオアフ島の像より少し若々しい顔で
凛とした整った顔立ちをしています
何だか見慣れていないハワイ島の像が
偽物に見えてしまいます
カメハメハ大王には出生伝説があり
生まれてすぐにこの子は王を食ってしまう不吉な前兆があると
暗殺命令が出されました
幸い義父によって助け出され
10歳にしてやっとお許しが出たため公に出ることとなります
本人は生まれたばかりで何もしていないのに
昔はこんなことがたくさんあったのでしょう
カメハメハ大王は身長も2メートルあり
文武両道に長けていてカリスマ的な存在でした
在命中は諸外国も王にかなり気を使っていたとされています
ハワイで記念写真を撮る場所としては
歴史を支えたこの大王の像の前が不動の№1です
毎年6月11日のカメハメハデーには像にレイを掛けて功績を讃えます
カメハメハ大王が存在しなければ今のハワイはなかったかもしれません
人気のリゾート地として
たくさんの人が集まっている今のハワイの景色を見て
外交手腕に長け他国との友好関係を大切にしていた王は
何と思っているでしょう
世界中の人たちが笑顔で楽しんでいる姿に涙するかもしれません

カメハメハ大王像の前の
道路を渡ったところに建っているイオラニ宮殿も
人気の撮影スポットです
イオラニ宮殿は米国唯一の王族の公邸
唯一の宮殿です
1882年7代目カラカウア王によって現在の宮殿が建てられ
8代目リリウオカラニ女王もここに住み
1893年に王国が崩壊するまで
ハワイの政治や文化の中枢として機能していました
結局カラカウア王はハワイ王国最終期の王様
その後継者となった妹のリリウオカラニ女王が
ハワイ王国最後の女王様となりました
カラカウア王は陽気な国王
メリーモナークの愛称で誰からも親しまれていました
そのカラカウア王が築いた宮殿はヨーロッパの建築様式の影響を受け
ハワイ初の照明がこの場所で灯されました
水洗トイレ、電話もあり
今でもそのままの形で残されています
もちろん使用はできません
王宮の中でまず目に留まるのが正面玄関から入ってすぐにある
コアの木で作られた立派な階段です
今はその階段は保存のために昇れませんが近くで見ることはできます
どっしりとした上に艶があり年々素敵な色になってきています

リリウオカラ二女王は1893年
反対勢力の白人のクーデターにより王位が剥奪され
宮殿に8か月間幽閉されました
ちなみにこの幽閉期間は
文献によって6~8か月と様々な月数が書かれていたため
ハワイ観光局を通じてハワイ本土へ確認をしていただきました
女王は与えられた2階の寝室で食事も取り
一日中この部屋で生活をしました
扉の外やテラスにさえも常に監視が立っていて
一歩も外へ出ることはできませんでした
その時女王が作ったキルトがガラスケースに入って
常時展示してあります
そのキルトには女王にとって忘れられない日が
刺繍で文字となって残されています
女王は音楽が好きで幽閉中も歌とギターは許されていたため
それが唯一の楽しみでした
今でもよく耳にするハワイアンソング「アロハオエ」を作ったのも
リリウオカラニ女王です
アロハオエは
自然と神と人との一体感を歌ったものや
ハワイ国民への別れの歌だとされていましたが
1878年旅行中に生まれたラブソングだったと自叙伝で書いています
そうであっても歴史を知って聞くと何だか悲しい歌に聞こえてきます

宮殿は月曜日から土曜日まで入場料を払って見学をすることができます
毎日一日一回日本語でのガイドツアーも行っています
ハワイに住んでいる日本人や日系人の方が
調度品やハワイ王朝の歴史など
宮殿の中を回りながら丁寧に説明をしてくれます
ガイドツアー以外は
入口で日本語の説明が流れるオーディオを貸り
それを持って番号順に聞きたい場所の番号を押し
流れてくる説明を聞きながら回ります
毎回録音されたガイドを聞いていて
少し日本語の発音が違うのではと疑問に思うところがあるですが
ずっと直されることなく変わらないのでいいのでしょう
きっと同じことを思われている方はみえると思います
日本語ツアーのガイドさんは
全員ボランティアだそうです
登録をしているボランティアさんがその時間だけ来て
ガイドをしてくださいます
ボランティアなので無給だそうですが
どなたも素晴らしい歴史の中で喜んで誇りを持って案内をしてみえる
そんな気がします

オーディオガイドで回る時は
宮殿へ入る前にまずそのオーディオで注意事項を座って聞きます
その際
床を保護するための靴カバーを渡されるので自分の靴に被せます
使い捨ての不織布でできたカバーです
これは日本語ツアーの時も同様です
10分間隔で入場することができるため
混んでいなければ注意事項を聞いてすぐに入れます
ガイドさんが説明をしてくださる日本語ガイドツアーは
一日に一回しかありませんが
初めて行かれる方にはわからないこと聞きたいことがあったら
流れるだけのガイドと違い質問もできるためお勧めです
是非一度は参加してみてください
定員があるので予約をするのがベストです
二回目からは自分のペースでゆっくり回れる
オーディオガイドがいいかと思います

イオラニ宮殿はハワイ諸島がアメリカの50番目の州となってから
何年か放置をされていた時代もあり
1978年大修復のあと一般への公開が始まりました
中の調度品はほとんどがオークションに出され残っていませんでしたが
ハワイ州の呼びかけで4割ほどが戻ってきました
たまたま見学に来ていた人が華やかし頃の
調度品が売りに出る前の部屋の写真を見て
「これは自分の家にある」とその後寄付をされ
何十年かぶりに我が家である宮殿に戻ってきたものもあります
縁があったのでしょうか
それともずっと元の場所に帰りたがっていたのでしょう
長い年月が流れこのようなことはなかなかないでしょうが
ほんの小さな1品でも戻るといいですね

宮殿の庭には1883年にカラカウア王の戴冠式が行われた
丸い形のイオラニコロネーションパビリオンがあります
宮殿の地下にも女王の黄金の冠や高価な貴金属やガウンなど
ハワイ王朝ゆかりの品々が展示してあり
これを着けていた王や女王の姿が浮かびます

今回金曜日に宮殿へ足を向けたため
毎週金曜日の12時から13時まで行われる
カメハメハ三世によって創設されたハワイ王朝専属バンドの
ロイヤルハワイアンコンサートの風景にも出会うことができました
楽器を持っておそろいの白い衣装を来たバンドの皆様
多くの方がお年を召してみえて
音を聴かずとも拝見しただけで歴史を感じます

宮殿の敷地内にはコロネーションスタンドの他
王室の旧霊廟や石造りの兵舎があります
州政庁の建物との間にはリリウオカラニ女王の銅像が建っていて
その左手には王権を回復するための新憲法が握られています
この新憲法はもちろん発布されることはありませんでした
宮殿の門扉には王国紋章が飾られています
飾られると言う言葉は妥当ではないかもしれませんが
その紋章にはカメハメハ三世の
「大地の生命は正義によって守られる」という意味の
ハワイ語が刻まれています
宮殿へ足を向けて時間をかけてゆっくりと
ハワイの歴史を感じてみてください
喧騒から離れてとても落ち着く場所でもあります

次回は憧れのハワイでの結婚式を行うチャペルとして日本人にも人気の
カワイアハオ教会や
カメハメハ大王像のバックに建っている
アリイオラニハレなど
引き続きダウンタウン近辺をお送りします





ハワイ イオラニ宮殿 正面入口

  MASAYO TACHIKAWA





今出来ることは手を抜かず
まずはやってみる
やって後悔する方が
やらずして後悔するよりも
抱える荷がはるかに軽い

こんなに守られ支えられている
そう思って生きられる幸せ
明るい光も強く照らしてくれる
自信を持って

外へ出たら真っ青な空に変わっていた
絵に描いたような風景
雲一つない澄み渡る青空
お天気さえも支えとなってくれている

信じることが良い縁への近道
それが出来ない人は
悔しいけれど今は縁がない
追うことなく
いつかまた
縁があればつなげばいい

執着している意味がわからない時がある
一生懸命を
否定されている気がするのだろう
人生人と人とのぶつかり合い
その中で心身ともに
ぐっと大きくなっていく

少し前に凍っていた梅の木が
白い花を咲かせ
今は緑の葉を茂らせ実を付けている
周りの木々も成長して
応え守ってくれている

見えない人に踊らされることがある
抱えきれない人たちが応援をしてくれる
その中で
ごくわずかな人に振り回される
負けないで
これもいい勉強

写真を見ると
その時の気持ちが甦る
本物の笑顔は前進への表れ
今までとこれからの懸け橋に
明日も楽しみ

恵みの雨が雲と一緒に通り過ぎていった
あっという間に地面に吸収され
落ち着いた景色に
来るべき時には助けが来る
今日の雨のように


 『ハワイⅡ-ⅰ デュークカハナモク像・ヘイアウ』 

 
ハワイ二日目
泊まっていたマリオットホテルは
ワイキキビーチに対して垂直に建っているため
客室の向きはロイヤルハワイアンやシェラトンホテルなどの
老舗のホテルが見えるワイキキビーチを臨む方向か
ダイヤモンドヘッドを臨む方向のどちらかの眺望になります
今回は申し込みの時点から
「ダイヤモンドヘッドが見える部屋」指定の客室でしたので
部屋からは毎朝昇る朝陽を見ることができました
二日目の朝
明るくなってきたので
ハワイの朝の空気を楽しもうとテラスへ出ました
すると左手のぎっしりとたくさんの家が建っている山の上から
太陽がちょうど昇り始めたのです
偶然とはいえ太陽に呼ばれたようでビックリしました
山の上には少し雲が掛かっていたため
全く遮るものがない状態ではなかったのですが
かえってコントラストができて素晴らしいオレンジ色でした

ダイヤモンドヘッドと青い海を眺めながら朝食をいただき
二日目は53バイザシーレストランで予約してあるランチの時間まで
トローリーで半日観光をすることにしました

マリオットホテルを出てカラカウア通りをゆっくりと歩いて
バス停のあるロイヤルハワイアンセンターに向かいました
途中サーフィンの名手である近代サーフィンの父
デュ-クカハナモク像の前へ
この像は彼の生誕100年を記念して建てられました
ハワイ初の親善大使でもあります
この場所では24時間日本へも
生中継ライブビューをしているカメラが設置してあります
まずはそのカメラに向かって手を振りました
日本の皆様にご挨拶です
ハワイで朝の8時台ですと日本は朝の3時台なので
見ている人はほとんどいないでしょうがとりあえず挨拶をしました
私も日本でたまに見ています
ほとんどの人は像の前のあの位置にカメラがあるのを知らないので
手を振っていると何をしているのだろうと
不思議そうに手を振っている方向を見ます
カメラに気付くと同じように手を振る人が毎回一人はいます
皆と一緒が好きな日本人らしい光景です

もう少し歩くと
パワースポットと言う言葉が日本中で駆け廻っていたときには
写真を撮る人が絶えなかったカフナストーンがあります
ポリスボックスの横です
ハワイ諸島には
パワーストーンと言われる石を祀っている場所が多くあります
他の島を含めると大小800か所以上あったとされています
日本でも一時パワースポットは見えない力をもらえる場所として
ほとんど知られていなかった所さえも
一気に人気となり人が溢れかえりました
私も九州から東北まで機会があれば尋ねていました
宮崎の高千穂神社や明治神宮の清正井も
ハワイでも一時期過去にはなかった
パワースポットを巡るツアーが流行りました
ハワイでこのような神秘的で不思議な石が並んでいるところを
「ヘイアウ」と言います
ハワイ人が神聖な場所として祀り
祈りを捧げてきた場所です
出産や願い事をする場所であったり
逆の今では想像できない儀式の場所であったりと様々で
パワーを貰おうと意味も知らず軽い気持ちで近寄る場所ではありません
ハワイ島へ行った時も同じようなことを聞きました
とにかくヘイアウは神聖な場所だからむやみに近寄らないようにと

フラも本来そういう儀式に奉納するものでもありました
縁あってフラの生き神様と言われるクムと
2年に一度お会いさせていただいています
そのクムは毎週火曜日にワイキキビーチでフラを踊ってみえます
フラを習っている人にとっては神様みたいな存在だそうです
古典フラは見ていると神聖な気持ちになってきます
フラも一曲ずつ意味があるので
それを知って見るとより楽しむことができると思います

ヘイアウだけでなく
石には色々な言われや思いがあることを
ずっと以前から耳にしていました
それもありワイキキビーチの一等地で
横を通り目にすることはあっても
このストーンの近くに近寄ったりはしませんでした
でもハワイに詳しい方から
このストーンはヘイアウの中でもヒーリングストーンと言われ
警戒しなくても大丈夫だと最近聞きました
これも縁だと思い次回ハワイへ行ったら
是非近くに行ってパワーを感じようと思っていました
ワイキキのヘイアウはタヒチから来た4人のカフナ宣教師が
国に帰る前に霊力を石に与えていったものだそうです
今回数十回目にして初めて通りすがるだけでなく近くへ行きました
このヒーリングストーン
何年か前は囲いで囲ってはなかったように記憶しています
タオルなど物を上に置いたりと粗雑に扱われていたような
囲いがなかった頃
知らない人にとってはオブジェか
ただの大きな石の扱いだった気がします
その頃はこんないい場所に堂々とあるのは何か意味があるものだと
パワースポットの言葉が流行る前にもそういう雰囲気は感じていました
天気も良く石の周りの光を一段と明るく受け取ることができたので
ゆっくりとパワーをいただきました
意味のある今回だったのかもしれません

観光トローリーの始発までまだ時間があったため
カラカウア通りから外れ
サンダルを脱いでビーチを歩いて向かいました
朝のワイキキビーチは人も少なく一段と爽やかな風が吹いています
朝はビーチからダイヤモンドヘッドをバックに写真を撮ると
ダイヤモンドヘッドが逆光になって山に影ができます
人も逆光です
でも感じる空気の良さは変わることなく写ります
他の人が少なめに撮れることは朝のひとつの利点です

目的地に近づき
ビーチからホテルに入る入口にあるシャワーで
サンダルを履き直すために足を洗い
大好きなロイヤルハワイアンホテルのマイタイバーを抜けて
バス停へと再度向かいました
バス停では同じように観光へ向かう人で既に長い列ができていました
トローリーやシャトルバスは各旅行会社単独のものと
何社かが提携しているものが走っています
デザインが違うので遠くから見てもわかります
JTB、HIS、JALパック、日本旅行
その他もろもろの旅行会社と提携しているワイキキトローリーです
特にJTBのシャトルバスOLI OLIウオーカーは
クジラを模っていてとても可愛らしいです
JTBはこの頃Sky waveと言う2階建てバスも走らせていて
2階からの眺めと感じる風は最高です
数社が提携しているワイキキトローリーは
アラモアナセンターとワイキキビーチの間のみ
JCBのカードを見せれば無料で乗ることができます
結構便利です
いずれも様々なルートのラインがあり
観光にはダウンタウンラインなど観光ラインに乗車します
観光ラインは一周一時間から一時間半ほどかかります
時刻表はありますが
日本みたいに正確にぴったりと来ることはなかなかありません
これも日本では考えられませんが
早く来ることもあって
時刻表の時間まで待たずに出発することもあるので注意が必要です
たまに予告もなく運休するので2台分の時間
何十分も待たされることもあります
ハワイにはハワイの時間が流れています
予定通りに動けないことも計算済みです
時間に追われることなくハワイに居る実感が持てて
これも良しと思います
ハワイの空気は
日本ではきっと焦ってしまうであろう無駄と思える時間も
ゆっくり過ごしなさいという意味かと思うことができて
いい方向に気持ちを切り替えられます
さすがです

次回は一番人気の観光スポット
ダウンタウンで下車してからの
カメハメハ大王像やイオラニ宮殿などについてなどをお送りします




ハワイ ワイキキ ヒーリングストーン

  MASAYO TACHIKAWA





感謝を贈ると
感謝で返ってくる
誰かに必要とされている
それだけで大きな財産

こころが裕福な時間を繰り返していると
強くなれる自信も持てる
誤魔化しではなく
毎日がそう流れるようになっていく
無意識のうちに

視界を広げて
ポイントをちょっとだけずらしてみよう
背筋を伸ばして真っ直ぐに
ほんの少しの視線の違いが
これからの時間を変えていく

ガイドブックの中を歩いているような空間に出会うことがある
ひとつひとつ人が刻んできた
一瞬の積み重ねが
歴史となっていく

小さい視点で見ていたら
今している目の前のことが
無駄なことのように思えてくる瞬間がある
そんな時は大きな世界に行く準備だと
頭と気持ちの切り替えを

温泉に浸かって日の出を見ていた
青く変わっていく山の上の色に感動
足を伸ばして豊かな時間
たったひとりの
しあわせなひと時

誕生日を忘れてしまう位
忙しくいられるのは何より
「おめでとう」と自分だけでもいい
お祝いを
きっと誰かが
巨大なケーキを運んできてくれる
ほらすぐそこに

のんびりと時間に追われず
じっくりと上から下まで見ていたら
日頃見えないものが見えてきた
ゆとりの時間が
日々を支えてくれる

至福の時間
ありがとうの声さえも
どこからか聞こえてくる
錯覚なのかこころの声なのか
不思議にはっきりと




 『ハワイ2015Ⅰ-ⅲ ワイキキでの夜』 

 
ハワイ一日目
ノースショアで人気の街ハレイワで
ハワイに到着してからの午後をゆっくりと過ごしました
夕方には宿泊先のワイキキのホテルに着いたため
ぶらぶらとカラカウアアベニューをビーチに沿って歩きました
歩いてすぐに黄色い看板で流れるような文字の
見慣れたロゴが目に入ってきました
日本でも長い行列ができる「エッグスンシングス」のお店です
1974年創業の人気レストラン
ハワイ在住の御夫婦が新鮮な素材を使って
毎日食べられるような価格で提供したいとお店を始められました
入口外の小さなカウンターで注文をしてから
お店へ入る形式が取られています
今回は列ができていなかったことと
席もテラス席が空いていたので入ることにしました
ワイキキにはエッグスンシングスのお店は3店舗あります
発祥のお店である郵便局近くのサラトガ本店は
いつもたくさんの人が外に溢れ順番を待っています
以前グアムへ行ったとき
ちょうどタモンにグアム店が開店しました
幸い並んでいなかったので
なぜこんなに人気かを知りたくて
パンケーキをいただこうと入りました

ハワイやグアムでも
一番人気はパンケーキです
焼いたばかりのフワフワのパンケーキが紙のお皿に3枚乗ってきて
その上にイチゴ、ブルーベリー、バナナがトッピングされています
売りである生クリームは真ん中でタワーのようにそびえ立っています
この生クリームは
動物性のものと植物性のものがミックスされているそうです
ほどほどの甘さでパンケーキにとても合います
今回はこれではないハワイアンパンケーキと
これまた人気のアサイーボウルを注文しました
アサイーボウルは甘さも控えめで
ちょうどいい酸味があり美味しかったです
お代わりをしたい位でした
ハワイアンパンケーキには
パイナップルとココナッツとマカダミアナッツが
トッピングされています
初め一番人気のイチゴ・バナナ・ブルーベリーが乗ったものが
テーブルに運ばれてきました
ハワイではこれがハワイアンバージョンだと思い食べようとしましたが
グアムの時にノーマルで頼んだものと全く同じで
やはり違うなと思い
スタッフに確認したところオーダーが間違っていました
日本人は皆当たり前のようにこの人気№1を頼むので
そう思い込んだのでしょうか
今回もパンケーキは食べきれず残りをテイクアウトしました

テーブルの上には
常にパンケーキに掛けるソースが3種類置いてあります
ココナッツとグアバとオリジナルソースです
皆とっても甘いです
グアバのソースは変わっていていいかもしれませんが甘いです
パンケーキはいずれも$12.75です

その後はワイキキビーチをゆっくり歩いて
ワイキキで一番古いホテル
モアナサーフライダーホテルのプールサイドで
本場の英会話が飛び交う空間を楽しみました
このホテルはワイキキのファーストレディ
ワイキキの貴婦人と言われ
1901年創業のワイキキ最古のホテルです
ホテルの象徴でもある大きな樹
バニアンツリーの周りにプールやビーチバーもあり
レストランでは波の音を聴きながらゆっくりと食事がいただけます
夜はお酒が入ることもあって
会話の波で海の波の音は全く聞こえません
以前オーシャンラナイと言われる
8階建ての古い方の客室に宿泊しました
窓も扉も調度品もオールド調でタイムスリップした気がしました
窓を開けるとバニアンツリーが見えます
鍵も昔の大きなキーホルダーが付いた重い鍵でした
エレベーターも古くボタンもしっかり押すタイプです
ホテルの入口がある
ヒストリックバニアンウイングの階段を上がった2階には
ヒストリカル・ルームがあり
ワイキキの歴史やホテルの逸話話が垣間見れる展示品が飾られています
この建物の一階にはクリスマスシーズンになると
クリスマスの街が木製のおもちゃで作られ
その中を汽車が走り
見ていても飽きません
ドアボーイのいる入口には両サイドに大きな木の兵隊さんが立ちます
リボンも飾られおとぎの国の入り口のような様相になります
クリスマスシーズンのハワイは
至る所で素敵な飾り付けがされて
普段と雰囲気も変わりお勧めです

ヒストリックバニアンウイングには小さな祭壇があり
泊まった時もちょうど結婚式をしていました
入口の真上の辺りです
今はモアナチャペルで
ワイキキビーチを臨みながらの挙式が人気だそうです

ハワイでは滞在中多くの花嫁さん花婿さんに出会います
白いウエディングドレスを着てリムジンに乗り込んでいるのは
大体日本人です
ビーチ沿いの教会もたくさんあり
ハワイで挙式をして披露宴は日本でのケースがますます増えています
確かにハワイでの挙式は憧れです
真っ青な海と鮮やかな手入れの行き届いた緑の芝生
これ以上のロケーションはありません
今は大手の旅行会社もウエディングパックを出しているので
衣装もブーケもワイキキへ着いてから決められるため
余分なものは持たず安心してハワイへ向かうことができます

カメハメハ大王像近くのカワイアハオ教会は
壁がサンゴで造られていて
ハワイで一番歴史も古く本格的なチャペル結婚式ができます
ビーチ沿いの青い海を見ながらの挙式はハワイならでは
夢の中のような結婚式となり素敵です
式を終えたばかりのふたりにライスシャワーのお祝いを
カワイアハオ教会で
たまたま居合わせた関係ない私も参加させていただいたこともあります
映像を見ているような感覚でした

ハワイでの時間はあっという間です
日本ではほとんど車移動なので
バスに乗ることも
ゆっくり景色を見ながら歩くこともあまりありません
ハワイに居ると毎回新しい発見があってそれも楽しみです

次回はハワイでの二日目をお送りいたします




ハワイ モアナサーフライダーホテル  夜のバニアンツリー

  MASAYO TACHIKAWA





願いは必ず叶う
この言葉を信じている
挫けそうになっても
自分の為にだけではない今の流れ
この思いを支えとし
前を向いていこう

自分の力で出来ることは
精一杯やっていこうと思う
たった一秒にどれだけ救われたか
たかが一秒されど一秒
大切な一秒

自分の力で出せるものは出し尽くし
すっきりとした気持ちで時を過ごそう
どんな結果が待っているか
ワクワク感でこころが弾みます

小さなことでも
感謝の気持ちで応えられれば
大きな世界で優しい時が流れ始める
そんなこれからの時間が楽しみ

名曲を聴くと自然に涙が溢れてくる
メロディーが胸を打ち励ましてくれる
大きな支えを
いつもありがとうございます

穏やかな気持ちで
毎日新しい日を迎えられる
それができるだけで幸せ
その幸せの上で何を求めていくか
流れをじっくり見定めて

流れがいいと控え目な気持ちでいられる
誰のために時間を使って誰のために成すか
答えは一つではなくいくつもある
いい時こそじっくりと

一瞬こころがふっと軽くなる瞬間がある
相手に気持ちが通じた時
わかってもらえないことがあっても
一生懸命が伝われば報われる

今日も快晴で終わろうとしている
夕陽が真ん丸で美しい
過ぎた時も一緒に沈んでいく
この毎日が必ず大きな実になると
ここらから信じている




 『ハワイ2015Ⅰ-ⅱ ハレイワタウン』 

 
ハワイ到着一日目
ノースショアの最大の街ハレイワに着いて
前回からの続きです
Ⅰ-ⅰ「到着・ハレイワ」を
まだご覧になってみえない方は
ご覧になってから読んでいただくと
より楽しんでいただけると思います

最近マツモトシェイブアイスのお店の周りは
駐車場も含め全面改装され
全てが新しくなりました
シェイブアイスのお店の裏にあった
年季の入った今にも潰れそうな従業員の休憩所も
一度入れていただきましたがなくなり
すっかりきれいになっていました
シェイブアイスのお店は相変わらずの人気度で
いつもの長い行列ができ繁盛していました
この頃お客様はアメリカ人の方が多いように思います
ノースショアはワイキキから遠いため
レンタカーで来るかツアーで来るか
時間を惜しまず
ザバスでアラモアナから乗って乗り換えをして来るか
いずれも最低半日コースです
目的がなければなかなか来られない場所であることは間違いないです
レンタカーは日本の免許があれば借りて乗れますが
ハワイの道路はアメリカですから車は右側通行
左ハンドルで日本と逆です
逆走をしたり車で右往左往しているのは大抵日本人です
慣れるまでは大変です

社長のスタンから「何が食べたい?」と聞かれ
一番人気の「レインボー」でお願いしました
もちろんかき氷のことです
いつも一緒に「アイスはどうする?錬乳は?」と聞いてくれます
今回は両方でお願いしました
ハワイはもちろん温かいので氷はすぐに溶けてきます
その溶けた色々な味のシロップを付けてバニラアイスをいただく
シロップが美味しいので
一段とカラフルな味で爽やかないい味でした
スタンもこの組み合わせは美味しいので
自分でもバニラアイスにシロップを掛けて食べると言っていました
そのシロップは創業当初よりずっと手作りです
へらでゆっくりかき回すため
スタンの手には勲章のタコがいくつもできています
初めて会ったとき何かの話の中で手を見せてくれました
色もシロップ色に染まっています
今回トッピングの小豆も自分の所で炊いているのを知りました
小豆はアメリカ人に大人気だそうです
努力あっての今なのですね

シェイブアイスのお店の外の壁に
きれいな緑色のトカゲが動かずじっと張り付いていました
初めは全く動かなかったこととあまりにも緑色が鮮やかだったため
おもちゃが張り付けてあるのかと思いました
じっと見ていたらしばらくして舌をベロベロと出したため
そこで生きているトカゲだとわかりました
スタン曰くいつも壁に付いているシロップを舐めに出てくるのだと
確かに言われてみれば壁を二股に分かれた舌で舐めているようでした
ハワイやグアムではトカゲは幸せの象徴です
今回もこんな鮮やかなトカゲに出会えて
ますます幸せ度が上がって行くと温かな気持ちになりました

シェイブアイスのお店の前には道を挟んで小さな教会があります
レインボーブリッジが架かっている川
アナフレ川沿いにハワイ王朝最後の君主
リリウオカラニ女王の別荘があり
この別荘滞在中女王はこの教会へ礼拝に訪れていました
建設当初はワイアルア・チャーチと呼ばれていましたが
女王が訪れるようになってからは
「リリウオカラニ・プロテスタント・チャーチ」
と言われるようになりました
女王は滞在中アナフル川で泳ぐのを楽しんでいたそうです

そんな歴史のある街で
かき氷をいただいてからもゆっくりと過ごしました
そしてお店とサンリオがコラボした
キティちゃんのTシャツをお土産にいただき
新しくなる前に人の列ができていた
シェイブアイスの象徴でもある道沿いの黄色い看板
その看板が掛かっている歩道から
今はまだ資材置き場になっている改装中の旧お店の中を覗き
壁などこれからの改装計画を聞いて
ワイキキへと送っていただきました

今回は行きも色々なところで渋滞してなかなか進みませんでしたが
帰りもハレイワ入口のサーファーの看板を抜けて
パイナップル畑に入ってすぐに車は渋滞で動かなくなりました
このハレイワのサーファーの看板は2種類あります
大きな違いは男性と女性で
ハレイワタウンの入口にあるのは男性
中央にあるのが女性です
写真でよく見るのは入口の男性の方だと思います
しばらく歩いた方が速い位のスピードで走っていたところ
細かい雨が降り出し進行方向に虹が現れました
それもダブルレインボーです
夢中で写真を撮りました
それからまたすぐに今度は左側に正にアーチ型の虹が現れました
パイナップル畑で遮るものがないため
きれいなアーチは絵に描いた虹のようでした
もちろん虹はどんな形も虹ですが
子どもが虹を絵に描くとよく描く半円のきれいな形の虹です
ハワイに住んでいるスタンもきれいだと言う位美しい形の虹でした
渋滞して車のスピードも遅かったため
スタンも車の中から写真を撮っていました
今回のハワイでは雨が降り
それは浄化と恵みの雨だと言われて日本を出てきました
ハワイに着いて一日目からその話の通りになりました
私がその話に答えるように言った「では虹が見えますね」も正に
「まだ撮ってるの」と言われる位
感動でずっとシャッターを切っていました
やっと渋滞を抜けてハイウエイに入る前にも
今度は左側に大きな太い虹が見えてきました
数十分の間に3パターンの虹を見たのです
ハイウエイに入ってからはハワイらしい青空が広がり
パールハーバーを右手にワイキキを前方に見ながら
ホテルへと向かいました

今回目的のひとつでもある
嵐のハワイコンサートの際の生中継で使われた
53バイザシ―レストランに「明日行く」と言ったら
通り道なので「行ってみる?」と連れて行ってもらいました
せっかくなのでレストランに入り予約もしました
このレストランはドアマンがいるため
近くに行くとドアを開けてくれます
大きなドアが開き入った瞬間
目の前に大きなダイヤモンドヘッドと白波を立てた真っ青な海が
感動で「凄い」と声を出してしまいました
ここはワイキキビーチよりダイヤモンドヘッドから距離があるため
本来ダイヤモンドヘッドは小さく見えるはずです
でもとても大きく見えるのです
地形の関係でしょうか
全面ガラスの窓を通してみると
枠に入れた写真か絵を見ているようです
今でもこの瞬間ははっきりと目に焼き付いています

道を覚えながら再度ワイキキへと向かいました
宿泊先のマリオットホテル
以前はこの名前ではなかったそうです
きっとオーナーが変わったのでしょう
同時テロが起きた時はハワイも人がまばらでした
いつも人でいっぱいのDFSもほとんど人がいませんでした
そんなときにマリオットが買い取ったのでしょうか

ハワイに着いてから半日しか経っていませんが
虹に出会えたこと
きれいな緑色のトカゲや大きなウミガメに会えたこと
美味しい海老フライを食べたこと
素晴らしい時間でした
この時間を作ってくださった
マツモトシェイブアイスの社長スタンレー
ありがとうございました

ハワイに到着して数時間
来たばかりなのにまたハワイにいつ来ようかと考えていました
次回はハワイワイキキ一日目の夜をお送りいたします




ハレイワ リリウオカラニ・プロテスタント・チャーチ

  MASAYO TACHIKAWA





ありがとうの言葉に支えられ
ありがとうこの言葉に励まされ
これからも
こころからのありがとうを
たくさんのひとに
たくさん伝えていきたい

一緒に居る人たちが笑顔を送ってくれる
ただそれだけで生きている意味があるのに
ついそれ以上を望んでしまう日々
そんな毎日だけど逆に輝いて楽しい

雨が降ってきた
別れを惜しんで降る雨もある
空が泣くと
その後に笑顔の虹が待っている
そして素敵な景色を見せてくれる

夜がゆっくり明けていく
山々の上を風が流れていく
時は絶対止まらない
惜しむことに時間を割いてはいられない
今もこれからも

日本には四季がある
大きな宝物
こころも快晴
富士山の立派な立ち姿が見える
守るべき大切な財産が

お天気が続くと雨が恋しくなる
足元の草花が頭を傾げてくる
雨が降り続くと
日差しが欲しくなる
ひとのこころは天気と一緒

人生予想通りにはいかない
真っ直ぐ生きていれば
常に勝利は近くにいてくれる
負けたくない相手も
すぐそこに

夢の中で大好きな場所に一瞬で移動を
そんな所がある
それだけで幸せ
そう思うと前を向ける

今日も終わろうとしている
忙しい日だった
この積み重ねが
必ずいつか実になると信じている
抱えきれない位の大きな実になると




 『ハワイ2015Ⅰ-ⅰ 到着・ハレイワ』 

 
ホノルル到着
飛行機から降りてすぐに風の色が違うのを肌で感じます
このごろは日本以外のアジアの人たちが多く
入国に時間がかかるのが難点ですが
確かに空気は求めていたものです
今回も入国審査でパスポートにスタンプを押してもらうまでに
一時間以上並びました
審査は指紋認証や滞在中の簡単な質問など
ほんの5分位です
ハワイへはESTAと言う「電子渡航認証システム」を
インターネットなどで事前に取って行きます
一度取ると2年間有効です
ESTAを取ると入国審査の時間短縮になると言われていましたが
導入されてからもあまり所要時間は変わっていません
インターネットでカード払いにすれば
14$ですぐ取ることができます
パスポートを用意してESTAを検索して
日本語を選べば英語が達者でなくても簡単に手続きできます
いくつかの質問事項も日本語なので心配ありません
旅行会社などでも取ってくれますが5千円~8千円ほどかかります
インターネットができれば自分で取った方が絶対お得です

3年ほど前までは入国の列はほとんどが日本人でしたが今は違います
アメリカ人には区別がつかないでしょうが
アジア人の私たちは一瞬にしてわかります
日本人がアジアで一番と言っているわけではなく
マナーを守らない他国のアジア人につい目が行ってしまいます
とは言ってもハワイに到着です

いつも列に並んで少しずつ進みながら
ハワイでの数日間のスケジュールを考えます
毎回スケジュールは日本では立てていきません
人に会うなどの事前にコンタクトが必要な場合は別として
楽しみは取っておきたいのかもしれません

今回一日目はハワイへよく行く人なら誰でも知っている
ノースショアの最大の街ハレイワタウンの
マツモトシェイブアイスの社長スタンレーが
宿泊先のホテルまで迎えに来てくれて
ノースショアへ足を向けることになっていました
飛行機の到着が9時25分の予定であったため
余裕をもって11時に待ち合わせをしていました
飛行機はほぼ予定通りに着きました
むしろ早く着いた位です
でも入管では長い長い列が待っていました
連絡をして待ち合わせの時間を11時半にしました
結局12時過ぎにやっとホテルへ着き
スタンを1時間以上待たせてしまいました

スタンとの出会いは偶然
たまたまでした
縁があったのでしょうか
初めて出会ってから毎回ノースショアへ行くと
車でハレイワの行きたい所を回ってくれます
食事を前回は人気のガーリックシュリンプのお店でしました
今回はモヤさまの番組で何回か出ている
海沿いのハレイワ名物の橋
レインボーブリッジの見える人気のレストラン
「ハレイワジョーズ」ヘ連れていってもらいました
たまたま撮影で使われていたビューサイドのテーブルだけが空いていて
景色も一番いい場所に座ることができました
ちなみにレインボーブリッジは通称で色は白です
1921年に建設された歴史のある橋で
正式名はハレイワブリッジ
形が虹のようだから
その名前で呼ばれるようになったと言われています

ランチメニューの中から選んだのはマヒマヒ サンドです
ハワイらしく大ぶりのパンにソテーしたマヒマヒが乗ってきました
他にカルビ肉に甘いソースがかかったものと
海老のフライを頼んでくれました
海老のフライは日本の海老フライトとは味も形も作り方も違い
衣は日本のから揚げ粉のようなものがまぶしてあります
海老の真ん中に包丁を入れて
一匹の身をちぎれないように二股にします
それに衣を付けて揚げてあり
名古屋の「しゃちほこ」のように両側に海老が反って
しっぽをうえにすると「人」の字のようになります
見ていても楽しい形でした
味もハレイワで有名なこってりタイプのシュリンプ料理とは違って
さっぱりしていて美味しかったです
モヤさまやとんねるずの男気の撮影の話や
会って何回目かに名古屋で
スタンとばったり会った話などで盛り上がり
本物の英会話に包まれながら食事を楽しみました

それからどこへ行きたいかと聞かれたので
ウミガメを見に行きたいとお願いしました
お店から数分走ってサンセットビーチパークに到着
「今日はいるかなぁ」と言いながら車を降りて海岸へ向かいました
ウミガメを飼っているわけではないので
わざわざ見に行ってもいない日もあります
芝の広場を歩いて海岸へ出てすぐにウミガメを発見
ウミガメは砂の上で半目を開けてまったりとしていました
ウミガメは保護をされているため
一定の距離以上に近づくことはできません
近寄って写真を撮っているとすぐに英語でまくしたてられ
ウミガメの周りは黄色いロープで囲われます
ここから入っては駄目の印です
幸い2匹の大きなウミガメに会うことができました
浦島太郎の亀がウミガメならば確かに乗ることができます
今回はウミガメの居たポジションが良く結構近くまで近寄れたため
亀の甲羅の模様までしっかりと見ることができました
正真正銘の艶々のべっ甲色
九州の観光地のお土産屋さんでよく見るべっ甲柄です
茶色の濃いところと黄色みがかった茶色のべっ甲色が鮮やかで
模様もとても美しかったです

それから目的地でもあるマツモトシェイブアイスのお店へ
その前にオールドタウンハレイワのお店をぶらぶらと見るために
お店がたくさん集まっている
一番大きなショッピングモールで降ろしてもらいました
白い貝殻を合わせてぶら下げた写真でもよく見るお土産屋さんなど
地元のショップをいくつか廻り
最後にスーパーへ行って生マンゴーを買ってお店へ再度向かいました
生マンゴーは普通のマンゴーの他
「KUMU FARMS MOROKAI HAWAII」という
ハワイブランドのマンゴーが売っています
赤や青の太陽のマークが付いたシールが貼ってあるので
すぐにわかります
ハワイへ行き始めた時
スーパーでマンゴーを買って
ホテルへ帰って食べようと選んでいたところ
白髪の女性が「いつまでハワイにいるの?」 と話しかけてきました
「後5日です」と答えると
「それならばこれくらいにしないといる間に食べられない」と
教えてくれました
私は緑色のまだ残っているきれいなマンゴーを選ぼうとしていました
「これをベランダに置いておいて
もう少し黄色が濃くなったらちょうど食べごろ」とも教えてくれました
それから十数年経ち
お陰様でハワイへ何回も足を向けていますが
必ず一日目か二日目にスーパーへ行き
食べごろ少し前の生マンゴーを買ってベランダに置いて
最終日かその前日の朝にいただきます
値段も日本に比べるとかなりお値打ちです
半値以下だと思います
今回も食べ頃前のマンゴーを買いベランダに置き太陽に当てました
テレビやガイドブックでよく見る景色の中をゆっくり歩き
マツモトシェイブアイスへ到着しました

楽しいこと素晴らしいことがたくさんあり
一日目のハレイワでのお話の後半は次回にいたします
こうして書き綴っているだけでもわくわくしてきます
お楽しみに





ハワイ ノースショア サンセットビーチ&ウミガメ

  MASAYO TACHIKAWA





たくさんの輝く笑顔を見ていると
改めて素晴らしい世界にいることを実感する
もっともっと大きく羽を広げて
自分らしく生きよう

ラッキーが波のように押し寄せてくる
感謝の気持ちで空をも飛べそうな気分に
ずっと続きますように
この時間

波の音を聞きながら
こころでたくさんのことを感じ考える
プラスの波長を長く強く出して生きようと誓う
誰でもなく自分自身に

「今一番行きたい所は」と聞かれたら
ハワイと答えるかもしれない
ハワイに足をしっかり着けている瞬間も
また行きたい大好きなハワイ

ダイヤモンドヘッドの頂上で
素敵な瞬間に出会えた
虹のご褒美が
数分間の贈り物を手に
気持ちが前へと向かっていく

ハノハノルームからワイキキビーチを見た
絵に描いたような一枚の画面に
思わず息を飲んだ
バランスの良い美しい曲線が目の前に

何度もリピートして聴いてみる
ラジオから自分の声が流れる
ほんの小さな自己主張
こんな楽しみが大きな支えに

恵みの雨はこころを豊かにする
この雨を喜ぶか
どう受け取るかは思い方次第
明日も気持ちは変わる
日々はその繰り返し

探していたものが見つかった
何だかいいことがありそうな爽やかな気分にものには思いがある
たくさんの縁にありがとうございます




     『意味のある流れ~ハワイ~』  

 
新学期前の春のお休み
日本人に人気のマレーシアに行く予定でした
それもキャンセル待ちでやっと取れたツアーで
3月上旬の会議の中でたまたま3月下旬の話になり
「えっ?」
自分が居なければならない日と
マレーシアへ行っている日が重なっていたのです
かなり確認をして組んだ旅行の日にちでしたが
新たな流れが出てきていました
その瞬間から頭の中は日程調整へ

今の日程では行けないことを旅行会社にすぐに連絡をしました
でも他の日は飛行機が飛んでいなかったりと
動かすことはできませんでした
ツアーが確定した時点でキャンセルの掛かる日にちでしたが
いつもお願いしている旅行会社だったため
「今回はキャンセル料はいいです」と言っていただけました
本来数日前にカード番号を伝えて
引き落としの手続きも終わっているはずでした
それがその手続きのための旅行会社からの電話が
タイミングの悪い時ばかりに掛かってきていたため
一度も出られずにいました
それでカード決済が伸びていたのです
電話に出られなかったこの時から
今回の行き先の変更は決まっていたのかもしれません
結局行くはずだった数日間の予定は
一日を抜きポッカリと空いてしまいました

予定が空いた次の日
たまたま見たい記事があって朝の早い時間に
中日新聞の朝刊を開きました
開いてすぐに左下の小さな枠の
「ハワイ6日間ワイキキビーチマリオットホテル
ダイヤモンドヘッドオーシャンビュー」の文字が目に入ってきました
入ったと言うよりは飛び込んできた感じです
一枚の写真のようにその一コマが頭にインプットされました
手帳を開いて日にちを何度も確認し
直ぐにその旅行会社に行ける日にちに空席があるかを聞きました
残席は5席でした
飛行機の席が空いていればホテルは何とかなるケースが多いため
まずは第一歩
一緒に行く人に確認のメールを送ったところ
行きたいと一言だけすぐに返事が返ってきました
間を置くことなく旅行会社に連絡をしました
先ほど残席を聞いてからあまり時間は経っていないのに
バタバタした感じで「お待ちください」と電話を保留にされたまま
しばらく待たされました
結局「確認してまた連絡します」の返事でした
こういう返事の時は満席の可能性が高く
危険を感じたため
その返事を待たず
すぐにインターネットから予約をかけました 幸い席は確保でき
折り返しの電話では返事を聞くことなく取れたことを伝えました

その日は学校の春休みに掛かることと
日にちも差し迫っていたこともあり
希望していた日にちは残席を聞いてから直ぐに埋まったようです
同じように予定がはっきりして
いいツアーがあれば行きたいと考えていた人が多かったのでしょう
飛行機も行きは満席でした
電話を保留にされ待たされてから席が確保できた時点で
ハワイから呼ばれているような気がしてきました

出発の日はいつも通り仕事をして
一分をも無駄にしないように帰宅し
用意しておいたスーツケースを車に乗せて自宅を出発しました
セントレアには出発時間の2時間前ピッタリに着きました
セントレアからホノルルへの直行便は
JALとデルタ航空の2便のみです
いつもはマイルを貯めているJALで行っていますが
今回初めてデルタ航空でハワイホノルルへと向かいました
アメリカ系の航空会社は日本の会社と違い
どちらがお客様かわからない対応が今までも多かったので
今回もその点だけ心配をしていました
結局心配した事は全くなく
むしろ座席も広く英語を話す機会が多かっただけで
機内食も温かいものは温かく美味しくて良かったです

セントレアからの往路はデルタの方が早く出発するため
ホノルルにJALより早く着きます
復路はJALより出発が遅いため数時間ハワイに長く居られます
今回最終日の午前中にワイキキビーチで
波と風を最後の最後まで楽しむことができました

ツアーで行く飛行機は
指定でないとJALかデルタいずれかとあった場合
JALの方が人気度が高いためほとんどデルタになります
きっとデルタの方がお値打ちだからでしょう
今回のようにホテルが指定してある場合を除いて
ツアーではデラックスホテルの名前を具体的に数か所上げていても
結局はその上げてあるホテルの中で
一番お値打ちなホテルになることがほとんどです
それは旅行会社がお値打ちな方からホテルを抑えていくからでしょう

今回ハワイへ行くことを決めてワイキキビーチに立つまでは
十数日の短い時間でした
そしていつも以上に意味のあるハワイであったことは
間違いありません
行く前にスピリチュアルな方から「今回のハワイでは雨が降りますよ」
「それは浄化と恵みの意味を持っています」と言われました
その言葉を聞いて私はすぐに
「それならば虹も見られますね」と答えました
ハワイは虹のイメージが高いですが
いつでも見られるようでなかなか見られません
この言葉を聞いてやはり今回の流れは意味があると確信しました

あっという間に決めてあっと言う間に旅立った今回のハワイでした
普段その時間にめくることのない新聞をめくったことから始まり
いやマレーシアに行けなくなったことからでしょう
しっかりと強い力で引っ張っていただいたハワイでした
縁とは正にこのことです

素敵な縁の数々についてはまた書かせていただきます
今でもこころはハワイです
また是非呼んでください
いつでも伺います
そう声を掛けたくなる偶然とは思えない流れでした
今まで行った数十回分の一のハワイでしたが
大きな何かを手に入れた気がします
その答えがもうすぐわかるかもしれません
手に抱えきれないほど大きな意味が
感謝の6日間でした
いつも以上に素晴らしい時間をありがとうございました




ダイヤモンドヘッドの頂上に登った瞬間にみえた虹

  MASAYO TACHIKAWA





笑い声がたくさん聞こえるこの素晴らしい世界で
ひとつでも出来ることを見つけよう
まだまだたくさんあるはず
しなければならないことも

青い海が緩やかな時間を与えてくれる
この空間の何にこころ惹かれるのか
「ありがとう」の言葉しかみつからない
幸せな風の吹く場所

たくさんのメッセージが降ってくる
これからへと続く路に
光の舞が美しい
この中から何を選んでも
ひとつひとつを楽しんでいこう

人生無駄な時間はない
途中経過の中で必ず何かを手にしている
意味のある結果が目の前に
きっとある

ダイヤモンドヘッドを見ながら
「ピンクパレス」カクテルを
時間を気にせず頂く
素晴らしい時が手の届くところに

ここに来るのが旅の目標だった
なぜこの地に足が向くのか未だわからず
ただ大好きな場所があるのは
幸せなこと

夢の中の様な現実が目の前に
英語のシャワーを浴びながら
ダイヤモンドヘッドが夕陽色に染まっていくまた明日会いましょう

花は根っこがなければ育たない
樹も太い根がなければ風で倒れてしまう
人は根っこの代わりの人の支えがあって
しっかり立っていられる
自分ひとりではない毎日

桜の花びらが花絨毯を作って迎えてくれている
時間を味わって過ごせる春の時
ゆっくり風を感じながら
ご褒美をありがとうございます
来年また会いましょう




『新学期』   

 
いよいよ新学期のはじまりです
桜の花も新学期をお祝いするかのように
一輪一輪がキラキラと輝き
嬉しそうに咲いています
日本は4月が新しい学年の始まりなので
桜の花とは深い縁でつながっています
春の心地良い風の中で
学校ではたくさんの親子の笑顔が校庭の桜とともに花を開かせています
見ているだけで幸せな気持ちになれます

先日行ったハワイはアメリカなので9月が新学期です
ハワイでは9月の新学期に向けて6月から3か月間の休みがあります
3か月の長さに疑問の声もあると聞いていたので
今回改めて聞いてみました
やはりそのような意見が多く
「イヤー・ラウンド・システム」という学校制度を
新たに取り入れたそうです
今までは6月に学年が終了して9月に新学期を迎えていました
その9月を待たずに7月末や8月を新学期の始まりにする制度です
長すぎる休みは学業にも支障をきたします
それを危惧したシステムです
お休みは新学期の準備と暑い寒いなどの気候によって
学業を妨げないためにあるものです
3か月もあるといいこともあるでしょうが
学習面で中弛みになってしまうことが一番心配されます
ハワイは一年中気温が高目で安定し
日本と比べても過ごしやすいところです
以前その長い休みは先生のためあるのだと聞いたことがあります
理由は金銭的なことだったと記憶しています
これも真意はわかりませんが
学校は学習をするためだけに行く所ではないので 
このシステムの導入はいい流れを作っていくと思います
ただまだまだ各学校の判断のもとで動いているため強制力はなく
新学期の始まるころになると親同志が
「おたくはいつ始まり?」という会話が飛び交うそうです

日本では数年前東京大学の学長が
先生方に報告する前に
新聞で「本校は9月入学の方向で進めていく」
と発表をしました
その瞬間から内部で猛反撃が始まり
結局進むことなくあっという間にその話は聞かなくなりました
そうでもしないと実現しないと考えたのでしょうか
一般的にこのやり方は逆効果であることはわかる気がしますが

東大がアメリカなど9月始まりの多くの国に合わせて
日本の学校制度改革の先駆者となることは
いいことではあると思いますが
長い歴史の流れを変えるのは大変なことです
慎重論は慎重派なりの意見があり
日本での現実的な部分をとことん話し合って進めるべきですね
4月入学で困っている人はまだわずかでしょうから
世界に羽ばたく高度な人材を引き入れ
またそういう日本の大切な宝物である子どもたちを
世界に送り出しやすくするためにも
これからは必要なことでしょう
基本は4月入学で
9月入学も可能という形にしていくのがいいかもしれません
しかし現実はまだまだ難しそうです
今は5年後を目指して9月の秋入学を前向きに検討しているそうです

この時期お店には可愛らしいおしゃれなフォーマルウエアが並びます
着るのはたった一日だけのことですが
私服での入学式は多くが小学校の一回だけなので
親心としてついつい気合が入ります
売れ行きも順調なようです
フォーマルウエアや中学や高校の制服など
真新しい衣装を着て
校門に立て掛けてある「入学式」の立て看板の横で
笑顔の親子が写真に納まる姿を見ると
「共にしっかり前を向いて頑張って」と声を掛けたくなります
頑張るのは子どもだけではなく親も一緒です
お互いたくさん話しをして一緒に悩んで
一緒に成長していくのが一番だと思います
毎日子どもたちと接していて
今は「親はなくとも子は育つ」の時代では
なくなっているように日々感じています

新学期は桜の開花と比例するように
精神面でも新たな道へ進む準備をします
ワクワク感以上にドキドキ感が膨らみます
新学年に向けては
クラス替えで誰と一緒になるかでその一年が決まるため
自分にとって「いい人」と同じクラスになれるよう祈ります
祈りが通じる時と通じない時がありますが
それもまた人生です
小学校中学校高校と今までに
「一番楽しかった学年は」と聞かれればすぐに答えられます
何かあった時こそ記憶にはっきりと刻まれ
12年間の一年一年は大切な人生の基盤となっていきます

学校での生活に限らず
人にはもちろん相性が合う人と合わない人がいます
同じことをしても喜ばれ受け入れられる場合と逆の場合があります
自分に思わぬことをしてくる人には特に
拒否の気持ちを表わしてしまいますが
できればそうしたくありません
それをすることなく切り抜ける方法として
「ありがとう成長する機会を与えてくれて」
と逆に声には出さず相手に対し心の中で唱えることも
うまく進むようにしていく手段です
嫌だという思いはそのままの形で自分に返ってきますから

「ホ・オポノポノ」の言葉もそのひとつです
ホオポノポノとはハワイ語のスピリチュアルな言葉です
「ありがとう」「ごめんなさい」「許してください」
そして「愛しています」の意味で
なかなか思うようにならない人に心からできることではありませんが
初めは口だけでもいいので
呪文のように相手にこの言葉を贈るのもひとつの手です
そうした流れの中で意識が変わってきたならば
今度は心から贈ればいいのです

宿命は変えられませんが運命は変えられるといいます
新学期は自分の気持ちを切り替えて新たな道に進むときです
変えるもよし変えぬもよし
チャンス到来のときを逃さぬよう
時には様子を見るために両目をしっかり開いて立ち止まり
前を向いて進んで行きたいと思います
与えられた事に時に感謝をして

常にワクワクしながら進むときっと輝く光が見えてきます
楽しみな一年になりそうです





名古屋ウィメンズマラソン ヴィクトリアブーケ

  MASAYO TACHIKAWA





夢の波音は
心の支えとなって守ってくれる
現実は大きなカとなり
心の乱れを正してくれる
生きることは素晴らしい

どれだけこの時間を望んだことだろう
目標でもあった現実が目の前に
感謝の他ならない
後押しがはっきりと現実に

夢にまで見るほど
憧れの大好きな空間
感動でこころが震える
柔らかくて温かい
春風のような
素敵な場所に出会えて幸せです

ずっと見たいと思っていた夜景
オレンジと白の煌めきの中
風が生きている
眩い輝きが大切な何かを伝えてくれる

正に星の数ほどの夜空の星たち
名前は一つもわからない
ひと際輝いている星に一瞬目が行く
それぞれがそれぞれで
競っている星などない
ひとつひとつがとても美しい

ハワイの歴史を聞いた
誰も知らない所で多くの事が起きて
行くべき道を進んでいた
時は止まらない
自分自身も歴史のひとつ
悔いのないように

目を開けたら写真で見るいつもの景色
日ごろは動かない世界が
流れる白い波とともに
目の中に飛び込んでくる
夢ではと疑いたくなるくらい感動の場所

このサウンドは
何かを手に入れた人へのご褒美
繰り返し止まることのない贅沢な時間が
少しでも長く続きますように
これからもずっと繋いでいこう

気付けば
いつの間にか周りに
人徳の高い人がたくさんいてくださる
そしてともに笑っている
これもすべて導きをいただいて
ありがとうございます




『桜』   

 
桜の季節が来ました
桜の言葉だけでこころが温かくなるのは
日本人の遺伝子を持っているからかもしれません
桜の文字が付く単語や言葉は数々あります
桜餅、桜湯、桜色、桜並木、桜吹雪などなど
これらの言葉を聞くと
雲一つない青空が一緒に浮かぶのは私だけでしょうか

桜を題材にした歌は多くあります
一番初めに浮かぶのは森山直太朗さんの「さくら」
この曲が出る前は福山雅治さんの「桜坂」が一番でした
桜坂の名がつく坂は
福山さんが東京に出てきて住んでいた所の近くに本当にありました
この曲がヒットしてからは毎年その場所に多くの人が訪れます
福山さんはこの坂の存在を知っていて
いつか曲にしようと思っていたそうです
桜坂は作られてすぐ世に出たわけではなく
福山さんの手元で温められていたものが
「未来日記」のテーマソングとして使われ
日に日に大きくなっていったとラジオで福山さんが言っていました

嵐の「サクラ咲ケ」も元気になる曲です
「桜咲け僕の胸の中に芽生えた名もなき夢たち
振り向くな後ろには明日はないから前を向け」
人生この通りです
後ろを向いても明日など少しもありません
とは言ってもすぐに過去や過ぎてきたことを考えて
気持ちが後ろ向きになってしまうのは人の常です
そんな時はこの曲を聴くと
その通りだと思い自分の気持ちを前へと持って行けます
過去に未来はないのですから
「未来なんてさすぐに変わる変えてみせる」
強気の言葉です
そんな簡単に変えられるものなら
「とっくに変えている」の声が聞こえてきそうですが
この強い意志こそが
支えとなって貫こうとするこころを後押ししてくれます
変えられないと思っていたら変えられません
変えるのも変えない方向に持っていくのも自分次第ですから
変えてみせる負けるものかの強い気持ちで
負けないのは他人にではなく自分にです

桜の原産地は日本ではなくヒマラヤ近郊と言われています
桜や菊は日本とは切っても切れない縁のある木であり花です
桜はバラ科で
花と葉っぱは塩漬けにして香りとともに楽しみます
入学式や卒業式など御呼ばれで学校へ伺うと桜湯が振る舞われます
お祝いの和菓子と桜湯
いよいよ新しい第一歩の始まりだと伝えてくれています
器の中で開いた一輪の花も美しいものです

一般的に桜と言うとソメイヨシノのことが多いですが
染井吉野とも書くため
お花見の人気スポットでもある吉野と関わりがあるのかと思われがちです
実は全く関係がなく
ソメイヨシノは江戸時代に染井村の植木屋さんが
吉野山の桜のブランド力を借りて染井吉野として売り出したそうです
その方は今雲の上から「しめしめ」と笑っているでしょうね

桜が日本の花と言われるようになったのは平安時代です
桜の開花が新学期の始まる4月でもあるため
学校の校庭に多く植えられました
今は敷地の広さや
生長するとかなり大きくなってしまうこと
毛虫が付き易く消毒が必要であることなど
お手入れの面も考えて
新たに桜を植える学校は少なくなっています
ただ人生の転機に関わりがある花だということには変わりありません
桜を日本の国花と思い込んでいる人も多いでしょう

八重桜は色も鮮やかで
ちょうどソメイヨシノが終わったころに咲き始めるので
趣も変わって見応えもあり素敵です
色が鮮やかで小学生の時に作った紙の花のようにも見えてきます
10枚以上の花びらを付けるものを八重桜と言います
現在桜は600種類以上の品種があり
河津桜やあたみ桜など地名の付いた桜もたくさんあります
河津桜はソメイヨシノよりも早咲きで
春を待ちわびる人たちに
「春はもうすぐだよ」と伝えてくれているようです
ピンクの色も濃く桃の花の色にも近い色です

中部地方には岐阜県に淡墨桜とういう
樹齢1100年余のエドヒガンザクラの古木があります
時期になると日本中から多くの人が集まり
なかなか近づけない国の天然記念物です
私も夏の淡墨桜しか見たことはありません
蕾の時には薄いピンク色
満開の時は白色
散り際になると独特の淡墨色になり
これがこの桜の名前の由来になったと言われています
毎年淡墨桜が咲き始めるとニュースで流れるので
しばらくはテレビ越しに見ていたいと思います

桜は目とともにこころをも和ませてくれます
咲いて散るまでの時間も短く
寒い冬も暑い夏も耐えて春に咲く花々
満開に咲いている花を見ると今年度も頑張ろうと思います
生き生きとした顔で入ってくる新入生の笑顔が桜色に輝き
ずっと曇らないようにと毎年願っています
桜は日本人にとって大切な存在です
今年はどこの桜を楽しみましょう
私はまず名古屋城の桜からでしょうか
京都の哲学の道の桜も以前見ましたが圧巻でした
桜はこうして思っているだけで幸せな気分にしてくれます
毎年ありがとう
今年も力をたっぷりいただきます





青空とあたみ桜

  MASAYO TACHIKAWA





花の香りとともに
幸せ便りがすぐ近くに来ている
こころの中にスッと入り支えてくれる
桜ソングがラジオから流れ
春はすぐそこに

「お帰りなさい」と
誰かが迎えてくれる場所があること
「ただいま」と
当たり前のように声を掛けてくれる人がいること
必然の毎日が嬉しい

今日のBGMは波の音
夢に見た空間にいる
この景色この空気
目標だった場所のひとつにいられる幸せ
願いは叶うと信じてる
これからも

抱えきれないほど大きな思いで
あなたを支えたいと思ってる
ずっと
でも今は私がしてもらう番
持ちつ持たれつの距離で
長く一緒にいたい人

頭の上をすり抜けていく
言葉だけが独り歩きをしている
必ず通じると信じて思いを伝えよう
末永くお付き合いがしたいから

未熟は未熟なりにがんばれば通じる
これからもっと大きく育っていく楽しみがある
伸び代を広くして大切に
自分の気持ちに真っ直ぐと

何かを得ることができれば
日々の大変さは大したことはない
選ばれた時間だけが大きくなって過ぎていく 追いつけるように

自分の本来の場所に帰って来た気がする
この空気も風も色も
すっと肌に馴染んで迎えてくれる
不思議な感覚がする空間

素晴らしいあなたとの一コマ
一生見ることなどないと思っていたあなたの涙
この光る一粒も
これからの支えとなりそうです




『卒業 2015』   

 
卒業の季節です
これまで何回卒業式に出てきたでしょう
感動の空間に毎年参加権のある仕事に付けて幸せだと思っています
縁あって入学し
共に数年間楽しいこともそうでないことも
一緒に時を過ごしてきた彼らと
当たり前のように過ごせる時間はこの日からあえて作らないと持てなくなります
正に旅立ちのときです

卒業式のBGMもたくさん聴いてきました
今でもつい込み上げてくる曲は「贈る言葉」です
この曲の流れていたドラマは見ていませんでしたが
不動の一番人気となり今までに数えきれないくらい歌い聞いてきました
今は卒業ソングの数も増えました

レミオロメンの「3月9日」
『瞳を閉じればあなたが
まぶたのうらにいることでしょう
どれほど強くなれたでしょう
あなたにとって私もそうでありたい』
他人を思いやる気持ちは頭で考えて作り出していくものではなく
両親をはじめたくさんの人に愛されていく中で
自然と培っていくものです
与えられるばかりでなく自分も微力ながら与える存在になりたい
そんなこころの声が聞こえてきます
『新たな世界の入口に立ち
気づいたことは一人じゃないってこと』
新しい道に進み
見えない先は不安だけれど
決して一人で生きているのではなく
近くで支えてくれる人がいて
いつでも守り助けてくれる
そんな歌詞にもこころが動きます

中学校の先生方が作られた「旅立ちの日に」も外せません
合唱曲としても人気です
『自由に駆ける鳥よ
ふり返ることもせず
勇気を翼にこめて希望の風にのり
この広い大空に夢をたくして』
ふり返ることもせずとは
子どもの頃のまま甘えてばかりではなく
真っ直ぐ前を向いて
自分の足で立って夢を持って飛び立ちなさいと
言葉で背中を押しています
『飛び立とう未来を信じて』
未来を信じることは生きる上でとても大切なことです
それは子どもたちだけでなく
私たち大人も同じことです
『この広い この広い 大空に』
確かに世界は大空のようにとても広いのです
小さく生きるのはもったいない
そして世界は広い
自分の周りの小さな世界だけが世界ではないと信じることです

森山直太朗の「さくら」
彼の透き通った歌声と優しいピンク色の桜の花びらがリンクする名曲です
彼のさくらを聴くと五分咲きや八分咲きの桜ではなく
満開になって見ている人を楽しませようと
木から離れひらひらと舞い散る一枚一枚の花びらが浮かびます
その花びらは決して自己主張をすることなく
「元気でね また来年」と優しく微笑んでいる気さえします
『どんなに苦しい時も君は笑っているから
挫けそうになっても頑張れる気がしたよ』
人からの支えがあっての今の自分であることを言葉にしています
学生の頃は自分ひとりで頑張っている気でいました
決してそうではないことは世間に出ればわかります
挫けそうになると助けてくれる人がいることはこの上ない幸せです
当たり前と思わず日々送ることが恩返しのひとつだと思っています
『さくらさくら今咲き誇る
刹那に散りゆく運命と知って』
お花は毎年目覚まし時計も教えてくれる人もいないのに忘れず美しい花を咲かせます
桜はたった一週間から10日間のために
雪の降る寒い日もカラカラの暑い日も
文句を言わず一年間耐えて春には素晴らしい花を咲かせます
人間ならば愚痴ひとつでも言っているでしょう
「暑い」「寒い」「雨やまないかな」などと
耐えた時間があっての美しいお花です
お花も手を掛ければ掛けただけ応えてくれます
ただ人間もお花も手を掛け過ぎると根腐れなどをして枯れてしまいます
どちらもほどほどにが味噌です
人もお花も個性を見極め個々の持ち味を引き出すことは
親であったり育てる側の大切な役目だと子どもたちやお花を見ていて思います
『さくら さくら ただ舞い落ちる
いつか生まれ変わると信じ』
そう桜の花も散って来年咲く時を待って焦らず過ごします
人も命ある限り美しい花を咲かせられるはずです
信じて先へ

ゆずの「栄光の架橋」は自分のベストソングのひとつでもあります
親しくさせていただいているオリンピック選手の監督さんと初めてお会いしたとき
講演会の舞台出のBGMがこの曲でした
人気の金メダリストの監督さんなので
皆さんは「監督」と呼びますが
私は先生をしてみえた時にお会いしたので
その頃からずっと「先生」と呼ばせていただいています
この曲の歌詞のすべてが好きですが
特に『いくつもの日々を越えて
辿り着いた今がある
だからもう迷わずに進めばいい』
どんな時も前を向いて乗り越えてきたから今がある
自分の人生は自分のもの
後悔することがあっても立ち止まることもなく自分の足で確実に進んできたのだから
このまま自分らしく進めばいい
歌詞の中に『何度も何度も諦めかけた』とありますが
私は諦めることはしないと自分に言い聞かせて来ました
やらずして諦めたことに後悔すると毎回思うからです
自分に負けそうになって挫けそうになったことも何度もありますが
その時は必ず誰かが手を差し伸べ助けてくれました
感謝に感謝を重ねた人生です

今卒業ソングの歌詞を改めて見ていて思いました
誰もがたくさんの人に出来事に守られて時を繰り返しています
そんな日々がどれだけ幸せかと
卒業ソングも人生の後押しのひとつです
ますます力が湧いてきました
卒業される皆さん
「御卒業おめでとうございます」
輝かしい明日に向かって突き進んでいってください





卒業を迎える方へ花束を贈ります

  MASAYO TACHIKAWA





信念を持って生きている人は
神様のアンテナに引っかかり
願い事への道が近くなる
導かれ手助けを
叶えられると強く願って先へ先へと

たった数秒のタイミングがことを左右する
同じレールの上を進んでいても
走るとき歩くとき
そして立ち止まるときを
澄んだ感覚で見極めて

縁がある人とは必ずまたどこかで出会う
そして大切な人とはより深く
思いが通じ支えとなる
そんな人を見逃さないよう
見逃されないように
両目を大きく開いていこう

誰にでも優しくできる人は
どう生きて育ってきたのだろう
元々魂が違うのか
努力で作り出したものか
結論は出ないけれど
そういう人のお傍にいたい

自己分析をして己を改革していく
そうでなければいつまでも修行が続く
身にはなるけれど
私はただの人間だから
早々に切り上げたい気持ちもある

確実に試されていると思うときがある
一番勝負のような
自分らしさを取り戻し
負けるものかと拳を上げて精一杯挑む
そうすれば必ずご褒美が待っている

日々の挑戦は
自分のためだけにしていることではない
どうしてこんなに頑張ってしまうのかと
ふと思うことがある
守っていてくれるすべての人に恩返しをと
こころのどこかで常に思っている
その気持ちがそうさせる

お気に入りの場所へ足を向ける
ハワイへも旅行に行く感覚なしでホノルル空港へ
必ず何か得られる素晴らしい場所
引かれるように予約して
家へ帰るような感覚で

会いたいと思った人と会えたり
お花がお水を欲しがっている気がしたり
これは皆偶然なのに
小さなことひとつひとつのすべてが
ありがたく
こころにすっと溶けていく




『台湾Ⅱ 2015』 

 
春節前の台湾へ行った前回の続きのお話です
台湾で必ず行きたいところはツアーで行ってもMRTに乗って行っても
目的地は一緒なので
観光バスでその場所へ連れて行ってくれる
一日観光ツアーにいつも参加します
ツアーは移動も乗っているだけで楽なことと
ガイドさんがその所々の歴史や出来事の説明をしてくれるという大きな利点があります
今回も行天宮、中正紀念堂、忠烈祠、世界五大博物館である故宮博物院へ行きました
故宮博物院は相変わらず混んでいました
故宮の三大至宝は翠玉白菜、肉形石、毛公鼎です
シンボルである奇跡の翡翠の白菜を見る列は今回いつもよりも早く流れていました
なぜか早いのか理由が白菜の前に行ってすぐわかりました
今までは白菜の前で立ち止まって見ることができましたが
今回は立ち止まって見ることはできず
流れるまま立ち止まらず見なければなりません
少しでも止まってじっくりと見ようとすると警備のお姉様が台湾語で追い立ててきます
それでも動かない人がいると言葉は英語に変わり
後ろから押されているような感じでじっくりと観賞はできませんでした
白菜には子孫繁栄を意味するキリギリスとイナゴが乗っています
この二匹には以前は立派な触角がありました
しかし今はありません
触角が折れてなくなったことを故宮はしばらく公表をしていませんでした
しかし日本人の学者が指摘をして
何回目かでやっとそれを認めたそうです
理由は聞くところによると作品を移動しているときにうっかり折ってしまったようで
気づいたらなかったという話です
日本では考えられない仰天話です
二つ目の名物である豚の角煮のような肉形石
皮や脂身、赤身はもちろんのこと毛穴さえもリアルです
一度本物を見ると納得ができると思います
結局流れが速くじっくり見られなかったため2周して2回観ました
何度見ても色も形も2点共とても美しいです
その後一本の象牙を用いて繋ぎ目なしで彫られた球の中に21層の球がある九層象牙球
それをじっくり見ました
中の一つ一つは回転もするそうです
何度見ても不思議な造りです
これらの至宝は作り終えると他の国にこの技術を盗まれないために
作者は処刑されていたと言います
それを聞いたとき国が守るべきものは何だろうと考えさせられました

中正紀念堂、忠烈祠では一日に数回一時間ごとに衛兵交代があります
この二か所の衛兵さん達は超エリート集団で
合格するまでには家族や親戚のことなど隅々調べられます
身長・体重・学歴など多くの条件があるのはもちろんのことです
ここに立つ衛兵さんに選ばれることは親や親戚中の大きな誇りなのです
まばたきをしないようにも訓練されているそうです
特に忠烈祠は外のため過酷です
暑かろうが寒かろうが痒かろうが次の交代まで一切動くことはできません
冬はまだいいでしょうが夏は直接陽も当たり顔から汗がしたたり落ちています
立ってから交代まで何を考えているのでしょう
たぶん考えると身体がぶれるので
座禅のようにこころを無の状態にしているのだと思います
忠烈祠はかつて日本の護国神社があった場所にあります
交代の時の鍛えられた一糸乱れぬ衛兵さんたちの動きにも感動します

中正紀念堂では蒋介石の像の大きさにまずは驚かされます
ここでの衛兵交代は忠烈祠よりも衛兵さんにとっては距離も短く室内なため
かなり楽だと思います
紀念堂が建っている自由広場には
横幅1メートル少々長さ数十メートルに足つぼ用の黒い石が敷き詰めてあります
日本人で痛みを感じることなく端から端まで行ける人は多分ほとんどいないでしょう
慣れていないこともあり最後までたどり着けない人の方が多いと思います
毎日この上を歩くと健康になっていいですが
立っただけで痛くてやめる人もいます

ツアーが終わってからは高さ世界第二位の台北101の中にあるレストランへ行きました
101建設後数年間は世界第一位の高さでした
ドバイのブルジュハリファが建ってからはその世界一の座を明け渡しました
ブルジュとはアラビア語で塔の意味です
ちなみにブルジュハリファは
当初はブルジュドバイ、ドバイタワーの名前になる予定でしたが
建設途中で資金繰りがうまくいかなくなりこの資金援助をしたアブダビの首長の名前が
急遽付くことになったそうです
今回行った101のお店はお花屋さんとレストランが一緒になっていて
観光客はほとんどいません
席数も少ないことと101のビジネスタワーの中にあって
セキュリティーも厳しく完全予約制です
入る時も入るためのカードを発行してもらいます
日本語は全く通じません
台湾語か英語のみです
その分台湾にいる感じがして日本人もいなくて静かでお勧めです
35階からの夜景を見ながらゆっくり時間を掛けてフルコースをいただきました
夜景も春節のために赤色に輝かせているビルが多く一段ときれいでした

3日目最終日はいつも行く行天宮近くの占いに行きました
人気の占い師さんは予約をしていった方が無難です
今回も日本からメールで予約をして伺いました
日本ではあまり良くないことはストレートには言いませんが
台湾は占いや風水を重んじる国なので包み隠したりはしません
ズバリ言われます
行天宮で引いたおみくじも見ていただきましたが言われたことと一緒の結果でした
これからが楽しみです

復路の台北から桃園国際空港までは路線バスで渋滞がなければ40分位です
真っ赤な圓山ホテルを横に見ながら高速道路を走ります
圓山ホテルも最近塗り直しをしたようで赤色が今まで以上に映えていました
空港もたくさんのショップがあり待ち時間を長く感じることなく楽しく見て回れます

今回は3日間毎日マッサージへ行きました
一日目は足つぼと全身マッサージ
二日目は全身リンパマッサージ
三日目は足つぼマッサージ
足つぼはあまり痛くありませんでしたが肩や予想していなかった箇所が思った以上に痛く
テレビで見るように叫びたくなりました
3日ともガイドブックなどを見て違うお店に行きましたが
いずれも親切で一生懸命施術をしてくださいました

台湾マッサージで体も楽になりましたが
台湾の方々の親切で心も軽くなりました
縁あって導かれるように行った台湾
行ったらまた同じようなコースで回るでしょう
台湾は日本人に今とても人気があります
一番人気の九?へは今回行きませんでしたが夜の九?にもまた行きたいと思っていま
す 次回も人の優しさをたっぷり受けながら楽しみたいと思います
出逢ったみなさんありがとうございました
人の温かさとそしてたくさんの美味しいものと出会いに
みなさんも是非台湾へいらしてください
もし困ったことがあったとしても誰もが手を差し伸べ助けてくださると思います
3時間半で行ける近くて素敵なところです



 


自由広場 足つぼマッサージ用敷き石

  MASAYO TACHIKAWA





流れが良かったり素敵な人に偶然出会うと
道が開けて行く音が聞こえる
小さなきっかけも見逃さないように
両手を広げ全身で受け止めたい

今日は大吉
そう思っただけで心は晴れ晴れ
それだけで明るい一日が過ごせる
人はいかに気持ちの持ちようかと
いつも思う

自分を守ることだけにカを入れて生きるのではなく
誰かのために過ごす時間を持つこと
人から必要とされると
より強く大きな器となっていく

目には目をと言っていると
要らない時間が増えいく
目にはゆとりと唇には温かさを
そう思って生きていれば
流れが自分に向いて手助けをしてくれる

感謝の気持ちが薄れかけているとふと気づくいつも誰かのお蔭で優しくなれていると
自分の力だけでは
決してそうはなれない

忙しすぎる毎日
息つく間もない
時間を有意義に使って生きている証
蒔いた種はしっかり育ってくれているから

足りないものは何かを考えたとき
それは穏やかさかもしれないと思う時が
気持ちにゆとりがないと
周りにこころが行き届かない
ゆったりとリラックス

自分自分と思っていると
自分の気持ちだけが重くなって前を向けなくなる
物事の本当の意味を知らずにいるのはもったいない
これからのためにも

歩いたことのない道で
遠い昔を思い出すような場面に出逢った
何だかとても懐かしい気がした
これも先行くためのお知らせかと
そんな気がする温かい出来事が




『台湾Ⅰ 2015』 

 
旧正月の台湾へ足を向けました
台湾は2月19日が春節で18日が日本でいう大晦日です
今は街中新年を祝う飾りで赤色に囲まれています
台湾へは人も温かく居心地がいいので何度か行っていますが
今回はJALのマイルの有効期限が来てしまうため
3日間ほどで行って帰ることができ
行きたい所はどこかと考えたところ
初めは韓国のソウルか釜山でした
そうこうしている間にソウルで日本人の新聞記者が書いた記事に反発して
一部の人が車に卵を投げ付けたニュースがテレビから流れてきました
一瞬にしてソウルは候補から消え
今の時期ソウルは寒いと後付けの言葉が浮かびました
台湾は昨年行ってまだ一年経っていなかったため
最初から候補として外れていたのですが
その時行った景色を思い浮かべたとき
楽しんでいる自分の姿だけが浮かんだため即決しました
ここで気持ちは一気に台湾へと傾き
自分のスケジュールを見つめながら飛行機の空いている日を検索開始
2月中3日間でそこだけが取れました
それから何か月か経った日
その日が行けなくなりました
まだ行けるかもと期待があったためすぐには変更しませんでした
でも行ける日の便が全くなくなったらこれまたもっと困ると
変更可能な日の問い合わせをしました
今回行った予定より一か月ほど早い日の便だけが往復空いていました
3日間で土日を挟んでというとこの日だけだったのです
もう少し遅い日の便が良かったのですがこの日しかないということで変更をしました
新しい便に変更した次の日
何と初め行くはずだった予定の日の用事がなくなってしまったのです
すぐに予定を当初に戻そうと問い合わせてみましたがすでに空いていませんでした
そして不思議なことが起こりました
初め予定していた2月の出発日に
大切な動かせない用事が入っていたのです
数日後にこの日の大事な予定を聞いて「神様」と瞬間に手を合わせました
結果的に日にちの移動は100点でした
これもご褒美だったのかと感謝でいっぱいです

旧正月前のため
いつもお願いするホテルも満室かと思いましたが取ってもらえました
しかしいつもよりかなり高額だったため
お願いしていただいた台湾の方に謝ってこのホテルはキャンセルをしていただきました
それから家に帰ってからは数日間
Booking.com・HIS・楽天などのホームページとにらめっこです
にらめっこし続けて台湾で一番好きな地区
行天宮近くのホテルを予約しました
これがまた大当たり
老舗のホテルでしたが数年前に部屋の改装をしたのでしょう部屋はきれいでした
おまけに行った日の日本語が話せる女性のスタッフさんがとても親切で
行きたいところを言ったら全部電話で問い合わせをして予約までしてくださいました
朝食も気が利いていて美味しかったです
これからは定宿にしたいと思っています

今回一日目に以前から行こうと思っていた龍山寺に行きました
その前に日本でも有名な小龍包の鼎泰豐へ夕食の混む時間の前に行き食事をしました
予約ができないお店なので整理券をもらって順番待ちです
ここでの小龍包の食べ方は
まずレンゲの上に小龍包を乗せて皮を少しだけ破ってスープを出しそれを飲みます
その後刻んだ生姜に醤油を掛けたものを乗せていただきます
今までもこんなに美味しかったのかと改めて思いました
胡麻餡の饅頭も頼みましたがこれまたホカホカで熱くて美味しかったです

鼎泰豐の後
台湾名物のマンゴーかき氷を食べました
山盛りで量が多いことと風があって少し寒かったこともあって食べきれませんでした
すっかり体は冷えてしまいました
その後頼まれていたお茶のポットを買うためにすぐ近くのお茶屋さんへ行き
震えていたら「氷食べたの?寒いでしょう」と言って
美味しいお茶を入れてくださいました
紅茶と言ってみえましたがお砂糖が入っていないのに甘くて香りが高くて美味でした
それから20台湾ドルでMRTに乗って龍山寺駅へ向かいました
土曜日だったからでしょうかお寺がどこにあるのかわからない位
駅の外は人で溢れかえっていました
たぶん配給だろうと思われる長い人の列もできていました
お店の人にお寺はどこか英語で聞きましたが首を傾げられたので地図を見せて再度お寺はどこかと聞きました
笑って日本語で言うと「あーあー」と言いながらすぐに指で「あっち」と教えてくれました
人の波を潜ってすぐに着きました
台湾のお寺は入口の門に電光掲示板がありカラフルな文字がずっと流れています
その流れている文字はお寺の名前や行われる行事のお知らせなどです
日本では考えられない違和感のある光景
夜の飲食店の華やかな看板のようです
初めて見た時はびっくりしました
龍山寺は台北では一番愛されているパワースポットです
日が暮れる寸前に着いたためほんのり明るい景色と暗くなってからの幻想的な景色と
両方を見ることができました
来て良かった
まずそう思いました
ここも旧正月前で賑わっていました
お礼の花篭がたくさんお供えしてあります
さっそくお賽銭の代わりであるお線香を購入しました約40円です
たくさんの神様が同じ敷地内に祭られていてお願いする内容も違います
龍山寺で筆頭に上げられる神様が月下老人
縁結びの神様で赤い半月状の占いの駒を二つ同時に投げて裏と表が出ればその願いはOK
両方裏だったり表だったりするとNOなのでその願いを今は諦める
ひとつの願いにつき3回まで投げられます
私は自分のことを含め3つお聞きしてみました
何と3つとも一回目で表と裏が出ました
OKと出たら月下老人の前に置いてある箱から赤い糸をいただきます
ありがたくいただいてきました
お寺の中では信者さんが熱いお茶を配っていました
私もいただいてみました
一口飲んでエッと喉を通る前に口の中でお茶は止まってしいました
予測していなかった味だったからです
甘茶に生姜を入れたような味
それも生姜だろう味がかなり強かったのです
喉に辛味がしっかりと沁み渡り
からだには良さそうだったのでゆっくりいただきました
そうこうしている間に暗くなり
お寺の中はたくさんのライトでキラキラと光り輝いていました
日本とは違う長くて幅のある竹のおみくじを引いて 
日本語も話せるおみくじの解説をしてくださる人の所に並んで見てもらいました
当っていました
何人もの日本人が見てもらっていましたが皆当っているようでした
言葉にはできないいい空間でした
その後たくさんある夜市の中で一番大きくて有名な士林夜市へ行きました
人がいっぱいでなかなか前へ進めないため人を避けようと一本道を反れたら迷子になり
行きたい方向がどちらかわからなくなってしまいました
流れるままにと思いながら途中で屋台の肉まんを買って食べながら駅へ向かいました
台湾は食事も美味しく日本人に合っています
親日家が多く誰もがとても親切です
縁をいただいた三日間
次回は今回の二日目からを書きます
是非続きをご覧ください
出逢ったみなさんたくさん助けてくださってありがとうございました
そんな感謝の気持ちで今も心がほくほくしています




 


台湾 龍山寺

  MASAYO TACHIKAWA





広い世界に目を向けて進んでいれば
流れる一秒さえも無駄にならない
人生後悔をしないように
意味を持って生きたい

どんなに人気が出ても努力を惜しまない人
それがまたカとなって形になる
そして明るいときを引き付ける
そんな人に近づけるよう
日々前を向いて

あったらいいな
どこでもドア
一番に行きたい所は決まっている
即答出来る場所があることは幸せ
あなたはどこへ行きたいですか

山茶花の白い花が造花のように風に吹かれ
木に寄り添い咲いている
何の打算もなく楚々と
誰が見ても美しいと感じる風景

素敵な人と目が合った
数秒時間が止まった気さえする
生き方の素晴らしい人は輝いて見える
空気の流れさえも変えてしまう人

なぜ起こっているのか
わからずのまま過ごしてきたことも多い
明るく笑って元気で
まずはそれでいい
そしてたまには我が道に立って再確認を

語呂のいいナンバーの車の後ろにつくと
今日はいい日だと思う
幸せを手に入れたように
ちょっとしたことで
人は自らの心を支えている

どんな人をも愛せるカがあれば
生きることも楽なのに
できない自分を抱きしめたくなる
優しさだけでなく何を手にすれば
じっくり考えてみる日も必要

やりたい事がたくさんあり過ぎて
優先順位模索中
目の前をこなして過ごすのも
今はいいかも
今だけは




 『守るもの』 

 
今年縁あって成人式に参加をさせていただきました
会場の扉が開いて
振袖の初々しいお姫様とピカピカのスーツの王子様たちが
仲の良かった友達と笑顔で話しながら
空いている席を目指します

着飾った乙女たちは歩き慣れない内股で 草履の独特な音を立てながら上品に歩き
いくつかの動く絵巻物を見ているようでした
振袖の色で一番人気は赤色
そしてピンク色
あとは年によって流行の色が違うそうです
20歳のころは
成人式で振袖を親に作ってもらうのが当たり前だと思っていました
言葉を換えれば親が娘に振袖を新しく仕立てるのは
七五三の晴れ着と同じく
子どもが育っていく過程のお祝いのひとつで
親の役目とさえ思っていたかもしれません

振袖も今は新しく作るのではなく結婚式のドレスや打掛のように
レンタルが多くなってきています
買っても元が取れるほど何回も着ませんし
保存するのも大変だからでしょう
ただ親として可能であれば
娘に新しい振袖を着て欲しいという気持ちが心のどこかにあるのは変わっていないと思います
以前はレンタルと言わず貸衣装と言いました
下着から足袋まで何も購入せずとも全て用意してくれて
おまけに畳む必要さえもないのは確かに魅力的です
振袖を作っても着るのは
一生でこの成人式の一回だけかもしれません
友人や親せきの結婚式に出席しても
今は振袖のお嬢様はほとんど見なくなりました
着付けも着た後の片づけなども確かにたいへんです
成人式と言うと女子の衣装は振袖が定番ですが
結婚式の御呼ばれで振袖を着る人の数は
確実に少なくなっています
ただ成人式の会場で振袖姿の娘さんを見つめる親御さんの表情は
一様に柔らかくとても幸せそうでした
成人式は振袖
守りたい日本の素晴らしい伝統です

私が住んでいる尾張地方では結婚式が派手なことは有名な話です
日頃節約をしていても結婚式などにお金を出すのを惜しみません
嫁入り道具を出す時も嫁ぎ先に入れる時も
「あの家はトラック何台だった」と
花嫁道具を乗せたトラックの台数を話題にします
嫁入り道具を相手の家に出す際には
一度購入先からお嫁さんの家に入れて
ご近所の方々にお披露目をします
そこで箪笥が何棹あるかなど近所の方が見学にみえます
本来は数を数えたりと競い合うのが本意ではないかもしれませんが
一昔前は着物は何着あったか足袋は何足あったかさえも
当たり前のように近所の人たちが数えていたそうです
我が家も妹のお嫁入り道具を出す時に
母から夏の帯が少ないから
荷物が入ったらすぐ返すから貸してほしいと言われ貸しました
でも当の本人はここまで母が苦心して出してくれたことはつゆ知らず
未だに貸したまま妹の桐の箪笥の中に入っています

嫁入り道具を乗せたトラックは紅白の布で覆い相手方に運びます
前から車が来てすれ違えない場合は
ご祝儀袋に入ったお金を
対向車のドライバーに渡し下がってもらいます
渡されたドライバーも
当たり前のように受け取って下がってくれます
そのご祝儀袋は親がトラックのドライバーに「お願いします」と一言だけ言って
出発するときに渡して段取り良く行くようにお願いをします
もちろんトラックのドライバーさんへのご祝儀も忘れません
お道具のトラックがそこまでするのは
下がって後退をするのは戻ると言って縁起が良くないからです
今はこんなことが行われていることも知らないでしょうし
知っていてもしないでしょう

家から花嫁さんが出る時には家の前で菓子蒔きをします
菓子蒔き用の袋にお菓子が何種類も入ったものを
集まった人たちに向けて勢いよく蒔きます
数袋もらって帰る人もいます
これも当たり前の光景でした
一袋大体500円から1000円位のお菓子が入っています
嫁入り菓子は透明のビニール袋に金色のシールが張られ
シールには寿の文字が一文字大きく入っています
今は投げることはほとんどしなくなりました
家から出ることも少なくなり
嫁入り菓子が用意されている場合は手渡しをします
建前の餅投げのようなイメージです
小さい時から近所では頻繁にこの菓子捲きが行われていたため
日本中でしていることだと思って育ってきました
そうではないことは大きくなってから知りました
このお菓子の中身ですらお嫁に出す親は
「ケチった」と言われないように頑張ります
名古屋尾張地方には
たくさんの冠婚葬祭にまつわる独特な風習があります
全てが親の気持ちが形になったものだと思います
これからも先人に感謝をして
伝わり続ける大切な風習を守っていきたいと思っています




 


お祝いに生けたお華

  MASAYO TACHIKAWA





一生懸命向えば必ず報われる
その結果がまた強い味方に
運と励ましの言葉が後押しをして
しっかりと支えてくれる

寒いのに気持ちが段々温かくなってる
見た目の変化はないけれど
心が微笑んでいる
それがしっかりと伝わってくる毎日

去年の今頃どこでどう過ごしていたのだろう思い出せないくらい心の置き場も違う
確実に前進をしている

美味しい焼きたてのステーキとケーキを
お腹いっぱいいただいた
食べたこと以上にこのことが
どれだけ幸せなことかと心から思う
当たり前ではない感謝の日々

話しができただけで嬉しいと
ただ純粋に喜べる
そう思える相手がいるだけで幸せ
そんな人ともっと出会っていきたい
自ら出会う機会を手にしよう

そんなことをしていると
痛い思いをするのは自分ですよ
伝えてあげたい人がいる
両目を開けて自分のこともしっかり見つめよう
他人の振り見て我が振り直せを実践

強い雨が降っている
明日の天気予報の晴れが想像つかない
降り続く雨の音を聞いていて思う
人生も同じように先が見えないから
楽しみな一喜一憂がずっと続く

会いたくても会えないのに会えた
これも縁
頭では会いたいと思っているのかどうかわからないけど
きっと心は会いたいと願っている

撮ってと言わんばかりに
被写体が枠の中に入って来た
見る景色すべてが素晴らしい
こんな空間にいられるだけで
何て幸せ
今年もいい年になりますように




『占い』 

 
新たなときが刻まれ始めた
今年もいい年になりそう

たくさんのめぐりあわせが人生を変える
先を選択するときの手段の一つに占いがある
生まれた時によって人生の流れはほぼ決まっていると
四柱推命などの占いではいう
それを頭に置いた上で日々をどのように
これからをどう進んでいくか
占いの答えを見極めの材料とする
世界中占い好きな人は多い
占いの多くは生年月日をもとに結果を導き出す
では同じ日に生まれた人たちは同じような運命か

中学の時
同じクラスに私と同じ誕生日の子が二人いた
私以外は男の子で
一人は紙一重の秀才だった
勉強の成績はいつもトップクラス
でも友達と会話をすることもほとんどなかった
多くを語らず黙々と一人で勉強をしていた
もう一人は笑うでもなく怒るでもなく
表情を一日中全く変えない子だった
一年間で一度も声を聞いたことはなかった
じっと他人のすることを見て
同じことができてもできなくても
その子は焦ることもなく
表情を変えず同じペースで過ごしていた
先生方もわかって対応していたのだろう
私は二人とは真逆
いつも誰かと絡んでいた
クラスの子や同級生のことが皆好きだった
今でも笑っていたことしか浮かばない
すでに中学生の時点で性格はもちろん
生き方も違っていた
出生の時間が違うと言われればその通りだが

占いに行くと必ず生年月日をまずは聞かれる
人相を見てもらおうと手相を見てもらおうと
ほぼ聞かれる
女性は特に占いが好き
言われた言葉で明日からが決まった気になる
占いの方法で一番出会う確率が高いのは四柱推命
中国の歴史を背負っている
陰陽五行説を基に
生まれながらもっている素質を理解した上で
今後を占う
タロットカードは誕生日には左右されない
ハワイバージョンのカードもある
自分で引いたカードで過去を今をこれからを知る
たった今を知るにははっきりとしていてわかり易い
今がいい時かそうでない時かも含め
占いは決して決定ではない
聞く方もそれをわかっていて聞きに行く
雑誌やテレビのちょっとした占いも同じ
当る訳ないと思いながらついつい見てしまう
これからをより幸せな方向で生きられるための道標とする
日本では少ないが
中国や台湾などでは何を始めるにも
全面的に頼って生活している人が多い
占いで出るのはいいことばかりではない
もし後ろ向きな結果が出たのなら
占う人が何と言葉にするかにも興味がある
タロットカードは引いた瞬間素人でもわかる悪魔調のカードが出たりすることも
これはあまりよくないのかもと頭をよぎる
カードの上下がどちらを向いているかでも変わる
今の所お目にかかったことはないが
出たとしても今がそうならば
これからはもっといいことが待っていると
切り替える技が身についた上で聞くべきだと思う

多くの神社仏閣で見るおみくじ
浅草の浅草寺
京都の清水寺はおみくじで凶が出る確率がとても高い
凶が出ると評判が落ちるので
凶を抜いてあるところが多いと聞いたことがある
以前清水寺で三回引いて三回とも凶だったことがある
これはこれで凄いと思った
四回目はさすがに引くのをやめた
一生のうちに凶のおみくじを目にすることはないと思っていた
清水寺に行く前に貴船神社で凶を引いた人がいて
「今が凶だからこれからは良くなっていくから
悪いことではない」と
その人を励ましての数時間後のことだった
言葉を掛けた人はこの一言で明るい表情に戻った
今度は自分に同じ言葉を掛けた
凶を引くことがないだろうは
根拠のない自分なりの自信だったのかもしれない
凶がよく出ると言われている浅草寺ですら
他の人が凶を引いているのを見ることがあっても
自分は凶が出ることはなかった

おみくじを引くときは
これからをどうしたらよいかをお教えくださいと
引くことにしている
納得がいかなければ
納得いくまで引いてもいいとも言われるが
これは本当はどうなんだろうと思う
と思いながらも数度引くことも
おみくじに引いた年月日を書くようにしている
後から見直すことがあったら
その時は気付かなくても
後に納得がいくことがあるかもしれないから
いずれにしても今の自分に必要なところだけを見ている
大吉が出れば気を抜かずこのままがんばろうと思うし
凶が出たならば
今が凶ならば上に向かって進んでいくだけだと考える

凶は箱の上が開いていて
これから「メ」が出るからいいのだと
清水寺の方に教えられた
私が凶を引いたとは一言も言ってないのに
それだけ引く人が多いのだろう
この言葉を聞いて確かにと元気になった
これもめぐりあわせの一言

進むもよし一端立ち止まるもよし
一喜一憂しながら
自分の運勢の具合をおみくじを引いて確かめる
「今はいかがですか」と
自分には見えない先を教えてもらうことで
不安部分が多少なりとも解消される
これからも機会があればおみくじを引き
タロット占いで足を止め
渋谷の占い館や成田山の新勝寺横で
「運が強い人」と言ってもらって
背中を押してもらうのをしばらくは続けるだろう
これを卒業するにはどうしたらいいのかも
本当はわかっている
ただ今は卒業する準備が必要なときだと
そう思う
全く占いやおみくじに興味のなかったときが
すぐそこまで迎えに来ている
楽しみな日が



 


ライトアップされた清水寺

  MASAYO TACHIKAWA





新年の爽やかな空間
陽の当たった壁にもたれかかったら
暖かかった
予想していなかった温もりに
心と体がホッとする
今年もありがとうの日々を重ねて
感謝で一歩一歩

快晴が優しい雨になった
どこかに雨宿りしよう
幸せ者の私には
傘を差しかけてくれる人がたくさんいる
優しい人達がたくさん

花畑の中の
数百本の一本として咲き終わる花
選ばれて摘まれ見つめ語りかけられ生きる花はてさてどちらかを選ぼうか
選ぶのは自分自身
それとももう決まっているのかな

今日のこの時もいつか過去になる
そうだったと笑って話せる日々を過ごそう
一瞬一瞬が大切な時間

ずっと話していたい人がいる
一秒でも長く
こころのつっかえ棒になってくれる人
いつか恩返しができるよう
両足を地にしっかりと着けて着実に

今日はゴロがいい日
そう思った瞬間元気になれる
日々ちょっとした思いようで時が大きく変わる
何も考えず進むのもひとつの手

世界に認められた日本人の作品を美術館に見に行った
凄いと感心した瞬間
本人がたまたまその場に登場
確かに光を放っていた

何故心が離れられないのだろうと思うことがある
何を期待し求めているのかわからないことがこれも経験値として支えに

やり熟す強いあなたは今散歩中
どこへ行ったのか遠巻きに尋ねてみたり
前向きに考え
自分らしく何が何でも踏ん張るあなたを
今年は必ず探し出そう




『林檎』 

 
りんごの美味しい季節です
我が家にも甘い香りをのせて
りんごの絵の付いた大きな白い箱が届きました
グアムの観光ツアーでご一緒した長野市の方々と
数時間でしたが
とても親しくお話しさせていただくことができ
その時のご縁で採れたてのりんご
「サンふじ」を送っていただきました
市場に出荷してみえる立派なりんごです
そのりんごには「葉とらずりんご」と書いてありました
通常は赤いリンゴが好まれるため
着色を良くするために
10月からりんごの周りの葉っぱを摘み取って
太陽の光を浴びさせます
ただこの作業をすると
りんごに届く養分が少なくなります
そこでこの「葉とらずりんご」は
あえて葉を摘まずに葉で作られる美味しさの素も
しっかり果実に蓄えさせるのだそうです

普段から有機肥料を使用され
着色促進剤の散布もされていません
そのため色は真っ赤なものがあったり
優しいふじ独特の黄色っぽいものがあったりと
さまざまな色のりんごが箱に入っていて
目でも楽しませていただきました
ここに葉っぱが乗っていたのだとハッキリわかる
模様が可愛いものもあります
何より完熟するまで待って収穫されるので
甘みと酸味のバランスが絶妙です
歯ごたえも良く
りんごはこんなに美味しいものだったのかと
改めて感心してしまいました

りんごはお尻のあたりが黄色くなり
透き通ってきたらそれが完熟のサインだそうです
お尻を見てりんごを選んだことはなかったので
いい知識を得ることができました
そして見栄えを良くするために
着色促進剤を塗って出すところもあること
着色促進剤の存在も知りませんでした
今年は天候にも恵まれ
例年以上に美味しいりんごが採れたそうです
確かに美味しかったです

作り手の顔が見えるものは
そこまで育ててみえた人たちの姿も浮かんで
よりありがたく感じます
縁をいただけたことに感謝をして
日頃からお世話になっている方に
幸せのお裾分けをしました
「葉とらずりんご」の説明のプリントとともに
甘く優しい香りでリラックスすると
とても喜んでいただきました

りんごはバラ科です
品種は日本でも200種近くあり
世界中では1万種以上だと言われています
日本には明治時代以降に入ってきたものが
栽培されています
その中でも「ふじ」が世界一の生産量です
「ふじ」とは青森県藤崎町と
富士山から名付けられました
日本で生産量が多いのは青森県が断トツトップです
そして2位は長野県
続いて山形県、岩手県、福島県、秋田県です

名古屋から中央高速を松本に向かって走っていると
長野県に入ったのがわかります
道路沿いにりんごの木が一気に増えるからです
花が咲く初夏の景色は特に素晴らしいです
りんごの真っ白な花をあちらこちらで見ることができ
甘い香りがしてきます

りんごは昔から医者いらずとも言われ
栄養価が高いため1日1個食べていると
病気になりにくいそうです
食物繊維やビタミンCが豊富で
最近りんごに含まれるポリフェノールが
脂肪を着きにくくすると言われ
ダイエットにもいいとされています
りんごは皮のところに一番いい栄養分があるため
出来れば皮を剥かず
そのままいただくことがいいようです

食べること意外にも一緒に置いておくことで
キウイフルーツやバナナなどの追熟を助けます
逆にジャガイモと一緒に置いておくと
エチレンガスが発生して
ジャガイモの芽が出にくくなります

リンゴと言えばアダムとイブのお話が浮かびます
蛇にそそのかされて禁断の果実を食べてしまいます
この日から人は悩んで生きることを
選ばずとも一生経験することになりました
ただこの旧約聖書の舞台となったメソポタミア地方には
りんごの木はなかったことと
この時代りんごは
まだ食用としては扱われていなかったそうです
ゆえに後に創作されたとされています

アップルレコード社はりんごのマークを使っています
このマークはポールマッカートニーが所有している
ベルギーの画家が描いた「青い林檎」の絵が
ヒントになっているそうです
コンピューターの一大メーカーであるアップル社も
りんごをロゴマークにしています
ロゴマークの右上のかじられたような跡は
社名の「Apple」が重なっていた部分です
パソコンのマッキントッシュ、マックも
りんごの「Mcintosh」日本名は「旭」 から付けられ
他社との都合で綴りは変えられています

りんごにまつわるお話はたくさんあります
これを機会に
これからはりんごを育ててみえる方々の姿を浮かべ
より味わって口にしたいと思いました
りんごを送ってくださったお二人に
心を込めて感謝の気持ちをお贈りさせていただきます
「本当にありがとうございました」
美味しいりんごと出会えて感動でした



 


葉とらずりんご

  MASAYO TACHIKAWA





日々を明るく前向きにする方法のひとつ
波長の高い人と一緒にいること
共に笑って楽しんでいれば
またそういう人たちと出逢っていける

見返りを求めると
結果を期待し緊張をしてしまう
時間を楽しむことに気持ちを持っていけば
何事もゆったりと向き合える

新たに決意しなければと思うことがたくさんある
日々増えていく
できるはずなのにやらない自分に
何と言葉を掛けよう
やらないのかやれないのかどちらかと

好きなものはやっぱり好き
その思いでことを進めたら何か形になる
気持ちだけで粉々にならぬよう
手加減さじ加減で上手くバランスを

求めていた現実が
一直線にこちらへ向かって来ているのを
感じることがある
視線の先から少しでも外れていると
気付くのが遅れるから
視野と心を目一杯広げておこう

成果を知ろうと参戦することには意味がある打ち込めるものが存在すること
それだけで素晴らしい
自分のことを認めるのは
まずは自分自身

遠い昔に何があったのかと知りたくなる人がいる
戦っていたのか親しい関係だったのか
知ることができたら楽になる訳でもないけれど
進む方向の参考にしたい

縁があるのか
意識している人とは好き嫌いは別として
バッタリ出会うことが多い
これも何かの意味があるのだろう
もしかしたら向いている方向が同じだから

テレビから流れてくる曲に
過ぎた時間を思い出して
心のスクリーンが大きく開くことがある
その頃の自分に戻って一緒に笑いたい
お互いよく頑張っていると




『胡蝶蘭』 

 
お花の中でもひときわ目を引く胡蝶蘭
お祝いに何を贈ろうかと思った時
一番に浮かぶのがアレンジフラワーと
胡蝶蘭の鉢植えです
ラッピングを大きくすると
かなり華やかになります
贈り物には最低2本立ち
平均が3本から5本立ち
多いと10本の場合もあります
でも10本立ちは高価でもあるので
なかなかお目にかかりません

最近新たな形で始まった
名古屋の一等地にある施設
「久屋大通庭園フラリエ」
花や緑や水辺など
都会の自然を楽しむ場として
今年9月にリニューアルオープンしました
名古屋の繁華街栄から歩いて行ける場所で
レストランやカフェ
ショッピングのお店があり
以前は「ランの館」といって
名古屋市の施設で
名前の通りランが主役の
入場料を払ってお花を見に行く場所でした
イベントや教室も開催されていて
何回か参加をさせていただきました
2度ほどイベントにも出場して賞もいただきました
フラリエになった今も
イベントや教室は開催されているようです

ランの館はオープンしてしばらくは珍しさもあって
たくさんの人が集まる人気スポットでした
名古屋はこれといって目玉になる観光地もなく
そういう意味でもランの館は
他の地方の方をお連れするには
栄の街も一緒に行くことができてもってこいの所でした
数年が経ち入場者数も少しずつ減っていき
運営上ランを管理するには費用もかかり
ランの館への名古屋市の負担は増えるばかりで
一度業者に委託はされましたが
それでも賄いきれず
今のフラリエという形になりました

そのランの館にクリスマスシーズンになると
毎年胡蝶蘭のツリーが立ちました
誰もが一目見て声を上げるほど圧巻でした
3メートルほどの高さにツリーの三角形の形に
白い胡蝶蘭が数十株立てられるのです
周りも含め百株以上あったように思います
造花の胡蝶蘭を立てても素敵でしょうが
全部生花の胡蝶蘭
周りにも色の違う胡蝶蘭をあしらって
素晴らしい空間でした
新しくなってはまだ訪れていませんが
予算的にも再現はきっと無理でしょう

愛知県はランの生産量日本一です
これも売りのひとつだったのかもしれません
愛知県が花卉生産量日本一なのは
住んでいる人ですらなかなか知らない情報です
私も花育を始めて知りました

胡蝶蘭は名前の通り
花が蝶に似ていることから付けられています
英語名は直訳すると蛾のランです
胡蝶とは蝶をモチーフにした雅楽を意味し
大きな花の姿が
蝶を舞うように見えることからとされています
学名はギリシャ神話の愛と美の女神に由来しています
花言葉は「変わらぬ愛」「幸福が飛んでくる」
白い花は「清純」
ピンクは「あなたを愛します」です
原種は樹の上に着生して育ちます
日本では改良された
2センチほどの小さな花を咲かせる
ミニ胡蝶蘭も販売されています
葉っぱも小さくて
胡蝶蘭のミニチュアみたいで可愛いです

胡蝶蘭は今までの経験上
手を掛け過ぎると咲かない場合が多く
熱帯の植物なので温かいところで
他の植物と同様水の管理を怠らなければ
繰り返し咲き続けます
枯れた花の茎は根元から切り取らず
切る場合は節を残して切ると
そこから新しい芽が出てきて花を咲かせます
今、目の前にある胡蝶蘭も
数年前お祝いにいただいたものが
気持ちに応えてくれて
毎年花を十数輪咲かせてくれます

咲いている花を買ってきて楽しむのもいいですが
花が落ちてからまた新たな芽が出て
小さな蕾を付け花を咲かせてくれる
この過程も大きな楽しみのひとつです
お花が咲いているのを見ると
お花が終わってからのことを想像して
わくわくしてしまします

青色ダイオウドでノーベル賞を手にされた
名古屋のお二人の先生のところには
受賞後多くの胡蝶蘭が届けられました
その中でも一鉢の青色の胡蝶蘭が目を引いていました
青色の胡蝶蘭はまだ名古屋市内でも
数か所のお花屋さんでしか見かけません
初めて見たときはビックリでした
愛知県の豊橋市の会社が
新しい特殊な技術で丹精込めて育てた花を
青色に染め上げて作っています
名前は「ブルーエレガンス」
正にこの名前がぴったりの立ち姿です
日本の他、オランダ、アメリカ、ブラジルの
4か国のみでの特許生産です
さすが洋ラン生産日本一の愛知県です
鮮やかな青色の胡蝶蘭に感動します
自分で買うのではなく
青い胡蝶蘭が贈ってもらえるよう
より一層頑張ろうと
青色の胡蝶蘭を見ていて思いました
お店でたくさんのシンピジウムを見ると
いよいよ年末が近づいて来たと感じますが
胡蝶蘭はいつ見ても
お祝いをイメージする華やかさと
一歩引いた優しさがあるそんな気がします



 


胡蝶蘭のクリスマスツリー

  MASAYO TACHIKAWA





幸せを感じる瞬間
いい景色に出会ったとき
素敵な人に巡り合えたとき
この時間を忘れないように
引き出しの中で温めて大切に

偶然でなく必然と思える出来事
気持ちにゆとりがないと
それさえもわからない
笑って過ごせる今日そして明日
肩の力を抜いてゆったりと

ときには追い掛けられている理由を知るために
もう一歩引いて眺めてみよう
大切なことがすぐそこに来ているのも
見えてくるはず

意識しているから的をつかれると痛い
笑って過ぎる時を待つしかない
そんな時もある
喉元過ぎればにならぬよう
日々学びの繰り返し

くよくよしていると
その後ろ向きな気持ちが伝わり
足元をすくわれる
思いが固まっていれば
少々の揺れなど何ともない

ずっと見つめていたい人
視線を逸らさず
一直線にこちらへ瞳が向かって来る
見えない糸で引っ張っているのかと
思いは通じるから

意識し過ぎと思うことがある
何がそうさせているのか
肩の張りの素となっている人が
視界に存在するのにも意味がある

過ぎた日の流行った歌が流れている
走馬灯のようにその時が甦る
今流行っている歌もいつかは過去になる
楽しいことが甦るよう
この時間を自分らしく生きよう

朝陽がまぶしい
毎日手を合わせ感謝の言葉を
何だか大きな温かい布に覆われる感覚が
応えていただけることにまた感謝




『受け入れること』 

 
秋の空
山々の木々がお色直しをして
目を楽しませてくれています
紅葉の赤色や黄色の葉っぱには心癒され
ふと手に取ってみたり
美味しい秋の味覚にも囲まれ
自然の中で生かされているという感覚が
強くなる季節です

人は目の前にないものを目指すため
日々たくさんのことを受け入れ過ごしています
先を行くのにぶつかることがあったなら
一番初めに当るのは自分自身
少々立ち止まるのは良しとしても
後ろを向くとその場から
出られなくなることさえあります

ものは考え方次第とよく言います
手元に余裕があるのに越したことはないですが
毎日の暮らしの中で
時間とともにやり繰りできたならそれでいい
満足とまでは言わないまでも
それで幸せだと思えるのは
こころが追い立てられてはいないからでしょう
時間があっても先立つものがない
金銭的にはゆとりがあっても時間がない
いずれも自分で作るもので
人に段取りをしてはもらえません どこかに回したければ節約するか何かを削る
時間が欲しければ24時間を整理して
これまた優先順位を付けて
削るか手を早めるか
それもできなければ何かを諦める
究極は自分の運を信じるしかありません

両手を広げればたくさんのものが入ってきます
目に見えないものも目に見えるものも
両手から溢れているのに満足できない人もいます
他人から見れば贅沢な悩みをと思いますが
それはなかなか自分では気づかず
何かが足りないと翻弄します
冷静になるとわかることも
見失うと痛みが伴います

個性を大切にする今の世の中
隣の芝生が青かろうが黄色かろうが
一向に構わない時代です
それも個性だと思い
芝生が枯れかけているから手を打つべきと
声を掛けてくれる人がいるかいないか
近くにいても言ってもらえない
これが一番厄介です
気づいた時には芝はすべて枯れて
手を尽くしても戻せないことも
時すでに遅し
張り替えるには
相当の時間と先立つものが必要となります
いっそ環境を変えるしかない場合も
その時は周りに誰もいなかったり

人の声を真っ直ぐ聞くことは
容易いようでなかなかできません
できるのはこれから増えていくかもしれない介護ロボットだけかも
聞いても受け入れられない
聞いていても行動に示さなければ
聞いていないのと同じです
できるかできないかではなく
やるかやらないか

占いもいいことだけを受け入れる
見たくない言葉は飛ばして見る
見て見ぬ振りができればまだいいのです
それは自分に必要な言葉かそうでないか
判断ができているからで
誰でも聞きたくないことは耳にしたくはなく
テレビであったら見たくないニュースは
番組を変えればいいですが
人生はそういうわけにはいかず
現実は受け入れるしかありません

そこで向き合わなければならないことが出てきたなら
どうしたらいいか
それは自分自身に真っ向から向かうしかないと思うのです
一時期「必然」と言う言葉が日本中を掛けていました
今でもこの言葉はよく耳にします
起こっていることは偶然ではなくすべて必然で
人生にはいいこともそうでないことも
すべてのことが必要であると
この言葉には多くの人が救われたことでしょう
起こっていることは自分のせいだけではなく
自分には記憶のない世界も含めて必要な流れだと
この二文字で悩む気持ちを
「あなたの日頃の行いのせいだけではないですよ」と
慰めてくれているわけですから
正式にはこういう意味ではないかもしれませんが
そういう意味もあるでしょう
ゆえに自分ではどうしようもないことが
日々の生活の中にはたくさんあるということです

誰もが安定した時間を望んで生きています
結論として「受け入れること」
それが一番大切な心の持ちようかと
何もしないで生きるということではなく
前向きに生きるための
「受け入れる」はひとつの生き方です

私たちは日々「生かされ」
「活かされて」います
たった一字違いですが
秋はこの一字の違いをじっくりと考えられる
人には大切な季節でもある気がします
現状維持ではなく
生かされて活かされるように
自分を信じて「受け入れる」ことを



 


感謝の秋の味覚

  MASAYO TACHIKAWA





生きているのが当たり前になると
感謝の気持ちが薄れたりもする
誰もが今生きている
それを忘れることのないように
日々思いやり

人を褒める言葉からは
パワーが溢れ出ている
褒められて恥ずかしい人はいるけれど
悲しい人はいない
褒められる素を手にしている
それが既にその人の力

出来る人は何を考えずとも出来てしまう
どんな言葉をも力にして
見えない空気さえも大きな支えとなって
味方をしてる

才能の上に努力が乗っている人
生まれ持ったものもあるけれど
人やものを輝かせる天才の人は何かが違う
それを是非知りたい

またひとつやるべきことが出来たとき
その意味がわかる瞬間がある
与えられたことは必ずできる
自分の力を信じて 次へ  

一喜一憂している自分が
滑稽で仕方ない時がある
人間だから振り回されるのは仕方がない
認めたくないけれど
これが人間

何かのメッセージを
読み切れずに迷うことがある
自分の鏡と言われる周りの身近な人には
ずっと宝石のように輝いていてほしい
もちろん自分も

自分に自信のないときは
人の目が気になる
辛くないかと聞きたくなるくらい
そう思っているのは
自分の心が曇っているから
晴れれば気になどならない

虹を見るといいことがあると言う
幅広い裾から登れそうな虹を見た
幸せがすぐそこに
虹を渡って来ているのかも




『蓮の花が伝えてくれたこと』 

 
ベトナムとカンボジアへ行ったとき
たくさんの蓮田を見かけました
蓮の花の色は白とピンク色
葉の色は
日本のものより少し紫がかっていて
日本では見ない独特な緑色でした

食べるためなのか観賞用なのか聞いたところ
両方だと言われました
そういえばホテルやレストランの入口に
蓮の花を飾ってある所が多く
生花を蕾のうちに切り取って
その花びらの一枚一枚を愛らしく捲って
水に浮かべてられていたのが印象的でした
日本ではこういう使い方はしないので
水辺を使って生け花をするときには
いいアイデアだと勉強になりました
ただ日本では蓮の花の需要は少なく
花持ちがしないことと
花を取るために生産している所が
あまりないこともあって
最近少しずつお花屋さんで
見かけるようにはなりましたが
まだまだ一般的ではありません
もっぱら蓮の根っこである蓮根が
主導権を握っています

前回「蓮と睡蓮」について書きましたが
その際お釈迦様は
なぜ蓮の上に座ってみえるのだろうと
疑問を感じました
結論から言いますと
お釈迦様が説法された教え
法華経に答えがありました

蓮は泥の中で育ちます
その泥水が濃いほど
蓮は大きな花を咲かせるそうです
ゆえに泥田の泥が薄く真水に近いと
咲く花は小さくなるのです

その泥を人生の中に置き換えると
それは迷いであったり
苦しみであったり
悲しみなどということです
大輪の花を咲かせるには
人は苦しみや迷いがないと
成長しないと
花も濃厚な泥の中で育って咲くから
美しい大輪に成長するのです

太陽のもとで輝く蓮の花を咲かせるには
蓮の泥であるいくつかの偶然ではなく
必然が必要であり
苦しみや大変だと思う経験は
大切な時間だと
そして蓮の花の後に付ける実
それは他ならぬ「悟り」であると
それをお釈迦様は説いてみえるのではないでしょうか

その悟りとは何か
悟りとは目の前にあることを
自分の人生には必要と
すべてを受け止め受け入れることです
自分に必要だから起こっていることなのだと
でもなぜできないのでしょう
人はこの悟りができれば
日々の中で悲しむことや苦しみが減り
ともすればなくなり
周りで何が起こっていようと
必要な流れだと受け入れることが出来れば
自分の存在そのものが
過ぎていく時間が
とても幸せだと思えるはずです

悟ること
現実的にはなかなかできることではありません
どうすればどうすることが
悟りにつながるのでしょう
誰でも悩んで生きたいとは思っていません
こうしたい
こうあってほしい
こうあるべき
毎日無意識にそんな自分の思い中心で過ごしていますきっと起こっていることの何もかもが必要だとは
素直に受け入れていないのでしょう
頭で理解して思ってはいるのですが
なかなか出来ないでいるのです

思い通りにならないことを追いかけていても
自分を追い込むだけです
壁があったら
それを乗り越える強い気持ちで
目の前のことを受け入れて
それから次にどうするべきかを考える
そして実行する
目の前の出来事を受け入れられないこと
過ぎた過去を追うこと
それは自分を追い込み悩ませ
足止めをします
過ぎたるは及ばざるがごとし
理由あっての今なのです

たった今
1秒先はこれからどのようにでもなります
悟るにはまだまだかもしれませんが
出来ないことはできない
出来ることやるべきことは最後までやり通す
自分には今何が出来るか
するべきか
そんな蓮の花のような生き方を目指して
もっと楽しんでいこうと
改めて思いました

お釈迦様がなぜ蓮の上に座ってみえるか
そんなひとつの疑問から
この答えに導かれたこと
きっと今必要なメッセージなのでしょう
そんな気がしました



 


蕾の蓮の花

  MASAYO TACHIKAWA





出逢いで人生は変わる
日々笑顔で過ごせるのも
大きな器の持ち主に
たくさん出会い支えられているから
出逢いに感謝

諦めず挑戦するこころ
すべてが考え方次第
転びかけても起き上がる
先に待っていることへの期待を杖にして

数百年前
すでに出会っていたのかもと思う人がいる
思わず再び会えて良かったと駆け寄りたくなる位
過去の記憶はないけれど
会えたことに大きな喜びが

出会った人には出会えた意味がある
真綿のような言葉をくれる人
氷のような言葉を投げかけてくる人
誰のことをも大切だと思う
いずれも温めてお返しを

相手の流れに任せてみよう
細やかだけれど
それが感謝の気持ちの表し方
いつかは気付くはず
気付かずともそれはそれでその人の人生だから

データーホルダーには
たくさんの思い出が満タン
こころのなかにも記憶は残る
これからも
残したいデータを増やしていけるよう
素敵な時間を作っていこう

大きな出来事があったとき
自分だけが辛いと思っている
痛いのはお互い
現実を回避して楽になりたい気持ちはどこかにある
まずは気付くこと
それが一番

何だか危な気なひとがいる
薄いガラスのように
ちょっと弾いただけで
割れて粉々になりそうな
手を差し伸べることで
少しでも守ることができたなら

クリスマスソングが流れるまでにはもう少し
今年もわずかになってきた
やり残したことがないように
できることをひとつでも




『蓮と睡蓮』 

 
お釈迦様が座ってみえる蓮
ベトナムやカンボジアでは
蓮がたくさん育てられ
車で走っているとあちらこちらで見かけます
ベトナム航空のロゴも蓮の花です
蓮の葉は日本でもお盆には
茄子や胡瓜のお馬さんとともに
必需品のひとつです

蓮と睡蓮は見た目が似ているので
同じものだと思っている人は
意外に多いと思います
水辺に育って花が咲く
水辺は同じですが
知っている人にとっては
葉や花の大きさ咲き方立ち姿など
一目で蓮か睡蓮かわかります

蓮は昔「はちす」と言われ
花が終わった後の形が
蜂の巣に似ていたからとされています
蓮はハス科で
花は水面から茎を高く伸ばし咲きます
葉も同じく伸びた茎に開きます
花は早朝に開花し
お昼には閉じます
開花から4日目には散ってしまいます
自生種の蓮はもともとピンク色と白の二種で
キバナバスと呼ばれる
黄色の花もあります
葉は撥水性があり
葉の上に水を垂らすと
コロコロと玉になって転がります
この様がとても愛らしいです

睡蓮はスイレン科で
葉も花も水面に浮かぶように咲きます
花の開花は昼咲きと夜咲きがあります
咲いた後花びらを散らすことなく
閉じたまま水中に沈んでいきます
色や花びらの形は観賞用に品種改良され
様々なものが出ています
蓮のように葉に撥水性はありません

睡蓮は水生多年草で
庭や玄関で大きめの水盤に水を張り
観賞用に育てることが流行っているため
最近はホームセンターでも売っています
さまざまな品種があり
花が咲くと感動です

蓮は水盤や池や沼などで栽培される
観賞用のものと
多くの人に好まれる
食用の蓮根栽培目的のものとがあります
原産地はインドです
中国では紀元前から作られていました

日本にも古代からありましたが
今の蓮根ほど肥大しなかったため
鎌倉時代以降に中国から導入された種が
今の食用蓮になっています
蓮根は地下茎で
蓮田で栽培されます
植え付けは3月下旬から4月で
収穫は10月から3月までの
長い間行われます
輪切りにすると穴がいくつも空いているため
「先を見通せる」と言って
縁起がいいと
おせち料理にも欠かせません
出荷されるとき土が付いているのは
変色しやすく傷みやすい蓮根を
光や空気から守るためです
お店ではきちんと洗ってから
パックに詰めて売られています

皮を剥いたり切ると黒く変色するので
それを防ぐためにすぐに水や酢水に付けます
ただ水に付けると
シャキシャキ感は出ますが
もちもち感はなくなってしまいます
蓮根をおろし金ですって
その中に鶏肉のミンチ
人参や干し椎茸を細かく切って入れて
片栗粉などをつなぎにして混ぜ合わせ
ハンバーグのように丸め
胡麻油を引いたフライパンで焼き
デミグラスソースを掛けていただくと
栄養価も高く美味しいです
新鮮なものは薄くスライスして
水に付けてアクを抜き
そのまま胡麻ドレッシングなどをかけて
シャキシャキといただきます

睡蓮は食べられませんが
印象派巨匠の
モネの絵画の題材になっているように
ずっと目を楽しませてくれます
フランス パリ
オランジェリー美術館では
部屋一面ぐるりと一周モネの睡蓮に囲まれ
圧巻です
モネの睡蓮の大プレートを
展示するために構造された展示室なので
ずっと見ていくと
360度物語ができています

蓮も睡蓮も品のある花で
水辺に寄り添って咲いている姿を見ていると
心が柔らかくなります


 


蓮の花と花托

  MASAYO TACHIKAWA





今の景色を留めよう
光の差す方向が変わっても
美しさは変わらない
いつもこころの支えになって
励ましてくれる場所
ありがとう

思いは通じる
夢と優しさと生きるカを与えてくださって
感謝しています
お返しは明るく輝くことで
恩返しをいたします

心に住んでいる人のことは
どんなに遠くからでも小さくても
光り輝いて見える
目に入った瞬間
喜びでこころは誰よりも早く
駆け寄っていく

ただ遠くから見ているだけで満足
近くに寄れたら気付いて欲しいと願う
縁があればまた会えると思う
そうすればいつか
もっと近くへと行ける

年が若いのに
見上げるほど高く遠い人がいる
生まれ持ったものか本人の頑張りか
自分はどうかと改めて見つめ直してみる

ずっと可愛い人
自分の力で光っている人は
これからも輝き続けるだろう
姿だけでなく言葉も輝いている
力が全身から溢れ出ている人

周りには素敵な人がたくさんいる
前へ進むのを遮る人は
何かが心に刺さっているのだろう
それさえも力にしてしまう
そんな自分でいられるように
日々磨きをかけて

言葉にしなければなかなか伝わらない
時は変わっても同じ
今の時代はよりそれが言える
言わなければわからないことが多い
親しき仲だからこそ
きちんと言葉にして

大切な場所の大切な景色
また会えるときまで
しっかりと心の中に包んでおこう
再会する時にも
ずっとこのままの輝きを見せてください




『グアムⅡ』

グアムについて
前回の続きを書かせていただきます

グアムのビーチは
遠浅ですが
ワイキキビーチのように
混み合ってはいません
砂浜の砂も白くてきめが細かくて
ワイキキよりずっときれいです
ワイキキビーチのように
他から持ってきた砂ではなくグアム産です
海も澄んでいて透明感も高いですが
パラソルも人もほどほどです
サンゴ礁があるからでしょうか

グアムは小さい島なので
主な観光地は一日で見て回ることができます
グアムの観光地で一番人気は
「恋人岬」です
ここはスペイン統治時代に
チャモロ人の美しい娘が
結婚を迫るスペイン人の総督から
逃れてきた場所で
チャモロ人の恋人と永遠の愛を誓い
お互いの髪の毛を結び合って
身を投げたという
悲しい伝説が残っている岬です
タモン湾の端に突き出して
岬の先端から真下の海を覗くと
吸い込まれるような感じがします
断崖は展望台になっていて
タモン湾の
美しいカーブを描いた海岸線が臨めます
グアムへ来たら必ず一度は行きたい場所です
ハートロックウォールと言って
フェンスなどに願いを書いた鍵を
記念に掛ける姿も見られます
「ソレダッド砦」はスペイン統治時代
貿易船を海賊から守るために作られた砦で
三角屋根の小さな石造りの建物と
大砲が置かれています
ここから眺める村や穏やかな入江では
時折村人が魚を採るために
網をしかけていたりと
ゆったりとした時間が流れています
「イナラハン天然プール」は
海水が溶岩でせき止められたために
天然でできたプールです
飛び込み台もあり島民の遊び場です
「ガアンポイント」は
太平洋戦争の日米激戦地で
3本の旗が常に風になびいています
今まだなお岩のあちらこちらに
激戦区の名残が残っています
古い石造りの「スペイン古橋」は
周りの木に覆われはじめ
年々全面が見えにくくなっていますが
スペイン統治時代に造られたもので
アメリカの史跡記念物にも指定されています
「タロフォフォの滝」は
4人乗りの小さなゴンドラに乗り
滝の間際まで行くことができます
滝は3段になっていて
今まで数回行きましたが
水は常に薄茶色に濁っていて
一度も澄んだ水の流れを
見たことがありません
雨の多いグアムでは仕方がないことでしょう
ここには元日本兵で
帰国後は結婚して名古屋に住んでいた
横井庄一さんが
28年間潜伏生活を送っていた
縦穴式住居のレプリカがあります
本当に住んでいたのはもっと森の奥で
川魚を採る漁師さんが
いつも仕掛けた罠から魚が盗まれるので
おかしいと思い
隠れて見張っていたところ
その近くに潜伏していた横井さんが
魚を捕っていくのを見つけ
28年ぶりの発見に至ったそうです
戦争が二十数年前に終わったことを
横井さんに何度言っても
横井さんは全く信じなかった話は有名です
日本兵は素晴らしい精神力の持ち主でした
「チャモロビレッジ」では
毎週水曜日ナイトマーケットが開催されます
チャモロ料理や民芸品などが多く並び
本場のチャモロ文化に触れられます
「スペイン広場」は
ハガニアの中心にあり
スペイン総督邸があったところです
中には聖母マリア大聖堂や
チョコレートハウスがあり
チョコレートハウスとは
スペイン総督夫人が来客者を
チョコレートドリンクでもてなしたことからこの名が付けられたそうです
「ベアーロック」は
メソットとイナラハンの間の岬にある岩で
熊が立ち上がったようにみえることから
この名が付けられました
「フィッシュアイマリンパーク」は
海中展望台が海の中に建っていて
潜水艦に乗らずとも海の中が覗けます
ここは海洋保護区のため
多くの種類の魚やサンゴ礁が見られます
シュノーケリングや
シーウォーカーも楽しめます
道路を挟んだレストランでは
チャモロ料理や
ブルーハワイではなくブルーグアムなど
色とりどりのカクテルもいただけます
マリンスポーツ三昧もいいですが
各社のオプショナルツアーで
半日観光または一日観光に
参加するのもお勧めです
行きたい場所と可能な時間によって
一度はガイド付の観光へ行って
グアムの歴史を知ることもいいかと思います

グアムでのショッピングは
グアムで一番大きい映画館もある
「マイクロネシアモール」
ROSSのある
「グアムプレミアムアウトレット」
これらのショッピングモールは
フードコートも充実しています
マカダミアチョコレートなどのお土産など
何でも揃う「Kマート」も
お勧めのショッピングセンターです
これらへはいずれもトロリーバスが
10分から20分おきに
くるくると回っています
朝は10時から平日は夜9時まで開いていて
Kマートは24時間営業です
ブランド物を購入するのであれば
タモンの中心にある
DFSギャラリアが便利です
ハワイと一緒でABCストアーも
あちらこちらにあります

グアムでは日本が関わる多くの歴史を
今でもあちらこちらで語り継がれています
「太平洋戦争国立歴史博物館」では
第二次世界大戦での全容が
細かく紹介されてとても勉強になります
先日初めて行きましたが
平和な今を生きられるのは
このような歴史があってのことだと
改めて考えさせられました

日本から3時間数十分で行けるグアム
澄んだ青い海と優しい波音
これからもずっと大切な場所に
していきたいと思っています





グアム 恋人岬

  MASAYO TACHIKAWA





確実に前進している
日々助けられて生きている
一人だけでなく
両手から溢れるほど
たくさんの人に支えられて
感謝でますます両手がいっぱいに

あなたとの出会いは私の人生に
予想出来ない時間を
たくさん与えてくれました
今でも何かでお返しをしなければと
ずっと思っています

「お誕生日おめでとう」
生まれた日に毎年聞く言葉
この言葉は
「あなたは大切な人です」にも聞こえます
言ってもらえること
それだけで幸せです

誰でもたくさんの宝物が手の中にある
生かすかしまっておくだけにするかは
自分次第
ひとつひとつ出逢った意味があるから
よく見極めて

今のこの時が
自分の人生にどう必然なのか
普通人の自分にはわからないこともある
受け止め切れないことも
器を大きくして
心の中に落とし込もう

人の表情に惑わされて
眠れないこともある
目覚まし代わりになって眠りも浅い
そんな時はいっそ片付けなどをして
探していたものが出てくるかも

見えないくらいの小さなとげなのに
刺さるとじくじくと痛む
心に刺さったとげも同じ
大きさではなく
小さなとげに見えても
その人にとってはとても痛かったりする

どんなにひどいことをされていると思っても話のネタにしてしまおう
滑稽だと笑ってしばらく見ていよう
これからどう出るか
相手もそして自分自身も
楽しんで

昨日までより今日が幸せだと思う
たくさんの人に守られ頼り頼られる
毎日きょろきょろして
方向がわからずのときもあるけれど
着実に一歩を




『グアム』

グアムへは日本から
約3時間数十分ほどで行くことができます
よくハワイと比較されますが
一番違うところは
グアムはハワイより湿度が高いことです
空港へ着いてすぐにそれを感じます
空港はこじんまりとしていて
あまり迷子になることはありません

空港からホテルが立ち並ぶタモン
地区へは
車で20分ほど
タクシーは料金が高いので
ツアー以外
個人で行く場合は
あらかじめ大手の旅行会社に
送迎を予約しておいた方がお値打ちです
混在車は乗っている人の宿泊ホテルを
順番に回ってホテルの前で降ろしてくれます
帰りは飛行機の出発時間を計算して
ホテルのロビーまで迎えに来てくれます

グアムのホテルについて
中心地のタモン湾沿いのホテルが
動きやすく景色も良くお勧めです
ハワイもそうですが
オーシャンビューか
マウンテンビューガーデンビューかで
お値段も変わります
できればずっと波の音を聴きながら
青い海を見て過ごせる
オーシャンビューがお勧めです
食事はホテルでのバイキングもいいですが
テラスでビーチを見ながらの朝食やランチは
心も豊かになります
ビーチ沿いのホテルには
ほとんどのところにプールがあります
今はプールの横にジャグジーがある所も多く
ホテルの施設設備の良さで決めるのも
ひとつだと思います
お勧めのホテルをいくつか紹介します
タモン湾の一番奥
恋人岬側に建っている
「ニッコーホテル」は客室も広く
全室オーシャンビューです
夜にはホテル下のプライベートビーチが
ライトアップされてとても幻想的です
浅瀬で昼間と海の色も変わり
真っ白なウミヘビにも出会ったりします
20センチほどの細くて可愛らしいヘビです
ゆったりとずっと見て聴いていたい
優しい波の音と色と流れです
「アウトリガーホテル」は DFS免税店の前で
中心地にあるため
動くには一番いい場所です
正直施設の充実さから言うと
立地条件がいいからでしょうか少し割高です
「ハイアットホテル」は
設備も充実して高級感が漂っていますが
お値段も高級です
ブランド料でしょう
「PICホテル」はプールなどの
遊びの施設が
グアムの中で飛びぬけて充実しています
とても工夫されていてプールの種類も多く
泳げる水族館と題し
魚と一緒に泳げるプールもあります
一日中どこかで参加型のゲームをしていて
クリアした人には
貝殻でできたメダルがいただけます
メダルも金メダルと銀メダルがあります
泊まっている人はもちろん無料で入れますが
それ以外の人も
55ドルで入場でき 一日中楽しむことができます
子どもさんがみえる方にはお勧めです
「ヒルトンホテル」は
タモンの一番端にあり
いくつもあるプールの中の一つが
海に面していて
プールに居ながら
海に浮かんでいる感覚を味わえます
その横にはジャグジーもあり
程よい温度で温泉に入っている気分です
このジャグジーも海に面しているため
タモン湾の夜景を見ながら
お風呂に浸かることに慣れている日本人は
リラックスして長い時間入っていられます
ヒルトンのオーシャンビューの
お部屋に泊まって
こうしてゆったりと過ごすのが
今の私の一押しです
テラスで朝陽が昇るタモン湾を見ながらの
モーニングコーヒーも最高です

中心のタモン湾から少し離れたところに
タムニン湾があり
そこに「シェラトンホテル」があります
移動するには少し不便ですが
動かずゆっくりしたい場合は
いいかもしれません

グアムでの移動手段はハワイと一緒で
各旅行会社と提携しているトローリーが
コースにより10分おき20分おきに
ぐるぐると回っているため
そのチケットを手に入れれば
一日中乗りたい放題です
大まかに言うと
赤いシャトルバスのトローリーと
HISのシレナトローリーの2社で
1日券~7日券1回券などがあります
赤いバスのチケットは
乗ってから運転手さんから買えますが
HISのバスはアウトリガーホテルの横の
HISカウンターで購入します
どちらがいいかと聞かれると
走っているコースはほとんど同じなので
1つ2つある各トローリーの特徴を見て
自分に合った方を選ぶと良いと思います
ちなみに私はHISさんを選んでいます
理由はバスも新しくなって
多くの旅行会社が混在している
赤いバスのトローリーと違い
一社だけなので
ゆったりと乗れる気がします
ルックJTBさんのトローリーも
走っていますが
これはこのツアーの人しか乗れません

グアムで一番の観光スポットである
恋人岬へは
赤いトローリーでDFSや
マイクロネシアモールから
バス代入場料込み10ドルで
行くことができます
恋人岬はタモン湾と美しい地平線を一望でき
初めて来た方は「凄い」と声をあげます

グアムは6~7時間かかるハワイより近く
時差が1時間しかないため
短い日にちしか休みが取れない方には
お勧めです
グアムについてその他の観光スポットなど
次回に続きを書かせていただきます




グアム ヒルトンホテルのテラスから見るタモン湾と恋人岬

  MASAYO TACHIKAWA





常に足をどこかに向け
頭にさまざまな高さのアンテナを立て
情報ときっかけはどこにあるかわからない
今日もまたひとつ大切なものを手に

話しをするだけで元気になれる
自分のこと以上に
相手を思う気持ちが強い人
そんな人に囲まれて
毎日とても幸せ

意外な展開で急速に動くことがある
あっという間に黙っていても動くときは動くそんな瞬間を見逃さないよう
しっかり掴んで流れに乗って
広い世界へと一歩

明るくわくわくしながら前へ
立ち位置が同じだと挫けることも
上から眺めてひとつ上行く日々を
自分の立つ場所で人生はかなり変わる

心の糸が絡むとほどけにくい
切ってしまえば簡単だけれど
細かな手加減ができ具合を左右する
長く仕上げるか短くするか
出来上がりを楽しみに

強い思いをぶつけられると
逆に焼きもちの裏返しだと誇りにさえ思う
それだけ想われていることの表れだと
ありがたく頂戴を

中国の杜甫は公務員試験に何度も落ちたそうそしてその流れが
偉大な詩人を作るきっかけになったと
人生は上手くできている

写真は撮ることを楽しみ出来上がりを喜ぶ
はっきり覚えていられる時間は短い
心の中にしまうか形に残すか
どちらも大切にしたい幸せの証

幸せな気持ちが言葉に乗って口からこぼれる
たくさんの笑顔に届くよう
風に乗せて
世界中へ
元気を届けにいってらっしゃい




『朔日餅Ⅱ』

伊勢名物の定番になりつつある赤福の朔日餅
元旦を除く毎月一日に販売されます
朝早く並ばないと
手に入らないように思われていますが
午前中の10時半頃までに本店に行くと
人気のもの以外は手に入ります
これも運でしょうか

本店以外では
松坂屋や三越などの赤福の支店で
予約をしておけば手に入ります

以前七月の竹流しを
松坂屋へ受け取りに行ったとき
予約引き渡しの場所で
店員さんに付いて離れない女性がいました
話を聞いていると
予約はしていないが遠くから来ているので
どうしても欲しいと訴えています
竹流しは特に人気ですし
キャンセルも出ていないので
無理ですと何度も言ってみえましたが
たくさんの商品を前に
なかなか納得がいかないようで
店員さんから離れないのです
このままではどちらもと思い
予約しておいた分のひと箱をお分けしました
大喜びでいたく感謝をされ
笑顔で帰っていかれました
テレビでも取り上げられたためか
今まで以上に人気になっていると
その日は改めて手にできたことを
感謝して帰りました

毎月の朔日餅について
前回の続きをおおくりします
十月は「栗餅」
現在の十月は旧暦の九月九日です
五節句の中で重陽の節句と言われ
昔から大切にされてきました
重陽の節句ではお酒には菊の花を浮かべます
栗ごはんや栗のお菓子をいただいて
不老長寿を祈ります 
栗餅はもち米の食感を
ほどよく生かした生地で
いい塩梅の甘さの栗餡を包んでいます
生地の上には栗羊羹がのっていて
表情を作っています
見た目は俵型のおにぎりにも見えます
甘く実った栗をいただくと秋を感じます
本店では甘い栗餅に合わせ
少し渋みのある煎茶が振る舞われます
緑色が鮮やかで後味もすっきりします

十一月は「ゑびす餅」
十一月には商売繁盛を祝うおまつり
ゑびす講が行われます
商売をする人にとって大切な月です
そんなゑびす様にちなんだお餅
打ち出の小槌の印の入った黒糖と
小判の印の入った柚子のお餅
二種類の風味の良いお餅が
白黒はっきり整然と並んでいます
商売繁盛と開運招福を形にした朔日餅です
本店ではおめでたい席で出される
昆布茶が振る舞われます

十二月は「雪餅」
暦の上では大雪の十二月
伊勢は穏やかで暖かな地方ですが
必ず冬将軍はやってきます
その寒い冬の季節にちなんだお餅
もろこし粉の入った餅生地でこし餡を包み
生地には餅粉がまぶされ
薄っすらと雪がのったように見え
お餅で雪景色が表現されています
本店ではふる里の晩茶が振る舞われ
あっさりとした味が
雪餅の味を引き立ててくれます
雪餅をいただくと今年も終わり
新しい年が間もなくやってきます

朔日餅には毎回
それぞれの季節に合わせた伊勢千代紙が
包装紙として使われています
二月はわらびや梅に鶯や蝶に水仙など
たくさんの春の花や生き物などが
天井画のような形で表現され
「立春大吉餅」を包んでいます
三月は一年で一番鮮やかな伊勢千代紙です
女の子の成長を祝って
若草色や桃色や黄色を背景に
お雛様が優しく微笑んでいます
沿うように描かれた桃の花も素敵です
四月は優しい若草色の流れるような背景に
伊勢にまつわる伝記に出てくる桜や
伊勢に古くからある
名木の桜の花をあしらった
春を感じる千代紙で
「さくら餅」を包んでいます
五月は厄除けとしても使われている
色とりどりの花菖蒲がちりばめられています
節句の日にはお風呂に入れるなど
薬草としても使われている菖蒲
花菖蒲は三重県の県花でもあります
そのまま着物の柄にしても素敵です
そんな伊勢千代紙で
「かしわ餅」を包んでいます
六月は麦の収穫に感謝をして
麦畑があしらわれています
黄金色のふっくらと実った麦の穂は
豊作の喜びがあふれています
「麦手餅」の色合いとぴったりです
七月は七夕の季節です
川の流れに笹舟を浮かべ
水の流れを配した優しい水色の千代紙です
目からも涼しさを感じます
不動の一番人気
「竹流し」を涼しげに包んでいます
この月は一緒に短冊がいただけます
八月は麦わらをあしらった千代紙です
麦わらを色とりどりの色に染めて
着物のように仕立てた味わいのある柄で
かご入りの「八朔粟餅」を包んでいます
麦わらは昔から色々な形で使われ
重宝されています
箱入りは
神宮の鳥居と稲穂が描かれた別の図柄です
九月は稲穂や萩の花すすきの穂など
実りの秋が扇面状に
背景の色を変えて描かれ
「萩の餅」を包んでいます
この柄も着物の柄にしたいひとつです
十月は栗の実や松葉など
秋の実りに感謝
子供の声が聞こえてきそうな
童謡の一場面のような千代紙です
栗もあしらわれ「栗餅」にぴったりです
十一月は秋の実りの黄金色の背景に
米俵と鳴子を掛けた縄を張り巡らした
田んぼが描かれています
五穀豊穣への感謝の気持ちが伝わってきます
ゑびす様にちなんだ二色の「ゑびす餅」を
より引き立てています
十二月は台所や水屋などに張る
「火の用心」と書かれた
千社札色々が描かれています
昔も今も心にしっかり留めておきたい
火の用心の四文字
暖簾の柄に合いそうな
色合いも穏やかな
「雪餅」を包む伊勢千代紙です

縁起のいい朔日餅をいただける幸せ
毎月の朔日餅を
たくさんの人に届けることを
大切に思う思いが伝わってきます
これからも感謝をして
いただき続けようと思います




赤福 朔日餅 八朔粟餅

  MASAYO TACHIKAWA





ゆっくり歩くと
普段見えないものがたくさん見えてくる
大切なのは目に見えるものではなく
なかなか手にできないものだということも
今日もまたゆっくりと

風が心を運んでくれる
喜んでいても泣いていても
時間は速度を変えてはくれない
同じ一日
「幸せ幸せ」と言葉に出して
前へ

「良かった良かった」の言葉が
また良かったを運んでくる
自分で出来ることで
喜んでもらえたら嬉しい
これからも良かったを
精一杯重ねていきたい

生きていることの意味を
見つめ直す機会をいただいた
笑顔が当たり前の日々に感謝
ふれあうすべての人に
ありがとう

思いと違う所を目指したら
出会えるはずのなかった大切なものに
出会ったりもする
力を感じる大きな何かにだったり
心豊かな素敵な人だったりと

たくさんの
素晴らしいパワーの持ち主と触れ合えた
たまたま出会った人たちだけど
これも縁
笑顔がとても輝いていた
優しさもたくさん分けてもらった

朝早く
王様が住んでいた王宮へ足を向けた
人のいない建物が青空に映えて
長い歴史を
語りかけてくれているようだった
偉大な地球の遺産

炭を焼いた後の窯の中へ入った
汗と共に体内の毒素も排出
自然から強い力を受けた
最強の花湯にも入ることが

いつも歩く道
緑の葉が赤や黄色に変わり始め
目を楽しませてくれる
秋はすぐそこ
ここを歩く度に
幸せになっている
そんな気が




『赤福 朔日餅』

伊勢には毎月一日に
いつもより早く起きて
神宮へお参りをする
朔日参りという慣習があります
無事一か月間を過ごせたことを
感謝するとともに
新たな月の無事を祈るものです

そして朔日参りに
神宮へ訪れる人たちをお迎えするために
赤福が始めたのが
朔日餅(ついたちもち)です

おかげ参りが盛んな江戸時代から
行なわれていたことだと思っていましたが
赤福での朔日餅の歴史はまだ浅く
昭和53年から始めたことだそうです
元旦を除く毎月一日の午前4時45分から
本店で販売が開始されます
本店以外でも
各支店で予約販売がされています

毎月季節に合わせて内容が変わる朔日餅
二月のお餅は「立春大吉餅」
二月四日の立春は二十四節気の元旦であり
前日の二月三日の大みそかには
豆まきをして邪気を祓いました
節分のことです
立春大吉餅は黒大豆と大豆を使った
二種類の豆大福がきれいに整列して
入っています
白の豆大福は大粒の黒大豆とこし餡が
餅生地に包まれています
薄茶色の豆大福の中は大豆とこし餡
餅生地にはきな粉がまぶされています
本店では朔日餅をその場でいただくと
梅の実と昆布が入った福茶も振る舞われます

三月は「よもぎ餅」
伊勢型紙で作られた包装紙は
可愛らしいお雛様の絵が印刷され
色も菱餅の色に合わせ
一年で一番華やかで目を引きます
今はよもぎ餅は一年中食べられますが
昔からよもぎは魔除けの草と言われ
お雛祭りの三月三日に
草餅をお雛様にお供えしたのも
よもぎは香りが高くどんどん増えるため
子孫繁栄、無病息災を
祈るためのものでもありました
草餅は桃の節句を祝うお菓子のひとつです
本店では色とりどりのあられが入った
あられ茶が振る舞われます

四月は「さくら餅」
日本人が待ちに待った桜の季節です
桜色に染まったもち米とこし餡
この季節には欠かせないお菓子です
桜の葉も程よい塩味で
美味しくいただけるので
剥がさず一緒に食べます
本店では桜の花を浮かべた
桜湯が振る舞われます

五月は「かしわ餅」
新緑の季節
端午の節句に欠かせないのがかしわ餅です
柏の葉はゆずり葉とともに
新しい葉が育つと枯れ落ちます
新しい葉と代替わりをします
もうひとつ柏の葉はお参りの時に打つ
柏手に似ていることから
縁起のいい葉とされています
本店では鯉のぼりと吹き流しを見立てた
五色のあられを番茶に浮かせた
五色湯が振る舞われます

六月は「麦手餅(むぎてもち)」
六月は田植えも終わり
麦刈りの季節です
その繁忙期を終えて
豊作への感謝を形にしたのがこのお餅です
麦粉が入った餅生地
表面にも香ばしい麦粉がまぶされています
本店では麦秋月にちなんで
麦茶が振る舞われます

七月は「竹流し」
本物の青竹に
水ようかんが流し入れ固められ
これもまた本物の笹の葉で
ふたがされています
赤福の餡がそのまま水ようかんになっていて
口当たりもよく
見た目も喉越しもとても爽やかです
この竹流しは朔日餅の中で
不動の一番人気だそうです
本店では香ばしく炒った玄米に
緑茶を混ぜた玄米茶が振る舞われます
私は毎年食べ終わった青竹はよく干して
一輪挿しに使っています

八月は「八朔粟餅(はっさくあわもち)」
八朔とは旧暦の八月一日のことです
一年で一番初めに収穫される粟
「田の実」と「頼みごと」を
あわせた「たのもの節句」
神様に田の実りをお願いするときに
新穀をお贈りして祝う習わしのことです
江戸時代は
この日に武士が上司に贈り物をして
頼みごとをしたそうです
現在のお中元のはじまりだと言われています
八月一日は八朔参宮とも言われ
参拝者も多く
古くから粟餅を食べる習慣がありました
これをうけて粟の粒を残した粟餅に
黒糖の餡をのせたものが八朔粟餅です
形は赤福と全く同じで
餡の色は黒糖が入っているため
赤福より濃い目
中のお餅は粟餅のため薄茶色です
どちらにもこくがあって美味しいです
本店ではいつも出されるほうじ茶を
冷やして振る舞われます

九月は「萩の餅」
昔からこの時期は収穫に感謝をして
おはぎを作ってお祝いをします
萩の花は秋の七草のひとつであり
実りの秋には可愛らしい花を咲かせます
お餅を月にお供えするときも
すすきと一緒に萩を生けて供えます
その萩の花を
小豆の粒で表現したものが
おはぎの由来です
萩の餅は少し塩味が利いていて
爽やかな甘さです
本店では紫蘇の香りがする
香煎茶が振る舞われます
萩の花のような薄紫色の香煎茶は
萩の餅の甘さをより引き立ててくれます

朔日餅は365日分の1日しか出会えない
縁起の良いお餅です
十月は「栗餅」と続きますが
十月から十二月の朔日餅のこと
朔日餅の包装紙に使われている
素敵な伊勢千代紙については
次回にいたします
お伊勢さんは何度行っても
独特な風が吹いていて
心落ち着く大切な空間です





赤福 朔日餅 三月 よもぎ餅とあられ茶

  MASAYO TACHIKAWA





まだまだ道の途中
いつかこの時間が身になり
大きな形になると信じている
自分を見失わず
自分らしく一歩一歩

カを入れ過ぎても抜き過ぎても
バランスを崩してしまう
力加減は経験
この時の積み重ねが山となって
宙に向かって伸びていく

温かいことばが愛おしい
毎日理由がわからないことが
たくさんあるけれど
ほんわりとした採りたての時の流れが
そっと優しく包んでくれる

個性がものを言う時代
右に習えも必要だけれど
参りましたを耳にする位の衝撃も
頭だけでなく
運も個性のひとつ

こんなに頑張っているのに
と思っている間は
なかなか前へは進めない
続く未来のために
惜しまない日々を

乗る飛行機の出発見込みが立たない
このまま飛ばないのかも
話しのネタにはなるけれど
この足止めも何かの意味が

飛行機は間もなく到着
日も暮れ
オレンジ色のナトリウム灯が
キラキラ光って目と心の保養に
これもご褒美
このきらめく景色

皆肌が艶々
光っている
生き方は顔に出る
お化粧をしてもごまかせない
肌と生き方
ともに輝くように
日々挑戦を

気持ちに余裕が出来ると集中力が高まる
見えない何かを両手いっぱいに
手に入りきらないものは
上手に移動
つつがなく前進を




『夏野菜Ⅱ』

暑い夏を乗り切るために
からだのサポーター役をしてくれる
新鮮な夏野菜

夏野菜の定番
目にも鮮やかなトマト
この頃は果物のような糖度の高い
甘いトマトがたくさん出ています
真っ赤に熟れたトマトは目にも鮮やかで
程よい酸味は
夏の暑い時期に食欲を増してくれます

日本へは江戸時代
長崎に入ってきたのが最初とされ
当初は青臭く観賞用でした
赤いトマトが普及していったのは
明治以降で
昭和に入ってやっと
日本人の味覚に合うトマトが
出来上がったようです

本来のトマトは
涼しいところと強い日差しを好み
高温多湿を嫌うため
春から初夏
秋から初冬が
一番美味しいそうです
きゅうりと同様一年中出回っているため
季節感がなくなってきた
野菜のひとつでもあります

トマトはナス科で
他の野菜に比べ
ビタミンやミネラルをバランスよく含みます
体の潤滑用の役目を果たす
リコピンが多いことが
トマトの最大の特徴です
話題のリコピンは抗酸化作用が強く
動脈硬化や生活習慣病
がん予防に効果があると
注目を浴びています

トマトと切っても切り離せないのが
中部地区に本社のある
「カゴメ」です
カゴメはトマトケチャップが
一番の売れ筋商品ですが
今はトマトジュースはもちろん
野菜ジュースやサラダ麺用ソースなど
トマトにまつわる製品を次々と出しています

カゴメは創設者が
明治36年に愛知県東海市で
トマトソースを完成させました
現在のトマトピューレです
その後試行錯誤の結果
五年後の明治41年に
トマトケチャップとウスターソースの
製造を開始します
昭和8年には
トマトジュースの販売も始めました
昭和41年にカゴメから
今ではお馴染みの
プラスチックチューブ入りケチャップが
世界で初めて発売になりました

現在ではリコピンが
普通のトマトの何倍も入ったものなど
目にも鮮やかな数種類の生鮮トマトの
生産販売もしています

トマトはヨーロッパでは
毎日大変多く食事で摂られていますが
日本では1日プチトマト2個程度と
比較するととても少ないのが現状です

かぼちゃもこの時期冷製スープにしたりと
甘くて美味しいときです
我が家の数種類のかぼちゃのつるも
日に日に伸びて黄色い花を咲かせ
変わりかぼちゃの緑色の実や
ピーナッツかぼちゃの
薄茶色の実も大きくなってきました
黄色い花が雄花ではなく
雌花であることを期待しています

かぼちゃは「南瓜」と書き
これは中国語で
日本には17世紀に
カンボジアから来たので
「かぼちゃ」の名が付いたとされています
今日本で栽培されているかぼちゃは
主に日本かぼちゃと西洋かぼちゃ
ペポかぼちゃの3種類です
日本かぼちゃは粘りがあり
お醤油との相性がよく
昭和40年ごろまでは
この日本かぼちゃが主流でした
西洋かぼちゃは栗かぼちゃとも言われ
甘みが強くほくほくしているため
今では栗かぼちゃが
市場に一番出回っています
ぺポかぼちゃは淡白な味で
そうめんかぼちゃやズッキーニがそれです

かぼちゃは収穫してからしばらく
そのまま太陽に当てておくと甘みも増して
よりおいしくなります
緑黄色野菜であるかぼちゃは
ビタミンCやβカロテンなどを多く含み
皮膚や粘膜の抵抗力を強くして
免疫力を高める働きがあります

暑い夏に弱った体を支えてくれる夏野菜は
太陽の恵みを受け
ますます私達の強い味方になってくれます
皆さんが一番好きな夏野菜は何ですか
私はズッキーニも好きですが
今は生でも食べられるとうもろこしも
甘くプチプチと爽やかな歯ごたえで
お気に入りです
とうもろこしは髭の本数と同じ数
実を付けます
一度数えてみてください




可愛らしいプチトマトの花

  MASAYO TACHIKAWA





何だか心がほぐれていく
きっと魂が肩のカを抜いて穏やかにと
語りかけてくれているのだろう
守られている毎日に感謝

日々物事が大きく動いて
途絶えることがない
世界中で毎日何かが起こっている
天と地のめまぐるしい変化に
人生は学びの場であると強く感じる

朝キラキラと輝く太陽に
心が溶けていく
蛇口から当たり前に出てくる
清らかなお水に手を合わせ
日本はやっぱり素晴らしい

何年経っただろう
久しく行っていなかったあの場所へ
何も変わっていなかった
変わったのは自分だけかもと
落ち着く場所とみんなの声

パリからメールが届く
せっかくだから小さな世界に留まらず
たくさんの世界を見ていきたい
些細な出会いも何かの意味がある
ずっと大切にしていこう

強い衝撃が目の前を通り過ぎる
心で受け止めて
上を向いて前へ
できるから与えられた
素晴らしい出来事

雨がたくさん降っている
心の雨もほどほどに降れば力になる
雨降って地固まる
地球も人もその繰り返し

何かを知らせたいのだろうと思うことが
ただこのまま待っているのは
もったいない
これもチャンスと
生かしていこう

浮世絵の原画を見た
恵比寿様と言えば鯛なのに
平目しか釣れない困り顔の恵比寿様
さすがの神様も
どうにもならない事もあるとの教えかと
肩の力が抜けた




『夏野菜Ⅰ』

夏野菜でまず浮かべるのが
きゅうりでしょうか
きゅうりはウリ科の1年草で
日本では平安時代から栽培され
「胡瓜」と漢字で書きます
その「胡」とはシルクロードを通って
入ってきたことを意味します

世界中で500品種以上のきゅうりが
栽培されています
他国では色々なきゅうりを目にします
日本のきゅうりのような
繊細なものではなく
大味で大胆なきゅうりもあります
日本では生で食べるのが一般的ですが
ピクルスにしたり炒めたり
いずれの国も美味しく調理されていました

きゅうりは90%が水分で
以前は世界一カロリーの低い果実として
ギネスブックに載っていたことも
あるそうです
食べ方として
サラダやかっぱ巻きは外せませんが
もろきゅうで
きゅうりに金山寺味噌など
もろみ味噌をのせて食べるのも
この時期には塩分も摂取できて
とてもいい食べ方です

江戸時代は武士の世界では
輪切りにしたきゅうりの切り口が
徳川家の家紋である葵の御紋に似ているため
きゅうりの輪切りを食事に出すことは
良しとはされていなかったようです

今では一年中
安定した価格で販売されているため
どの季節の野菜か
わからなくなってしまいます

夏野菜の中で一番好きなのがズッキーニです
ズッキーニは
最近どこでも見られるようになりましたが
十数年前までは生産量も少なく
一部のお店であったり
産直のJAや青空市場などでのみの販売で
新鮮なものはなかなか手に入りませんでした

ズッキーニはかぼちゃの仲間で
日本ではあまり生では食べません
炒めたり、焼いたり煮たりします
火の入りが悪いため
薄くスライスして
調理をすることが多いです
乱切りにして歯ごたえを楽しんでも
美味しくいただけます

夏によく行く蓼科高原では
この時期広大な畑で
毎日のように
たくさんのズッキーニが採れます
ズッキーニは生長が速いため
一日採り忘れると
大げさではなく何倍にもなってしまいます

必ず立ち寄る蓼科の名所女滝近くにある
ログハウスで三角屋根の
可愛らしい素敵な建物の
生産直売のお店の方とは
ずっと親しくさせていただいているので
自分で好きなズッキーニを
ハサミを持って採りに行かせてくれます
大きくなった
ヘチマのようなズッキーニを採ってくると
「そんなのあった?
責任もって持って帰ってね」と
冗談で言われるくらい
一日で大きくなります

濃い緑色のズッキーニが一般的ですが
黄色のズッキーニは
緑色のものより実が柔らかく
味に癖もありません
他に白いものや
緑と白の縞模様のものもあります
花もオクラの花と同様
食材として用いられます

他にかぼちゃ、なす、とうもろこし、オクラ
種類豊富なトマトなど
食欲の落ちる太陽の輝くこの暑い季節には
これらの夏野菜は食卓に欠かせない
大切な地球の贈り物です

今我が家のプランターでは
変わりかぼちゃさんたちが
黄色い花を咲かせています
すでに数個可愛い実を付けて
元気にすくすくと育っています
大きくなるのを見ているのも心の栄養ですね




きゅうりの仲良し兄弟

  MASAYO TACHIKAWA





人生すべてが出会い
小さな出来事が道を変えることも
心の窓を磨いて
大切な出会いを見逃さないように

癒やされる空間を願い続けている
何を与えられ得られたのか
今はまだ掴めていないけれど
たくさんの人に囲まれている日々が
ひとつの結果だと

時間にも守られている
これからも
縁があるところへ足が向けられるよう
心落ち着け
感謝を重ね充実したときを

支えてくれる人が多いほど
人は優しくなれる
敵が多いと強くなれるというのは
あくまでも理想かと
誰もが心安らかに過ごせることを
願っている

メロンのひび割れた姿を見たとき
代わりに身を熟して
助けてくれたのかと思った
植物にも心があると言う
ずっと何かに支えられている毎日 

いい時間を過ごすことができた
何に引かれてこの場所に来たのだろう
いつ来ても
昔からずっといる気がして落ち着く
そんなところがある幸せ

清水の舞台から飛び降りるつもりで
頑張りますと言う
現実はもう少し厳しい気がするけれど
考えているより
まずはやってみよう

車の走行距離が20001キロに
ジャストは見逃したけれど
1から始めなさい
そんなメッセージのような楽しみな発見
そして始まり

好きな場所での素敵な出逢い
優しさにたくさん触れて
心が柔らかくなっていく
そして直ぐにまた
この魅力的な世界に会いたくなる




『紫陽花』

我が家の庭で紫陽花祭りが始まりました
中でも一番目を引くのが
「花火」という品種の
薄い水色のお花です
お店で一目見て気に入り
購入してしばらくは家の中で楽しみました
お花が終わるころに
庭の南側山茶花の木の近く
適度に陽が当たる場所に植えました

気持ちに応えて
毎年優しい水色の愛らしい花を
咲かせてくれています
花火は額アジサイの一種で
額アジサイは
真ん中の細かい花を装飾花が囲い
その様子が額縁のように見えることから
そう呼ばれています

色々なところで
よく見かける半円の紫陽花は
ガクアジサイが原種ですが
他のアジサイ科の花と区別するために
ホンアジサイと呼びます
種が取れるのはかなり稀なため
ほとんどが挿し木や株分けで増やします

ヨーロッパで見られるアジサイは
日本から中国へ伝わったものが
18世紀に
さらにヨーロッパへ持ち込まれたものです

ヨーロッパで品種改良され
日本へ入ってきたものを
西洋アジサイと言います

現在3000品種あると言われ
多くの新顔の紫陽花が
あちらこちらで見られます

ホンアジサイは
萼が大きくなった装飾花が
丸くなって咲きます
それを手まり咲きと言い
それに対しガクアジサイは
額咲きと言います

今はよく見る真っ白な紫陽花ですが
最初見たとき
形は紫陽花ですが
他の種類の花かと疑ってしまいました
それに驚くことなかれ
半円の丸い紫陽花だけではなく
先が細くなり
動物のしっぽのような
花をいっぱい付けた
柏葉(かしわば)紫陽花という
白い紫陽花をこの頃よく目にします

6月7月の湿度の高い日本で
涼しそうな顔をして咲いている紫陽花に
目から涼しさを求めたのは
現代人だけではないでしょう
雨と紫陽花は切っても切れない間柄です

この時期のお茶席では
ピンクや水色の餡に
透明な花びらを模った
細かいゼリー状のものを
包み込みようにのせた
紫陽花と名の付いた
目にも鮮やかな
美味しい和菓子が振る舞われます

お茶席でなくとも
この時期和菓子屋さんに行くと
ついつい買ってしまう
目でも舌でも美味しいお菓子です

紫陽花の名所は日本中に点在していて
アジサイ寺と呼ばれているお寺も
数多くあります

紫陽花は植えてある土の酸性度によって
酸性が強ければ青色に
アルカリ性が強ければピンク色に
花の色が変わります
土壌の質に関係なく
咲き始めから咲き終わるまで
お花の色が変化していくため
「七変化」とも呼ばれています
ただあまりこの呼び方は一般的でないため
そう呼んでもわからない人の方が
多いと思います

紫陽花という漢字は
中国から日本に伝わったもので
元々は唐の詩人が
ライラックの花に付けました
それを平安時代の学者が
ライラックも紫陽花も
紫色であったため
間違って当てはめてしまったとも
言われています
ちなみに中国では紫陽花のことを
八仙花と呼んでいます

紫陽花の語源は
藍色の花が集まるという意味で
「集真藍(あづさあい)」と書きます
属名のハイドランジアは
ギリシャ語で水の器や水がめのことで
水をよく吸うため
そう付いたとされています

紫陽花の花言葉は
「移り気、辛抱強い愛情、無情」など
花言葉にも涼しさを求めている気がします

今年も最後まで我が家の庭の
紫陽花祭りを楽しみたいと思っています

今は紫陽花を
ドライフラワーにして
花材として使うこともあるので
花火もそうしたいと思います



額紫陽花「花火」

  MASAYO TACHIKAWA





人生巡り合わせ
ほんのちょっとのタイミングが流れを変える
先を目指して切り替えを
立ち位置
上昇中

心落ち着く
ゆったりとした時間をいただけるよう
導きに感謝をして
目の前のことに挑戦を
ひとつひとつ
心の整理も大切に

1秒でも長く関わっていたい人がいる
そう思える人がいるのは幸せ
これからもずっと一緒にいたい人達に
出逢っていけると信じている

気持ちを伝えるのは言葉だけではない
同じ空間にいるだけで
空気を通して心の会話も
目と目で穏やかな素敵な会話を

偶然が重なると
幸せな気分で心が軽くなる
自分の力だけではなかなかできないこと
何だか素晴らしいことが
足音を立ててこちらへ向かっている

ここまでよくきたと
そろそろ放たれたいと思うこともある
現状維持ではなく
今以上の結果が出ると思うから
また一歩前へ行ける

後ろを向いた文字を並べると
そちらに引き込まれていってしまう
悔しい時は逆に「ありがとう」と
これも伝わっていくから

  今このとき
湯加減のいい温かい温泉のお湯が
心の中に次々と湧いて出てくる
段々と気持ちが憂おっていくのを感じる
「いい湯だな」そんな感じが

感動で涙が溢れ出る瞬間がある
大切な人から感謝の言葉を耳にしたとき
その毅然とした姿で
ここまで支えてくれたことに頭が下がる
こちらこそ感謝です




『メロンパン』

縁をいただいて
幾度と伺っている
石川県の白山比咩神社への道のり
春日井インターから一宮を通って
北陸自動車道へと入って行きます
いくつかのサ-ビスエリアを通り越して
そろそろ休憩を考えるのが
南条サービスエリアです
初めて南条に入った時
ある看板に目が止まりました
それは「メロンパン」の五文字
「ぽるとがる」というお店です
メロンパン専門店で
なぜだか引き寄せられるような感覚でした

香りに誘われてお店に入ってみました
夕張メロンクリームの入ったメロンパンや
網目のきれいなメロンパンなど
数種類のメロンパンが並んでいました
でもお客さんが
次々とトングで掴んでいくのは
顔の白い普通のメロンパンです
横で聞こえてくる伯母さま方の会話も
「うちの孫達が南条のメロンパン 
メロンパンっていつも言うから」と
お孫さんの喜ぶ顔を
思い浮かべてみえるのでしょうか
とても幸せそうな表情で
そのメロンパンを手にされていました

これは一番人気なのだと思い
普通のメロンパンを買うことにしました
車の中は
メロンパンの香りでいっぱいです

その日いつも行く片山津温泉のホテルで
夕食前にもかかわらず
誘惑に勝てず
柴山潟を見ながら食べてみました
外はほどよくカリっとしていて
中の生地が淡い緑色で
甘さもほどほどでフワッとしています
「美味しい」
メロンの甘くて優しい香りもします

大げさですが
一口で心が奪われてしまいした
外は白色ですが
中の生地のみどりいろの
何とも言えない柔らかな色合い
メロンの香りもそのみどりいろを
引き立てています
ずっと傍に置いておきたい
心温まる優しいみどりいろ
味もですがこの色に感動をしました
食は口で味わうだけでなく
目でも味わうとは
こういうことだと思いました
漢字の緑色ではなく
ひらがなの「みどりいろ」がぴったりです

それから白山さんへ伺う時は
まずは南条サービスエリアを目指して
走っています

前回たまたま店長さんが
お店の前に出てきてみえていて
こちらへ来る目的の一つが温泉と
このメロンパンであることを伝えました

メロンパンの名前の由来は
表面のビスケット生地が
網目だったという説や
たまたま入ったひび割れが
マスクメロンに似ているからという説
生地にメロンのフレーバーを入れたから
ビスケット生地に使うメレンゲがなまって
メロンになったなど
諸所説はありますが
はっきりとした理由はわからないそうです
いずれにしてもメロンパンは
メロンに形や色が似ているから
今となればそんな感じで
思われているのでしょう

まん丸のメロンパンが一般的ですが
一部の地方では
アーモンド形のメロンパンもあるようです

北陸自動車道で
南条サービスエリア下り以外には
杉津サービスエリア上りにも
「ぽるとがる」の姉妹店があることを
先日の店長さんとの会話で知りました
これから行きは温泉での食事を満喫して
帰りにこちらのお店で
焼きたてを買って
帰ることにしようと思っています

香り良し
味良し
見た目良しの
三拍子そろった
素敵なみどりいろとの出逢いに感謝です



「ぽるとがる」のおちゃめなメロンパン

  MASAYO TACHIKAWA





あの時この道を選んだことを
褒めてあげられる日が来ると信じている
考えを重ねることが励みとなる
輝けるときを

願いの大きさが大きいほど
壁が立ちはだかることも
それを乗り越えたときには
しんどさ以上の喜びがある
心から結果を楽しみたい

小さな世界から
自分らしくないことを省いていくと
迷いの時間がなくなっていく
感謝を重ねて意味のある日々を大切に

遠い過去に何があったのかはわからない
見えない世界がこのときを作っている
その意味は必ず伝わる
大切な相手にも
もちろん自分にも

直線上だけで考えていると
真横で起こっていることさえも気付かない
迷うことは
より良いものを手に入れようという
その思いのかたち

右へ行こうか左に行こうか
もう一歩前進できるようにカをください
気持ちが定まらないときは
一度立ち止まって
届いた声に耳を傾ける 心休めて

偶然が笑顔を運んで来てくれた
あの微笑みが見たくて道をうろうろしていた
必ず結果は出る
遠回りをしていても
着実に前へと進んでいる

たくさんの人が励まして褒めてくれる
この言葉の一つ一つが
大きな力となって
また誰かの力へと繋がっていく

日々は自分のためにある
まだまだ足りないと判断するか
ご褒美と考えるか
幸せになるために生まれて来たと確信できるまで
喜んで頑張ろう




『活き魚料理』

愛知県知多半島の先端
師崎港から高速船に乗って
日間賀島へ行って
獲れたてのお魚を
おなかいっぱいいただいてきました
きらきらとした
海を見ながらの食事は最高でした

知多半島には2つの観光の島があります
篠島そして日間賀島
ともに鮮魚はもちろんのこと
新鮮なタコと天然フグが名物です
日間賀島には時折イルカも訪れるそうです

3月には日間賀島で
ふぐのフルコースをいただいてきました
普通であれば数人で一皿の薄造りも
一人一皿大きなお皿に
何周もふぐが輪になって
薄造りになって並んでいました
一度に数枚箸を滑らすように摘まんで
薬味ねぎを巻いて
もみじおろしを付けてポン酢で食べました
何と贅沢な食べ方でしょう
長島さんがよくその食べ方を
されていたと聞きます
私もあやかってみました
歯ごたえがあって美味でした
焼きふぐ、から揚げ、もちろん雑炊も
そしてこの時期しかない焼き白子は
クリーミーで絶品でした  

活魚(かつぎょ)はお寿司やお刺身など
活きの良い食材を大切に使う
日本の食文化の代表でもあります

海に囲まれた日本は
獲れて当たり前だった魚が
朝昼晩のおかずの代表選手であったことは
間違いありません
食習慣で魚をたくさん食べていたから
日本人は頭がいいとも言われてきました

魚を桶に入れて担いで売り歩く
行商さんの姿も
遠い昔のことではなく
今は輸送技術が発達して
魚を眠らせたまま運ぶ快眠活魚という
昔では考えられないことが行われています

生簀など管理するのは大変でしょうが
海に行かず
居ながらにして獲れたてのお魚を
いただけるのは嬉しいことです

海外で生の魚を口にするのは
とても勇気のいることです
カルパッチョが
それに近いかもしれませんが
あまり想像がつきません

正に鮮魚は
日本食の重要な位置を占めています
鮮魚と言って一番に浮かぶものがお寿司です
お寿司と一言で言っても
にぎり、巻き、ちらし、五目、いなり
なれ、押し、創作と多くの種類があります
地方でもさば、柿の葉、ふな、めはりなどと
きっと知らないお寿司も
たくさんあると思います

お寿司の筆頭は握り寿司ですが
そのにぎりも
江戸前寿司と言われるものが一般的です
江戸前とは東京湾で獲れた魚介を
使用したお寿司で
関西系のお寿司とは
しゃりの味にも違いがあります
お寿司は戦前では立ち喰い蕎麦のように
屋台で注文してそれをいただく
立ち喰い形式だったようです
江戸っ子が鉢巻をして着物姿で
屋台のお寿司を食べている絵を
何度か見たことがあります

今ではお馴染みの回転寿司は
大阪の立ち喰い寿司屋さんが
ビール製造のベルトコンベアをヒントに
考え出したとされています
難しかったカーブの部分は
子ども達がトランプをしているところを見て
思い付いたそうです
現在は世界中にこの回転コーナーがあり
世界各国でお寿司以外の変わり種が
くるくると回っています

新鮮なお魚をいただけるのは
とても嬉しいことですが
日々のニュース番組を見ていると
それを当たり前とは
思えなくなってきています
感謝をしてこれからも活き魚料理を
楽しみたいと改めて思いました



日間賀島ふぐの薄造り一人前&活け造り

  MASAYO TACHIKAWA





透き通った青い空
手を伸ばせば届きそう
空が澄んだ心を映している
もうすぐ大きな何かが手の中に入ってくる
そんな気が

素晴らしい生き方のひとがいる
どこかが違う
なかなか真似はできないが
心を整え真っ向から向き合おう
そうすれば自ずと結果は付いてくる

大好きな人と同じ空間で
たった二人だけで居るよう
目の前でたくさんの人が動いているのに
二人だけ静止画のように
ゆったりと

間もなく新幹線は東京に到着
大都会にいると
何だか自分もこの都会の流れに
必要な人になったよう
いつもより少しだけ大きく手を広げ前へ

ディズニーランドのような
夢の世界にいると
身体も心も無邪気にはしゃぎたくなる
純粋な子どものように
今を楽しんで

何かを求めて
幾度と足を向けるこの空間
ここには何かがある
心が暖かく軽くなって
また来ようと思う
遠くて近い場所

雨の一日の予報 
雨に当たることなく太陽が顔を出してきた
雨をすり抜けて無事目的地へ
まだ健在自分力

大切なことを忘れているかもしれない
闇雲に思いを募らせても
前へは進めない
やるべきこと
やらねばならないことを
並べてみよう

心穏やかな自分がいる
そして時間が思いに合わせて
ゆっくりと動いている
そんなことを思える今は
きっと幸せ




『マメナシ(絶滅危惧種)』

春になると小さな公園で
木の上に雪が積もったように
真っ白な花を
たくさん咲かせる木が1本あります
ピンク色の桜の花の間で
たった1本白い花を咲かせるので
一段と目を引きます

何の花だろうとずっと思っていました
朝渋滞がなく
その木の横をいつもより
早く通ることができたので
通り過ぎてから戻って
木に近付いてみました

林檎の花のような真っ白な花が
木に所狭しと咲いていました
優しい甘い香りがしました
本当に香っていたのではなく
今思えば花の鮮やかさで
そんな気がしただけかもしれません

青空を背景にたくさんの
その白いお花の写真を撮りました
木の下には
「マメナシ」と書いた
手作りの看板が立っていました
「マメナシ」って言うんだ
メモする訳でもなく
まめと言うのだから
小さな梨の実でも生るのかなと思いました

それから数日して
中日新聞にこのマメナシについて
写真と解説が載っていました
何と絶滅危惧種だと
愛知県にも数えるほどしか
残っていないのだと
絶滅危惧種という言葉はよく耳にしますが
言われているものを目にすることは
ほとんどありません
こんな身近に絶滅危惧種がと驚きました

いつも夏に行く知多半島の美浜
親しいお婆さまが
連れって行ってくださる所に
黒メダカがたくさんいる
秘密の場所があります
黒メダカも絶滅危惧種に認定されたと
ニュースで流れて
わざわざ連れて行ってくださいました
強いて言えば
それが唯一身近な絶滅危惧種です

絶滅危惧種とは
現在生存する個体数がかなり減少して
絶滅の恐れが高い
野生生物の種のことです
国際自然保護連合が
レッドリストを作成しています
このリストには現在2万種もの野生生物が
名を連ねています

日本も環境省が独自のレッドリストを
作成しています
そして各都道府県がそのリストをもとに
県版レッドリストを作っています

レッドリストは
EX EW CR EN VU NT DD
にランク付けされており
EXは絶滅
CR EN VUは絶滅危惧
DDは情報不足となっています

その中でマメナシは
ENで絶滅危惧種に指定されています

マメナシは梨の原種で
木は8~10mほどになります
果実は黄褐色で渋みが強く
美味しくないそうです
名前の通り
普通の梨のように大きくはならず
1cmほどにしかなりません
愛知県にも7箇所の市町村に自生していて
ほとんどが天然記念物に指定されています
そんな地球にも大切なマメナシに
偶然に出会えて幸せでした

これからも朝少し早く出て
マメナシさんの成長を
ともに楽しみたいと思います
その様子は追って
アメブロで報告をさせていただきます

今は花が散って
小さな青い実を付けています
初夏の優しい風に吹かれ
嬉しそうに揺れています
やはり甘い香りがする気がします


実をつけたマメナシ

  MASAYO TACHIKAWA





雲の隙間から
一直線に伸びる虹色に輝く光
その先で素敵な時が待っている
まだ見ぬ世界へ
道のりを楽しんで一歩一歩

乗り越えられない壁はない
小さな壁も大きな壁も
越えられるからこそ与えられる壁その強さ
選ばれた人へ贈られる幸せへの導き

全てがなくてはならない時間
過去の自分に返らず
前を向いて歩いていこう
何がこれからのためなのか
わかっているはずだから

夜空に輝く星座の言われは面白い
人生も少し視点を変えてみると
小さな出来事が大きく花開くことも
自分を信じて
くるりと方向転換もいい

出る杭は打たれる
打たれたくなければ
枠からはみ出さなければいい
それはわかっている
でもあえて挑戦するのは
誰のためでもなく自分のため

お天気で良かった
心の宝物になる大切な旅
思い出をいっぱい抱えて帰ろう
両手を振って行ってきます

気持ちが文字になって
頭の中から湧いて出る
自ら並んで飛び跳ねる文字たち
「幸せをありがとう」と何度も言いながら
整列をしている

誰とでも広い心で
接することができたとき
人としての願いを叶える一歩に
ひとまわりもふたまわりも
大きな自分になってまた前進

運はカなり
神様からのご褒美に感謝して
その運を
形を変えて誰かのためのカとする
心豊かに
また流れを手に




『笑っていいとも!』

日本を代表する国民的番組
「笑っていいとも!」が終了しました
32年間にわたり
正にお昼の顔として
誰からも愛された長寿番組でした

午後12時ジャスト
名古屋では1チャンネル東海テレビ
平日の12時に見ることができる日は
この時間笑っていいとも以外の番組を
ほとんど見たことがないと
言い切れるのも凄いことです
あのテーマソングがテレビから流れるのを
ずっと聴き続けてきた32年間
見ることができて当たり前の時間でした
通算8054回のギネス認定記録
言われてもぴんとこない大きな数です

私もこの8054回の5回に
参加をさせていただきました
観覧希望が当たり
慎吾くんの月曜日に一回
剛君の金曜日に一回
それが驚くことに二回とも
全く同じ席でした
百数十分の1です
百席以上ある中で全く同じ席とは
私もかなり運が強いなと
思ってしまいました
番組に参加をするのは
掛け声とオーバーアクションが必須です
カメラはそういう姿を見逃しません
見事アングルに納まりました

生放送終了後
出演者がフリートークをします
その話は日曜日の
いいとも増刊号で放送をされない限り
そこにいる人にしか味わえない
特別な時間です
ここでも剛君に話しかけてみました
優しい剛くんは素直に答えてくれました
それを聞いてタモリさんが
その話題で花を咲かせてくれました

あとの3回は文字での参加です
レスリング金メダリストの
吉田沙保里さんにお花を贈りました
そのお花の看板に「立川昌代」と
名前を入れさせていただきました
お花屋さんと相談をして
足のないアレンジフラワーならば
大きなお花に隠れることなく
置いていただけるだろうと
アレンジフラワーにしました
お陰様で
しっかりいい場所に納めていただきました
あとから「見たよ」と
たくさんのメールや電話をいただいたのが
いかに一瞬を大切にできたかの表れでした
それももう終わりです

芸能人の多くの方々が
この番組に出演することは
一つの目標であった気がします

新宿アルタは小さな会場です
番組が放送されていない
CMや放送終了後の時間は
舞台裏と出演者の本音が見られて
出演者と近い分より楽しかったです

放送終了後の出演者のトークでは
皆が目いっぱい話しているときも
会話に入らず一言も話さないで
見ているだけの出演者もいました
ただその人が人気者だと
その間に話したたった一言が放送され
ずっと話し続けているように見えて
これもテレビだと思った瞬間でした

最後にもう一度あの空気を味わえたらと
金曜日希望ではがきを送りましたが
残念ながら当選のはがきは来ませんでした

ただ最後の返信はがきには
いつもの「残念ながら」のゴム印が
ぽんと押されたものではなく
「長い間応援ありがとうございました」の
感謝の言葉が入った最初で最後の
初めて見る文字が並んでいました

タモリさんはここにきて
「違和感を感じてきた」と
ミュージックステーションの
生番組でスマップの問いかけに
答えていました
一視聴者である私達も
まだまだ違和感満載です

長い間ご苦労様でした
最後のいいとも特番の生放送で
タモリさんが言っていた
「感謝です」の言葉
こちらこそ感謝でいっぱいです
ほんの一瞬でしたが
参加できたことにも感謝をしています

続けることの
続けられることの素晴らしさを
教えていただいた番組でした
そして結果は必ず出ることも
本当に32年間ありがとうございました



「笑っていいとも!」へ贈ったお花

  MASAYO TACHIKAWA





新緑の爽やかな甘い香りの中
風に乗って気持ちが軽くなっていく
喜びで心が包まれる
幸せ切符を持ってどこかへ出掛けよう

出会いに感謝
大きな縁や小さな縁が目白押し
ずっと繋げていきたい
大切な人との素晴らしい縁

大難が小難に小難が無難に
この言葉には助けられることが多い
支えの言葉が
大きな結果へと導いてくれる

「ありがとう」
再復活した彼らの曲
この言葉を日々心から言えるように
人として磨きをかけていこう

幸せな話をいくつも続けて聞いた
嬉しい
素晴らしいことが待っている
心が先読みしていい話を呼ぶのかと
微笑みがこぼれた

ご褒美の時間をたくさんいただいている
これからも大切な瞬間を
見落とすことがないように
両目を開いてしっかり見ていこう

神様が微笑んでくださった
人にはできない神業のような出来事
呼ばれるように行った場所で
意味のある偶然の出逢い

人が幸せそうに笑っている姿を見られた日
何だか素敵と思えた日
何事もなかった日
いい日とはどんな日のこと

日々何事も繰り返し
関心を持って
常に興味を広げて前向きに諦めず
小さな積み重ねが
大きな支えとなっていく




『桜』

今年もたくさんの桜が日本中で咲き
多くの人の目と心を和ませてくれました
桜はバラ科に属し
日本を象徴する花です

桜は古事記に出てくる
木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の
木花がさくらを表わすと言われ
「さくや」が変化して
「さくら」になったとも
言われています
ただ桜の名前の語源は
数え切れないほどあるようです

お花見は秀吉の時代は
上流階級だけの楽しみでしたが
一般庶民に花見が広まったのは江戸時代で
あの人気者の8代将軍吉宗が
誰にでも花見が楽しめるようにと
隅田川や上野公園など
江戸の町や町の外にも
桜の木を植えさせたそうです

日本で一番多い桜の種類は
ソメイヨシノで
現在の豊島区巣鴨が染井と言われていた頃
そこにあった植木屋さんが
発祥の地だとされています
もちろん毎年開花予想に使われる木も
ソメイヨシノです
今年も日本気象協会の方が
「花が5輪咲いたので開花を宣言します」と
開花宣言がテレビでも放送されていました
桜の種類は春に咲くもの
冬に咲くものなど
600種類以上あるそうです

桜ソングでまず浮かぶのが
森山直太朗さんの「さくら」です
「さくらさくら今咲き誇る
刹那に散りゆく運命(さだめ)と知って
さらば友よ旅立ちの刻(とき)
変わらないその想いを今」

嵐の「サクラ咲け」
「サクラ咲け
僕の胸のなかに芽生えた
名もなき夢たち
振り向くな後ろには明日はないから
前を向け
未来なんてすぐ変わる
変えて見せる」
くじけず目標の達成を願う応援ソングです

そして福山雅治さんの「桜坂」
「愛と知っていたのに
花はそっと咲くのに
君は今も君のまま」

メロディも素敵ですが
歌詞にも励まされます
この時期桜ソングを聴くとより心に沁みます
福山雅治さんの
ナゴヤドームでのコンサートに行きます
そこでこの桜坂を生歌で是非聴きたいです
4月なので歌ってくれると信じています

今年は天皇陛下80歳の傘寿を記念して
宮内庁庁舎前から皇居北西の乾門を結ぶ
乾通り650mの並木道が公開されました
ソメイヨシノやヤマザクラなど
5種類76本の桜 
皇居の春がお出迎えです

桜は多くの言葉に使われます
桜色と聞いただけでも心が落ち着きます
日本人には切っても切れない桜
花を咲かせる数日のために
一年間じっと待ち続ける
学ぶことも多い大切な存在です
また来年会える日まで
花びらの乱舞
花吹雪も素敵です


真綿のような満開の桜

  MASAYO TACHIKAWA





おかげ様です
この気持ちを桜の花びらに乗せて
心を込めて伝えよう
ほら桜色に染まってここへ返ってくる

見返りを求めて人を助けるのではなく
お互い意識のないところで
助け合い支え合う
その意味は必ずどこかにある

得して得取れ
逆手に取った励ましの言葉
損して得取れももちろん
得だけでなく
損することも大きな一歩

高波の中に虹を見た
初めて見るカのある虹を
魂の塊のような
目に見えない大きなカをもらった

海辺の丘の上のチャペルで
くつろぎのひと時を
頑張っている毎日を祝うように
祭壇の白い花が
きらきらと輝いていた

サボテンはひとの話を聞くと言う
悪口を言えば枯れてしまう
優しい言葉を掛ければすくすくと育つ
人も同じこと

心が迷子になることもある
これも全て意味のあること
無駄な時間はないと信じて
前へそして上へ

傷の痛みは負ってみないとわからない
心の傷も
負ってみてわかる他人の痛み
その前に気づきを
相手のために
そして自分のために

ほんの少しの暖かい言葉を手にするだけで
大きく見える目の前の壁を越せる
今日もそして明日も
感謝で幸せなときを




『宝塚歌劇』

夢の世界
宝塚大劇場へ行ってきました
2014年は記念すべき100周年
劇場の外も100周年を記念する
たくさんの赤い垂れ幕で飾られていました

宝塚は1914年大正3年に
宝塚新温泉のお客様誘致の企画で
少女のみによる宝塚唱歌隊が組織され
現在の第2部と同じく
生演奏で
歌と踊りの華やかな舞台が披露されました

1919年宝塚音楽歌劇学校の創立とともに
宝塚少女歌劇団が誕生
1921年観客が増加したため
花組と月組が誕生
1924年3000人収容の
宝塚大劇場がオープン
それに合わせ雪組が新たに誕生
1974年昭和49年
宝塚歌劇60周年の年に
「ベルサイユのばら」が大ヒット
3年にわたり各組が上演
これがきっかけで
日本演劇界空前の
宝塚ブームが起こりました

宝塚には厳しい序列があり
花、月、雪、星、宙(そら)の5組は
それぞれ男役トップスターを頂点に
ピラミッド型の構成になっています

男役トップは各組ひとり
娘役トップがヒロインで
そのすぐ下には準トップがいます
背中に20キロほどある
大きな羽根を背負って
あの階段を降りられるのは
各組たった一人だけです

初舞台からトップに昇りつめるまで
10年以上かかると言われ
あれだけたくさんの
メンバーの数を見ていると
実力と人気それ以上に
強い運が必要なのだと思いました

音楽学校へ入るのにも
多くのレッスンと時間
そしてレッスン料
身近に音楽学校に合格した人がいましたが
父親の給料はほぼ彼女のレッスン料と
宝塚への交通費で消えていったそうです
宝塚に精通した先生のレッスンを受けないと合格はできないとも言っていました
その一回のレッスン料も手土産も破格だと

入学という難関に勝ち抜いた後も
次のピラミッド式の試練が待っています

舞台を見ていると
女性であるはずの男役の人が
男性に見えてくるから不思議です
男役はどんな時でも凛々しく
かっこ良く、優しく
決してヒロインを裏切らない
宝塚が生み出した独自の美学です
毎回披露されるラインダンスも圧巻です

縁あって観ることができて
力をいただきました
100周年おめでとうございます
そして素晴らしい時間を
ありがとうございます


100周年を迎える宝塚大劇場

  MASAYO TACHIKAWA





信頼は育てるもの
支えてくれる周りの人たちが
信じてくれるから
安心して前向きに生きられる

思うようにならなかった時間があるから
優しくなれる
成功だけの今までならば
わからなかたことがある
おかげでたくさん見えてきた

出会った人が光り輝いていると
自分も同じように輝ける気がする
光を浴びてカを吸収して
また誰かに力を

人の目を気にせず 
自分が精一杯一生懸命動いていれば 
人の言うことには左右されない 
まずは自分に勝つことから 

楽しかったあの瞬間 
あの道を通る度 
目に見えないカに励まされる 
常に誰かに助けられた 
強力な何かに守られていた 
感謝の時間 

久しぶりにリレーで走った 
高校の時 
最後の一人を抜いたあの時と 
同じ歓声が聞こえた 
今でも覚えている 
声援に応えた一等賞

心に語りかけてくる歌は 
いつまでも癒しとなる 
へこたれた弱気な気持ちから 
救い出して励ましてくれる 
強い味方 

失敗はできればしたくない 
それ以上に 
言い訳をしなければならない人生は 
送りたくない 
足元を固め笑って生きよう 

素晴らしい人はやっぱり輝いている 
誰かに必要とされて光っている 
足元にも及ばないが 
たくさんいいところを吸収していこう 




『真珠』


伊勢志摩 合歓の里ホテル&リゾートで
本真珠のアクセサリー作りをしました

ここでは海水に浸かっている
生きているアコヤ貝選びから始めます

真珠は色も形も貝の中で育っていく間に
変化していくため
全く同じものはなかなかできません
高級な一連のネックレスは
数百個の真珠の中から数個しか出ない
貴重ないいものだけを選び
色と艶や形や大きさを揃えて
繋ぎ合わせます

アコヤ貝の大きさで真珠の色や艶は
決まらないためアコヤ貝選びは
一種のくじみたいなものです

4個選びましたが
色も白、黄色、青系と
みごと4色になりました

真珠を取り出すために
まずアコヤ貝にナイフを差し込んで
貝を開きます
貝の身から指先を使って
入っている真珠を見つけ
そっと取り出します

次に真珠にたっぷりの塩を付けて
両手掌に挟んでころころと転がして
3~4分位磨きます
磨いた後
水で洗って塩を落とします

そして真珠の形を見ながら
一番いい形でアクセサリーに
付けられるように
専用の機械で穴を開けます
瞬間接着剤を穴に入れて
自分で選んだアクセサリーに
取り付けて完成です
素敵な本真珠のネックレスができました

養殖真珠は「ミキモト」が有名です
明治時代ミキモトの創設者
御木本幸吉は伊勢志摩の英虞湾で
何度もの失敗を繰り返し
真珠の養殖に成功しました
その場所は今でも見ることができます
決して諦めなかったことで
誰からも愛される真珠ができました

幸吉はうどん製造、販売をしていた家の
長男として生まれました
父親は商売よりも機械の開発に関心があり
それを支えていた幸吉の祖父によって
幸吉の真珠養殖を諦めなかった強い心が
育てられたのだと言われています

天然真珠は稀少で
クレオパトラが美容のために
飲んでいたことも有名な話です

今でも真珠の粉は
化粧品に入っていたり
健康のために飲んだり食べたりします

美しい真珠を作ってくれた
幸吉には感謝です
自分を信じて諦めずに進むことは
歴史を作ることでもあるのですね

真珠の石言葉は「健康、富、純潔」です
これからも真珠は近くに置いておきたい
心を癒してくれる輝きの一つです

今度はどんな真珠と出会えるか楽しみに
また作りに行こうと思っています


アコヤ貝&本真珠

  MASAYO TACHIKAWA





優しさを手にすると
心がほぐれる
慈しむ気持ちは
人生の強い味方
抱えきれない位の温かさを手に
感謝で日々を

好きなことには
真っ直ぐ気持ちを入れられる
この想いを心に留めて
いずれにもそうできるよう
心の屈伸をしていこう

心が羽を休め落ち着いているときは
何時でも優しい言葉が溢れ出てくる
ずっとこのままでいられたら
人としてもっと高くへと
羽ばたいていける

  ふと気持ちが楽になった
その訳は
大好きな人たちに囲まれていること
そしてその人たちを
自分も好きだということ

瞳に映る堂々とした姿から
はっきりと大切な一言を
聞ける日が来る
これは小さくて
大きなひとつの目標

何かに体を縛られているかのように
身軽に動きが取れない時もある
おのずと心も
そんなときは視線を落とさず先を見て
これもこれからのための大切な時間だと

焦りは巨大な敵
強い力で引っ張られる
次々と溢れて止められないときは
未来の自分に
手を差し伸べてもらおう
きっと助けてくれる

春を探して雨の中
傘をさして歩くのもいい
春の香りに気持ちが軽くなっていく
木々の芽吹きを心に写しながら
ちょっと歩いてみよう  

沈丁花の香りが胸に沁みる
甘い香りに
どれだけ心を癒されたことだろう
この花のように
言葉のいらない優しさを 
伝えていけたら幸せ




『薔薇風呂』


海が見下ろせる高台のホテルで
青空の下
海を見ながら
薔薇風呂をいただいてきました
正にいただきましたの言葉に相応しく
数百本の切ったばかりの
薔薇の花に囲まれたお風呂は
お姫様か女王様になった気分でした

ピンクはもちろん深紅や白色
クリーム色で花びらの先だけ濃いピンク色
黄色紫色オレンジなど色とりどり
薔薇の天然香水の香りに包まれ
お湯の中にずっと浸かっていても
花びらがばらばらになることもなく
美しいままお湯の上を
静かに品良く浮いていました

そしてその薔薇から視線を上げると
打ち寄せる白い波と深い青色の海
浮かぶ船と水平線
「至福の時」の言葉だけが
浮かんできました

薔薇と言うとヨーロッパのイメージが強く
イングリッシュガーデンの
イギリスが浮かびます
初夏から夏にかけてヨーロッパを訪れると
どの国のお城の庭園にも
薔薇が大切に育てられています

フランスのベルサイユ宮殿も
マリーアントワネットが過ごしていた
宮殿の裏庭には
素晴らしい薔薇園が作られ
今も大切に保存されています

ナポレオンの妻であるジョセフィーヌは
薔薇の母と言われ
夫のナポレオンが戦争で
戦っている時でさえ
その敵国との間で薔薇の情報収集を
怠らず進めていました
それが現在の観賞植物としての
薔薇の基礎に繋がっているそうです
歴史に名を残す人は
自分の信念を貫き通す
心の強さも桁外れでした

薔薇は日本では
昔から馴染みの深い花でしたが
花の女王として扱われるようになったのは
明治時代で
初めはもちろん文字通り高嶺の花でした

青色の薔薇の開発に
サントリーが力を入れていたのは
有名な話ですが
発表された「青いバラ」は
正直青色と呼ぶにはまだ遠く
どうしても紫色に見えます
1本の単価も研究の開発費も相まって
何もない時に
日常に手の出せるお値段ではなく
他の青いバラも含め
まだ予約で入手が一般的です
ただブルーローズ1本を
おしゃれなガラスの一輪差しに飾ると
数十本の薔薇にも劣らないと思います

切り花の薔薇生産地日本一は愛知県です
愛知県の人もなかなか知らない情報です
この日本一で
たくさんの人が
笑顔になっていただくために
愛知県の花き組合の方々と
色々なお話をしています

一日も早く皆様方に
この願いをお届けできたらと思っています
これからを楽しみにしていてください


薔薇風呂の香る薔薇の花々

  MASAYO TACHIKAWA





認めてくれる人がいると
前向きになれる
大切なひとの一人として
見てくれる人がいると
大きな力になる

夏には冬の寒さを忘れ
冬には夏の暑さを忘れる
人の暖かさに包まれると
人の尖った部分を忘れ
心の扉をそっと開けたくなる

闇の中を闇雲にさまよっているより
一歩前進することに
心を持っていくと
目に見えない何かが
手を差し伸べてくれる

目の前のどれが真実か
わからないことがある
心をクリアにしておけば
判断がつくことも
さざ波のように揺れていると
見間違うことも

瞳の中に映っているのに
近づけない人がいる
目の前にいるのに
近寄れない人も
そこからどう動いていくか
ちいさな駆け引きの始まり
だから人生は楽しい

桜の木の先もほんのり色づいてきた
心の中も和んで温かくなる
ずっと考えてばかりでは
心も伸びてしまう
一息休むことも大切な過程

幸せな気持ちの時は
温泉に行った気分で
木曽川の水道水のお風呂に入る
なぜかからだも気持ちもすべすべに
何でも心次第

どこかへ行こうと思ったとき
誰と一緒にとまず考えた
今は自分の時間の空きを一番に
一人で行くことを楽しむと
ますます世界は広がる

人からの視線やどう思われているか
気になることはたくさんあるけれど
自分の世界は自分でしか作れない
自分の選んだことに
自信を持って




『山茶花(さざんか)』


「垣根の垣根の曲がり角
たき火だたき火だ落ち葉焚き」
「さざんか山茶花咲いた道
たき火だたき火だ落ち葉焚き」
童謡「たき火」の一節です

山茶花は白やピンク色の
一重や八重の愛らしい花を咲かせます
一年中青々とした葉を付け
日本では生け垣として使われることが多く
いい香りもします

我が家でも八重咲きで
白い花びらの山茶花を
生け垣にしています
優しいピンク色の斑も入っていて
花一輪一輪の顔が違います
毎年花が咲くのを
楽しみにしています

たき火の歌は
作者が散歩をしていて作ったそうです
東京の中野区の大きなお屋敷で
庭のけやきの落葉を
たき火として燃やしていたところ
作者が散歩の途中に見て
書き上げました
そこのお屋敷の垣根が
山茶花だったのでしょう

今は環境のことや立地のこともあり
焚き火はしなくなりました
というよりできなくなりました

昔は学校へ行くとき
田んぼで焚き火をしているところに
サツマイモを放り込んでいき
学校から帰るときに
そこからサツマイモを取り出すと
ちょうど食べごろに焼けていたと
ほのぼのする話を何度か聞きました
今はたき火で焼き芋を作ることは
なかなかできません

山茶花の花言葉は
「ひたむきさ」「困難に打ち勝つ」
白色は「理想の恋」「愛嬌」
ピンク色や赤色は「理性」「謙虚」です

山茶花は花びらが
一枚一枚ばらばらに落ちますが
椿の花は花が固まって一塊で落ちます
首から落ちると言って
椿は着物の柄には好まれない
とも言いますが
椿は魔除けの力があり
神から春の訪れを告げる木
ともされています
ちなみに私は椿の柄が好きで
着物も帯も椿柄を多く愛用しています

山茶花も椿も優しさを漂わせて
素敵な花だと思います
和服でしとやかに歩く女性のイメージです
さざんかの花ももう少し
あちらこちらで見られます
ゆっくり香りと姿を楽しみたいと思います






冬の登る朝陽

  MASAYO TACHIKAWA





何度も行きたくなる場所がある
足と心が常に向くところ
心落ち着くこの空間で
何かいい閃きがないかと
これからのときを探しにまた足を向ける

人を羨ましいと思わない人は
日々自分で出来ることを
精一杯やり尽くして生きているから
そんな気持ちの選択肢はないのだろう

有名人と言われる人は
自分の立ち位置や憧れの視線を
どう受けとめているのだろう 
どんな感覚か体験してみたいような
したくないような

見つめられている人は
常に磨かれ輝いている
一息つきたい時は
迷わず寄り掛かればいい
それも輝きを保つための一つの方法

ほんの小さなことを支えにして
人生を控え目に生きていた
心が真っ白な頃
いつからどこへ行ってしまったのかと

高く飛んでもどこに行っても
最後は大きな手のひらの上に着地
常に守られている
そして感謝でまた次へと飛んで行ける

雨が降ってきた
この音を子守唄にして眠ろう
優しさに包まれた時間
心もからだも少し骨休め

この木何の木気になる木
大きく両手を開いて
雨からも風からも守ってくれる木
何の誰の分け隔てもなく
だからずっと愛される幸せの木

一生懸命自分で出来ることをと
強く思って日々生きている
伝われ伝われこの気持ち
日本中へ
いや世界中へ




『旧正月』


台湾の旧正月
街中が提灯など福を呼ぶ赤色に包まれて
一段と明るく見えます
千と千尋の神隠しのような世界です

ホテルの正月飾りで
桜の木にお守りのような赤い布の袋が
古銭とともにぶら下がっている
お飾りがありました
「吉祥」「如意」「平安」「福」など
幸運を呼ぶ言葉が金糸で刺繍されています

「如意」とは
物事が思い通りになることや
その様子を言います
仏事の道具でもあり
権威や威儀を正すために用いられます
孫の手のように背中をかくものでもあり
爪杖とも言われ
これを使えば手の届かない
背中のかゆい所まで意になると
名付けられたとされています
とても縁起のいい言葉です

何れの正月飾りも赤色と金色が主役で
まさにパワーを呼んでいる感じがします

台湾の人は親日家でとても親切です
街中で地図を見ていると
あちらから話しかけてくれます
道を教えてくれるのはもちろん
ある程度わかる所まで
ついてきてくれる人もいます
たぶん相手が日本人でなくても
誰にでも親切なのだと思います
日本人にはなかなかできないことです

台湾の食事も日本人の口に合い
美味しくいただけます
特に大きくカットされたマンゴーが
ごろごろと入っている
マンゴーかき氷はお勧めです
一年中食べられます

日本で台湾ラーメンを頼むと
麺の上にひき肉とにらがのって
真っ赤なスープのラーメンが出てきますが
本当の台湾ラーメンはスープはなく
味付けもみそだれやお酢などを好みで入れて
汁なしで食べます
日本の台湾ラーメンは
名古屋の台湾料理店が発案したもので
台湾のものではないのですね
今では日本の台湾ラーメンは
名古屋めしの一つとなっています

台湾へは名古屋からも3時間で行けるので
国内旅行の気分で
心からの親切を味わいに
たびたび訪れたいものです
何より人の温かさが最高です








台湾 旧正月 正月飾り

  MASAYO TACHIKAWA





時間の長さは誰にも変えられない
ただ質を上げるのは出来る
やれることからやってみよう
大切な人と自分のための時間
戻ってはこない時

支えられて
素晴らしい時間を過ごしてきた
今だからわかる
誰にでも感動の瞬間があるはず
この時を忘れず
真っ直ぐまた一歩進んでいこう

誰かを思い続けることが常にできたら
どんなに明るく幸せな毎日だろう
自分を磨いて
艶のある時間を増やしていこう

日々挑戦
できるかできないかではなく
やるかやらないか
いい笑顔を真正面から見ていたいから
地に足を付けて

力強く頑張っている人の姿を見て
自分の背中を押そう
あともう一歩
上の空間に行けるように

お天気だったのは
大切な日の一日だけ
その後はずっと降ったりやんだり
お天気でさえ
しっかり守ってくれている
自信を持って

世界中のお城を見に行こう
スケールの大きさを心の目に入れるため
小さく生きるのはもったいない
どちらに転がっても自分の人生だから

下を向いていたら雪が降ってきた
真っ白な綿のような雪
肩を叩いて励ましてくれたのかと
心が雪のように軽くなった
空からの贈り物

一直線に走る閃光が見えた
こころの糸がほどけていく
思いは必ず通じる
そう腑に入った瞬間
道がはっきり見えてきた




『おみくじ(御神籤)』


平成26年午年
今年もいよいよ始まりました
初詣には行かれましたか
一年に何度寺社仏閣へ
足を向けるでしょうか
初詣はその大切なはじめの一歩です

日本で寺社仏閣が一番多い都道府県は
京都ではなく愛知県です
愛知県は歴史上の人物が
関わった場所が多く
そのような地名もたくさんあります

神社やお寺へ行ったとき
おみくじを目にすると
ついつい引きたくなります
おみくじは古代
国の重要なことを決める際
神様の意思を問うために使ったそうです
現在の参拝者によるおみくじは
鎌倉時代から始まったとされています
おみくじも受け取る側の気持ち次第ですが
いい道標となってくれます

おみくじの順位は一般的には
大吉・吉・中吉・小吉・半吉・末吉
凶・大凶です
凶が出たときはがっかりしないで
凶の字は器のふたが開いていて
そこからメが出るから
「芽が出る」の意味で悪くないのだと
凶が出ることが多い京都の清水寺で
教えていただきました

凶の出る確率が最も高いのは
知っている限りでは
浅草の浅草寺です
ここで初めて引いて凶が出たから
おみくじは引かない
という人の話も多く聞きます

いずれにしても大吉が出たら嬉しいですし
凶が出たらそんなに悪くない今が凶ならば
「大丈夫」
今以上に上昇できると考えます

おみくじは自分が納得するものは
お守り代わりに持って帰り
そうでなければ結んでくる
または引いたものすべてを結んで
神様に道を示していただく
これも色々です
私は引いた時の日付を入れて
後で見直したりもしています
見たときの気持ちと目が変わると
腑に落ちることもよくあります

ちなみに伊勢神宮にはおみくじはありません
理由として伊勢神宮は皇室の先祖神であり
個人の吉凶を占うおみくじは
置いていないことの名残だそうです

下の写真は伊勢神宮内宮の荒祭宮です
強い力があり
荒祭宮では願い事をしていいとされています
普段はたくさんの人が並んでいますが
この時はしばらく誰の姿も
ありませんでした
これも御縁だと思っています

皆様との出会いに感謝をして
今年もいい年でありますように
心から日々の幸せを願っています








伊勢神宮 内宮 荒祭宮

  MASAYO TACHIKAWA





真実はただ一つ
紛れもなくただ一つ
思いは必ず通じる
どちらへ行くべきか
心の目を凝らせば
自ずと道は見えてくる

風が吹くのには意味がある
強い力で背中を押されることも
強風に目を閉じてしまえば
何も見えなくなる
あえてしっかりと見開こう

新展開を期待してまっしぐら
心の筋肉を鍛え
どんと構えて待っていよう
先には眩い光がはっきりと見えている

自分の行く方向に迷ったときは
一息ついて深呼吸
方向を変えてみると
見るべきものが見えてくる

人との距離感が計れなくなったとき
一段上がって上から眺めてみよう
同じ位置に立っていると
なかなか見えないこともある

  思いは必ず通じる
何度も口にしてきた言葉
きょろきょろとしながらも
前を向いて
頑張っている自分を
時には褒めてあげよう

バタバタと眼の前を
巨人が大きな何かを持って
小走りで駆けていった
夢か幻か夢物語のよう
これも全てこれからのための瞬間

自分の力を信じてと言う
自分への思いやりはつい忘れがち
自分を見つめるのも大切な時間
これからもじっくりと

出会わなければ良かった今日はない
出逢うべき人たちと
出会うべきこの時
笑顔で過ごすための素敵な今




『謹賀新年』


新年あけましておめでとうございます
2014年新しい年を迎えました
心からお祝いを申し上げます
見てくださっている
皆様の晴れ晴れとした姿が
目に浮かびます

日本には年賀状という
素晴らしい伝統があります
なかなか会えない
大切な縁のある方々の元気な様子が
手元に届きます

遠く離れている人
近くにいても会えない人へ
一年の初めに近況を伝えることができる
義理堅く礼儀正しい日本の心を表しています
他の国では真似のできない風習です
思いを込めて送ることに喜びを感じます
年賀状が届くお正月が好きです

雲一つない富士山と出会いました
この時期は晴れる日が少ないことと
午後になると駿河湾の水蒸気が上がって
ほぼ毎日雲がかかるそうなので
ありがたくおめでたい出会いでした

富士山をはじめ日本の大切な遺産
一つ一つ後世に丁寧に伝えていくこと
日本人として生まれてきた私たちには
守らねばならないものがたくさんあります
華道や茶道
着物の着付けもその一つです

私も日本だけでなく世界中に
この素晴らしい伝統を伝えるお役の
お手伝いが少しでもできたら
この上なく幸せだと思っています

今年どんな目標を立てていますか
目標のない人生はつまらないと言いますが
毎日平穏で健康に過ごすこと
これも立派な目標だと思います

私は大きな目標を立てました
心の中の和紙に墨を使って
願いを込めて書きたいと思います
叶いますように
皆様のお支えをいただいて
精一杯頑張ります

昨年もありがとうございました
心より感謝申し上げます
365日心身ともに健康で過ごせますように
今年もどうぞよろしくお願いいたします








雲一つない青空と富士山

  MASAYO TACHIKAWA





「あけましておめでとうございます」
「今年もよろしくお願いいたします」
出逢えたことに
心から感謝をしています
今年も前へ次へと頑張ります
楽しみな見えない明日へ

心の奥に眠っていたものをみつけた
小さなきっかけで
大きな花を咲かせることも
これも縁
未来の自分が先で笑って待っている

結果を出したとき
大切なものを得られた実感で強くなれる
喜びで心が両手を挙げて万歳を
ますます勇気が湧いてくる

幸せが飛び交う空間の
その感覚を心の中に落として
いつでも何度でも出逢えるよう
隙間を少し空けておこう

新たな道への糸口がみつかる
もうすぐ
すぐそこに
闇雲に刀を振り回してもみつからない
両目を開いて心を落ち着けて

ありがとうと素直に言えたとき
心がゆっくりと溶けていく
懐の深い人格になるのも
今年の一つの大きな目標

一言一言を大切にしたい
言葉には魂がある
ごめんなさいと
謝りたくなる一言もつい口に
ありがとうで軌道修正

夢をはっきり覚えている
大好きな笑顔に囲まれている温かい夢
今年はいい風が吹きそう
楽しいことが起こりそう

風が研ぎ澄いまされ
穏やかに時が流れている
真っ白な雪に包まれ
ぴんとした風景の先に見える一面の花畑
向かう方向
今はただ一つ
大切な源になっている




『イルミネーション』


クリスマスが近いこの時期
あちらこちらで
採点のない光のコンテストが行われている

今年も東京ミッドタウンの
クリスマスイルミネーションの空間に参加を
青色を基調に
心地良い優しい音楽とともに
光のミュージカルが開催されている
今回は青色だけでなく
流れの中で真っ赤な世界が作られていて
より演出効果を盛り上げている
青い光の中に飛行機も飛んでいた

ここ数年毎年この空間を楽しんでいる
初めて見たときは感動で
「きれい」の言葉が瞬間に飛び出し
胸がいっぱいになっていた自分を
今でもはっきりと覚えている
イルミネーションとともに
目も輝いていただろう
その時の感動が忘れられなくて
今も毎年通っている
視線を上げると東京タワーの
真っ直ぐに伸びた赤色の光も見える

感動は大きな支えとなる
その感動を繰り返してまた頑張る
感動を求めてチャレンジすることも
感動が感動を呼んでくる

できれば人に感動されるような
生き方をしたい
今に満足をして
自分の道を歩いているだけでは
きっとそれは叶わないだろう
大きさの問題ではない

頭だけで考えていないで
今できることを
できることから始めてみよう
その一歩その一つ一つが積み重なれば
何か答えが出てくるはず

感動はお願いをして
してもらうものではなく
それぞれが感じるもの
日々感動の時が送れるように
感謝の心で

今年も素敵な方々に出逢って
感動をした時間が
たくさんたくさんありました
一年間ありがとうございました
そして来年もよろしくお願いいたします







東京ミッドタウン クリスマスイルミネーション

  MASAYO TACHIKAWA





自分を真っ直ぐ見つめ生きている人は
幸せに敏感
その力がまた幸せへと導いていく
後ろを振り向かず前へ

熱が冷めることなく
強い思いが大きく膨らんでいく
見上げていた憧れの場所
熱い思いが
いよいよ目の前に

新たなる幕が上がる準備が整った
後はタイミングを待つだけ
神のみぞ知る
大切な大きな一歩

必ず通じる真っ直ぐな思い
偶然出会ったこの空間
この場所に咲いていた真っ白な花
大きな何かを手に入れた気がする

力になる人との出会いを望むのならば
自分磨きに徹すればいい
磨いて光らない人はいないはずだから

強い波動が伝わってきた
素晴らしい話しを聞くことができた
力をもらい
これも後押の一つだと

頭で聞いたことはすぐ忘れてしまう
心で聴いたことは
忘れていても閃きがある
再び支えとなる

心がどこかに飛んで行っている
行き先ははっきりとわかる
早く捕まえてギュッとしたい

時間がいくらあっても足りない
でも心は充実感でいっぱい
何をしているでもないこの時も
大切な源になっている




『紅葉』


トヨタ自動車の本社がある
豊田市足助町の「香嵐渓」の紅葉
かえでの木が4000本
1本1本が真っ赤に輝き
美しさを競い合っている
一説には日本一の紅葉とも言われている
たどり着くには2本の主要道路しかなく
この時期は渋滞も名物になっている

目だけでなく
1年間塩漬けにされた紅葉の葉っぱを
甘い衣をまとわせて揚げたお菓子が
お腹も満たしてくれる

日本は四季があることでも
世界中から美しい国と言われる
桜の春があって
太陽の夏があって
紅葉の秋があり
雪の冬がある

日本に生まれ育った私達にとって
当たり前の風景が
四季のない国の人々には
それだけでうらやましい世界となる

紅葉は目を楽しませてくれる以上に
心を穏やかにしてくれる
木々が緑色から赤や黄色やオレンジ色に
変化していく姿を見られること
こうしてこの景色を楽しみながら
生きていられることを
感謝の気持ちで
受け取ることができるのだろう

今年は夏が暑かったせいか
実りの秋も一段と味がいい
柿も早生りみかんも甘くて外れがない
栗も幾分か甘い気がする
岐阜の名物栗きんとんも
いつもながら美味しい

花に携わっている者にとって
生花も素晴らしいと思うが
紅葉も全く引けをとらない
比較するものではないけれど
自然の力に人の力は到底及ばない

今年初めて銀杏を拾ってみた
愛知県庁に仕事で行ったとき
台風の後だったこともあり
銀杏が拾ってくれと言わんばかりに
たくさん落ちていた
その誘惑に負けて袋いっぱいに拾った
これも紅葉と同じ秋のそして地球の恵み

日本に生まれて良かった
春の桜とともにそう実感する毎日
今度はどこの紅葉を見に行こうか
今年の紅葉はなぜか
心にしっかりと入り込んでくる






熱田神宮 青空と紅葉

  MASAYO TACHIKAWA





自分の代わりは誰もいない
誰もが自分の生き様や方法で
一生懸命生きている
日々認められたくて
自分自身を自分で認めたくて
頑張っている

全てを受け入れてくれる空間は
居心地がいい
存在を認めてくれる人といると
心が温まる優しくなれる
自分もずっと一緒に居たい人になれるよう
何をしていこうか

前向きで強く生きている人からは
光が放たれている
強過ぎて近寄り難い人もいるけれど
カをちょっと拝借して充電を

過ぎてきた過去の時間を味わいに
好きだった場所へ出掛けた
ここへ何を求めて行っていたのか
今は思い出せない
ただ笑っていたことだけが
はっきりと浮かぶ

時間が許す限り
この広々とした空間で
自分磨きの策を練って
ゆったりと流れる時間を過ごしたい
ただ今は
時間を作れないのか作らないのか
時間がない

何故出会ったのだろうと思う人が
僅かだけどいる
出会えて良かったと思う人が圧倒的なのに
この僅かに振り回される
これからも足元を固めていこう

小さなことに
惑わされている自分に気付くと
情けない気持ちで潰されそうになる
自分が小さく見える
ちっちゃな枠から飛び出さねば

道の駅も心の駅もくつろげるのが一番
楽しみや喜びがないところには
足を向ける人はいない
誰もがふと立ち寄れる場所に
なれますように

たくさんの写真の整理が
やっと終わった
少しずつの積み重ねが
こんなに大きなものになるなんて
ぼやぼや生きてはいられない




『人気者』


ナゴヤドーム
「嵐」のコンサート2013初日
4万5千人
9万の瞳が一点を見つめ
赤青緑紫黄色のペンライトの光が
会場を映し出して幕が開いた

今回のコンサートも
申し込んでも当らなかった人は山ほどいる
一説にはナゴヤドームで11倍だったそう

なぜそこまで彼らに心引かれるのか
確かに彼らは爽やかで当たりが柔らかい
それぞれを大切にしている
見ていて緊張感が全くない
スマップとはまた違った味がある

今回の席はアリーナだった
それも10m先に彼らが立っているという
ベストポジション

嵐のメンバーと一曲一緒に踊る企画が
今回のコンサートで初めてあった
会場の面々はパソコンやスマホを見つめ
即席にまたは真剣に振り付けを覚えてきた
結構やみつきになる覚えやすいダンス
4万5千5人の
あっという間の共同作業だった

彼らは全く手を抜かない
いい意味でお互いが目を光らせている
気の配り方も半端ではない
視線でお互いを確認し認識し合っている
あれだけ忙しいのに
いつこれだけ完璧な踊りを覚え
練習をするのか
きっと彼らには練習をすることより
しないことの方が辛いのだろう

3時間あまりの瞬きをする間もない時間
サービス精神の一言で
彼らの努力を言葉にしたら申し訳ない
何十曲も歌って踊っている彼らの頭の中は
どんな構造になっているのかと思う
とにかく抜かりがない
企画も構成も
そして時間と空間の間も

彼らはしんどいであろうが
彼らから出るエネルギーで
充電をした感じである

結局なぜ彼らに心を持って行かれるのか
3時間ではわからなかった
多分ずっとわからないだろう
造られた空間の中の
造られていない彼ら
ただただ凄い





コンサート当日のナゴヤドーム

  MASAYO TACHIKAWA





この色鮮やかな空間にいられることに感謝
後ろを向かず
強い気持ちで
前へ進むことを選んだ
自信を持って
また一歩

与えられた今のこの時間
自分を見つめ直す時
全てがこれからの素晴らしい人生への大切な道のり
毎日を感謝で送るための

  目の前にいても心に入る人とそうでない人がいる
受け入れる器の許容量か目に見えない相性か
それとも
器の大きさだけではない何かが

本当の自分に出会いたい
どこにいるのか今はわからない
出会っているのか見逃しているのか
この世に生きているのには意味が必ずある

  金木犀の花が咲き終わり
葉っぱが雨に濡れて優しい顔をしている
また来年花が咲くまで
この柔らかさをあやかりたい

欲しかったものがたった一つ残っていた
ほんの小さなことだけど
とても幸せな気分
毎日小さな幸せを重ねている

憧れの人と同じ空気の中にいる
これだけで何だか強く優しく過ごしていける
この時を忘れないで
少しでも同じ立ち位置にいられるように

感謝と喜びの言葉をいただいた
信念は必ず伝わると信じている
貫き通さねばならない時がある
決意をしなければならない瞬間がある

たくさん笑って時を過ごした
心の中で涙を流した日もあった
素晴らしいものを手に入れた
無駄な時間はないと
今ははっきりとわかる




『秋』


読書の秋もそこそこに
食欲の秋をまっしぐら
毎日のように誰かと
美味しいものをいただいている
食べるということの前に
共に時間を過ごせる人がいることに
感謝と幸せを感じる

名古屋めしはまだまだ人気が続いている
当たり前に食べていたメニューの数々
筆頭に上げられるひつまぶし
ひつまぶしの蓬莱軒は
芸能人も多く行く有名店
土日には長い行列ができている
確かに一つの鰻料理で
三種類の食べ方ができるのは楽しい
まずはお櫃のふたを開けて
しゃもじで線を引いて四等分に
初めの一杯はその四分の一を
そのままでいただく
二杯目は薬味のネギとわさびと
刻み海苔をかけて
三杯目は薬味をのせて
お茶をかけてお茶漬けに
四杯目はその三種類の中で
一番気に入った食べ方でいただく
アイデアの勝利

手羽先も味噌カツもいいですが
山本屋本店の味噌煮込みうどんもお勧め
腰のある手打ち麺は茹でることなく
土鍋でぐつぐつと煮え立った
名古屋独特の赤味噌スープの中へ投入
麺が固いため
知らない人は麺が茹でてないと
お店の方に言われるそうです
そして美味しい自家製お漬物が
おかわり自由
季節によってお漬物が変わるのも楽しみ

名古屋人としてひとつ申し上げたいのは
海老フライは名古屋名物でもなく
昔から好んで食べている訳でもないので
あしからず
うみゃ名古屋めしを食べに来てください
金木犀が香る秋の名古屋へ是非





京都 秋の清水寺

  MASAYO TACHIKAWA





暑い時には冬の冷たい風を思い浮かべ
冬には夏の強い日差しを手にしたくなる
秋の今は何を求めているのか
心はいつもどっち付かずで面白い

判断に迷った時
必ずどちらかに導かれると信じている
本来の自分がいて
見えない力が後押しを
しっかり自信を持って

人は一人で生きている訳ではない
支え支えられ生きている
それを感じて感謝して生きるかを
決めるのは自分

心の大きな人と話した
人として器の違いを感じる
自分の小ささに心がぎゅっと縮んだ
世界が狭過ぎるのかと改めて

遅寝早起きが続くと
体がよく耐えてくれていると思う
何だか寝ていることが
もったいない気がする
それは毎日が充実しているから

人気番組の司会者とお会いした
とにかく生き方が違う
自分のためだけではなく
誰かのために生きている
それが強く伝わってきた

テレビの中で見る人との出会い
刺激と共に優しさを感じる
人生の立ち位置が違うのか
磨き込まれているからなのか

長い一日が終わり
電気を消して横になった瞬間
幸せを感じる
何だかホッと満足感
ご苦労様でした今日も

導きがあったと確信をした時
大きなものを手に入れた実感が
偶然かもしれないけれど
声なき声で呼んだのかも




『式年遷宮』


20年に一度の一大神事
1300年続いている式年遷宮
この数か月テレビや新聞で
伊勢神宮という文字を見ない日はなかった
知る人ぞ知るスピリチュアルな場所が
多くを受け入れる心の聖地となっている

伊勢神宮を世界遺産に
と言う人もいるそうだが
当の伊勢神宮はそれを望んでいない
人の価値観は
神様には当てはまらないのだろう

内宮宇治橋前
頭を下げて鳥居をくぐる
空気が違うと
多くの人が口にする
そう感じるのは神様の業なのか
足を踏み入れた人の心の変化か
玉砂利を歩いているだけで
神様に近づいていく感覚が
正宮までの神苑
道の真ん中は通らない
神様が通られるところだから
「自分が神様だと思う人は是非どうぞ」
とご案内した方々へ
いつものお決まりのごあいさつ

五十鈴川はいつ見ても輝いている
尊い流れ
五十鈴川の御手洗場からは
一本手前の細い道で正宮へ向かう
数メートル先の喧騒が嘘のように静かな道

樹齢数百年の
ひのきの気をいただきながら正宮へ
正宮ではお願い事をしない
日頃のお礼と感謝を伝える
願い事は正宮から来た道を戻って裏側へ
荒祭宮様でしっかりと
見た目は優しいお社
秘めた中に強い力がある

いつも気が高いと感じるのは
風日祈宮へ向かう橋の上
独特な気が流れていて
いつも吹く風が心地良い
強い力と
大きな何かで包み込む優しさを感じる

20年に一度の遷宮は2つ大きな意味がある
「常若」と「伝承」
常に新しいところに居ていただくことで
神様の力の甦りを
そして技術伝承
社殿を建てるマニュアルはない
「技」が唯一のマニュアル
技術の伝承が可能な年数が20年と言われる

式年遷宮にかかっている費用は550億円
それも全て御寄進で賄われている
一年間で行われるお祭りは1500回
全てがかけ離れている

行けること行かせていただけることに
正宮の白布が翻るのを思い出して
改めて心から感謝
はたして20年後は何をしているのだろう
感謝をして笑顔で過ごしていると信じている
楽しみどこの国に居るかも





風日祈宮へ向かう橋

  MASAYO TACHIKAWA





誉められることは大きな心の支え
優しさと強さを感じる
一言を大切に使っていきたい
言葉の一つ一つ

道が見えない時も
ただ進むしかない前へ
今が底だと思ったら
それ以上は落ちないと切り替えて
次の一歩を

時間を有意義に使いこなした一日
満足感で明日も頑張れる
流れるようにこなせたことに感謝
この気持ちがまた背中を押してくれる

自信を持って過ごしている時は
高貴な色を選びたくなる
今の気持ちを表現できる色
どんな形で表現しようか

何かに引かれるように
花の絵にたどり着いた
一本一本が生花以上に生きている
心に語りかけてくる深く

心の詩が唄えるようになるまで
時を重ねていこう
名前のない詩に題名を付けて
一つのことを続けられる幸せ
かけがえのない支えに

人気の金メダリストに会った
光が凄い悩みも力に変えるのだろう
何かが違う成し遂げる人は
独特の輝きを放っている

たくさんのありがとうに
エネルギーをもらった
素敵な出会いと
共に生きる幸せ
こちらこそありがとう

人生とは変わっていくものではなく
変えていくもの
やらねばならないことばかり
自ら止めるなどもったいない
一度きりの今を




『縁に縁』


縁はいつ訪れるかわからない
遠く離れた場所で
何年も会っていなかった人と出会うのも縁
近くで何度も出会うのも縁
縁は距離ではない
出逢いたくても出会えないのも縁
会えないのもひとつの縁
人とだけではない
どんな縁に縁があるか
心躍る人生の分かれ道

宮崎県の高千穂神社に
縁をいただいた
パワースポットの言葉が
日本中を駆け回っていたころ
高千穂神社の1本の樹の前には
長い行列ができていた
この樹齢600年の樹に触れるのに
1時間以上待つことも
そのころ剥がれていた樹の皮も
すっかり落ち着いていた

樹に両手でそっと触れ
耳を当ててみた
優しく抱きしめられた気がして
心がスッと溶けていった
「縁をいただいてありがとうございます」
この言葉しか浮かばなかった
お願い事がひとつも出てこなかった
ただただお礼の言葉だけ
短時間で心を無欲の自然の姿に
戻してくださったのかもしれない

本殿で手を合わせようとした瞬間
目の前に神職さんがいらしたのに気が付いた
どんなお願い事を聞いていただけるのかと
人間らしい質問をした
「色々いいと思いますよ」と優しい言葉が
そして鎮石(しずめいし)の話をお聞きした
今まで数回こちらに伺ったが
存在を知らなかった
これも縁

どう接して良いのかわからず
両手をかざしてみた
数分経ったころ
右手の薬指がピリピリとしてきた
その後も長い間ピリピリしていた

ピリピリの意味を知りたくて調べてみた
伊勢神宮と高千穂神社が
建立される際に用いられた石
この石に祈ると
人の悩みや世の中の乱れが収まるのだと
今はパワーをいただけたのだと信じている
確かにおみくじは大吉だった

受け入れるのも
その逆も全て自分次第
縁をありがとうございます
ここに縁があった意味も
いつかわかる時が
楽しんで生きようこれからも
そう思った柔らかい空間での時間だった

そのあと高千穂峡へと足を向け
真名井の滝の美しい姿に
気持ちが再び溶けていくのを感じた
行って良かった




宮崎 高千穂峡 真名井の滝

  MASAYO TACHIKAWA





全てに意味がある
決して今がゴールではないから
立ち止まらないで
歩くことも走ることも
誰のためでもなく
大切な自分のためなのです

支えにしていたものを疑い迷うより
自分の感性を信じてもう一歩
今はわからなくても
確信は後からしっかり追掛けてくる

ずっと来たかったこの場所
この景色に感動をたくさんもらった
明日からの約束もできた
大きな一歩を踏み出せる

自分の力を信じてまっしぐら
小さな所で小さくまとまっているとこのまま発揮する場所は必ずある
よく見て閃きが

心が迷子になったとき
たくさんの笑顔が支えてくれる
次の一歩への答えを出すために
いつも力をくれる音のない優しい笑顔

幸せとは何かを考える
答えはすぐに出ないけれど
次々と出て来るたくさんの言葉
これも大切な相談相手です

目の前の出来事に
一喜一憂している姿が小さくて
ガリバーの周りで
あたふたしているこびとより
小さく見える
人間らしくて愛らしい

自分の力を信じて
できる限りのことをしていこう
受け入れる器を両手でしっかりと抱え
両目を開いて見極めながら
一歩また一歩

前を向いて信じて行ったあの空間
必然だったと思う
だから今の自分がある
後少しもう少し
必ず大きな力になっていく




『縁』


人は目に見えるもの
目に見えない大きなものに支えられ
生きている

支えは人それぞれ違う
小さな言葉であったり
ひとであったり
スピリチュアルな場所であったり
手を合わせ祈ることであったりと

60年に一度の式年遷宮を迎えた出雲大社に縁をいただいて出掛けた
出雲大社は伊勢神宮のように
柱から全てを変えるのではなく
屋根などを葺き替えることが
遷宮の行事だそう
柱は江戸時代のもの
蘇りの意味を持つ遷宮は
社を新しく整えることと
それ以上に新しくすることで
神様に強い力を持っていただくことが
大きな目的だそう
今年出雲大社に縁があった人は
その強い力をいただけて幸せだと

今年の5月10日神様のお引越しの日
出雲は朝から雨が降っていた
式が始まる頃にはその雨も上がった
それに驚くことなかれ
神様のお引越しが終わって
新しい社の扉を閉じた瞬間
強い風が吹き雨が再び降り出した
神技としか思えない
言葉の通り正に神様の技なのだろう
雨も洗い流し清めるの意味で大切な恵み

人生全てが縁結び
縁があって成り立っている
日々の縁に感謝の気持ちをお伝えして
今以上の良縁を心からお願いした

今を生きている意味がきっとあるはず
縁を見分ける力をいただいて
出来ることを精一杯やっていこうと
改めて誓った
明日は伊勢神宮へこれも縁だと感謝

これからも出逢っていく
全ての「縁」に感謝を




出雲大社 式年遷宮後の大しめ縄

  MASAYO TACHIKAWA





自分の信じたことをやり抜く
見えない大きなものに
力を感じた時は
信じて必ずやり遂げる
結果を大いに楽しんで

この日をいつかあの時と言う日が来る
初めてあの曲を聴いた時
感動で一瞬時間が止まった
この日のあの感動がこれからも支えに

植物への恵みの雨が
心の恵みの雨になった
今日一日ゆったりとしていられた
雨とそっとしておいてくれた皆のお陰で

どこかで誰かに
気付いて欲しいと思っている
認めて欲しいと思っている
視線が動いただけで
嬉しかったり悲しかったり
毎日一喜一憂

この場所から飛び出したかった
理由がわからず焦っていた
支えが見えず
一日も早く本当の自分に出会いたかった
ただそれだけ

心が見えない空間では
気持ちが空中分解を
小さな隙間をかき分け隅々まで探し物
きっと見つかるはず何かが

気にしていなかった言葉が
ふとしたことで心変わり
大きな存在に今は心に響く
見落としそうな小さな言葉だけれど

先が読めないと
考えが定まらずドキドキ
まあいいかと思えないのは
生きている証拠体も心も

何年経っても
気持ちの支えとなり励ましてくれる歌がある 
色焦ることなく
変わらずカを与え続けてくれる今日も




『生きる』


心が溶けていく
世界は広い
地球は想像以上に大きかった

人としてこの世に生まれてきたことには
意味があると言うけれど
その意味をつかみきれないまま
現実は追いかけてくる

世界一と言われる
世界遺産のタージマハールに逢いたくて
インドへ足を向けた
素晴らしい空間
世界中から人が集まり
400年間白く輝き続けている

王様が亡くなったお妃様のために
22年かけて造った愛の形
その王様はタージマハールのために
自分の息子に時間を奪われることになる

タージマハールも現実だが
街の中も現実
日本では考えられない景色
30年は続くだろう
あまりにも現実離れした現実
同じ地球上の同じ世界

生きる意味を改めて考えた
生きるとは変わること
過去を力として
変わっていく日々に感謝を
今をそして過ぎてきた時間に
心からありがとう



インド タ-ジマハ-ル

  MASAYO TACHIKAWA





打ち寄せる波に乗って
想いを幸せ色の糸で繋ぎ合わせ
ふっと空を見上げる
そしてまた次の時へと繋いでいく

波の音が響いている
心安らぐ優しい音
今のこの時を心に留めて
じっくりと未来を考えなさいと繰り返し
言われているよう

遠回りだと思うことが多いときは
元々手がかかるように流れている
与えていただいた手間も次への力へと

遠くで花火の音が聞こえる
見えないけれど
頭の中に色鮮やかな花火が飛び込んでくる
音だけでも楽しい夏の花火

優しい絵に出会った瞬間
ずっと一緒にいたいと思う
絵と会話をしながらこれからを描く
心穏やかな時間

視線を落とすとそこは海
碧く光る海沿いのプールに入り海を眺める
波に気を使うこともなく
雲に浮いているような空間

過去を思って頭がいっぱいに
涙が目の中で留まりきれず溢れてくる
適当な言葉が見つからない時は
ゆっくり心に置いて待つことも

本当の姿を見てみたい
知らなくていいことはたくさんある
聞いてすぐに答えられないならば
まだどこかに別の姿があるのかもしれない

会いたい人に会えないのも
それはそれでいい時間
理想の姿が大きく膨らんでいく
一方通行にならないようにと願いながら




『夏の日』


蝉の声で目を覚ました朝
窓からの涼しい風が心地良い
暑くて眠れない日も
その分朝の風に救われる

人は常にないものねだり
夏の暑い日は日陰を求め
冬の凍るような寒さの日は
太陽の強さを感じられる場所を求める

どこか痛いところがあると
健康が一番だと思い
健康な日々が当たり前になると
もう少し手持ちが欲しいと考える

誰でもそれぞれどこかに隙間がある
気づいているかいないかだけで
見透かされないように
今日も笑っていよう

庭のバジルの葉っぱが
いい香りを漂わせている
毎日朝出掛ける前にシャワーの御褒美を
白い可愛い花が咲き始めた
その周りを定番の縞模様のアゲハ蝶や
黒くて青い線の入ったアゲハ蝶が
日替わりで飛んでいる

これも御褒美だと
ありがとう嬉しいです
与えられた幸せな空間
夏の日
今日も充実した一日を




  MASAYO TACHIKAWA





ようこそこの街へようこそ
あなたがここにいてくれるから
元気に過ごせます
運命に心からありがとう
あなたにありがとう

いい流れの時は
思いついたことを巧みにこなせる
その場に留まらず次々と確実に
下手な考えは早々に切り上げて次の一歩へ

自分を励ます言葉が浮かばず
頭と頭の中をシャンプー
さっぱり感と共に
事に詰まったらさっと切り替えを
これもチャンス

8月のこの時期
人と人とが戦いを終えて数十年
懲りずにまだどこかで争っている
自分だけでも戦うことをやめようと
今年もまた心に誓う

ちょっとお昼寝と思って
気づいたら夕方になっていた
たくさん夢を見ていた
夏休みを目一杯楽しんでいる夢を
現実も楽しもう

今日も暑くて息がしづらいほどだった
気温に関係なく近くにいると
同じような現象を起こす人がいる
熱くて息が止まりそうな位の人が

蝉の声はかえって暑さを吹き飛ばしてくれるただ年々少なくなっている気がする
これも人間の身勝手から
地球は人だけのものではない大切に

上高地の河童橋で
穂高を初めて見上げた時感動をした
声が出なかった
山から手が出て抱き抱えられた気分に
自然でこんなに心が動くとは

緑の中で川のせせらぎを聞きながら
目を閉じて流れに足を浸けていると
地球の音も聴こえてくる
足はひんやり心は温かく

私の周りにはいい人ばかりと
自慢をしたくなる
自分もその一員として
胸を張って堂々と生きて行こう




『雲の上から』


セントレアから成田に向かう飛行機
座席を必ずAでキープ
一番の理由は
空から地上をずっと見ていたいから

見ていると人はちっぽけな存在だと感じる
ちっぽけだけど
地球より宇宙よりもっともっと大きい存在
大きな存在だと改めて感じることで
自分も強くなれる

一人ひとり幸せを願って生きている
日々一喜一憂して
精一杯出来ることにチャレンジ
人に良く思われたいからでもなく
嫌われたくないからでもない
今を生きるひとりの人として
小さいひとりだけれど大きなひとり
毎日繰り返し頑張っている

二番目の理由は富士山に出会うため
夏の富士山は赤くてどっしりとしている
冬の富士山は白くて優しい
世界遺産認定おめでとうございます
上から目線で拝見させていただいています

今日もまたパワーをいただきました
雲一つなくラインの美しい富士山
一面真っ白な雲海の中で
唯一顔を出している富士山
気持ちはこのまま頂上に急降下

富士山は登るところではないと
とてもとてもおくがましくて
小さな私には登れません
これからもずっと見つめ続けて
力をいただきます




  MASAYO TACHIKAWA





出会った全ての人と関わっていなければ
きっと今の自分はない
強くしてくれた人
優しい自分にしてくれた人
必然と偶然の出会いに感謝

始まる前の緊張感は
生きる力を引き上げてくれる
上手く進めたいと思う気持ちが
心を強くしていく

他人の頑張っている姿は励みになる
負けん気が蘇る
自分の姿はどう映っているのだろう
人の目で自分を見たくなる

段々素敵な姿になっていく人
これ以上遠くへ行かないでと思ってしまう
周りの人たちのこの思いが
ますますその人を輝かせていく

たわいもない攻撃にも耐えている
強い人を見ると
攻撃する人の弱さを感じる
心の中では少しでも頭を下げているのかと

誰もいなくなった夏のプール 
広いプールの水が碧いガラスのように
音を立てずに静かに澄んでいく
心も穏やかにゆっくりと

ゆるキャラに出会った
人気が出る前は
会ってもそんなに感じなかったのに
今は何だか嬉しい
人の気持ちはちょっとしたことで

いつも当たり前に蛇口から出る水に
日々感謝を
今日は空から降ってくる水に感謝
当たり前の出来事に木々達もきっと感謝を

玉手箱がどこへ行ってしまった
子供の頃の純粋さが煙のように消えていく
探してみようか
きっとどこかにあるはず

毎日の時間が
手際良く無駄なく回ると
改めて感謝の気持ちでいっぱいに
何度も手を合わせまた前へと




『香りを着て』

 
大好きな場所で目覚めた時
淡く優しい空気に包まれていた
このいい香りは何の香り
昨日買った木からもぎってもらった
採りたての桃?

ついこの間 
畑いっぱいに濃いピンクの桃色の花が
たくさんたくさん咲いていた
時間はあっという間
今は大きな実になって
いい香りを漂わせている
食べないでずっと飾っておこうかな

それともこの香りは
大きな花を堂々と咲かせている
カサブランカの花の?

心がホッとする甘い香り
香りと一緒に優しさが心に染みてくる

このまま香りを着て出掛けよう
誰かが気づいてくれるかも

今日もいい日になりそう
そとは紫色の紫陽花が満開
今日は傘なしで良さそう




  MASAYO TACHIKAWA





羽根があったらどこへ行くの
あの笑顔の素敵な人のところへ
いえいえ過去の自分のところへ行って
話しを聞いてあげましょう

自分の能力をもっと信じなさい
これがメッセージ
一番の味方になってください
そう自分自身にお願いを

人は可能性をいくつも持っている
出せるばかりになっている人
じっと大切にしまっておく人
いずれにしても出さなければそのままに
どうするかは自分次第

何故と過ぎたことを言っても戻らない
あの時にと思い惑う
過去の時間に逆戻り
それとも反復練習をして次の一歩へと

話をじっくりと聞いて
優しく相槌を打つ人
心の器はそれぞれ大きさが違う
底の深い器で受け止めてまたじっくりと

みんなの笑顔が頭からふと消えることがある
自分を置いて 
どこかへ行ってしまったかと思うことが
 心がちょっと迷子に

ハンキングバスケットは 
小さな敷地にギュッと寄り添うように植える
限られたスペースで
花木はそれぞれ個性を出して
前を向いて自己主張もしっかりとしている

全てを見ていたはずなのに 
表面しか見ていなかった 
興味があるかないかだけではない 
毎日の繰り返しは積み重なると大きい

大切に育てられた 
話題のりんごと出会ってツーショット
いい顔をしているりんごも笑顔も
艶々に光っている 
物も人もいい出会いは輝きを

紫陽花の花の色は植えた場所の土の性質で
青色になったり紫色になったりと変化をする
今はピンクや白や緑色と色鮮やかな種類も 
土の質には惑わされない花達が
人も紫陽花のように




『風を感じて』

 
高原の風を感じながら過ごした時
何もかもが素直に心に入ってきた
過ぎた時間は戻らない

あの時この時と目を閉じた瞬間に
より鮮やかに蘇る
満面の笑顔の時
嬉しくて涙がこぼれそうになった時
両手をあげて大喜びした時

すぐにまたここへ戻ってきます
約束した日も日に日に近づいてきた

目標にしていた場所に
あの風を感じに行ってみよう
優しい気持ちで今を受け入れたら
見落としている大切なものがわかるかも

風が心地良く通り抜けていく
新しい何かが見つかりそう

風を感じて
今を感じて




  MASAYO TACHIKAWA





何事も始まりがあれば終わりがある
始めなければ終わりは来ない
ただ何もせずにじっとしてはいられない
前に一歩後ろへ一歩
また前へ

あの人といるとホッとする
気を使わないでいられる
小さくなった心に手を差し伸べてくれる
黙ってそっと

青い鳥はどこかで羽を休めているの
まだ姿を見せてくれない
どこかで優しい目をして
こちらを見ているのかも

気持ちが落ち着かない時
思い出すのは不思議にあの人の笑顔
多くを語らないあの表情
語らないからより深い

自分らしくない事に時間を費やしている
らしくないと思っているのは自分だけ
この時の自分もやっぱり大切な自分

この国は戦いを終えて数十年
でも地球上懲りずにどこかで誰かが争っている
自分だけでも戦わずにいたい
戦争だけが戦いではないから

見透かされるほど気持ちが出てしまっているの
しっかり隠しているつもりなのに
人から見ればすっかりお見通し
まだまだ

人の立場に立って物事を考えられなくなると
頭の中から光が消える
ジュッと音を立てて消えてしまう
戻らねば光が消える前に

有名な美味しいデザート
今日は味に落ち着きがなかった
自分の舌が違うのか
舌ではなく心が

鳥の声が聞こえる
心安らぐ優しい声が
毎日を澄んだ気持ちで受け止めなさいと
囁くように




『両手に花を』

 
両手に抱えきれないほどのお花を持って
青空のもとへ出掛けましょう

今日もよくがんばりました
あなたにお花を1本あげましょう
この可愛いお花をあげましょう
毎日よくがんばっています
ご褒美です

今日はこの赤いお花を
昨日は雪のように真っ白なお花でした
あっという間に両手がお花でいっぱいに

色とりどりのお花を
また誰かに分けてあげましょう
あの人にもそっと差し出してみて
あちらこちらで笑顔のお花が咲いていきます
両手のお花がなくなっても
また手にできるよう時を重ねれば
すぐに両手いっぱいに

明日は何色のお花がもらえるかな
今日も幸せな一日でした




  MASAYO TACHIKAWA





心の柔軟体操を
小さなことで怒ったり泣いたり
柔らかさが足りないと
小さく丸まってしまう
体も心も

起こることは偶然ではなく必然
この言葉に支えられ励まされ
前へ進めることも
数文字の言葉に後押しされて

足の皮がちょっとめくれただけでも
歩く度に痛くて気持ちがなえる
心の傷も体の傷も
大きい小さいではなく痛いときは痛い
言葉にして伝えることも

見えないバリアを張って
生きている姿を見ると
肩の力を抜いてと思う
ただバリアを解くことの方が疲れる人もいる
それぞれの生き方が

ご褒美まではまだまだ
もう少し頑張ろう
ただ素晴らしい人達に囲まれて
これも大きなご褒美の一つ

気持ちを真正面から伝えない
それが今一番の表現方法
正直に全てを出すことが得策では
ゆっくり考えよう 

誰にでも優しくできる人は素晴らしい
なかなかそんな自分に出会えない
それともそんな自分を
見落としているだけ

高い所から街を眺めると
ちっぽけなことで悩む自分が小さく見える
でも街の中に入ると
またそれの繰り返し
また高い所に登って

写真には
と思う空間がある
撮ってしまうとその景色が
ふと消えてしまう気がして
心の中だけに留めておきたい場所が

背中を丸めて歩いていると
背中をポンと叩かれる
元気を出しての言葉と共に
シャキッと背筋を伸ばして
前を向いて




『与えられた時』

 
笑顔の人がいる
泣いている人がいる

未来に自信が持てなくて
見えない明日に涙したり
大切な言葉を受け入れられず
色のない空間に閉じこもったり

差し出されたことを
与えられた変わらぬ時間を
自分らしく生きていく

日々の繰り返しでこれからが
大きくにも小さくにも
毎日を力にしていく
考えても仕方のないことは山ほど
感謝をして受け入れようこの時を

流れる時には意味があるはず
これからも目の前のことを大切に
全てを受け入れられるように
自分らしく与えられた時を生きていく



  MASAYO TACHIKAWA





鳥の声を聴いて過ごしたい
風の色を感じて過ごしたい
ゆったりと
寄り添ってくれる人の声を近くに響かせながら

素敵だと思う人の近くにいられる業
それは自分磨き
類は友を呼ぶ
自分も素敵だと思われるように
磨きをかけて

幸せは幸せを呼んでくる
運が強い人は
幸せを感じることに敏感だから頑張る
そしてまた幸せでいられる

たった一つの身体でどこまでできるだろう
挑戦の毎日
重ねた一つ一つの言葉で
どれだけ心をつかめるか
それも挑戦

生き方が似た人はたくさんいる
大きな違いそれは
他人の気持ちを一番に思えるか
自分の気持ちを第一に考えるか
なかなかできないことを
できるかできないか

目の前にあるものが大き過ぎて
視界に入りきらないことが
守ってくれる大切な何か
わかっている
それは次への扉だと

こうしてたくさんの人を見ていると
自分が小さく生きているのを感じる
もう少しだけ広い世界で
大きく生きてみよう

2羽の蝶が並んで仲良く目の前を飛んでいる
なかなかの舞
ぶつかることもなく
寄り添うことの素晴らしさを
教えてくれているかのように

あの写真みな優しい顔をしている
笑顔が眩しい光っている
写真は嘘をつかない心が出るから
いい顔で

相手になぜと感じる人は
自分が相手のことをそう思っているから
そう接しているから
柔らかな気持ちで話してみると変わるかも
やってみよう




『ずっとそばにいてください』

初めて会った日を覚えていますか
目と目が合った瞬間を覚えていますか
その時の閃きを覚えていますか

淡い想いに色が付いていく
真っ白なキャンパスに絵を描いていくように

これからも絵を描き続けていきます
色んな色を付けていきます
ずっと同じキャンパスにいてください
一コマ一コマのどこかにいてください
一緒にいてください

いつも支えてくれてありがとう
そばにいてくれてありがとう
あなたがいてくれるだけで幸せです
ずっとそばにいてくださいずっと


  MASAYO TACHIKAWA





キンセンカ
~花言葉:慈愛、静かな恋~

ビオラ
~花言葉:誠実な愛、信頼、忠実~


リナリア
~花言葉:幻想、私の恋を知ってください~


ルピナス
~花言葉:いつも幸せ、あなたは私の安らぎ~




『続けられる幸せ』

花桃は一本の木で一色だけでなくピンクや白などの違った色の花を咲かせるから不思議です。
人は縁あってこの世界に生まれてきました
花桃のように同じ枝の人達と同空間でともに互いを信じ美しく咲き続けていけたら幸せです

人生はやり続けることに意味があります
やり続けられることにはもっと大きな意味が

何があってもあえて自分で選んだ道 
あえて自分で選んだことと思えば愛しささえ感じます

全てがこれからの自分のステップアップのためのこと
全てに意味がある

明日が待っている
たった今からの今日が待っている

自分を信じて
しっかり前を向いて今を続けていこう
続けられる幸せに感謝をして


  MASAYO TACHIKAWA





伊勢朝陽

花水木(はなみずき)
~花言葉:華やかな恋~


梅花空木(ばいかうつぎ)
~花言葉:思い出、気品、品格~


八重桜
~花言葉:理知に富んだ教育~




『あなたと出逢えて良かった』

柔らかい日差しが心をそっと包んでくれます

日本中がお花に囲まれ華やかな空間が生まれています
赤やピンク、黄色、白と

お花もお互いの個性を認め合いながら自己主張もきちんとしています

一年間美しい花を咲かせるために暑い夏にも、凍るような寒い冬にも
何も言わずじっと耐え
この日のために

人も何かを成し遂げた時大きなものを手にするのでしょう

一人一人意味があってこの世に生れてきたのだと
毎日はこの意味を見つけるための時間かもしれません

人を愛し、うらやみ、そして愛され
誰もが常に愛されたいと願っています
自分を信じて
願いは必ず叶うと

このうららかな春の日にあなたと出逢えたことに心から感謝をしています
あなたと出逢えて良かった
ずっと一緒にいてください

  MASAYO TACHIKAWA





花桃
~花言葉:気立ての良さ、恋のとりこ~

伊勢神宮内宮にて 馬酔木(あせび)
~花言葉:純粋な心、献身~


伊勢神宮梅の花
~花言葉:澄んだ心、高潔な心、忠義~


夕方の名古屋城と桜
~花言葉:優れた美人、純潔、精神美~






何だか心がほぐれていくのを感じる
きっと魂が肩のカを抜いて穏やかにと
この時間をこの瞬間を作ってくれたありがとう

気持ちを伝えるのは言葉だけではない
同じ空間にいるだけで空気に乗せての会話も
あなたとならばそれが

時間がいくらあっても足りない日
ほんのちょっとの何をしているでもない一時が
大切な源に一息一息

生きる支えをみつけたくて
それがここへ足を踏み入れたきっかけだった
正解かどうかわからない
でも今はそう思う

瞳の中に映っているのに近づけない人がいる
目の前にいるのに近寄れない人がいる
いつか距離が縮まると信じている人がいる

もう一年も経ったね
ふと出てくる言葉
同じ一年この一瞬笑っていた方がいい
わかっている今笑っていますか

隣の芝生は青い
他人の方が良く見えることを例える言葉
周りの素敵な人達の芝は確かに青く見える
とても輝いているからきっと

騙すつもりのないあの笑顔
騙されたと気付いても素直に受け入れたくなる素敵な笑顔
心が溶けてく
「騙す」の言葉は当てはまらない
それもわかっている

一日雨の予報だった
傘を差さず雨に当たることなく外を歩き続けた
そしてふと太陽が顔をのぞかせた瞬間小さな幸せを
ちょっとした満足感

思い出作りは時間の長い短いではない
出会った瞬間に大きく膨らむことも
今のこの時を
長く作っていける気がするずっと




自分を受け入れてくれる空間は居心地がいい自分の存在を認めてくれる
人といると心が溶けていくのを感じる優しくなれる

偶然が笑顔を運んで来てくれたあの笑顔が見たくて頑張っているのかも
しれない必ず結果は出る遠回りしてでも

良かった良かったの言葉がまた良かったを運んでくる自分で出来る限りの
良かったを今日も精一杯頑張る

自分の思いに信念がある時は人の評価など気にならない揺らがない
それ以上に自分の気持ちに左右されない

自分の代わりは誰もいない誰もがそれぞれの道で精一杯生きている
誰かに認めて欲しくてそして誰よりも自分自身に認められたくて

守らねばならないものが多いと自由が利かず身動きが取れなくなる時も
でも守ることができる大きな喜びで心は軽くなる

大切なことを忘れているのかもしれない闇雲に思いを募らせても暗くて
前へ進めない立ち止まって目を閉じ耳を澄ませてみよう

毎日は頑張っても頑張らなくても過ぎていく 向上心のない日々はいつか
ただ流れていく日を疑問に感じる時がくる

忙しい時無我夢中の時は時間を忘れる そんな時ふと気がつくと手の中に
美しい花びらを握っていたりする

願いが大きいほど乗り越えなければならない壁は高い
ただそれを乗り越えられる力があるからまた願う




いよいよ始まりです大切な第一歩をあなたとともにできること
感謝で心がいっぱいですずっと一緒にあなたと

あなたに逢えて良かった出逢えて良かったこの瞬間を待って生きてきた
気さえします心を込めて贈りますありがとう幸せです

人生の全てに意味があると言う どんなことがあってもいつかその意味が
わかる時が来る全てが日々へのメッセージ

思うようにならないことがあるから優しくなれるずっと平穏だったら
気付かなかった今のこの時思いやる心

人生乗り越えられない壁はない小さな壁大きな壁登りきる力を持って
いるからこそ与えられた壁 登るか登らないかは自分次第

行ってみなければわからない遠回りだと思っていたら近道だったり
ゴールはまだ遠いと思っていたらすぐそこだったりと

ふと振り返って選んだ道が間違っていなかったか確認をしたくなる
この道を選んで良かったと思っている自分に後押しが欲しくて

相手がどんな言葉を求めているか今何を必要としているか少しだけ
先回りをして声を掛ければ心の距離もぐっと近くなる

後悔先に立たずあのときこのときと思っても戻ってこない戻れない
次の一歩をやってみての後悔は仕方がない

たかが1秒されど1秒だけど大切な1秒大切な1秒の積み重ねが
一生に一度きりの人生

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